https://note.com/tanshikeibungaku/n/ne5d7570d66b3?magazine_key=mfee4e01d9586 【【俳句】文芸上の真とは 水原秋櫻子をよむ】より
俳句は、現実を”ありのまま”に書くことのみが正しいだろうか。
例えば暑い季節、山中へ赴き、一本の滝を目の前にしたとする。水しぶきや滝の巻き起こす風が涼しいだろう。岩には青々とした苔が繁茂し、天は緑の木々に覆われている。
この景を俳句にしたい。滝、苔、木々、風も水しぶきもすべて込めた句にしたいと思うのが人である。しかし、およそ俳句は一点に絞ったほうがいいらしい。五七五のわずか十七音にいろいろと盛り込むのは難しいからだ。焦点がぼやけて、何が言いたいのか分からなくなってしまっては詩にならない。それは、もはや短い散文である。
今回は、滝を見に来たのだから滝に絞ろう。
しかし、滝は滝である。水が高いところから低いところに落ちているだけだ。それが大規模というだけに過ぎない。
滝の五七五が、詩となるためには何が必要なのか。その答えは、プロが論じれば、何冊もの本になるかもしれない。
私がここで申し上げたい点は、加工(演出)である。滝を私という主観を存分に通して、加工する。美しく演出するのだ。見たままを書いたのでは、嘘もなく誠実なのかもしれないが、芸術としては面白くない。勿論、みたままをただ述べただけでも、誰もが気付かなった新しい発見や驚きがあれば、俳句として成立する点は付け足しておく。
俳人・水原秋櫻子(みずはら しゅうおうし)の句に加工があるとは、たいへん失礼に聞こえてしまうかもしれない。この場合の加工とは、文芸上の真である。
水原秋櫻子は、子規、虚子の俳句雑誌ホトトギスに属していたが、自然の真と文芸上の真という考え方の違いにより、脱退している。自然の真は、余計な装飾を嫌う端正な客観写生をよしとする。秋桜子のいう文芸上の真は、たとえば、以下の通りである。
瀧落ちて群青世界とどろけり 秋櫻子
滝が怒涛のごとくに、周囲の一切を群青世界に。
岩の苔や木々の緑もあるだろうが、滝の勢いがすべてを呑み込んでいる。それを、「群青世界とどろけり」の十二音で表現している。”とどろく”は音につかう言葉だ。それを、群青世界と色彩に絞った主語につかっている。そうすると、群青世界とは静的な色彩のみではなく、水や自然の躍動感までをもふくむ措辞なのだとわかる。
群青世界、と抽象的でありながら、滝水の色とその支配力を確かに表現している点、とどろけり、と群青世界に動的な息吹をこめている点、滝落ちて、と”て”で軽く切って、滝水の落下の瞬間、群青世界がとどろくインパクトを強調している点は技術的な参考になるだろう。
高嶺星蚕飼の村は寝しづまり
山々のはるか上空に輝く星々。地に広がる養蚕の村はしんと寝静まっている。
天の星空から地の村まで、空間の広がりの美しさ。西洋絵画的と評されることの多い秋桜子らしい構図である。
金色の仏ぞおはす蕨かな
仏の鎮座する舎と、その周囲に群生する蕨。蕨の地味な色は、仏の金色を映えさせる。
むさしのの空真青なる落葉かな
武蔵野の真っ青な空と、地の落ち葉。天の青と地の茶や黄が美しい。
題材は日本の古寺や武蔵野でありながらも、その描き方は西洋絵画を思わせる句が並ぶ。これは秋桜子の構成意識からきている。「ホトトギス」の叙景句が、無造作に自然をつかみとってくるところに特色があったのに対して、秋桜子の句は空間上の位置関係や色彩バランスを、入念に考えて作られている。(角川俳句令和三年七月号 髙柳克弘著 論考『新しさに妥協しない』)
秋桜子の発表した論考「自然の真と文芸上の真」は、「鉱にすぎない『自然の真』」を、創造力と想像力でもって「文芸上の真」に「加工」するべきだという論旨だった。虚子が作者の自意識を「小主観」とみなして否定的だったのに対して、秋桜子は作者の意識的な言葉のコントロールを、積極的に肯定したのである。(角川俳句令和三年七月号 髙柳克弘著 論考『新しさに妥協しない』)
野の虹と春田の虹と空に合ふ
冬菊のまとふはおのがひかりのみ
白樺を幽かに霧のゆく音か
堂崩れ麦秋の天藍たゞよふ
