https://note.com/ziel_magazine/n/na1d8307e5302?magazine_key=mfee4e01d9586 【しら梅や誰むかしより垣の外——蕪村はどんな情景を詠んだのか】より
季節にあった季語を用いた俳句を紹介する連載「魂の俳句」。
第4回目は、「しら梅や誰むかしより垣の外」(与謝蕪村)。季語や意味、どんな情景が詠まれた句なのか、一緒に勉強していきましょう!
そして、その俳句を題材にして、大学で書道を学んでいた花塚がかな作品(日本のかな文字を用いて書かれる書道のこと)を書きますので、そちらもお楽しみに!
文・書:花塚水結
垣根の外に咲いた白梅を詠んだ蕪村の句
白梅やた(堂)か(可)む(无)か(可)しより(里)かき(支)のそ(處)と
俳句:しら梅や誰むかしより垣の外(しらうめやたがむかしよりかきのそと)
作者:与謝蕪村(1716-1784)
出典:自筆句帳、安永四年十二月十四日山肆宛書簡
季語:しら梅(春)
意味:垣根の外に誰かが植えた白梅が今年も咲いた
1775年(安永4年)、与謝蕪村が詠んだ句です。季語は「しら梅」で、季節は春。
初稿では、「誰むかし」を「いつの頃より」としていたものの、のちに改稿し、「誰むかし」としたそうです。安永四年十二月十四日山肆宛書簡には「いつの頃より」と記載されています。
実はこの句、人によって意味の解釈が異なっているのです。
明治〜大正時代を代表する俳人たちの解釈
『蕪村句集』(1784年)について行った輪講が記録された『蕪村句集講義1』では、正岡子規、内藤雷鳴、高浜虚子、河東碧梧桐らが蕪村の句について解釈や意見を述べています。
本句についての、それぞれの俳人の解釈は、下記のとおりです。
虚子曰く、垣の外に在る今年も白梅が咲いた。いつの昔誰が植ゑてから、かく垣の外に在るのであらうか、といふに過ぎんのでせう。
子規氏は曰く、垣の外といふ外の字が此句の眼目で、普通の梅ならば垣の内に在るのだが垣の外に在る梅は、と特に㤉つたのである。
鳴雪氏曰く。白梅といふたのは、「知らぬ」といふ意をもかけてゐるのであらう。
正岡子規、内藤雷鳴、高浜虚子、河東碧梧桐ほか『蕪村句集講義1』(平凡社)240ページ
3人の意見を読む限りでは、「知らない誰かが植えた白梅が今年も咲いた。何で垣根の外に植えられているのかは不明だけど」という解釈ができます。
そもそも知らない誰かが垣根の外に白梅を植えたという状況が、とても怖いのですが……。そう感じるのは私だけでしょうか。「白梅の成長を見守るフリして、蕪村の様子を見に来るストーカーが植えたものなのではないか……」などとつい想像してしまいます。しかし、蕪村は「今年も咲いたなぁ。俳句にでも詠んでしまおう」と作品を残しているわけですから、ものは考えようだなぁとしみじみ思います。
「日本近代詩の父」詩人・萩原朔太郎の解釈
俳人たちの解釈に対して「日本近代詩の父」と称される詩人・萩原朔太郎は、本句の意味をこう解釈しています。
昔、恋多き少年の日に、白梅の咲く垣根の外で、誰れかが自分を待っているような感じがした。そして今でもなお、その同じ垣根の外で、昔ながらに自分を待っている恋人があり、誰れかがいるような気がするという意味である。(中略)同じ春の日に感ずるものは、その同じ昔ながらに、宇宙のどこかに実在しているかも知れないところの、自分の心の故郷であり、見たこともないところの、久遠の恋人への思慕である。
萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』(岩波書店)35ページ
朔太郎の解説では「誰」を「恋人」と解釈することによって、「ふと白梅を見たとき、昔、白梅の側で待っていた恋人がいたのを思い出した。好きだったあの人は、きっと今も世界のどこかに存在している、自分の心の故郷だな」と解釈できます。
インスタに投稿すればバズったであろう蕪村の句
