ramtha.bot@_ramtha
自分であるものをひたすら愛し、自分の内なる神に耳を傾けるのだ。その神は、とてもかすかな声で語りかけてくる。それは、フィーリングと呼ばれている。フィーリングは、もしあなたがそれに耳を傾ければ、あなたに真実を語り、覚醒へと向かう道を教えてくれるだろう。
和みmessage✧︎︎︎︎@nagomu_toki
生きるを感じてみる*° 光差し込み 鳥の鳴き声がこだまする 風、空、土、植物、虫…
自然が、あふれ 心地良い今が流れていく 人の細胞も毎日変化し 心も体も日々生まれ変わる 毎日が新しくSTART 自分のペースで心地よく 心のままに 今日を感じ 今日を満たしていこう 今日の奇跡に感謝して*°
https://haikujoji.com/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%81%a3%e3%81%a6.html 【日本語】より
初めまして、ジョージやで!1994年ニュージー生まれの詩人です。
座右の銘が「とりあえずおどる」。
昔々、交換留学で東京に住んでいました。あの時が日本の初めてですが、真面目に日本語と経済を勉強しました。でも、やっぱり、授業がつまらなかったから、ちょっとヒップホップ歌詞書こうと思ってた。その歌詞がとてもダサかったから、五七五にしました。
そこからずっと、五七五で、色なフィーリング、色なエクスペリエンス、色な考えことを書いています。最初は、俳句を書いていると言ってたんだけど、その時に季語が必要のが知らへんだったから、俳句って、うそをついちゃったかも。笑
僕の詩は、五七五やけど、俳句でもないし、川柳でもないかも。広島で会ったおばあちゃんが、ジョージの詩は「心のスケッチ」みたいですね
っと言いました。結構ね、心からストレートの気持ちを言ってます。
たまにストレートすぎかもしれないけど!笑。でも逆にね、僕の詩には、人生の季節を渡していると言う感じがあるだと思います。ある意味で、もしかしたらちょっと俳句感も入っているかもしれない。;)
https://gospel-haiku.com/dia/ 【ことばの力】より
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
これは新約聖書ヨハネの福音書の冒頭の記述です。
神学的な解釈は別として、ことばには命があり力がある…ということではないでしょうか。
ことばは、人の心に働いて、慰めや励ましを与え、生きる力に変えられる。
これが詩歌の本分だと言えます。俳句作品に命を吹き込むために最も大事なのは写生術。生き生きとした一幅の絵として見えてくるように具体的に表現することが求められます。
具体的に写生したくても文字数に制限がある俳句では限界があります。そのために措辞の力を借りて省略し、焦点を絞って読者の連想に委ねるという推敲のテクニックが求められるのです。
措辞の学び方
「措辞」(文章や詩歌の言葉づかい)は、単語や述語として丸暗記するのではなく、どんな状況下で使うのかというフィーリングとともに覚えないと実際には使えません。そのために先人の句を鑑賞して、そこで見出した措辞を自分のものとして記憶の引き出しに溜めておいて活用するのです。
"このことば面白いな…"、"この言い回し新鮮だな…"
と感じることは多いですよね。その雰囲気を覚えておいて自分の作品に活用するのです。
自分は語彙が乏しいので佳句が詠めない…
と諦めたり謙遜する人が多いですが、はっきりいって努力が足りないだけです。 選句や句の鑑賞を疎かにする人は、いつまでたっても自分の語彙の範疇でしか詠めないからです。
具体例
具体的な例を示しておきましょう。
手花火のこれからといふ玉落つる みのる
この句は紫峡先生の句「春宵のこれからという人出かな」から「これからといふ」という措辞を拝借しました。
神杉の全長仰ぐ天高し みのる
この句は品女さんの「七輪に全長乗らぬ秋刀魚かな」から「全長」ということばをいただきました。
大事なのは、想を真似るのではなく措辞(文章や詩歌の言葉づかい)を真似る のです。
https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_41.jsp 【意外な出合いを楽しむ】より
前回(11月22日付)に引き続き、取り合わせについて見ていきましょう。
木枕のあかや伊吹にのこる雪 丈草
丈草は芭蕉の弟子。木枕に垢(あか)が残っている。まだ寒い残雪の頃ですから不潔感はさほど感じない。木枕の垢と取り合わせたのが伊吹山の残雪。枕の垢と山の残雪はものの表面に付着するという点で相通じます。そこにちょっとした俳諧味があります。
一見無関係の物事を取り合わせたように見えるが、どことなく関係があるような、ないような。そんなところにも取り合わせの句を読む面白さがあります。
さて、投稿を見ていきましょう。
連想を生かす
桜桃忌鏡見つめて変顔す
賢治忌や電車に遅れ仰ぐ星
ともに外舘翔海さん(秋田大1年)の作。桜桃忌は太宰治の忌日で6月13日(19日とする歳時記もある)。宮沢賢治の忌日は9月21日。「鏡見つめて変顔す」は、自意識にとらわれながら道化を演じた太宰のイメージに通じます。「電車に遅れ仰ぐ星」は「銀河鉄道の夜」からの連想でしょうか。それぞれ「桜桃忌」と「鏡見つめて変顔す」、「賢治忌」と「電車に遅れ仰ぐ星」を取り合わせた句です。この取り合わせには、太宰と賢治のそれぞれの代表作のイメージが投影されています。
石橋喜一さん(横手市、89歳)の作。長年連れ添った夫婦が仲よく米寿を迎えて心太を食べる。ちょっとたよりない感じもする「心太」ですが、気負わず飄々(ひょうひょう)とした風趣を感じます。
理屈にとらわれない
純愛など無し流氷のうすみどり
鈴木総史さん(北海道旭川市、25歳)の作。「純愛など無し」と「流氷のうすみどり」とが、理屈とは別の次元で響き合っています。この句から私は「夏みかん酸つぱし今さら純潔など 鈴木しづ子」という句を思い出しました。夏みかんの酸っぱさと「今さら純潔など」という思いが俳句の中でぶつかりあっています。
初恋に梅があふれて前を向く
渡部美音さん(湯沢高校2年)の作。「初恋」と「梅」を取り合わせました。「あふれて」は梅の様子ですが、そこには作者の気持ちが投影されています。「前を向く」のは作者ですが、ぱっちりと咲いた梅の花にも前を向いているような印象があります。
目め借かり時どきメトロノームの刻む時
清水佳代子さん(さいたま市、72歳)の作。「蛙の目借時」とは「春の、眠くてたまらない時期。(中略)蛙が人の目を借りるからとしていう」(『広辞苑』)というもの。「目借時」の気分とメトロノームを取り合わせた巧(うま)い句です。「時」の繰り返しが心地よい。
素直に取り合わせる
春まだ来手踊りけいこ偽笑顔
鈴木則子さん(鹿角市、75歳)の作。手踊りの稽古をしながら作り笑いをしていることと、春がまだ来ない薄ら寒い気分とがどこか通じ合っています。上五は「春まだ来ず」という意味でしょうから、次のようにされてはいかがでしょうか。
春未いまだ手踊りけいこ偽笑顔
蕗ふきの薹とう社の道を拓きけり
工藤光一さん(秋田市、64歳)の作。ことさらな取り合わせではありませんが、「社の道」(参道でしょうか)と「蕗の薹」とを、素直に取り合わせた作品です。
冴え渡る夜は心も静かなり
阿部妙子さん(鹿角市、80歳)の作。この句もまた、冬の「冴え渡る夜」と、静かな心とを、素直に取り合わせた句です。
多くの俳句は、季語と季語以外の何かとの取り合わせで出来ているのです。
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