http://jsmh.umin.jp/journal/62-2/62-2_68.pdf 【三浦梅園の養生訓について】より
佐藤 裕 国東市民病院
「養生訓」といえば,一般的には筑前黒田藩の貝原益軒(1630–1714)が83歳の時に著した「養生訓(正徳三年;1713 年刊行)」を想起するが,豊後聖人とも呼ばれた豊後杵築藩の儒家三浦梅園(1723–1789)も「養生訓」なるものを書き残している.近年(2014 年),梅園学会の有志によりその現代語訳が梅園学会報の特別号として刊行されたので,それに基づいて梅園の「養生訓」の内容を,今日まで連綿として読み継がれてきている益軒の「養生訓」と比較しながら紹介する.
まず執筆動機に関して,益軒は,弟子たちと古くから伝えられてきた多くの古今の養生書を探求し,かつ自らが実践してみて役立つと考えられた養生法を,広く知ってもらうために「養生訓」を出版したのであった.一方,梅園のそれは,杵築藩の豪商である荒巻家一族が代々短命であることに関して,関係者から相談を受けた際,儒医としての立場から「いかにしたら壮健でいられるか,寿命を延ばすことができるか」についてアドバイスした養生のための留意点をまとめたもの(手稿本)である.
今回の刊行された梅園の「養生訓」の要点は,「(養生とは)気を養うこと」,「(養生とは,病気にならないように)予防すること」と「寿命を延ばすには,労働(体を動かすこと)と食養生が肝要」の三点にまとめられると思われるが,今回現代語訳を上梓したメンバーの一人で梅園学会代表世話人である小川晴久氏は,梅園の「養生訓」の根底にある考え方を,以下のようにまとめている.すなわち,(一)田野の人々(すなわち農村に住んで日夜農作業に従事している農民)の生き方を模範とする(富者は労働を軽んじる傾向があるが,それは間違いであり,人が寿命を全うするためには,労働してすなわち体を動かして,気血を循環させることが一番である),(二)貧賤こそが天から授かった最高の富貴である(逆説的な言い方であるが,衣食住に恵まれて富貴な生活をしているものは,体を動かすことを軽んじて自らは労働しないため,かえって病気がちとなり,短命となる),(三)芳香を放つ華麗な花より,何
時でも緑を保っている松のほうを択ぶ(華美・贅沢を排し,質素倹約を旨とする),(四)養生することが親孝行の道である(他の養生訓と同じように儒教的倫理観が窺える),(五)奇技淫巧(人間の徳や志を失わせ,心をとろけさすもの)は,(有害無益であって人を堕落させ,生業を怠らせるので)に手を染めてはならない,の五つである.
医薬に関して梅園は,「醫の巧拙は病人のしる處にあらず.是ぞよき醫と命を託し,死生を誤られんは,遺憾ながらちからなし.醫者は不時にうら切りする者なれば,そら恐ろしきものなり.何とぞなるべき程は,醫にかからぬ用心すべし.その用心とは,只養生の事なり」と述べている.しかし,益軒は,「(養生を怠って病を得たときには)“良医”を択ぶべし」と述べ,さらに「良医」とは「医学に精通し,医術に心を配り,多くの病気を診て経験し,その変化を心得ている」,すなわち,「病因論(病態生理学)」,「脈法(診断学)」と「薬方(漢方を用いる薬物治療)」に秀でている者としている.一方梅園は,「療治は臨時の設施にして,醫の任なり.故に,醫は人の生死を託する築檀の将なれば,平素心をひそめ,その道を研求すべし」と説きながらも,「富豪の家は我が死生存亡を託する醫なれば,不幸にしてその醫貧しく,稽古尋求に力も乏しからんには,めぐみてその資料を給し,その力にて少しく活人の手段を学び得ば,不時の用に備えんには,優れたる事なるべし」と説いて,「富者は医者を育てる社会貢献(ノブレス・オブリージュ)をしなさい」と述べている.