たしかに、何かを見た拍子に突然昔の思い出が蘇ってくることってありますよね。たとえば、「あるお酒の席で、元彼が吸っていたタバコと同じ銘柄のものを吸っている人を見かけて急に元彼が恋しくなってしまった。あんなにひどいことを言われたのに、ちょっと懐かしくなっちゃった……」と。
この一瞬の「懐かしい気持ち」をどうにか昇華させる手段として、若い人の多くは「エモい」の言葉を添えてインスタを投稿しています。
しかし、昔はその手段が「俳句に詠む」行為であったのでしょう。人知れず、密かな思いを表現する文化として、つながるものがあのかもしれませんね。朔太郎の解釈をすると、この俳句、かなりエモい作品だと思います。
限られた十七音に詠まれた言葉だけではなく、「どんな言葉が秘められているのか」を想像することによって、これまでとはまた違った自分なりの楽しみ方を見つけることができるのではないでしょうか。
https://www.ziel-magazine.com/haiku-007/ 【季節にあった季語を用いた俳句を紹介する連載「魂の俳句」。】
第7回目は、「衣更へて遠からねども橋ひとつ」(中村汀女)。季語や意味、どんな情景が詠まれた句なのか、一緒に勉強していきましょう!
そして、その俳句を題材にして、大学で書道を学んでいた花塚がかな作品(日本のかな文字を用いて書かれる書道のこと)を書きますので、そちらもお楽しみに!
衣更とともに軽くなった気持ちを詠んだ句
衣更へてとおからねともは(盤)しひとつ
俳句:衣更へて遠からねども橋ひとつ(ころもかえてとおからねどもはしひとつ)
作者:中村汀女(1900-1988)
出典:花影
季語:衣更(初夏)
意味:衣更えをした。あそこの橋を越えると街が変わるように、私の気持ちもがらりと変わった
季語は「衣更」で、季節は初夏。
俳句の意味は、「衣更えをした。橋を1つ越えると街が変わって私の気持ちもがらりと変わった」。
中村汀女は昭和を代表する俳人で、高浜虚子に師事していました。同じく高浜虚子に師事していた杉田久女に憧れを抱いていましたが、久女の力強い句風とは異なり、生活に密着した素直で叙情的な作品を多く残しています。
出所:ウィキペディア
この句について、汀女は次のように語っています。
中村 衣更えをすると気持ちも軽いですよね。何かちょっとそこらあたりまで歩きたい。用がなくても歩きたいような気さえいたしますよ。そしていわゆる「遠からねども」のところに、橋ひとつ越えれば、またそこにはそれこそ新しくあらたまるものあり、ほんとに気持ちが軽やかになる、こちらの町もあるんじゃないかしら。橋ひとつでだいぶ気持ちが違うでしょう。
——ええ、川の向こうとこちらですからね。
中村 そうそう、そうなの。その気持ちの新しさ、そういうものを言いたかったんだけど、「遠からねども」——遠くもない、そんなにそばでもない、ある距離の、橋にさしかかるまでの気持ち、それから橋を真ん中ごろまで行くまで、気持ちに衣更えしたあらたまるものありと言いたいんだけれど、どうもうまくいきませんね。
中村汀女『中村汀女 俳句入門』(たちばな出版)87〜88ページ
衣更をすると気持ちが軽くなることも、橋を渡って川の向こう側に行ったとき、新鮮な気持ちになることも、日常のとても小さな心情ですよね。その2つを拾い上げて、作品に昇華できる汀女の情緒の豊かさといったら……。
きっと、日常を、1分1秒を、大切に過ごす人なのだろう、などと勝手に想像してしまいます。子ども3人の子育てに追われながら句作に励んでいた時期もあるがゆえに、生活に密着した句が多くなったのでしょう。
子育てをしながらも、常に「日々思うこと」を心に留めていたのかもしれませんね。
私も日常を、1分1秒をもっと大切にすれば、情緒豊かになれるのかしら……と、ヒートテックがはみ出ている洋服ダンスの引き出しを眺めながら思うのでした。
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