Facebook加藤隆行さん投稿記事 【弱ったら寝ろ!】
今日は、当たり前すぎる話なのですが意外にみんなが考慮から抜け落ちてしまいがちなこと。
コロナになってから二週間経ちました。
高熱は一週間で下がったのですがまだときどき微熱があってプチ風邪が続いている感じ。
汗がじんわり出てきて喉が痛くなり痰がまだ出る。
そして、仕事をしようとするとメンタルが落ち落ちになっていることに気づきます。
やる気やらモチベーションやらが全然戻って来ない。アタマが回らない。アイデアも出てこない。先行きが明るく感じられない。そうは言っても9月の大半を棒に振ってしまったのだから
やる気出さないとな モチベ上げないとな そうしないと おまんまの食い上げになっちまう。だから心理の専門家としての知識を駆使して、テンションを上げたりクライアントさんの前で笑顔になれるよういろいろ工夫したりといろんなテクニックを使い始めたのですが
「あ、アカン」「また、やってる」と思いました。またやってる、というのは「元気がいい(いなければ)」「ポジティブがいい(べき)」「仕事出来るのがいい(ねば)」
「モチベ高いほうがいい(あらねば)」という「ポジティブ原理主義」に陥りそうになっていたということ。
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いつも話をしていますがボクは幼少期からずーっと体調不良が続く病気で、それを気合とがんばりで笑顔でいる(フリする)元気でいる(フリする)仕事も出来る人でいるということを続けてきてココロもカラダもぶっ壊れました。
不自然なことをココロにもカラダにもずっと強いてきたからです。
人間は、というか動物はアタマは主ではなくカラダが主です。
アタマはリーダーではなくカラダがリーダーでアタマは参謀レベル。
カラダが弱っているときはカラダを治すためにモチベーションなんか上がらなくて当然なのです。やる気が出なくて当たり前なのです。そうやってカラダが休みたい、治したいと思っているのにアタマでは、元気にしろ、ポジティブにしろさあ仕事しろと考えてアタマとカラダがズレていると必ずどこか壊れてきます。
治りが遅くなったり症状をこじらせたりしてくる。
ボクのそのたどり着いた先が3回の休職でぶっ壊したココロとカラダです。
よく「病は気から」という言葉を使って自分を鼓舞したりしますが当然それはそれで
意味はあるのですが自分のやっていることがアタマとカラダがズレた「不自然な状態になっていないか」ということのほうが何倍も何倍も大切なことです。
ボクは、小さいころから「カラダが弱いからがんばれ」と言われてアタマとカラダがまったく逆のことをし続けるということを覚えてしまいました。
だから今でもこうやって、まだカラダがヘルプを出しているのにすぐにがんばろうとしたり
無理やりモチベをあげようとしたりといったことを無意識にもしてしまいます。
だからよくよく自分に「とにかく無理すんな」「カラダがOK出すまで動かなくていい」
「人とくらべんな。自分のペースでいい」と言い聞かせながら進んでいます。
子供の頃に覚えた間違った考え方に再教育をまだし続けています。
それをするため「自然な自分を取り戻すため」会社も辞めました。カラダの弱い自分は「マチガイ」でモチベ高く頑張るのが「タダシイ」。と今こうやって書いたら
おーまーえーはアーホ—かー!と言いたくなるような話ですが、でもそれがボクが周りに受け入れてもらうための生存戦略だったのです。
だからアタマが「働け」「元気出せ」とか「お前はサボっている」「甘えている」とごちゃごちゃ言い始めたときは、そんな時は「これまで、よくがんばったね」と伝えながら
「弱ってるときは、寝ろ!休め!」「仕事なんてお金なんて、どうにでもなる。大丈夫だ!」
「お前にとって何が一番大切なことだ?」と再教育し続けています。
心理カウンセラーのボクにとって、その「一番大切なこと」は何かというと「そんなカラダが弱くて ままならない自分を どこまでも肯定し受容し続けること」「それを体現し続けること」これがボクが、心理カウンセラーとして自己肯定感を伝え続ける理由であり、源泉です。
みなさんも
リーダー(カラダ)の声を聴いてあげてくださいね。アタマ(思考)はカラダに反抗するものではなくてカラダの声を活かすために使うのです。
アタマとカラダの向いている方向が一致すると人生はスムーズに動くようになりますよ。
【自己肯定感が育つと一時不安になる】
自己肯定感が育つと安心感を感じられ、「平和だな―」というメンタリティになります。
自己肯定感が低い状態とは実は「そのままでいい」はずの自分を自分が自分で「自己否定」しているため自己肯定感が下がってしまっているのです。
だから「自己否定」をやめて自己肯定感が高まってくると、自分自身を否定する自分との戦いが終わるので、自分の内面に「平和」が訪れます。
(”自分”だらけ笑)ボクもそうでした。3回目の休職中のこと。忘れもしない五反田駅の近くの一風堂でラーメンを食べたあとに、「お前はダメだ」「社会不適合者だ」などと自分の中で騒いでいた自己否定の声がすーっと消えていき、「お、なんだこの静寂は」「なんだこの平和な気持ちは」という感覚が訪れたのを覚えています。
