https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rnh.html 【曼珠沙華】より
沙加戸 弘(さかど ひろむ)(国文学 教授)
秋に限らず、日本の山里を彩る花の中で、その花期の短さにもかかわらず、これほどの存在感と迫力を持つものはまずない。
中国原産の宿根草、普通は赤色であるが野生種に白花もあり、近時は園芸店に「リコリス」の名で多くの品種がある。
『法華経』の巻第一序品に、釈尊が多くの菩薩のために大乗の経を説かれた時、天は
蔓陀羅華・摩訶曼陀羅華・蔓殊沙華・摩訶蔓殊沙華
の四華を雨(ふ)らせて供養した、とある。
「マンジュシャカ」は古代インドのサンスクリット語で「赤い」の意で、語義は未だ詳らかでないが、中国で音を写して字を宛て、中国に存在した花に比定したものと推定される。
恐らくは仏教と相前後して、名と共に伝来したこの花の名を、先人が漢語のままに伝えたのは、多分日本の風土の中においた時感じられる一種の違和感によるものであろう。
一般には秋の彼岸の花「ヒガンバナ」と呼ばれるが、花の時に葉を見ず、葉の時に花を見ないので、「ハミズ」、「ハナミズ」、あるいは鮮血を思わせるその色彩の故か「シビトバナ」等、日本の野草の中では最も異名の多い部類に属する。生活と共にあった花の証である。
美しいものには、悲しい歴史があることが多い。曼珠沙華は山林原野にほとんど見られず、水田の畦に群生するが、これは飢饉への備えとして先人が植えたからである。
「毒がある故触れてはならぬ」、「持って帰ると火事になる」、「死人が出る」と幼き者に言い聞かせて守り育てたと伝えられる。
アルカロイド系のかなり強い毒を有することは事実であるが、この毒は水に晒すことによって容易に除去することができ、球根からは極めて良質の澱粉がとれる。
曼珠沙華が救荒作物というのは意外である。しかし、自然の真っ只中に生きた先人達が最後のたよりとしたこの花の名が、天が釈尊に供養した花に由来する、ということならば中国伝来のこの花は、日本においてまことにふさわしい位置を得たというべきであろう。
https://gptelemann.wordpress.com/2010/10/12/%E7%85%A7%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%82%93%E5%90%9B%E3%81%AE%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E6%AD%B3%E6%99%82%E8%A8%98%E3%80%80%E3%80%8C%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E8%8A%B1%E3%80%8D/ 【照れまん君の俳句歳時記 「彼岸花」】より
なかなか死ねない彼岸花さく 種田山頭火
「暑さ寒さも 悲願して!」
もしもし、照れまんさん、いい加減にしなさいよ!!高校野球じゃないんですから、悲願してどうしますの?
しかし、今年の夏は暑かったですね。観測史上最高という暑さ。もう、冬は来ないんじゃないかと思うほどでした。でも、お彼岸を過ぎるとめっきり涼しくなり、私なんぞはあっという間に、冬物のパッチを穿くようになってしまいました。
「みだしで、パッチ!」 ナンチャッテ。 喝ーーーッ!!
