https://ototoy.jp/feature/2022121402 【坂本龍一、すべての日々を音にのせて。“いま”を生きる証を刻む】より
2022年12月11日、坂本龍一のピアノ・ソロ・コンサートが世界に向けて配信された。待望のニュー・アルバム『12』リリースを前に、全12曲を演奏した映像が配信され、また観客には新作『12』の先行全曲フル視聴が特典として配布された。本稿は本コンサートのレポートを届けるとともに、坂本龍一待望の新作『12』の内容を一足先にお伝えするものである。(編集部)
待望のアルバム『12』OTOTOYでもハイレゾ配信開始(2023年1月17日追記)
LIVE REPORT : 坂本龍一〈Playing the Piano 2022〉
文 : 宮谷行美
「この形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」
〈Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022〉公開に向けてオフィシャルから発信されたその一言に、多くの人がショックを受けたことだろう。筆者である私自身もその一人だ。
2021年1月、坂本は直腸がんの摘出手術を受けたことを公表し、「これからは“ガンと生きる”ことになります」と言った。そして文芸誌『新潮』7月号では、2020年半ばに直腸がんが発見されて以降、原発巣から各所へと転移したがんを取り除くため2年のうちに大小合わせて計6回もの手術を行い、今もなおできる限りの治療を進めていることを公表した。
繰り返すがんは、大きな絶望と恐怖を与えるものだ。いずれ選択できる治療にも限界がくる。その影響が他の病のトリガーとなることだってある。終わりのない病と付き合うということはけして容易なものではない。坂本は、その脅威を傍らに抗うのではなく受け入れ、自身の命を全うすることを決めた。
2020年12月12日(土)に行われた〈Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020〉から約2年。数日に渡って収録した演奏を繋いだ〈Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022〉が開催され、約6年ぶりとなる新作アルバム『12』が先行公開された。そこで我々が目の当たりにしたのは、すべて受け入れ凪となり、自らの変化と命のゆくえを見つめる坂本が力強く残す“いま”を生きる証だった。
『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.
四方からマイクに囲まれるなか大きなピアノが鎮座し、暗がりの室内で1本のライトが坂本の手元をささやかに照らした。本映像は、坂本自身が「日本でいちばんいいスタジオ」と評するNHKの伝説的スタジオ「509スタジオ」で撮影。 “Little Buddha”をベースに即興とアレンジを加えた“Improvisation on Little Buddha Theme“から始まると、ピアノの柔らかく深い響きと余韻がクリアに広がった。
ピアノ一台に身ひとつ。その静けさは、タッチの強弱からごとりと鳴るペダルの踏み音、曲ごとに浅く深くなる坂本の息遣いまでくっきりと浮かび上がらせた。カメラワークも秀逸で、身体をしならせてピアノを奏でる側面から力の入り具合がわかるバックショット、鍵盤から指先を引く一連の流れ、唇同士を噛ませた苦しげな表情と、多角度から坂本の姿を捉え、彼が呼吸をし、全身を駆使してピアノを弾く光景をありのまま我々へと届ける。そこへピアノのハンマーの動きや反射、場内のセットなどを意図的に捉えたカットを交え、音の広がりから消えるまでの空気の流れのようなものまでしっかりと伝える。まるで坂本が目の前で演奏し、それを堪能しているような没入感を味わえた。
『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.
壮大な世界観をゆったりとしたピアノで際立たせた” Lack of Love “に、リフレインする主旋律に繊細なニュアンスを加えていく”Solitude“、初めてピアノソロ用のアレンジが施された“Ichimei - Small Happiness”と、坂本こだわりの選曲が連なる。「アレンジにもじっくり時間をかけた」というように、これまでのピアノコンサートとはまた一線を画す楽曲とパフォーマンスを披露した。
しわが深く刻まれ骨張った指先は、鍵盤の上を少しぎこちなく滑った。思い通りに動かない身体と呼吸を合わせながら、坂本は目の前の譜面に連なる数多の音符をひとつも残さず弾くのだといわんばかりに一音一音をしっかりと、より確かに紡いだ。まるでいまの身体がどこまで動き、どこまで表現できるのかという自身の限界に挑むように。
『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.
