本質への回帰

”それ”は在る bot@o0690oo

あなたが、何かの事象に対してどのような見方をしているか。それが観念であり、それがあなたを束縛しているのである。だから、全ての事象をただあるがままに観なさい。価値判断、分別、決定せずに。それが解放である。


Facebookさん投稿記事Ayuka Mizoguchi

生き苦しいとか、人生の悩みとか、ある意味人生そのものに酔っぱらって?帰り道を見失ったから・・・。

“存在から発生したものに存在がとりつかれ、酔っぱらったかのように帰り道を忘れてしまう。”(ルーミー)

Whatever come from being is caught up with being, drunkenly forgetting the way back

【酔っぱらって帰り道を忘れる~本質への回帰~】より

体の痛みが私たちに体のどこかがおかしいですよ~とお知らせしてくれているのに対して、心の苦しみも私たちに何か間違ったことを信じていますよ~とお知らせしてくれていますよね。

または、何かナチュラルではないもの、本質ではないものを抱え込んでいますよ~というお知らせ。もちろん人それぞれ悩みも苦しみも違いますので、そこは詳しく見ていかなければいけません。

でも、とりあえず人類に共通しているところから始めると、それはアイデンティティの間違い。自分は固有の体、思い、感情を持つ分離した存在であるという間違いです。エックハルト・トールが「ニューアース」の中でも繰り返し書いていることでもありますね。

言い換えれば、私は日本人で女性で~~才で~~の仕事をしていて、~~に住んでいるものです、という「私のストーリー」への完全なる同化。

ただ「間違い」と言ってしまうとネガティブかもしれませんね。ある意味これは間違うように設定してある「神の遊戯」であって、本当の意味では決して間違いではないからです。

しかし、分離した個である自分という遊戯は、本質を忘れることがルールであるために、どうしてもゲームの最初から「恐れ」を持つことになります。

分離した自分というだけで何一つ人生に起きていない状態ですでに「つながりを失った恐れ」、「全体の中の小さな一部の自分としての不安」、「完全なる全体から切り離された欠けた感覚」が心の深い層に生まれます。

また、永遠である本質とは違い、分離した個の生命は有限であって、「死」が必ず待っています。しかもその「死」は、寿命が尽きたときに来るだけではなく、いつなんどき来るか分からないのです。

で、実はこの「死」と「自己価値」は心理的にすご~く密接な関係があるんです。

例えば、生まれたばかりの赤ちゃんがお腹が空いて泣いたとき、すぐにおっぱいがもらえれば、「自分は安全だ、大丈夫」というサインになり、自律神経や脳が正常に機能していきます。

一方、ニグレクトされ、放置されてしまうと「自分の命はあやうい、危険」と判断され、「自分は大丈夫ではない」と判断します。もちろん、ぜんぶ無意識のレベルで起きています。

心理的には、「自分は安全」というのは分離している恐れ、不安を埋めてくれ、「自分の存在は大丈夫、自分はいても良い」となりますが、ニグレクトの場合、「自分の存在が保障されない、いても良いの?」と自分の存在自体に不安になります。

私自身振り返ってみると、親はそれなりに愛情を注いでくれましたが、4歳ごろに親と離れていなければならず(祖父の借金問題で)、物理的にニグレクト状態になってしまいました。

預けられた先で誰ひとり話しかけてくれる人もおらず、遊ぶ友達もいなければ、とにかく会話がゼロ、目に入る範囲に人がいないという状態で過ごす日々が続いていたのです。

なので、その後の私と言えば、いつも自分がここにいて良いのか?ここにいて良いと思えるには何をしたら良いか?を無意識に探っていたなぁと・・・・。

それ以外にも自分の存在を確かめたい衝動はあちこちに出ていました。特にこの調子で恋愛をしたときは、苦しい、苦しい。はぁ、大変だった~。

でも、グッドニュースは、幼少期に深く無意識に刷り込まれたもの(シャドー)も、意識の表面(光)に持ってくることで、癒され、シフトしていくことです。

いつも思うのですが、最終的にどれぐらい自分に正直になれるのか?どれぐらい思考に邪魔されずまっすぐに感じ、見て、対話することができるのか?が、大きなカギだなぁと。

話を戻して、分離した自己が常に確かめたいことは、「自分の存在の安全」「自分の存在の意味」です。

インテグレイテッド心理学の言葉にすると、「肉体の死」と「精神の死」を避けて、いかに生き残っていくか?が大切なんですね。

つまり「食べて行くこと」と「自分が受け入れらていること(役に立っているなど)」がすご~く大切。ですから、私たちの多くはこの二つを常に達成するためにかなりのエネルギーを費やしているはずです。