はい、そういうことで、今回は悲願じゃなくて 彼岸花。又の名を 曼珠沙華。とても美しい花。
花が咲いた時には葉っぱが無いので、群れ咲いている所は宙に緋色の雲が漂っているようで、とても美しい。
よその国では「天上の花」とも呼ばれ、天から降ってきた赤い花で、お目出度い兆しと喜ばれる花のようです。韓国では「相思華」と呼ばれているそうです。素敵な呼び名ですね。
ところが、日本では、なぜか良く思われない。これほど可愛そうな花は無い。
私がまだ若かった頃、島に住むおばあさんから聞いた話。
戦時中によその土地から大島郡に嫁いで来た、その時は、まだ二十歳にもなってなかったそうだ。ある秋の日、彼岸花が奇麗に咲いていたので、伐り取って床の間に活けた。
そしたら、野良仕事から帰ってきた姑がその活け花を見たとたん、「私を殺す気ね~!」
と言い、華を引き抜いて捨てたそうです。
その上、ふが悪いことに、一週間程したら、突然その家のお爺さんが亡くなった。それは、あんたのせいだと散々姑さんから叱られた。何も知らなかったので、ひたすら謝ったそうです。
彼岸花を活けた事は、姑さんが死ぬまで言われたそうです。そのおばあさんは、自分の生まれた地方では聞いたことが無かったし、まだ娘だったので、何も知らなかったと言います。
それで、私にそんな話を知っているかと聞かれたのですが、私もその時にはまだ若く、全く知らなかったのです。
私はその時に初めて聞いたのですが、俳句をやるようになって、「彼岸花」の別名が「死人花」など、不吉なものが沢山あるのを知りました。
日本ではいつの頃からか、お彼岸の頃に咲く花なので「彼岸花」 と呼ばれるようになった。その為に、死のイメージが付きまとい、実に可愛そうな不幸な名前が沢山付いてしまった。花には何の罪も無いのに、日本人が勝手に縁起の悪い花などと決めてしまった。
全くそんなことは無いのですが、仕方が無いですね。
彼岸花と秋の雲
被子植物門・単子葉植物綱・ユリ目・ヒガンバナ科ヒガンバナ属 ヒガンバナ 彼岸花
学名 : Lycoris radiata Lycoris はギリシャ神話の女神、海の精ミネレイドの 一人、
Lycorias の名前からとられた。radiata は放射状の意味。
別名 : レッド・スパイダー・リリー 曼珠沙華
異名 : 「死人花」・「地獄花」・「幽霊花」・「狐花」・「捨て子花」・
「厄病花」 他多数。地方による呼び方を含めると、千種類はあるそうだ。
原産 : 中国 揚子江流域とも
曼珠沙華とも呼ばれるが、これはサンスクリット語を音訳したものとあちこちのサイトに書かれているし、広辞苑にもそう書かれている。本当にそうなのか、とちょっと調べてみたくなった。そこで調べたことを書いてみます。
曼珠沙華 とは法華経の中に出てくる言葉。
「~ 曼陀羅華 摩訶曼陀羅華 曼珠沙華 摩訶曼珠沙華 ~」
曼珠沙華(マンジュシャケ)。 梵語では、manjusaka マンジュサカと発音するのが最も近いらしい。古いインドのサンスクリット語を中国で漢字に音訳したものに間違いないらしい。
お釈迦様が法華経を説かれた時に、天がこの四華を降らせたという。曼珠沙華は鮮白、とにかく白い花。これを見ると悪行から離れてしまうほど美しい花だそうです。
ところが、別の書物には、鮮紅色と書かれたものがあり、これが彼岸花であると書かれています。う~ん、どっちなんでしょうか?
曼陀羅華(マンダラケ) の方を見ると説明が面白い。
此の花、赤に似て而も黄、青の如くにして而も紫、緑の如くにして而も紅なり。此の花の色美妙にして、見る者心意悦豫ならしむるものなり、と書かれています。
結局何色の花なのか、私にはさっぱり解りません。
現在では、朝鮮朝顔がマンダラゲと呼ばれたり、トウワタがもっとも近い花とされているようですが、正しいかは不明なようです。
曼珠沙華と摩訶曼珠沙華 とは違う花のようです。これらは仏教上の想像の花なのか、現実にあった花なのかは、解らないようです。現在この花だと特定するのは難しいようです。
歌謡曲でマンジュシャカと歌っている歌がありますが、アレは間違いではなく、古いインドでは、マンジユシャカと発音していたということを知っていた作詞家が、こう読ませたようです。
一本の茎に8個の蕾が付いています
曼珠沙華は白い花だと書かれたものもあるようですが、白花曼珠沙華というのもありますね。