Amazon.co.jp: 金子兜太養生訓 : 黒田 杏子
https://www.amazon.co.jp>金子兜太養生訓-黒田-杏子
本書は、師系も流派も異なるものの、金子兜太を敬愛して止まない著者が、その生き方の秘訣を丹念にさぐった現代版「養生訓」である。 詳しくは本書をひもといて ...
Amazon.co.jp: 金子兜太養生訓 : 黒田 杏子
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1919年生まれの俳壇の重鎮に、いつも心がける健康法や、句作の原点ともいうべき「荒凡夫」の生き方など、親交の深い著者が根掘り葉掘り聞き出し、頭と体の両面を鍛える極意 ...
https://petitmatch.exblog.jp/17210604/ 【「望星」(東海大学出版会) 2012年3月号で、俳人の金子兜太さんの似顔絵を描きました。】より
2月15日発売の「望星」(東海大学出版会) 2012年3月号
「免疫力が生死を分ける」という特集の中の、「金子兜太さんと養生の秘訣」という記事にて
俳人の金子兜太さんの似顔絵を描きました。
不勉強にして、今回初めて金子さんの存在を知りましたが、とても興味を持ちました。
旧制水戸高校の学生時代から俳句を始められ、92歳の現在まで続けていらっしゃるだけでも
かなりすごいと思うのですが、しかも第一線でご活躍というのもすごいですね
記事の中に「長生きしないと元がとれない」「自分の人生を全面的に発展展開するには、時間が必要だ」という言葉があり、長寿への強い意志を感じると同時に、やはり戦争経験から、そういった思いがあるのかな と感じました。
ちなみに「望星」は東海大学の東海教育研究所が作っている月刊誌です。
私の出身地の熊本市にも、東海大学付属第二高等学校があり、東海大学には以前から親しみがありました。なのでお仕事できて、とてもうれしいです
この号では、書評で紹介されていた、「加藤清正公信仰」(福西大輔著)という本に興味を持ちました。熊本市民にとって、加藤清正は未だに「偉い人」扱いですが、東京にも白金台のほうに「清正公」があったり、明治神宮にもパワースポットとして有名な「清正井(きよまさのいど)」があったりしますよね。
安土桃山時代〜江戸時代初期の単なる一大名だったのに、なんで信仰の対象になったのか?
というのが書いてあるみたいです。
https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0222.html 【94歳の荒凡夫(あらぼんぷ)~俳人・金子兜太(かねことうた)の気骨~】より
本能のままに自由に生きる「荒凡夫(あらぼんぷ)」。94歳の俳人、金子兜太(とうた)は小林一茶のこの言葉に自分の人生を重ね合わせる。既成の俳句を批判し、社会と人間を世界で最も短い17文字で表現する現代詩人である。老いることなく、みずみずしい感覚で震災やエロスを詠みつづけている。
兜太は本名、1919年(大正8)に秩父で生まれ、多感な時期に国は満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと向かった。東京大学経済学部を繰り上げ卒業して戦地に送られ、トラック島で敗戦を迎える。捕虜となり1946年に復員した折にはこんな句を残している。
「水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る」。
むごい戦死を目撃し、非業の死者に報いることを決意する。「いのち」の尊さを土台にした平和とヒューマニズムである。戦争体験者が減るなかで、金子兜太は戦争の本質を語りつづける。戦後は、日銀に勤め、組合運動で挫折し、左遷されて地方の支店勤めが長く続いた。その中で、現代俳句の旗手として、閉塞(へいそく)した組織や、屈折する心を詠んできた。
しかし、年齢とともに金子は自分の原点にある郷土性を強く感じるようになる。
山国秩父の土俗と人間たちが持っていた「生きもの感覚」である。日本人に染みついた5,7,5のリズムこそ自然界に宿るいのちに感応することと確信する。「土を離れたら、いのちは根のない空虚なものとなるではないか。」物質主義の時代に日本語の伝統にある俳句の底力を伝えたいと願い句を詠み続ける。
東日本大震災のニュースを見ていて自然に浮かんだ兜太の句。
「津波のあと老女生きてあり死なぬ」。
