https://www.the-kansai-guide.com/ja/article/item/16013/ 【鬼の正体は疫病?丹波に残る鬼退治伝説。】より
2020年は新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るった。日本では古来、退散させるべき目に見えない厄災や疫病を「蛇や龍」、「鬼」に例えて表現してきた。厄災や疫病を架空の生き物に重ねるのは日本人ならではの心性と言えよう。
鬼退治の物語はいくつも伝わる。福知山の大江山南麓にある鎌鞍山清園寺は鬼退治がきっかけで創建された寺院。飛鳥時代に人々を苦しめた鬼を退治したのが、麻呂子親王(聖徳太子の弟)。父である用明天皇の勅を受けてこの地に赴き鬼族を退治したと伝える「清園寺縁起図」(レプリカ)がある(原本は京都国立博物館に寄託)。この時代、疱瘡が大流行していた。細菌やウイルスの存在が知られていない当時、疫病はまさに鬼であった。山号に所縁のある麻呂子親王愛用と伝わる鞍と鐙が展示されている。
様々なものに例えられた鬼の中でも、大江山に棲み、都で悪行をかさねた「酒呑童子」が有名だ。丹波には2つの「おおえやま」がある。京から丹波への入口にある「大枝山」、そして丹波から丹後への出口にある「大江山」。酒呑童子はこの丹波の入口と出口に住み、丹波の地を往来していたのかもしれない。
大江山の酒呑童子が描かれた最古の作品は14世紀に描かれた「香取本大江山絵詞」(重文、逸翁美術館蔵)である。一条天皇(在位980年~1011年)の時代、都で殿上の姫たちが次々と消えてゆくのを訝しんだ天皇が陰陽寮の安倍晴明に占わせると、大江山の酒呑童子なる鬼が、姫たちをさらって山に連れ帰っているという。
これを聞いた天皇は源頼光を呼び、酒呑童子を討って姫たちを連れ戻すようにと命じた。大江山に入った源頼光は、その名の通り酒好きの酒呑童子のために毒酒を持参し、道に迷った山伏に変装して、一夜の宿を借りた。そして、酒呑童子に毒酒をたらふく飲ませ、寝入ったところ首をはねた。その首が宙を飛び頼光の頭にかぶり付くなど、酒呑童子のただ者ならぬさまが描かれている。さらに首を都に持ち帰る途中、京への入口、大枝山で首が持ち上がらなくなり、止む無くその場に埋めたというストーリーである。最後に、「鬼に横道なきものを」と言って果てた、と書かれている。今でも大枝山老の坂峠には首塚が残っている。
ちょうどこの頃、九州地方で流行り始めた疫病が994年に京に入り、京中で死者があふれたとされる。源頼光は、九州から山陰道を通って丹波から京に入る通り道で鬼の酒呑童子を退治したとするなら、京に病が入らないように疫病を退治したのだと考えられる。ただ、「酒呑童子の正体は疫病である」と片付けてしまえば、ここまで擬人化して絵詞にまでなり、今日に至るまで語り継がれた伝説の酒呑童子が泣く。その正体は諸説ある。仏徒の最澄に比叡山を追われたともいわれる。それらの話に共通するのは、あらぶる山の神の精を受けた男子として生まれ、酒と女色を好み、乱暴で、ついに人間世界から追われ、鬼となり大江山に棲みついたというストーリーである。
列島に最初から住み着き、製鉄などに従事していた山の人間が、比叡山最澄の仏力により山を追われて大江山に来た、と解釈すると、最期の言葉「鬼に横道無きものを」が理解できる。つまり、鬼は悪いことはするが、嘘をついたり正義に背いたりはしないということだ。源頼光のように修験者に化けて騙し討ったり、最澄のように山を追い出したりしない、というような権力側の行いに対する民の怨嗟ともとれる。
大江山には日本の鬼の交流博物館がある。世界鬼学会を形成し、酒呑童子を中心に鬼の研究と展示をしている。折から「鬼と疫病」という企画展を開催していた。前出の「清園寺縁起図」 3幅のレプリカは2セットあり、この博物館でも展示されている。
地元ではさらに、「シュタインドッチ」なる西洋人まで登場する。ドッチはフランドルの貴族であり冒険家だった。宋からジパングに日本海を渡ろうとして嵐で丹後に漂着し、山賊の頭目になった。彼の好みは血酒で、これは実は葡萄酒であったとの話である。いかにも作られたような話であるが、地元では、古老が子どもに白人酒呑童子説を語り、昭和の初期には、地元の雑誌に、そのように言い伝えられている、と書かれた話なのである。