植物の話に戻りますが、曼珠沙華は元々は白花で二倍体。つまり、種で増える植物。ところが、色々雑交配する時、三倍体の赤い花が出来た。これは種が出来ないので、球根で増えていく。この赤い花の球根が日本に持ち込まれて、日本で増えていった。
おそらく、縄文時代には入ってきたのではないかと想像されるようですが、これは、はっきりとした確証は無いようです。随って、日本では赤い花が圧倒的に多い訳ですね。
曼珠沙華は一本の茎に、5~8個の花を付けます。
オシベ・メシベが長くて特徴的です。ちょっと芸能人の付けまつ毛を思い出してしまいます。
さて、ぼつぼつ俳句にいきます。
俳句では、秋の季語で「曼珠沙華」という呼び方が基本。傍題に 「彼岸花」・「死人花」・「天蓋花」・「幽霊花」・「捨子花」・「狐花」・「三昧花」・「したまがり」・「まんじゅさげ」 などがあります。
さて、俳句を見て見ますが、江戸時代にはまだ曼珠沙華は詩歌の題材としては、広まってはいなかったようです。それで、僅かしか俳句には詠まれていないようです。
弁柄の毒々しさよ曼珠沙華 許六
まんじゆさげ蘭に類ひて狐啼く 蕪村
明治時代に入ると俳句季語として認知され、ようやく多くの句が詠まれるようになったようです。正岡子規が、曼珠沙華には葉が無いので、そのことに妙に固執して詠んでいるところが面白いので、句を載せてみます。
明治24年
葉も花にさいてや赤しか曼珠沙花 正岡子規
葉も花になってしまうか曼珠沙花 〃
明治25年
秋風に枝も葉もなし曼珠沙花 〃
明治26年
ひょつと葉は牛がくふたか曼珠沙花 〃
明治27年
葉もなしに何をあわてゝ曼珠沙花 〃
子規は 「曼珠沙花」 や 「まん珠さけ」 と表記していますが、晩年には曼珠沙華と書いています。その句を二句。
明治33年
二里足らぬ道に飽きけり曼珠沙華 正岡子規
穢多寺の仏うつくし曼珠沙華 〃
子規の曼珠沙華としては最後の句。
穢多寺 えたじ、この句では 「えたでら」 と読むのでしょう。今では書いてはいけない単語ですが、昔の身分制度で最下級の人々を ヒニンやエタ と呼んでいたのをご存知でしょうか。明治時代に身分制度は無くなったのですが、まだ残っていた。それを子規は、皆平等だよと詠っているのです。
曼珠沙華の蕾と 秋の雲
他の人の俳句も見てみます。
仏より痩せて哀れや曼珠沙華 夏目漱石
曼珠沙華あれば必ず鞭うたれ 高浜虚子
曼珠沙華の代表句を次に。
つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
秋晴れの中にすっと立っている曼珠沙華。どこまでも深い秋空が似合います。
老農の鎌に切られて曼珠沙華 西東三鬼
まんじゆさげ暮れてそのときもう見えぬ 大野林火
女流俳人の句も載せてみます。
曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女
曼珠沙華日はじりじりと襟を灼く 橋本多佳子
(灼の字の中が点になっていますが、原句はカンヌキです)
人を泣かせ己も泣いて曼珠沙華 鈴木真砂女
続いて、男性俳人を三句。
曼珠沙華竹林に燃え移りをり 野見山朱鳥
対岸の火として眺む曼珠沙華 能村登四郎
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 森澄雄
どの句もいい句ばかりです。
彼岸花とナミアゲハ
現代俳句の大御所の句を二句。
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太
五欲とも五衰とも見え曼珠沙華 鷹羽狩行
さすがに、いい句ですね。
次に、現代女流俳人の師匠と弟子の句を二句づつ載せてみます。
この年を遊び尽くして曼珠沙華 黒田杏子
ひとり往けひとりかなしめ曼珠沙華 〃
あしもとに日のかがやける曼珠沙華 夏井いつき
ふるへあふ音叉のごとく曼珠沙華 〃
黒田氏は70代前半、夏井氏は50代前半。約20年の年齢差があるようです。お二人とも、とてもバイタリティーのある方。
最初の黒田氏の二句。年とともに、親や師匠、自分を可愛がってくれた人達が次々になくなっていきます。自分は何をやって来たんだろうという自戒。それと、身につまされる句。
夏井氏の二句は燃えるような彼岸花に未来が輝いています。音叉の句では、曼珠沙華の茎が2本音叉の棒のように立って、風に揺れているのが音の波のように見える、感性の句。
現在進行形の師匠と弟子の句を並べてみるのも、とても面白い。どちらの句も、とても素晴しい句ですね!
