Facebook長堀 優さん投稿記事
今日、京都亀岡市にある出雲大神宮・東京支部主催の神恩感謝祭が開かれ、ホツマツタヱが伝える国祖クニトコタチノミコト様についてお話させていただきました。
ホツマツタヱによれば、クニトコタチノミコト様は、出雲大神宮の御神体である御陰山に眠るとされており、この神様と出雲大神宮はとても縁が深いと言えます。
さらにホツマツタヱは、この国が建国以来、民に尽くし和す皇室のもと、相互扶助、調和の精神性を育み、国民と皇室がともに長い歴史を刻んできたことを伝えています。
今の地球には、この日本人の統合する、調和させる精神が,ぜひとも必要と考えます。
カトリックとプロテスタント、シーア派とスンニ派、のように同じ教えの中でも宗教が対立を生じるなか、仏教と神道という異なる宗教を合わせたのはこの日本だけなのですから。
気鋭の日本研究者として知られるエイヴリ・モロー氏は、「ホツマツタヱ」について、その信憑性を示す多くの証拠を日本各地の神社と神の名前から発見できる、と述べています。
その上で、
「私どもが歴史を学ぶのは、自分が『何であるのか』を知るためと言って良いでしょう。
とするなら、古史古伝を学ぶのは、私どもは『何になりうるのか』を知るためなのです。」
と述べています。
つまり、モロー氏は、人類の未来を拓くヒントは古史古伝にありと考え、『太古の伝承に帰れ、そうして危機を終わらせよ』と主張しているのです。
まさに「温故知新」です。今日はその思いを込め、全力で突っ走りました。1週間前に思いついてガラッと内容を変えたのですが、岩田宮司様にも喜んでいただけたようでホッとしてます。
終了後もたくさんの方からありがたいご感想をいただき、感謝でいっぱいです。今日はいつもと違い、男性の参加者が主体でしたが、集合意識が変わりつつあることを感じています。
この先もこのまま行動していきます。皆様、本当にありがとうございました。
http://nabaanooyado.blog.fc2.com/blog-entry-450.html 【三影姫と三体の月の伝承】より
三影姫の伝承
日出町今畑八幡神社の奥に三影姫の伝説を伝える石室がある。
今畑八幡神社
佐藤悌氏の書いた「二豊の文化」北窓雑記㈠三影姫の伝説(上)の一部を読んでみる。
昔この村に一人に姫があって、どうした事か姫には影法師が三つ出来る。姫はついにこの異常を苦にして、前の小山の中腹に石室を作り、その内に籠って三日三晩香をたいて祈った末、死んだと言い、その石室を今もって姫のために祈念供養しているのである。
佐藤氏は、珍しい伝説に興味を覚えて調べると、この山の前で長い前から、二十六夜待が行われており、二十六夜の夜、この山で最後の盆踊りが終わるとこの石室のすぐ下にある八幡宮にお籠りをして夜明けの月を拝む。するとこの日に限ってお月様が三つになって出るという伝承を拾う。日出付近では横津神社の二十六夜待が有名で川崎平原の山神社でもお籠りと踊が行われていたようである。
『日出町誌』の三夜さまの項は、次のように記している。
「三夜待ち」とか「二三夜講」といわれ、「十七夜講」「一九夜講」とならぶ「月待ち」行事の一つ。このうち「二三夜講」はもっとも広く普及している習俗である。毎月二十三日に行う所も多い。座元(輪番制)に集まり、床の間に掛け軸をかけて飲食をし、雑談をしながら夜ふかしをして月の出を待つ。この夜の月は三つにわかれて上り、やがて一つになるといわれ、これを拝むとマンがよいと信じられていた。
さて三体の月の話は、紀州にもあり熊野権現の由来にも関わる。
熊野権現が神武天皇戌午十二月晦夜半に摩竭陀国より二河の間に飛んで来られた。
