楓橋夜泊

https://bonjin-ultra.com/huukyouyahaku.html 【楓橋夜泊(ふうきょうやはく) 張継】より

月落烏啼霜満天

江楓漁火対愁眠

姑蘇城外寒山寺

夜半鐘声到客船

月落ち烏(からす)啼(な)いて 霜(しも)天に満つ

江楓(こうふう)の漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対す

姑蘇城外(こそじょうがい)の寒山寺(かんざんじ)

夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る

【訳】

 月が沈み、烏が鳴き、霜の降りる気配が天に満ちている。点々と見える漁り火が川岸の楓(かえで)の木々を照らし、うつらうつらとして眠れない私の目に映る。そんなところへ、姑蘇城外の寒山寺から、夜半を告げる鐘の音が、私の乗っている舟にまで聞こえてきた。

【解説】

 地方官に任じられた作者が、蘇州の楓橋のほとりに舟どまりしたときの作とされ、多くの漢詩のなかで、中国、日本とも最も広く知られてきたものの一つです。また、細かな語句の解釈について、昔から議論のある作品でもあります。

 

 七言絶句。〈楓橋〉は蘇州にある運河にかかった橋、〈江楓〉は岸辺のカエデの木、「江村」(川沿いの村)とする説もあります。〈姑蘇城〉は蘇州のことで、城壁に囲まれていました。〈寒山寺〉は南北朝時代に創建され、かつて寒山、拾得が住んでいたといわれる名鐘で名高い寺。

張継(ちょうけい)

盛唐の詩人・官僚(生没年不詳)。753年に進士に合格、安史の乱にさいして江南に逃れ、越州・杭州・潤州・蘇州などを歴遊する。766年ころ朝廷に入り、侍御史、検校祠部郎中に任じられた。770年に洪州の地方官として転出、同地で没した。博識で議論好きな性格で、政治に明るく、公正な政治家だという評判があった。


https://note.com/keikanokaze/n/n2e94d347a77c 【秋から冬へーー張継「楓橋夜泊」】より

紅葉の美しい季節、やがて、落ち葉が舞い散り始める頃。秋から冬へと向かう季節にぴったりの張継「楓橋夜泊」をご紹介します。

日本人には大変有名なこの詩ですが、寒山寺は6世紀初めに創建され、唐代に寒山・拾得という2人の高僧が住んだと言われるお寺です。(諸説あり)明代に一度炎上し、清代末期(20世紀初頭)に再建されたとのことです。

寒山寺を訪れた日本人がよく購入する拓本の元となる詩碑も、実は清代の学者兪樾(ゆえつ)の手に成るものだそうです。(そういえば私も買ったような記憶が・・・)

【書き下し文】

楓 橋 夜 泊 Fēngqiáo yè bó

    張継 Zhāng jì

月 落 烏 啼 霜 満 天  Yuè luò wū tí shuāng mǎn tiān

江 楓 漁 火 対 愁 眠  Jiāng fēng yúhuǒ duì chóu mián

姑 蘇 城 外 寒 山 寺  Gūsū chéng wài Hánshānsì

夜 半 鐘 声 到 客 船  Yèbàn zhōngshēng dào kèchuán

【書き下し文】

月落ち烏啼いて霜天に満つ

江楓漁火(ぎょか)愁眠に対す

姑蘇(こそ)城外寒山寺

夜半の鐘声客船に到る

【詩の形式】七言絶句

【押韻】満眠船

*江楓・・・川岸に生えている楓。

      中国の楓は葉の大きいマンサク科の植物。

*漁火・・・いさり火

*姑蘇・・・蘇州の古称

*客船・・・旅人の船。旅人は作者自身。

 

《桂花試訳》(少し大胆に意訳してみました。)

  楓橋のたもとにて 今宵の宿は船の中 

月も沈み、烏の啼く夜更け。空には寒々とした霜の気があふれる。

川辺の楓の木、遠くの漁り火、寝付けない旅寝のまどろみの中。

蘇州のはずれにある寒山寺から、

夜半の鐘の音(ね)が私の船まで届いてくる。

作者である張継は8世紀の詩人で、詳しいことは伝わっていませんが、8世紀半ばには進士となり、官吏を務めたそうです。

もとは「封橋」という名前であった橋がこの詩以降、「楓橋」と呼ばれるようになったとか。

寒々とした晩秋の夜更け、「旅愁」に心塞がれる作者の様子が目に浮かぶようですね。

参考書籍:

『漢詩一日一首(秋)』一海知義著    平凡社

『漢詩入門』一海知義著     岩波ジュニア新書

『図説漢詩の世界』山口直樹著  河出書房新社

『中国古典紀行2 唐詩の旅』  講談社

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