その挑戦を楽しむように演奏したのが、YMOの代表曲“Tong Poo”だった。ソロピアノ版は今回が初披露とのことだが、ライヴ音源集『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2009 Japan』には、MCの合間に観客からのリクエストでワンフレーズのみ演奏した音源が収録されていて、緩やかなテンポで奏でるピアノアレンジの美しさに何度もフルサイズを聴きたいと願ったものだ。
何度とやってくるメロディアスなフレーズを弾きこなし、力強いタッチの中に時折躍動感も見せた。左手が生み出すグルーヴと右手が紡ぐ華やかなメロディの掛け合いは中盤に向けて盛り上がり、そして後半にかけて涙を誘うような落ち着きのあるアレンジへ変移し、また強さを取り戻していく。演奏中、坂本は「おお、いいじゃない」と言うかのように少し口角を上げて笑った。その楽しげな表情と鍵盤と譜面を見つめる優しい眼差しに、若き日の坂本が重なって見えるとともに、坂本龍一の音楽人生のすべてがここにあるような気がして思わず涙が溢れた。
後半では、新作アルバム『12』から“20220302 - sarabande”のみ披露し、“The Wuthering Heights”、” The Sheltering Sky”、” The Last Emperor”、“Merry Christmas Mr. Lawrence”と自身のキャリアを代表する楽曲が並んだ。最後の最後まで、坂本は全身を使い、持ちうる限りの力を振り絞ってピアノに向き合った。そして映像は切り替わり、落ち着きのある佇まいで軽快に“Opus”を演奏すると、坂本は静かにピアノの前を去った。
『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.
「戦メリの坂本」のように一曲に紐づけ形容されることを嫌う坂本だったが、今では自身の代表曲らをきちんと織り交ぜたパフォーマンスを披露している。それは観客側の気持ちを汲んだからという理由もあるだろうが、本人の中でも楽曲の存在やイメージが変わりつつあるのではないかとも考える。というのも、今回は選曲されていなかったが、一昨年の〈Playing the Piano〉で演奏された“energy flow”は、アレンジを重ねることで曲の良さが浮き彫りとなり、ようやく坂本自身が弾こうと思えるようになったとのことだった。長い月日と尽きぬ探求心による幾重ものチャレンジを経て、坂本龍一から生まれた音楽たちはいまもなお変化し、新しい魅力を放つ。すべての日々を越え、坂本龍一が“坂本龍一”を受け入れるようになったのではないだろうか。
そして来たる2023年1月、坂本龍一の新作アルバム『12』がリリースされる。その新作を一足先に聴く機会を得た。
日々の音のスケッチを集めたといわれる通り、修正や調整が一切されていないシンプルな仕上がりで、ひゅうひゅうという息を吸って吐く音が終始聴こえてくる。1曲目の“20210310”では、深く響くシンセサイザーの音色が落ち着きを促すとともにどこか底知れない不安の存在を感じさせる。坂本が「少し体が回復してきたのが3 月末」と言っていたことを考えると、この楽曲がスケッチされた頃は心身ともに疲弊していた時期だろう。その後半年以上が経過して制作されたであろう” 20211130”、“20211201”は、哀感が漂うピアノのメロディだが穏やかな気配が感じられた。そしてアルバム後半にかけて少しずつメロディや音が増えていき、日々の気分の移ろいがより見えるようになっていった。
最後に収録されるのは、1曲目から約1年越しにスケッチされた“20220304”で、2020年に発表したアートボックス『2020S』で作製した陶器と思われる音が使用されている。“記憶の欠片”としての意味合いもあった陶片たちがぶつかり合う音は透明感に満ち溢れていて、これからも記憶が一つひとつ増えていくのだという“続き”を感じさせるものだった。
この12曲には、坂本龍一が心のままに感じた癒しと美しさが、ありのまま詰め込まれている。無造作で不完全、それこそがいまを生きている証拠となるのだ。かつて「音楽は余裕の証」と言った彼は、体力がある限りは音のスケッチをやめないと言った。すべての日々をのせて、彼は今日もまた心ゆくまま音を求め、描き続ける。きっとその身が尽きるまで。
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