http://www.gentosha-academy.com/serial/handou_2/ 【夏目漱石の予言 【第2回】―文芸上の真 ―】より
半藤 英明(はんどう ひであき) 熊本県立大学 学長2019年08月07日
明治時代から今日に至るまで、国語の教科書に作品が載る国民作家である夏目漱石。漱石は文学者として専門家のあいだで高く評価されながらも、大衆、社会レベルでは何を、どう評価すべきなのか、いまひとつ理解が行き届いていない。漱石の作品の価値を、現代への「予言」という切り口で象徴的に解説するシリーズ連載。
人には生きる上で強い者もいるが、大抵は弱いのではないか。「弱い」とは体力、気力の話ではなく、悩み、傷つき、我慢して生きているという意味である。だから、何かを期待し、何かを当てにし、何かに依存する。誰しも愛し愛されたいし、救われたい。趣味や生き甲斐を求めるのも文芸や宗教の存在も、その証しであると思う。
幼少期はいさ知らず、大人の漱石は生真面目で思索的な学者肌である。生きることに過度に真剣で、陰鬱な不安感に苛まれていた。それを脱し、安心して生きる手掛かりとしたのは、「自己本位」による文芸の建設を人生の営みと思い定めたことである。小説の動機は、生きることの不安を解消するための無限の追求であった。小説を一度も停滞せずに済んだのは、そのためでもある。
漱石は、松山、熊本での英語教師を経て、文部省の薦めによるロンドン留学後に東京帝国大学の講師となり、英文学の講義を行った。それを纏めた明治40年の『文学論』は、心理学、社会学を応用した専門的でペダンティックな文章の学術書であるが、そこに漱石の基幹的な作家態度が見える。例えば「文学者の重(おもん)ずべきは文芸上の真にして科学上の真にあらず」と述べては文学と呼ぶべきものが文芸上の真すなわち創作上のリアルによって読者の心に訴えかける行為であると宣言している。本当らしい出来事を描いて大方の想像力に働きかけるものが文学であるという。表現上の世界にこそ大切な真理が浮遊する場合もあるだろう。人は自分で選んだ単線的な現実しか送れないが、文芸の世界で異なる人生を追体験するならば人生の理解を広げたり深めたりすることができる。疑似体験の全てが実体験に劣るとは誰も言い切れまい。現実ではあり得ないことを、文学という名の文芸上で実現し、現実相当の世界を表現したり理解したりすることは十分あり得る。「事実は小説より奇なり」と言うが、事実が常に小説を超えるものであるならば小説の敗北であり、小説にはたいした価値がないことを意味する。
https://gospel-haiku.com/hl/4s.html 【昭和の四Sを探る】より
俳句の大衆化を推進し女流俳句の道を切り開いた高浜虚子先生は、昭和の四Sを推して現代俳句への布石とされました。この四Sについて知ることは、私たちの進むべき道を見極めるためにとても意義のあることだと思います。
昭和三年、ホトトギスの先陣をきる作家として、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十がいました。この四人は昭和の四Sと呼ばれています。この四 Sについて虚子は次のように述べ、進むべき新しい方向として四Sの作品を推奨しています。
俳句界の進歩は駸々として一日も止まりません。今日の新人は明日の旧人であります。更に新人を迎えて那辺に展ぶるかは計り知ることができません。(「俳句小論」に記された虚子のことば)
秋櫻子と素十
四Sと騒がれた三年後の平成六年
秋櫻子は素十俳句を絶賛した虚子に対して「自然の真と文芸上の真」という一文を発表して虚子に対抗する姿勢を示しました。
自然の真というものは、文芸の上ではまだ掘り出されたままの鉱(あらがね)であると思ふ。・・・・・・文芸上の真とは鉱にすぎない自然の真が、芸術家の頭の溶鉱炉の中で溶解され然る後鍛錬され加工されてできあがったものを指すのである。
いかにも論者秋櫻子らしい説ですし、あながち間違っているとも言えません。けれどもその加工された結果
自然の真が隠されてしまって虚構の世界になってしまったのでは意味がありません。
原石の魅力を失わないで、よりいっそう輝いた命となるように磨きあげること、これが「本物の文芸」ではないかと私は思います。
誓子と青畝
