Facebook清水 友邦さん投稿記事
蓮は花が咲き終わってから実をつけるのではなく、つぼみの状態ですでにその花弁の下に見事な蓮の実をつけています。
そのことから人は生まれながら仏性を備えているという仏教の教えになっています。
つまり誰もがすでに光明を得ている完全な存在なのです。
しかし、思考(煩悩)で覆われている為に人々(衆生)はその事実に気がつきません。
法華経はサンスクリット語でサッダルマ・ プンダリーカ・スートラといい「プンダリーカ(Pundarika)」とは白蓮のことです。
熱心な法華経の行者だった宮沢賢治は作品の中で何回もサダルマフンダリカスートラと唱えています。
『月光いろのかんざしは すなほなコロボックルなのです(ナモサダルマフンダリカスートラ)』『まばゆい白金環ができるのだ (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)』
宮沢賢治『樺太鉄道』
『ましろくながるるかの川とかの山に幸いあれおおナモサダルマフンダリカスートラ
わが少数の読者よわがうち秘めし異事の数 異空間の断片』
宮沢賢治「春と修羅」第2集
Facebook清水 友邦さん投稿記事
蓮は泥を栄養に成長して平安と静寂に輝く美しい花を咲かせます。
泥の中にあっても蓮の本質が汚れる事はありません。
怒り、悲しみ、不安、嫉妬、ねたみ、争いの煩悩渦巻くこの娑婆世界にあっても、蓮の花のように私たちの本質が美しく輝いていることを蓮は表しています。
心の表層がどんなにひどく汚れた状態に思えても
私たちの心の本質の輝き、美しさが失われることはありません。
花は咲いてから実(み)がなるのですが蓮の花は咲く前にすでに実(み)を持っています。
私たちの本質は生と死という因果を超えて、すでに永遠の至福の状態に在ることを蓮の実は表しています。
今日も泥沼の中から汚れることなく美しい蓮の花が咲いています。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
古代日本は統一国家ではありませんでした。大和朝廷に恭順しなかった縄文の民は熊襲(くまそ)、隼人(はやと)、土蜘蛛(つちぐも)、国樔(くず)蝦夷(えみし)と呼ばれました。
最後まで独立を保ち大和朝廷に服従せずに抵抗を続けたのは、東北の蝦夷(えみし)でした。
蝦夷の国は、日高見国と呼ばれて1000年以上独立をたもっていました。
その蝦夷が滅びたのが文治五年(1189)です。
文治五年(1189)8月22日平泉を攻め滅ぼした源頼朝は、28万4千騎の兵を引き連れて、岩手県紫波町陣が丘に陣を敷きました。
そこで奥州藤原氏最後の当主藤原泰衡(ふじわら やすひら)の首実検が行われ泰衡の首は父秀衡の眠る中尊寺金色堂の金棺に納められました。
その時、紫波町の五郎沼に咲いていたハスの種を泰衡と親戚関係にある領主樋爪(ひづめ)氏が、泰衡公の首桶に供え菩提を弔ったと言われています。
紫波地方では、葬儀の時に死者を弔う意味でハスの花を入れる風習が残っていました。
平泉が滅亡した800年後の昭和25年(1950)に、中尊寺で学術調査が行われました。
そのときに、100個あまりのハスの種子が泰衡公の首桶から発見されました。
約2000年前のハスの発芽に成功した大賀博士(1883 - 1965)に、ハスの実が託されましたが、発芽させることができませんでした。
大賀一郎博士の門下である恵泉女学園短大の長島時子教授に、ハスの種子が託され、種子の発見から50年後の平成6年(1994年)に、やっと発芽させることができました。
それから4年後の平成10年に、ようやく開花させることができたのです。
中尊寺の泰衡公の首桶から発見された古代ハスは、中尊寺蓮と命名されました。
中尊寺蓮は大賀蓮などの古代ハスと違い、葉は真ん中がつるつるして端がざらざらしているのが特徴です。
中尊寺蓮は株分けされて、故郷の五郎沼に植えられて800年ぶりに再び美しく咲きました。
蝦夷は悪い鬼、山賊にされてしまい東北の民は大和朝廷の文化に同化してしまいました。
けれども縄文の魂は今も日本人の心の中で眠っています。
中尊寺蓮は800年の時を超えて再び咲きました。
眠っていた縄文の魂も再び目覚めて来るでしょう。
Facebook長谷川 ひろ子さん投稿記事【これなぁ〜に?】
蓮の実って生で食べられるんですね 何だか目玉が沢山あるように見えて
一瞬驚きましたが、食用と知り 分解して中身を取り出し、緑の皮を剥いてみたら
ゆりの根のような実が!
神様ってサプライズがお好き。とても食べ物とは思えないものを創造されます
自然界は面白い
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