この権現は初め日本に来られた時は鎮西彦山、次に四国の石鎚山に、次に淡路の遊鶴羽峯、次に紀伊無漏切目(むろのきりめ)、次に熊野神倉(かんのくら)、次に阿須賀社北の石淵に順々に降臨されて、石淵に「結速玉、家津御子」の二宇の社を造ってお鎮りになった。のちに家津御子だけが熊野川の上流本宮の櫟木(いちいのき)に天降(あまくだ)られ、崇神天皇の御代に別に社殿を造って御遷りになった。このように三神の内一番早く社殿を設けて鎮まりになったので本宮というと伝えている。本宮に御移りになった事を『三巻書』では阿須賀に十三年を過し、壬午年に本宮大湯原(おおゆばら)一位木の本の末に三枚の月形としてお降りになった。その後八年した年に、石多河の住人熊野部千与定という猟師が、射った猪を追ってこの木の下に来て、猪をとらえてそこで一夜あかした朝、木の先に三面の鏡を見つけて、熊野権現の御正体と仰いで崇拝した(篠原四郎『熊野大社』)。
熊野権現は、伝承によれば、摩竭陀国より彦山へ飛んできて最後に熊野本宮旧社地大湯原の一位木に三枚の月形として降りている。日出町で伝承される二十六夜待のように三体の月を拝する信仰と少し重なってくる。大湯原の位置は、熊野川と音無川との間の中州のような場所にある。一位木に三枚の月形として降りたという神は、熊野で語られていない月の神の信仰ではなかっただろうか?
出雲の熊野では、熊野(本宮)山に音無滝神社があり、瀬織津姫神が祀られていた。紀州熊野の音無川の音無滝の下には、かつて滝姫社があり、こちらも瀬織津姫神の祭祀があった。瀬織津姫神は水の神でもあり、月神でもあったと考えている。
今畑八幡神社へ話を戻すと、三影姫の伝承地は、八坂川水源の地でもある。私は熊野の伝承を持ち歩いた修験者や八百比丘尼などが三枚の月の話を伝えたのではないかと考えている。鹿児島では、十五夜の綱引き神事に月神信仰の面影をみる。他にも月神信仰が各地で伝えられているのかもしれない。いつか三枚の月形をみたいと思う。
𝘀𝘂𝗻𝗼♔︎⋆*@snowlea19
あの台座の上の女性がヘカテ?冥界と地上を結ぶ…闇夜を支配する…月の女神の一人。吸血のエンプーサとモルモーが仕える。モルモーは別名モルモリュケー(牝狼モルモー)で。ヘカテは中世以降は妖怪変化の支配者とされる🤔
𝘀𝘂𝗻𝗼♔︎⋆*@snowlea19
三位一体で捉えられる月の女神達。満月を象徴するセレネ、三日月を示すアルテミス、そして欠けゆく月「新月」を司るといわれるヘカテ。血を食べる神。新月を象徴するとき白い衣装をまとう…。
𝘀𝘂𝗻𝗼♔︎⋆*@snowlea19
ヘカテに血を捧げる儀式?下にいた人達はテレッサの巫女?MV内は新月設定だったから人間の姿だったのか影は狼だけど。モルモーはなくて、ゼウスの怒りを買い狼に変えられたアルカディア王リュカオンなのか?🙄
𝘀𝘂𝗻𝗼♔︎⋆*@snowlea19
吸血鬼と人狼の話が、その起源となったギリシア神話まで遡って結びつけられたのか。ヘカテは太陽神アポローンの別名であるヘカトス=遠くへ矢を射る者の女性形とも。Given-Takenで矢射ってなかったか。
𝘀𝘂𝗻𝗼♔︎⋆*@snowlea19
ヘカテと同一視されるアルテミスの双子の兄アポロン…リュケイオス(狼を退治し、狼を操る者)とも呼ばれた太陽神。アルテミスの使いで狼を操っていたと言われるから、アルテミス文脈で狼が描かれるのか。月に対して、太陽で描かれてゆくのか。
𝘀𝘂𝗻𝗼♔︎⋆*@snowlea19
"銀"の弱点の話は映画だけの話だけど、参考にされたのは中世の人狼を人間に戻す方法。「一人の友が額に刃物で三突きの傷を負わせ、三滴の血を失わせ、聖別された銀の銃弾で傷つけられたなら…」🙄