なので、食べて行けない状態や自分がいても仕方がないと思い込んだとき、無意識下では、自己価値も下がってしまっているんです。

つまり、生命が確保され、安心な状態な時、自己価値や自己肯定感も高まり、その逆だと下がっていく・・・・。

で、苦しみとは、食べて行けないとか状況ではなく、この自己価値の低下が真の原因なんです。

自分の存在や価値を無意識に否定しまう。

逆に言えば、まったく同じ状況でも自己否定がなければ、苦しみも生まれません。

なので、私たちが苦しいときは、状況や状態がどんなであれ、なんらかの自分否定が走っていて、その否定のストーリーは「死」に向かっているんです。

でも真実は、この分離している存在の私は幻想であって、ほんとうはいつも受容と愛のなかにいる。このブログでも何度も書きましたが、「私たちは暖かいベッドから一度も離れたことがなく、悪夢を見ているだけ」という奇跡のコースの言葉通りなんです。

オープン・アウェアネス・ダイアローグの「オープン・アウェアネス」とは、無限に開かれた意識、つまり、暖かいベッド(私たちの本質)という意味でもあるんです。

私の場合、誰も私の存在に気づいてくれない、私はいるのに他の人の目には見えない、という間違った思い込みを抱えた自分と対話をしていきました。

すると、それは「私はいたい」「存在している強い感覚が欲しい」「生きていると感じたい」という思いに変わり、その声を受容しているうちに「私は大丈夫」「私は生命だ」という自分がオープン・アウェアネスそのものだったと思い出されてきたのです。

さらっと2,3行で書きましたが、幼少から長年抱えてきたものは、自分のアイデンティティ、コンピューターで言えばOSになっているため、それなりに時間がかかります。

でも、それはとても意味あるプロセスですね。それは間違って思い込んでしまった夢からの目覚めでもあるでしょう。

最後にペルシャの詩人ルーミーの言葉:

存在から発生したものに存在がとりつかれ、酔っぱらったかのように帰り道を忘れてしまう。

(神の遊戯にはまりすぎて、本質への帰り道を忘れてしまう)

帰り道は自分を深く見つめることで見えてきますね


Facebook津留晃一の世界さん投稿記事  覚 醒

地球上で暮らす我々人類は、今、その永い永い準備期間の終焉の時を迎え、ついに成人へと脱皮を開始し始めました。

水の中で暮らしていたトンボの幼虫がその殻を脱ぎトンボとなって飛翔するように、長い時を地中で過ごしたセミの幼虫がやがてその時を迎え、自ら脱皮して成虫となって羽化するように、葉上をはいまわっていたあまり美しいとはいえない芋虫が、美しい蝶へと変身して羽ばたくように。

人はついに幼年期の終わりの時を迎え、成人となって宇宙へと羽ばたきます。

幼人として着々と築き上げてきた自我という観念の殻を、自ら打ち破るときがきました。

観念の檻からの脱皮です。想念の縛りからの解脱です。それが覚醒です。

本来の自分に目覚めるという事です。宇宙人への回帰です。

正しさや正義という道徳観念、宗教的信条などの固いねばならないとか、こうあるべきだといった「考え方」という自我の鎧を、自分の力で脱ぎ去らねばならないようです。

従って、あれは間違い、これは正しい、という分離思考の人にとっては、いたたまれない世界となるようです。

あなたの心の内なる世界で、善悪とか、正邪といった、もろもろの葛藤が完全に消滅したときに、二極制の葛藤の世界から人々は目覚めます。

この時人々は、全体が自分であり、自分は全体の一部であるという、全体と部分の両方の意識感覚を身につけているでしょう。

今、あなたの成すべき、人類への、そして地球への最大の貢献が、覚醒することであると

伝えられました。本来の自分に立ち返るということです。自分が誰であったかを取り戻すということです。限定された三次元世界の夢から覚めるということです。

覚醒とはあなたの本質(宇宙意識)に立ち返ること、それは今のあなたが自ら作り上げた、あなたの諸々の信念体系からの解脱によってなされます。

あなたの肉体には、時間と空間が必要です。そのためあなたは時間と空間という認識の檻を潜在意識の下へ埋め込みました。

ちょうど大きな風船の端っこをくるりとひねり、その端を縛った状態があなたの自我です。

あなたが自ら縛っているその紐を解きさえすれば、いとも簡単にあなたはその全体である宇宙意識と出会うことができます。

自我とは記憶のことであると伝えられました。

あなたが、これが自分だと思っている考え方や、あなたの大切にしている正しさや、あなたが目指している理想も含めて、全てが単なる情報であり、心情的記憶にすぎません。

あなたは、あなたが体験を通して蓄え続けてきた、あなたのあらゆる記憶を単に手放すことによって、あなたの自我から解き放たれます。

そのことに時間をかける必要はありません。単に自分の記憶を手放すだけなのですから・・・。

それを明日に延ばす必要はありません。今やって下さい。これは単に選択の問題です。

あなたが自分を手放したいか手放したくないか、ただそれだけです。あなたはそのどちらも選択できます。でも、 「自分を手放すなんて、とても恐くてそんな恐ろしいことは出来ない」

