Facebook俳句大学投句欄 ·辻村 麻乃さん投稿記事 ·
龍天に昇るや記紀に句点なし 陸沈
龍(竜)天に登るという季語がある。
中国の『説文解字』の「龍は春分にして天に登り、秋分にして淵に潜む」からの、天候を表す仲春の季語である。中国では龍が神聖視されており、秋には「竜淵に潜む」は の季語がある。
よって今日に合う季語であり、そこに日本書紀や古事記を示す記紀に句読点がないという発見を詠むことで、日本への想いを表している。
元が漢文表記であったため句読点がないとも言われているが、その為区切り方によって意味も変わってきてしまう。
切れ目を示すために其などの特定の漢字を使っているという解釈もある。
これからの調査研究によっても今の古代の日本人の在り方への解釈は違う展開を見せていくかもしれない。
そんな深い思いを龍天にという季語との絶妙な組み合わせで詠んでいる佳句てある。
Facebook今野 華都子さん投稿記事 潜竜
その大なる魂は昼行灯のように目立たず 微生物のように繊細で自分を主張せず、
今を道化者の様に楽しみ 神、邪、正、悪、いずれにも属さず この混沌の時代に間に合う様に 降ろされ準備されていた
昼の太陽 夜の月とは違う役割 暗い世界を 真理で導く北天の星 北天の中央で動かず騒がず
それはただ静かに光る北極星の様だ 昼の太陽の6000倍もの光を 430光年を経て届けてくれる 明るい時には目に見えず あらゆる星々が巡り去っても 変わらぬ真理を示し 準備が出来た人にだけ明確な指針となりうる光を放つ 暗い夜道を歩く人が行き先を
自分で判断できるように置かれていた 目は知覧から飛び立った若者の光を宿し
耳は黒潮に戦艦ヤマトの慟哭を聞く 戦い服従させるのではなく 自らが気づき調和を導く
その働き海底に潜む潜龍の如し 時来れば昇竜となれ大和人よ
〜〜〜♪〜♪〜〜〜
潜竜(せんりょう)とは
1.池や淵(ふち)に潜(ひそ)んでいて、まだ天に昇らない竜。
2.1が転じて、まだ即位をしていない天子や、世に出ていない英雄、世間に知れ渡っていない優れた人物などのこと。
https://note.com/azki_hyo/n/nfac8f9293eb7 【幻の龍淵を見に行く 瀬戸市赤津】より
上杉あずき@STEP
龍淵または龍ヶ淵は、「たつがふち、りょうがふち、りゅうがふち」などと読まれる。かつては瀬戸市の観光スポットであった。近年は所在がわからなかったのだが、伊藤嘉章さんが探し出した。伊藤さんの案内により、現地を訪ねた。
尾張名所図会
尾張国の名所、旧蹟、名物などを紹介した江戸時代のガイドブック『尾張名所図会』。現存するものも多数記載されており、今読んでも楽しい書物だ。瀬戸市であれば、定光寺、岩屋堂、雲興寺、深川神社などは絵と説明文で詳しく紹介されている。その中のひとつの龍淵は、近年所在不明になっていた。
龍淵
「この淵は厳石が両岸から突出していて、川幅が狭く、水勢ははげしく逆浪雷動し、水しぶきは玉を散らせるようである」(『瀬戸市史 資料編1 村絵図』)。
なかなかすてきな川辺である。夏場に行って、「おー、龍が出そう!」とか言って涼みたい。かつては万徳寺から龍淵までが散策コースになっており、多くの人が風景を楽しみ詩を詠んだりしたという。
伊藤三橋(1747~1790)は名古屋の書家で、龍淵が大好きだった。
弟子の尾頭広居(1762~1829)が龍淵の岩に、彼の漢詩を経緯とともに彫り付けた。(1813)
漢詩 龍淵竜躍 龍今何遷
萬古蒼々 但龍淵有
漢詩の意味
昔は龍淵で龍が躍っていたというが、その龍は今は何処へ行ってしまったのだろうか。遠い昔から、この辺はいつも青々と水を湛えているが、今はただ龍淵のみが残っている。
岩に掘られた漢詩が龍淵のステイタスを上げ、さらに行ってみたいスポットとなったのは想像に難くない。『尾張名所図会』にも、水流逆巻く深山渓谷が描かれ、左の岩には文字が刻まれているのが見てとれる。右手の岸では人々が絶景を眺めたり、お弁当を食べたり。
伊藤さんは6年にわたり執念の探索を行い、ついに龍淵を再発見した。
小グループで案内していただく。グリーンシティケーブルテレビも同行した。山に囲まれた静かなところで、ウグイスやホトトギス、オオルリの声がする。
「すぐそこだよ」と言われ、茂みに突入。いや、待って。道がない。地面が斜面。落ち葉が滑る。枝が邪魔。進むにつれて脚がガクガクしてくる。
何とか下っていき、川が近くなった。前日までの雨で水位が増し、水が濁っている。しかし涼し気な川面が近い。きれいな瀬だ!
えー?どれ?
「あれです」「えー?」言われてみれば、対岸の岩に…字が…あるような…?岩が湿っていてよくわからないけど…?説明をしていただくと、確かに詩の一部「萬古」と、少し小さく「文化癸酉 月」とわかる。
あー、なるほど!
岩が乾いた状態のときの写真を見せていただいた。このときは水位も低く、下部まで見えている。文字はだいぶん摩耗しているが、確かに痕跡が残っている。現在、岩の半ばは水に隠れており、下部は土砂に埋まっている様子。川の下流に「複数の大型堰堤が作られたことにより土砂が溜まり、龍淵は徐々に砂で埋まっていったものと推測される。」(『観光写真にみる瀬戸市の今昔』)
(伊藤嘉章さん提供)
江戸時代から愛され、文化10年に漢詩が刻まれてさらに有名となった。1924(大正13年)の瀬戸電鐵発行のパンフレットにも紹介されている。昭和初期、下流に堰堤が作られるまでは知られていたと思われる。
長い間、赤津の名所であった幻の龍淵は、今もひっそりと残っていたのだ。
行ってみたい方は…
現地はわかりにくい場所にあります。見学会が不定期に開催されるそうなので、希望者はチェックしてみてください。距離は遠くありませんが、健脚コース。
連絡先 上杉毅(たけし) u190957@gmail.com
参考文献
『瀬戸市史 資料編1 村絵図』 瀬戸市史編纂委員会 愛知県瀬戸市発行『観光写真にみる瀬戸市の今昔』伊藤嘉章 せとまるっと環境クラブ発行『尾張名所図会 後編』 国立国会図書館デジタルコレクション
『瀬戸電鐵沿線案内』(1924年)
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