𝘀𝘂𝗻𝗼♔︎⋆*@snowlea19
忌み嫌われた西洋に対し、狩猟生活を行うネイティブアメリカンでは「狼」は神格化されてた。蝶や鷲も同様にシンボルではあるが。自分自身の内で戦う「二匹の狼」の話など。満月を節目に暮らす彼らは1月の満月は狼月、10月は狩猟月などと呼ぶが。月光、狩猟となるとまたギリシャのアルテミスに戻る🥴
https://www.kanjukutimes.com/media/kiji.php?n=495 【2020年9月号特集② 月にまつわる世界の話】より
地球から1番近い天体である月は、昔から世界中の人々にとって身近なものであり、多くの伝承や神話が存在しています。日本でも、最古の物語とされる『竹取物語』は、竹から生まれたかぐや姫が月に帰るという内容ですね。また、「月には兎がいる」とも古くから言い伝えられていますが、他の国ではどうなのでしょうか。
今回は、そんな月にまつわる話をいくつか紹介します。月が美しく見えるこれからの季節、これらの話を思い出しながら、空を見上げてみてください。
月の模様、何に見える?
月の兎の由来
「月には兎がいる」と言われているのは、月の模様が兎のように見えるからで、インドに伝わる仏教説話が由来です。昔、兎と猿と狐の前に飢えた老人が現れました。猿は木の実を集め、狐は川の魚を捕り、老人に食べ物を与えましたが、兎は何も用意することができませんでした。そこで、自分を焼いて食べてもらうため、焚火の中へ身を投げました。それを見た老人は仏としての正体を現し、兎の善行を後の人々に伝えるため、月へと昇らせた、というものです。この話は仏教圏であるアジアに広く伝わっており、アジアの国々では月の模様を兎と見るのが一般的です。しかし、兎がお餅をついているとするのは日本だけです。これは、日本語で満月を意味する「望月」とかけたのだと考えられています。
さて、この月に見える影のような模様は世界中のどこから見ても同じですが、上のイラストにあるように、兎ではなく、蟹やライオンに見えるという地域もあります。また、月に女性の姿を見る国も多いです。地域によって身近な動物が違ったり、模様の傾きが違ったりすることが理由であると言われています。
皆さんには何に見えますか?
蛙に化ける仙女
中国では月の模様は、薬草を挽いている兎、仙女、蛙、桂の木など、様々なものに見えると言われており、これらにまつわる話が伝えられています。
中国の月の兎は、西王母という女神を手伝って、不老不死の秘薬を作っているとされています。ある時、后羿という弓の名手が、増えてしまった太陽を射落とし、暑さから人々を救った褒美として、西王母から不老不死の秘薬を与えられました。后羿は秘薬を大切に隠し持っていたのですが、妻の嫦娥がこれを見つけ、夫が留守の間に盗み飲んでしまいます。すると仙女となって空に浮かび、月まで飛んで逃げて行きました。そして、秘薬のおかげで年をとることも死ぬこともなく、若く美しい姿のまま、月の世界に豪華な宮殿を建てて暮らすようになったということです。
一方、唐の玄宗皇帝は、月を眺めることが好きで、一度でいいから月の世界に行ってみたいと強く願っておりました。すると中秋の名月の夜、その願いを叶えてくれる仙人が現れ、桂の木の枝を月に向かって投げました。枝はあっという間に月までつながる銀の階段となり、玄宗皇帝はその階段を昇って月にたどり着きました。月には豪華な宮殿があり、美しい女性たちが音楽に合わせて踊っています。その様子に見とれていると、やがて嫦娥が現れてにっこり笑って玄宗皇帝を迎えました。玄宗皇帝は嫦娥に気に入られ、手厚くもてなされて夢のようなひと時を過ごしたと伝えられています。しかし、嫦娥は気に入らない客が来ると会おうとはせず、醜い蛙に姿を変えて、宮殿の奥に身を隠してしまうそうです。
