Facebookapanese Culture & Spirit 日本文化と精神 ·埴原 有希士さん投稿記事
この場を借り、僭越ながら初投稿です私は、古武術の指導を生業としています。
武道や格闘技と一口に纏めるような、単純な物ではなく、実は日本人に今最も必要な、中庸(バランス)と軸と芯の哲学(武士道)を体得するものです。
一つ知っていただきたいのは、武士道には二つある(当流の解釈)という点。
多くの方は、武士道とは、主君の命に従い、己の命も厭わない。そんなサムライを想像するかもしれません。
これは江戸時代以降に、天下泰平の世を迎え、土地に縛られ、主君に縛られた、そんなサムライのイメージです。
しかし、戦国時代は異なります。
そこら中で争いがある中、戦国大名は人材を求めています。ですから、我こそは腕に覚え有りな武士は、自らの腕前を武器に自身を売り込み、就職活動。
更に面白いのは、待遇が悪い。将来性が見えないと判断したら、自ら職を辞することが出来たのです。これを致仕と言います。
あえて分かりやすく例えれば江戸時代以降のサムライは正社員戦国時代のサムライは個人事業主やフリーランスと言い換える。
我々は、社長や上司に絶対服従のサラリーマンから志を学ぶ?
それよりは、当時の時代を力強く、自由闊達に活躍した戦国武士道にこそ、学ぶべき強さと中庸さがあります。そして理想と現実の中間にある、戦国武士一流の哲学があると信じています。
中庸の心得が大事。
当流は、古流の中でも、神道系、つまりその哲学の基礎を神道の教えから得ています。
中庸、調和などはそれ故に大事な哲学です。
そんな戦国武士道、甲州流の学びには、現代のリーダーにも必要な哲学があり、それに共感する仲間がいます。自ずと、志や風格備える大事な同志です。
雑兵、足軽の武術ではなく、武将のための武術。
それを知っていただければ嬉しいです。
今後も、志を同じくする仲間を、少しずつでも出会い、共に学び、進化していきたいと思います。
少々異色ですが、広義に置いて、日本の学びとしてご興味持っていただければ幸いです。
https://www.kousyuryu.com/
Facebook相田 公弘さん投稿記事「無我夢中になれ」
本田有明氏の心に響く言葉より…
「中庸は人間にとって究極の境地だろうが、武道においては当てはまらない。常日頃から人を乗り越えた気持になっていることが肝心だ」(葉隠・聞書)山本常朝
死にもの狂いの生き方を説いた常朝が、中庸をよしとするわけはない。臆病を克服して無謀にゆけ、放縦を否定して禁欲せよ。心の持ち方として、常朝はいつも旗幟鮮明である。
中道や中庸そのものが悪いわけではない。
ただ、どちらにも偏らない中立的な立場を志向しているかぎり、物事に徹することはできない。そうした人間の心理に、常朝は深く精通していた。
死にもの狂いになってはじめて、命がけの奉公ができる。だから内に狂気を秘めて生きよと繰り返し語ったのだ。
NHKの元アナウンサー鈴木健二氏が書いた『男は20代に何をすべきか』(新潮文庫)の一節に、「遊ぶな、働け」という強烈なメッセージがあった。
遊ぶときは大いに遊び、働くときはしっかり働こうというのが一般的な説教だが、鈴木氏はそうではない。遊びも仕事も、などと考えていてはロクな仕事ができない。
かけだしの若者はひたすら働け。無我夢中になってはじめて一人前の仕事師に成長することができると述べた。
◇『ヘタな人生論より 葉隠』河出書房新社
「葉隠」は、江戸時代に、佐賀鍋島藩の山本常朝が武士の心得について語った書物だ。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節が有名だ。
これは、死を美化したりすすめている訳ではなく、死の瞬間まで、この今を、死にもの狂いで一所懸命に生きる姿勢を説いたものだ。
これは、「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」という芭蕉の句とも似ている。
蝉は、約7年近くも地中にいて、地上に出てわずか1週間ほどの命。
明日死ぬかもしれないのに、その気配も見せずに、死の直前まで鳴き続ける蝉。
どんな時代でも、わき目も振らず一途(いちず)に生きている人は美しい。
ここぞという時は、一心不乱、無我夢中で生きてみたい。
※【人の心に灯をともす】
Facebook今野 華都子さん投稿記事〈愛で生きていく為の道徳〉
食べることは生命の維持に必要ですが、食べすぎれば害になるように正しいと思われる事も、やり過ぎれば悪となります。自分の判断基準や人を育てる時も同じです。
五徳を積み、正しいことをやっていると思ってつい相手を責めすぎたり、立場のないようにしたりやっている、してあげた、という自己満足の欺瞞!
やりすぎれば相手を弱くする事になってしまいかねない場合があります。
我が仙台藩祖〈奥州の雄、伊達政宗の中庸〉儒教の五徳「仁・義・礼・智・信」をご存じの事と思います。
仁・・・思いやりや優しさ、人を慈しむ心。
義・・・自分の利益にとらわれず正しい行いをして筋を通す事。
礼・・・礼儀作法や相手に対する敬意。
智・・・知識や経験で積み、正しい判断を下すこと。洞察力。
信・・・人を信頼し、誠実である事。
伊達政宗は少し違った角度からこの五徳を見ています。政宗の名言「五常訓」
この『仁・義・礼・智・信』という五徳、政宗がは自身の経験を踏まえて下記のように表現しています。
仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂(へつらい)いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。
これは五常訓と呼ばれるものですが、政宗は五徳は大事でも、全てが行き過ぎてしまうと害になると独自の視点から教えてくれています。
相手を思いやり、優しくする事は大切、しすぎれば自分も相手も弱くなる。
筋を通そうと正しい行いばかりに囚われては融通がきかなくなり、想定外の時など柔軟な対応ができない。
礼儀正しさが過ぎれば嫌味となり、心が通わず慇懃無礼となる
知識や経験が増え利口になるとプライドを守ろうと嘘をつくようになる。
他人を信じすぎれば騙され、大きな損失をする。
五徳を心がけ 行き過ぎないこと いつも世にも大切な判断基準は 過ちを許し、気づかせてあげられる心の強さと度量ただそれだけなのだ!
では、今日も自分からいい日にします。どうぞ宜しくお願い致します。感謝💕🙏
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