若い頃には曼珠沙華を見ても何とも思わなかったのに、年とともに周りの人間がだんだんと亡くなっていく。それと共に、この花を見ると感傷的になってしまう。私自身も、死が身近なものになって来ました。
彼岸花早くも母の三回忌 照れまん
太陽の光に透かしてみた花びら
仔狐が忘れていつた曼珠沙華 坂本宮尾
坂本氏の俳号を見て皆様なにかお気付きになるでしょうか?えっ、宮尾すすむ と関係があるんじゃないかって?? ブブーッ! ハズレ
実はとっても猫好きなのだそうです。それで、猫の鳴き声「ミヤ~オ」を俳号にしたそうです。洒落っ気がありますね。俳句もとってもメルヘン調です。
彼岸花大沢親分逝きにけり 照れまん
毎週日曜朝の「サンデーモーニング」のスポーツコーナーを担当されていた大沢親分。この番組はとっても好きで毎週欠かさずに見ておりましたので、とても残念です。
天晴れと喝を残して彼岸花 照れまん 合掌
ただ立てる緑の茎や曼珠沙華 岩田由美
畑にたった一本だけ咲いている曼珠沙華。花全体が細いので、背景にピントが合って、花にピントは合ってくれません。それで、ピンボケ。撮りながらよく見ると、茎に何か付いています。近づいてみました。セセリチョウです。
わが生は阿修羅に似たり曼珠沙華 角川春樹
角川氏は角川書店の二代目。色んなことがあったのでしょう。父君も大変素晴しい俳人でした。
曼珠沙華赤衣の僧のすくと立つ 角川源義
春樹氏は御自分のことを詠んでおられますが、父君は風景を自然描写しておられます。
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 杉田久女
今日、とれとれの写真。
秋雲と彼岸花
一島を潮の支ふる曼珠沙華 大木あまり
一村の半日吹かれ曼珠沙華 松本恭子
曼珠沙華・彼岸花 はどうしても、此岸・彼岸のイメージが付き纏うので、深みのある素晴しい句が多い。
沢山の句を載せたいのですが、そうもいかないのでこれくらいにしておきます。
彼岸花の鱗茎には、アルカロイド(リコリン)という有毒物質を多く含むそうです。いわゆる、毒草です。ところが、この毒は水溶性の為、水に曝すと無毒害化させることが出来るそうです。それで昔、飢饉の時に求飢食品として食べられていたそうですが昔の人は偉いですね。
現在では、絶対に食べない方がいいようです。
隣には墓の無い島彼岸花 照れまん
私の住む島と本州の間に小さな島があります。周防大島町笠佐島と言います。人口は今は10人前後。0,94k㎡位の大きさ。
この島にはお墓がありません。その昔、この島は宮島の候補島になり、平安時代にこの島での埋葬が禁止されました。
それで、島民は本州の方にお墓を作ることにしました。現在でもそれを守り続けているようです。ところがですよ、平安時代にはその後、厳島が宮島になりました。
その時に、お上の通達が解除されればよかったのに、そのままになってしまったようです。それで、今でも昔のお上のお達しを守り続けているのです。島民の律儀さと、お上のずさんさをちょっと感じてしまいます。現在でも、同じような事を感じることが時々ありますよね~???
さてさて、彼岸花は可愛そうな花。ちょっと気の毒な花なので、今回 彼岸花が一番奇麗に見えるように、頑張って撮ってみました。
大変長くなってしまいましたので、この辺りで最期の写真にします。
セセリチョウと彼岸花
曼珠沙華心に飛び火せるほどに 照れまん
彼岸花は、日本人にはとても思い入れのある花。それで、調べながら書いているうちについつい長くなってしまいました。あまりに長いので、写真だけ見て通り過ぎちゃって下さい。
曼珠沙華は秋の季語。日本中の野山や田んぼの畦に咲いています。それを見ながら、皆様も是非一句俳句を作ってみて下さい。
ここに書いてあることで間違いがあるかも知れません。その時はお許し下さい。何事も素人なものですから。
分厚くて何冊もある仏教大事典を調べるのに往生しました。重いのと、漢字の字体が古くて中々思うように読めないので適当に書きました。そういうことですので、何卒宜しく・・・・。ではでは、また・・・・。
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