25年間続ける朝日俳壇でも、無数の寄稿者の17文字の中に日本人の「いのち感覚」を感じ喜びを感じるという兜太。「俳句だけで来た人生に悔いはない。」94歳の歩みはまだ続く。
語り:山根基世(やまねもとよ)
朗読:油井昌由樹(ゆいまさゆき)
https://tactical-media.net/%E8%B2%9D%E5%8E%9F%E7%9B%8A%E8%BB%92-%E8%BE%9E%E4%B8%96%E3%81%AE%E5%8F%A5/ 【貝原益軒 最後の言葉〜辞世の句】より
辞世の句 最後の言葉偉人辞世の句
「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、貝原益軒の最後の言葉として、貝原益軒の辞世の句を紹介してみることにします。
貝原益軒の最後
貝原益軒は、福岡藩(現在の福岡県)に仕えた江戸時代の儒学者です。朱子学・医学にも通じ、健康法を解説した著書「養生訓」でも有名な貝原益軒ですが、生涯にわたり藩内の行政・教育に力を発揮した後、1714年10月5日に亡くなりました。享年は83歳でした。
そんな貝原益軒の辞世の句と言われているのが以下の句です。
貝原益軒 辞世の句
「越し方は 一夜ばかりの 心地して 八十路あまりの 夢をみしかな」
この歌を現代文に訳すなら、
過ぎ去った年月は、たった一夜のように思える。八十余年の夢を見ているようだ
といったところでしょうか。
死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この貝原益軒の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?
http://www.iwafune.ne.jp/~sakamachi-hosp/mame/byoukino/edojidai.html 【「江戸時代の俳人から学ぶ『健康十訓』」】より
松澤 純 医師
ここ数年、あまりの残暑の厳しさに、秋はずいぶん遅れて訪れてくるような気がします。空の色も虫の音も気配はすっかり新しい季節を装っているはずなのに・・・。
なんて油断していると、長袖の恋しくなる肌寒さが急にやってくるものです。このように気候が急に変わったりする時季には、とかく体調を崩しやすいものです。
さて皆さんは、日頃心掛けている自分なりの健康維持の秘訣を持っていらっしゃるでしょうか?
先日病棟の回診中、担当の入院患者さんが使っていらっしゃる湯呑み茶碗を覗いてみますと、なにやら四字熟語らしき漢字の羅列が記されてありました。よく拝見させてもらうと、それはタイトルにあるとおり『健康十訓』なるものでした。その内容を、ここで紹介させていただきます。(カッコ内に自分の解釈を記します。)
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『健康十訓』
一.少肉多菜(肉を控えて野菜を多く摂りましょう。)
二.少塩多酢(塩分を控えて酢を多く摂りましょう。)
三.少糖多果(砂糖を控えて果物を多く摂りましょう。)
四.少食多噛(満腹になるまで食べずよく噛んで食べましょう。)
五.少衣多浴(厚着を控えて日光浴し風呂に入りましょう。)
六.少車多走(車ばかり乗らず自分の脚で歩きましょう。)
七.少憂多眠(くよくよせずたくさん眠りましょう。)
八.少憤多笑(いらいら怒らず朗らかに笑いましょう。)
九.少言多行(文句ばかり言わずにまずは実行しましょう。)
十.少欲多施(自身の欲望を控え周りの人々に尽くしましょう。)
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これは、江戸中期に横井也有(西暦1702-1782)という尾張の俳人が書いたものだそうです。前半の一.から六.は、健康のなかでも身体的な要素(食事をはじめとする生活様式)を、後半七.から十.は精神的な要素(気持ちの持ちよう)を謳っているようです。
肥満・高血圧・高脂血症・高血糖(まさに現代でいう“メタボ”)、更にストレス・・・。今まさに注目されている生活習慣の問題点を、既にこの時代に示唆していることには驚いてしまいます。しかも、作者が当時の医師や学者ではなく俳人であることにも脱帽です。
九.や十.などは、子供の頃に同じようなことを、担任の先生や親によく注意されていたような気がします。
10項目すべてとなると難しいことですが、一つでも多く心掛けたいものです。
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