という思いが意識の表面に上がってくる人もいるかもしれません。

どうしても恐くてそんな選択は出来そうもないという人は、それはそれで構いません。

それはたんにあなたがまだそういう時期に到っていないということでしかなく、やがて、

なんら恐れることなく自らを手放す時期がやってくるものなのです。

その時がやって来るまで、あなたはただあなたの感ずるままに、今、目の前に与えられている環境を、夢中で体験し、起きてくることに意味をつけずに、ゆったり委ねて楽しんでいると、やがてあなたはそこへ最短距離で導かれて行くことでしょう。

「自分では手放したつもりなのだが、どうも今一つ現実が」という、そんな思いでいる方もまだ大勢いらっしゃるようですが、そんな方は、発見すべき自分の自我にまだ気付いていないということでしかありません。

あなたの自我が、あなたの意識の襞深く潜めているあなた自身の囚われに気付く必要があるようです。そのために五感があり、感情が与えられています。

あなたの不快感の陰には必ず隠された、まだ未発見のあなたの想念が潜んでいます。

意識の襞の奥深くに沈めてあるあなたの自我に気付くこと、それが覚醒です。

人は不完全さを体験したくて、肉体を持ちました。

欠落感のある限定された意識状態で体感する愛について学びたくて三次元空間を作り上げました。もともと完全なる愛が、愛の欠落した状態を、舞台を作り上げ、少しずつ自らの内にある大いなる愛に目覚めていくという途方もなく遠大なゲームを開始しました。

愛そのものである宇宙意識にとって、愛ならざるもの無くして、愛を実感することが出来なかったのです。ちょうど我々が満ち溢れている空気の存在を実感できにくいように、空気が不足して初めて空気の有り難さが分かるように。

愛が、愛ならざる人という意識を産み出し、内に隠された愛の発見という感動のゲームを考案しました。

こうして遠大な計画のもと、我々人類は着々と欠落した自我意識を構築し続けてきました。

人によっては数億年もかけて、営々と堅い堅い個体自我を作り上げてきました。

それもこれも、これから開始される愛の目覚めの感動を体験したいがためなのです。

土の中で7年を過ごしたセミの幼虫が、数週間の歓喜の時をセミとして体験するように、

数10万年、営々と準備をしてきた幼かった人類が、これから約5000年をかけて

源の大いなる愛に向けて、歓喜の飛翔を始めました。

楽しみたくて作り上げてきたあなたの大切な自我です。なにも慌てふためいて覚醒する必要もないでしょう。先に覚醒して、人々に不安を与えないよう先導するという役割で数億年も前からその準備をしていた魂達が今、先を争って目覚めようとしています。

そしてあなたにはあなたの目覚める「時」があります。

それがあなたにとってベストの「時」なのです。あなた固有の覚醒をお楽しみ下さい。

覚醒は、あなたがあなたの隠された自我に気付く事によって成されます。

そしてそのために、あなたがあなたの自我に気付くよう、あなたのまわりに他人なる者が

あなたのために配材されています。個性豊かに違いを携えた多くの他人なる者が・・・。

元々光であるあなたは、他人という鏡なくして、自分を見ることは出来ません。

光は反射する鏡があって初めて自分を認識できる性質のものなのですから。

他人とは、あなたにあなたの自我のあり様を伝えてくれる、大切な大切なメッセンジャーのことです。あなたの目に映る総てに気付きのヒントが隠されています。

気付くもあなた次第、見落とすもあなた次第ということです。どちらでも構いません。

あなたが主人公なのですから。ただそうなっているだけなのですから。

目覚めた時、あなたは自分が変容という地球ドラマを特等席で観戦している事に気付くでしょう。これまで活躍していた超一流のドラマ脚本家が100人よっても書き下ろせそうもない、

途方もなくスケールの大きな、大ロマン冒険SFスペクタクル活劇を、超リアルな三次元立体映像で、しかも臨場感あふれるスーパーシートで観劇している自分に気付きます。

とてつもなく面白いドラマです。その全てが幻であったことを体感します。

目にする物一つ一つが、物ではなく、そこにその物を形あらしめている多くの人々の思いが、

悦びの中に見えてきます。

グラス一つに込められた人々の思い入れが、琥珀色の美しい香りの飲み物の原料を栽培している人々の汗が、ストローの袋に印刷されているデザインを描いている人の生き生きとした息づかいが、見えてきます。

町が一変します。思いで溢れ、エネルギーが流れてきます。

人が、建物が、大地が、風が、その意味を変えてあなたを迎えます。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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