後ろから見ると新品同様のワンピースが前から見ると ドロドロ! これが幼い和多志の
「犬は友達」の目に見える証なのです。
和多志が幼い頃 野犬は自由にうろうろしていました。
雨上がりであろうと何であろうと和多志を見つけた友・犬は駆け寄ってきて飛びつく
からです。
初対面の犬でも さっと手を出して 仲良しになっていました。
どうやらこの性格は娘にも引き継がれたようです。
彼女の通う小学校のすぐ近くに「噛むので注意」と警告されている飼い犬が
いました。
それでも彼女はその犬に触らずにはおれず 何度も噛まれてしまいました。
性懲りもなく噛まれる娘に 「噛まれたらどうするの?」と尋ねると
「イーダ!というの」がその答えでした。
そんな犬がある日 野犬狩りに会うのを目撃しました。
男が二人で 輪っかにしたワイヤーを持って 友・犬を追いかけるのです。
犬は床下に逃げ込みました。
男たちももぐりこみ ワイヤーを犬の首にひっかけ 引きずり出しました。
そして 犬は檻に入れられ トラックで連れ去られました。
和多志は「止めて!」の一言も言わず 体を固めて見送りました。
書きながら 涙が溢れ続けます。
愛犬を亡くして苦しんでいる方々。「愛されて世を去った犬の幸を祝し」
「苦しむほどに愛せた自分を 愛しんであげる」といい。
Facebook岡本 よりたかさん投稿記事 「野良犬」
小学生だった僕は、野良犬という存在は遊び友達だった。
元来人見知りで泣き虫の僕は、外で友達と遊ぶことは少なかった。遊んでいても、すぐに泣きながら帰宅する子供だった。そんな時は、いつも野良犬を探した。家の周りに住み着いた野良犬が一匹いて、黒くてガリガリの犬だった。僕は「クロ」と名付けた。
探すのは簡単だった。冷蔵庫からソーセージを一本持って出て、「クロ」と呼ぶだけである。すぐに姿を現した。いつも腹を空かせた野良犬だった。僕と同じく人見知りで、人間に懐くのが下手だった。尻尾も遠慮がちにしか振れず、手や顔を舐めるということもしない。そのくせ寂しがりやで、夜になると、いつもどこかの縁の下で遠吠えをしていた。
僕にとっては親友だったのかもしれない。単に食べ物を持って来てくれる人間と犬の関係ではなく、お互いの寂しさを心で会話し吐露していたと思う。泣き虫同士だから通じ合う寂しさだったのだろう。
人に慣れない「クロ」は、僕以外に食べ物を持って来てくれる人もおらず、日に日に痩せて行き、遠吠えが激しくなったある日、近所に新しい人が引っ越してきた。新しい人は、犬嫌いであった。
最悪なことに、「クロ」はその人の家の縁の下で遠吠えをしていた。しかも毎晩である。当時は、野良犬が社会問題になっており、その駆除が盛んに行われていた。御多分に漏れず、僕の近所でも野良犬が減って行っていた。
その日は、突然訪れた。学校から帰ってくると、大きなカゴを積んだトラックが停まっていた。嫌な予感がした僕は、家の裏に走って行った。二人の作業服を着た大人が縁の下を覗いている。縁の下を探すと、暗闇の中で「クロ」の目だけが怯えていた。
ロープと棒が「クロ」に迫った。僕は作業服の大人の腕を思わず掴んだ。だが、「邪魔しないで」とあっさりと振りほどかれた。数分で「クロ」も大人たちに抱え込まれた。小学生の僕にはどうすることも出来ずに、怯える「クロ」に声をかけた。
「大丈夫、すぐ帰って来れるよ。」その瞬間、「クロ」の目から怯えが消えた。
今でも、思い出すと苦しくなる。目頭が熱くなる。どうにも出来ない焦燥感に苛まれる。僕は嘘をついた。僕は「クロ」を助けに行かなかった。その時の雰囲気に押され、根拠もない嘘で「クロ」を騙した。
カゴの中からジッと僕の方を見ている「クロ」は遠ざかって行った。忘れられない。どうしても忘れられない。あの目がどうしても…。
どうして、人間は自分たちの生活のために、多くの命を粗末にするのだろうか。野良犬がいない生活は、何物にも変えられないほど快適なのだろうか。野犬が危険なのは知っている。しかし野犬を作り出したのは人間である。その後始末がどうして大量殺戮なのだろうか。
生まれてきた命というのはどんな命でもかけがえのないものだよ。
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