ボクのクライアントさんたちもカウンセリングを受けていくうちに多くの方がいろんな表現で
この「安心感」「平和感」みたいなのが訪れたとお話してくれます。
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で、実はですね。「自己肯定感が手に入った!」と喜んでいるとまあだいだいまたガツンと堕ちたりします。
平和だったはずの内面がまたざわざわと不安や焦りの気持ちに引き込まれていきます。
こんなときクライアントさんから「元に戻ってしまった…」とか「また自分責めが始まった…」とか「どうしたらいいでしょう?」と連絡をいただくんですが、それって誰もが起こる
フツーのことなんです。
だって、今までが「自己否定」することで不安感や不足感、焦りを原動力にした「恐怖エンジン」で生きてきたのです。
だから、平和だな―とのほほんとしているとそのうち必ず、恐怖エンジンが「お前そんなんでいいんか!?」「サボってるだけじゃないか!?」「がんばらないとダメだろう!」
「もっと成長・進歩しないと置いていかれる」と騒ぎはじめるのです。
でもそこで「戻ってしまった」「またダメだ…」「なんとかしなきゃ」「ヤバいヤバい」
みたくならないで欲しいのです。
それは過去恐怖エンジンで生きていた名残。その焦りや不安はただの【幻想】です。
「なんとかしなければ」というのは「自己否定」です。なにもしなくていいのです。
そのままのアナタでいいのです。一時、平和が訪れたでしょ?
それが本当のアナタで本当の世界の姿なんです。だから「なんとかする」のではなく
「なんにもしない」が、やるべきこと。戦場から還ってきたばかりの人は平和に慣れる必要があるのです。だからなにもせずのほほんと暮らす練習が必要。
暗黒面に引き釣りこまれず、《怖いけど》なにもせす、静寂がまた訪れるのを待つのです。
そして静寂が、平和が訪れたら今度は楽しいな、興味あるな、ワクワクするなといった
「喜びエンジン」で自分を動かしていく。
自己否定で動く「恐怖エンジン」から自己肯定で動く「喜びエンジン」へと載せ替えが必要なのです。
その載せ替え期間中は平和⇔戦時中を行ったり来たりすることがあります。
でも「この世界は平和なのだ」と信じて回復を待つこと。
それが自己肯定感初期に訪れることで喜びで生きられるようになるために大切なことで、誰もが通る道です。「そんなんでいいのか?」という声が暗黒面から聴こえたら「そんなんでいいのよ」と自分に伝えてあげてください。
そしてノホホンと鼻ほってぼーっとしてみてくださいね。
ボクは今から2度寝しますわ(😑)zzz
Facebook加藤隆行さん投稿記事【「ありがとう」の本当の意味】
何年か前に「ありがとう」という言葉について、ボクの中で大きな気付きがありました。
「ありがとう」は感謝の言葉。だから人に贈る言葉だと思っていました。
「ありがとう」って伝えたら、相手が嬉しい。もちろん喜んでくれる相手を見て自分も嬉しい。でも「ありがとう」は、それ以上に自分に対して伝える言葉でした。
「ありがとう」って言える人がいる「ありがとう」って言える仲間がいる「ありがとう」って言える仕事ができている「ありがとう」って言えるご飯が食べられている「ありがとう」って言える環境にいられているこれらすべてが“ある”という自分の周りにある「豊かさ」を確認し、十分に味わうために「ありがとう」って言葉を自分に伝えてあげるんです。
9年前には、すべてを一旦捨ててお金も社会的立場も、友達もつながりも、健康もほとんどいなかったボクがいまではボクを慕って感謝してくれる人たちに囲まれているという「奇跡」。
なんのツテもなかったボクが新しく本を出版できる奇跡。著名な先生に監修をいただける奇跡。それをクラファンなんてシステムを使って みなさんから100万円を超えるお金が
集まってるなんていう奇跡
子供のいないボクが、子供たちに貢献できる活動ができてる奇跡
そしてそれをこうやってメルマガに書いて読者さんに読んでもらっているという奇跡
全部「奇跡」。
本当に「有り難い」。有ることが難しい、そんなありえないほどのことが当たり前のように日々の中にある。
こんな「豊かさ」に包まれている「奇跡」こそを「ありがとう(有り難う)」と言うんだな。
『「ありがとう」は「有り難い」って書くんだよ』有ることが難しい、そんなことに感謝する言葉。
こんなこと、何度も本で読んで知っていたのにアタマでわかった気になってただけで全然、体感でわかっていなかった。
「ありがとう」は感謝を伝える言葉であり「ありがとう」は「豊かさの奇跡」を知る言葉。
だから言えば言うほど、感謝はめぐり、奇跡が起こる。
そんなことに気づけるようになった自分が10年前から比べて、本当に有り難い。
みなさん、今日も読んでくれてありがとう^^
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