昭和六年に刊行された青畝師の句集『万両』の序文中で虚子先生は次のように書いています。
私は写生と云ふ、大きな、緩い、然し乍ら強い羈縛(きばく)の許に、吾が俳句界を率ゐて来たものであるが、君(青畝師のこと)は実にその中にあって、君自身の写生を完成したと云ってよい。・・・・・・
君の句はややもすると既成の俳諧の天地に歩を留めようとするものがあるに反し、誓子君の句はキャムプを詠じ、韃靼を詠じ、飢餓を詠じ、甚だしきに至っては、宝塚のダンスホールを詠じて居る。而も亦その調子は、疎硬放漫なるかに見える。・・・・・・又一見花鳥諷詠の域を脱して居るかに見えるが、さうではない。寧ろ一方に於いては花鳥諷詠という意味を其辺にまで拡充し得るものと考えて居る。
一度誓子を去って青畝に帰ると、其処には誓子君の句は国境にある征虜の軍を見るが如き感じがするが、それが青畝君の句になると、俳諧王国の真中に安座して、神官行き、僧侶行き、貴人行き、野人行き、老も若きも共に行く縦横の街路井然として乱れず、而かも其、静かなる水に影を映して、一塵をとどめざる感じがする。青畝、誓子は吾が俳句界に於て面白き対立を為して居る。又相互に学ぶべき点もあると思ふ。
なんとなく分かるような気もするのですが、ちょっと比喩が難しく正直言って結論はよくわかりません。 「相互に学ぶべき点もある。」といわれると、いづれも完成形には至っていないという意味にとれなくもないのですが、互いに認めあって更なる高みを目指せという激励の意味に解したい。
私たちの進むべき道
虚子著『進むべき俳句の道』の巻末に「結論」と題して次のように記されている。
先ず私は俳句の道は決して一つではない、様々である、各人各様に歩むべき道は異なっているということを言った。・・・・・・一人として同じ道を歩いている人はない。また少しでも異なった道を歩いていることによって始めてそれらの人々の存在は明らかになって来ている。・・・・・・諸君は各々自己の道を開拓して進んでいくことに安心と勇気とを持たねばならぬ。・・・・・・
われらは常に「新」を追う。陳套なる形骸を守って、そこに何の文芸があろう。ただわれらは秩序を守り、歩趨を整えておもむろに新境地を開かねばならぬ。十七字、季題趣味という二大約束は、決して諸君の句を陳套ならしめるものではない。この約束あらしむることによって、俳句は常に文芸界に新味を保ち得るのである。
歴史を顧みて、虚子以降の俳句界は、四Sを源流として、それぞれ更に分派派生して混沌とした状況で現在に至っています。わが は、青畝師の流れを継承して進もうとしているわけですが、決して排他的に他の流れを否定するつもりはありません。また、どれが本流でどれが亜流であるかなどと高唱することも愚かです。
分派分裂を避けられないのが俳句界の哀しい性ですが、虚子はそれを案じて、互いの存在を認めあいつつ個性が現れるように切磋琢磨することと、
十七字(破調に流れず語調を整えること)と季題趣味(季感を句の命とすること)
という約束だけは、決して踏み外すなと警告しているのです。
あとがき
新しい方向として虚子が示した四Sの作品を比べ見て、みなさんはどのように感じられたでしょうか。
それぞれに趣が異なることは確かです。でももし仮にみのるが選者であったなら、少なくとも秋櫻子の句は採りずらいです。誓子の句もまたみのるの好みではありませんが、選者という観点に立って選択肢をひろげれば、かろうじて採れます。青畝、素十の二人の句は、違和感なく納得して採れます。虚子 - 青畝 - 紫峡という、みのるの師系から考えると当然でしょうね。
これら四Sの作品を虚子が称揚したのは昭和三年です。これだけ個性の異なる作者を育て上げた虚子は、選者として本当に凄いひとだったとぼくは思います。『作者としての素養と、選者(指導者)としてのそれは別物』だと紫峡師から教わりました。四Sの作品を鑑賞してみて、あらためてそのことを実感します。
の管理人として恥ずかしくないような作品を詠めるように研鑽を積むことは勿論ですが、選者としても責任ある結果が残せるように努力し続けたいと思います。
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