紅毛碧眼蓬髪の白人が、潮に焼けた赤ら顔をして、流されたときに抱えてきた樽から、血を滴らせるように口を付けて葡萄酒を飲んでいるのを見つけたら、白人など見たこともない里人は、村中総出で退治しようと鍬や鎌を持ち、にじり寄ったに違いない。ドッチさん山へ奥へと逃げざるを得なかったろう。
これは、明治期、ロシアが日本海から攻めてくるという恐怖から来た対ロシアアレルギーの産物なのかもしれない。さらに想像を逞しくすると、ドッチさんが持参した葡萄酒がいつまでももつわけもないので、地元の百姓を脅して葡萄を栽培させ、さらに葡萄酒までつくらせたのではないか。
今、丹波ブランドのひとつに「丹波ワイン」がある。もと日本酒の酒蔵を借り受け、タンクもそのまま使用している。だから日本酒の馥郁たる香りが残るワインだそうである。いかにもシュタインドッチが忘れていったワインのような気がする。
このように鬼はさまざまなおそれの対象になり替わって各地に伝説を残している。おりしも鬼をモチーフにした漫画「鬼滅の刃」が日本では空前のヒットとなっている。これも現代の人が疫病に重ねているのだろうか。
https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20020217,20020425&tit=%96H&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%96H%82%CC 【季語が蓬の句】より
蓬摘み摘み了えどきがわからない
池田澄子
季語は「蓬(よもぎ)」で春。世の中には、言われてみれば「なるほどねえ」ということがたくさんある。掲句も、その一つだ。ひな祭りに供えるためか、搗き込んで蓬餅にするためか。とにかく蓬を摘んでいるのだが、さて、どこで摘むのを「了(お)え」たらよいのだろう。ふとそう思ったら、「わからな」くなっちゃったと言うのである。たいていの人は適当に摘んでいるから、こんなことは思いもしない。でも、何の因果か、ひとたびこの悩ましい疑問に捕えられたら最後、誰だって立ち往生せざるを得なくなる。物量的にも時間的にも、いかに日頃の私たちの「適当」な作業が、難しい問題を「適当に」さばいているかが逆照射されていて、面白い。句の疑問は、蓬摘みだけではなくて、日常のあっちこっちに転がっている。だから、句が生きてくる。早い話が、他ならぬこの拙文だ。どこで書き了えればよいのか、わからない。いつもは適当に終わっているのだが、べつに「適当」に基準があるわけじゃないので、生命あるかぎり書きつづけることも可能だし、今すぐに止めてもよいわけだ。「じゃあ、どうするのよ」と、掲句がにらんでいる。しかし、私にはまさに「わからない」としか言いようがない。困ったことになりにけり。ああ、とんでもない句に出会ってしまった……。と、適当に了えておきます。でもねえ……。と、まだ未練がましく後を引いている。『池田澄子句集』(1995)所収。(清水哲男)
帆に遠く赤子をおろす蓬かな
飴山 實
季語は「蓬(よもぎ)」で春。海の見える小高い丘に立てば、遠くに白帆が浮かんでいる。やわらかい春の陽光を反射して、きらきらと光っている水面。気持ちの良い光景だ。作者はここで大きく背伸びでもしたいと思ったのか、あるいは腕のなかの「赤子」の重さからちょっと解放されたかったのかもしれない。たぶん、赤ん坊はよく眠っているのだろう。あんなにちっぽけでも、重心の定まらない赤ん坊を長時間抱っこしていると、あれでなかなかに重いのである。手がしびれそうになる。「おろす」のにどこか適当な場所はないかと見回してみても、ベンチなどは置いてない。そこで、やわらかそうに群生している「蓬」の上に、そおっとおろしてみた。このときに作者の目は、白帆の浮かぶ海からすうっと離れて、視野は濃緑色のカーペットみたいな蓬で満たされる。この視線の移動から、どこにも書かれてはいないけれど、父親としての作者の仕草がよくわかる。そっとかがみこんで、いとしい者を大切に扱っている様子が、読者の目に見えてくる。蓬独特の香りも、作者の鼻をツンとついたことだろう。蓬に寝かされた赤ん坊は、まだすやすやと気持ち良さそうに眠っている。やさしい風が吹いている。『少長集』(1971)所収。(清水哲男)
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7035795/ 【蓬莱伝説・不老長寿の是非】
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