【コラム】月の暦「太陰暦」
現在、世界で使われているカレンダーは「太陽暦」、太陽の動きを基準に作られたものですが、昔は月の満ち欠けを基準に作られた「太陰暦」が使われていました。月の見えない新月の日から次の新月の日までの29・5日間を1か月とするものです。しかし、これを12倍すると354日となり、1年の長さの365日よりも11日少なく、何年も経つと季節がずれていってしまいます。そこで、この欠点を補うために、約3年に1度、1か月を足して1年を13か月とすることにしました。この余分に入れる月を閏月と言い、閏月を入れた暦を「太陰太陽暦」と言います。日本でも明治5年まで使われており、「旧暦」とはこの太陰太陽暦のことを指します。伝統行事などは太陰太陽暦によって日付が決められているものが多く、中国など、現在でも太陽暦と併用している国があります。「中秋の名月」も旧暦8月15日の夜に見る月のことで、現在のカレンダーとは違う暦によって決まるため、今年(2020年)は10月1日、来年(2021年)は9月21日というように、毎年日付が変わるのです。
月の女神の道しるべ
古代ギリシャや周辺地域の様々な民族に伝わった神話・伝承をまとめたギリシャ神話には、多くの神々が登場します。古代ギリシャでは天文学も盛んであり、これらの神々は天体とも結びついて語られ、現在も多くの星座名として使われています。月にまつわる神も複数登場し、中でも最もよく知られているのが女神アルテミスです。三日月のような細い弓で狩りをする狩猟の神でもあり、その弓の方向は月の満ち欠けと関係しています。道に迷った人々に進むべき方向を教えてくれたとされ、次のような話があります。
ある夜のこと、一人の狩人が森の中で方向がわからなくなり、道に迷ってしまいました。途方にくれていると、遠い山の上にかかる細い三日月の中から、銀色に光る女神アルテミスが現れました。女神アルテミスは「三日月は太っても矢の差す方向はいつも西。真ん丸な満月が過ぎれば、痩せていく月の矢の差す方向はいつも東」と呟くと、幻のように姿を消してしまいます。最初、狩人には意味がわかりませんでしたが、やがて気付いて手を打ちました。月は三日月から半月、満月へと満ちていきます。その太っていく月を弓に見立てて矢をつがえると、つがえた矢の示す方向はいつも西になるのです。そして満月を過ぎると月は欠けていきます。痩せていく月を弓に見立てると、矢の指す方向は反対側、つまり東になるというわけです。これを理解した狩人は、もう迷うことなく無事に家に帰り着きました。こうして狩人たちは、女神アルテミスの教えどおり、月夜の森で道に迷うことはなくなったと伝えられています。
【コラム】国旗に描かれた月
太陽、星、月といった天体は、国旗のモチーフとしても取り入れられています。最初に月のモチーフを取り入れた国はトルコで、赤地に三日月と星がデザインされています。諸説ある由来のひとつに、トルコの前身であるオスマン帝国の初代皇帝が、三日月の両端がどんどん伸びて星を取り囲む夢を見て、神のお告げだとして紋章を作ったというものがあり、三日月は進歩と発展を意味しているとされています。三日月と星はイスラム教のシンボルでもあり、他のイスラム教の国でも同様のデザインが見られます。また、パラオの国旗は海に浮かぶ満月をデザインしたものです。満月には、収穫や繰り返す自然への思いが込められているとされています。国旗からも人々の月への思いを感じとることができますね。
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