Facebookバラ十字会日本本部AMORC投稿記事
「その昔、プロメテウスは人間を作ると、2つの袋を首に掛けさせた。ひとつは他人の欠点、もうひとつは自分の悪い所を入れる袋で、他人用の袋は体の前に据え、もうひとつは背後にぶらさげた。それ以来人間は、他人の欠点はたちどころに目につくのに、自分の悪い所は見通すことができないことになった。」(イソップ『寓話集』)
「他人の悪いところに見える点」は「自分の悪いと感じている点」 長所=短所、長・短表裏一体を学ぶ必要があるということでしょうか?
Facebook相田 公弘さん投稿記事【 時を越えた美しさの秘密 】
魅力的な唇のためには、優しいことばを紡ぐこと
愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること
スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと
豊かな髪のためには、1日に1度子供の指でといてもらうこと
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ること
人は物よりもはるかに多く回復し、復活し、生き返り、再生し報われることが必要なのです。
繰り返し報われることが。
人生に迷い、助けて欲しい時、いつもあなたの手のちょっと先に助けてくれる手がさしのべられていることを忘れないで。
年をとると、人は自分に2つの手があることに気がつきます。ひとつは自分自身を助けるため。もうひとつの手は他者を助けるために。
サム・レヴェンソンの詩集
『時の試練をへた人生の知恵』
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この詩はオードリーヘップバーンが、亡くなる年のクリスマス・イブにニ人の息子に
最後に聞かせたものだそうです。心に響きます。
特に最後の2行。「ひとつの手は自分を助け もう一つの手は他者を助ける」
これを当たり前に出来るようになりたいものです。
「他者を助ける手」」は「自分を助ける手」ですね。
Facebook長堀 優さん投稿記事
その方は、人も羨む一流大学を卒業し、都市銀行の支店長を定年まで勤め上げました。
奥様によれば、趣味にも情熱を注ぎ、モーツァルトのCDだけでも200枚以上持ち、テニスもとてもお上手だったと言います。
なんともご立派な職業人生ではありませんか。
しかし、定年を過ぎるや人生が一変してしまうのです。
何もしない自分が生きていることに罪悪感さえ感じるようになり、極度のうつ状態に陥ります。
そして、食べることもままならなくなり、ついには高カロリー点滴、寝たきりの状態で当院に転院されてきました。挨拶しても、反応に乏しく、目には輝きがありません。
これまでの生活歴に目を通した私は、挨拶の後、「これまで社会のために本当に頑張っていらっしゃいましたね。お疲れ様でした。ありがとうございます。」と話しかけてみました。
と、その方は、おっと言わんばかりに目を見開き、こちらを見るや少し微笑まれたのです。
私はさらに、「ここでは、もう心置きなくゆっくりしていただいてよいのですよ。」と付け加えると、ゆっくりとうなづいてくれたのです。
回診のたび話しかけていくと、笑顔がどんどん増えていきました。そして、ゆっくりではあってもリハビリが進み、食事も取れるようになりました。
歩行訓練の時には、私のモーツァルトのCDをBGMにしてもらいました。
そして、ついに点滴も必要なくなり、施設に退院できるようになったのです。
退院の時、奥様の押す車椅子に乗りながら微笑を浮かべ、私に向かって手をあげてくれた姿を忘れることは出来ません。
じつは、定年後、こころの病に罹り、せっかく自由に使えるはずの時間を無駄に過ごしてしまう人は決して少なくありません。
定年を過ぎたら自分は社会ではもう役に立たない、自分には生きてる価値などない、あとは死を待つだけ、そんなふうに考えてしまったら絶望してしまうのもよくわかります。
四千万と言われる高齢者の多くがそのようになったら、すでに超高齢化社会に突入している日本の未来は真っ暗です。
しかし、全く逆に、定年後に生き生きと輝く人がふえたら、日本の姿はガラッと変わるはずです。
熟年の意識を変えるべく、元国連職員の萩原孝一さんが、日本の未来のために敢然と立ち上がりました。
萩原さんは、新刊「定年後ヒーロー」で熟年に熱く語りかけます。
「定年はそれまでの呪縛から解き放たれる絶好の機会のはずですが、現役を退いたということで『人生の店じまい』を始めてしまうのはとても残念なことです。
新たな『生き方』が可能なのです。何をしてもいい、何を言ってもいいという現役時代にはなかった夢のような生活を手に入れたのに勿体ないです。
これからは、他人の評価を気にすることなく、自分の一番好きなことだけすればイイのです。ワクワク、ドキドキの世界に没頭してよいのです。
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他人のための人生にサヨナラして、自分ののための人生を生きるということです。
そのほうが、結果的に多くの人をハッピーにできることを請け合います。
現役時代は、財産、地位、名やなどを収穫することに生きがいを感じていたかもしれませんが、定年後はその「執着」を一つづつ捨てていく愉しみが待っています。
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歯を食いしばりながらことに当たる方が成果が上がるというのは、もはや都市伝説にもなりません。若い頃に「頑張る」のは意味があるかもしれません。
「頑張る」は元々「我を張る」が転じた言葉と言われます。
それでは「頑張る」の反対語はなんでしょうか?「怠ける」ではありません。
「頑張る」の反対語は意外や意外「感謝する」なんです。
自分がやったこと、やっていることを認めて感謝する。「頑張る」はまだ目の前にあることを認めない、改善の余地があるので、自分自身への要求の象徴として頑張るのです。」 引用おわり
いかがでしょう。
定年後も「頑張る」よう自分に求め続けることが、いかに心身に大きなダメージを与えてしまうのか、お分かりいただけたのではないでしょうか。
定年後、愉しみながら、人の喜ぶことを続けていくことが定年後ヒーローになる一つの秘訣と言えます。
この本には、定年後を🎵ルンルンと(死語ですね)、輝いて過ごすためのヒントが満載です。
定年を迎え、もしくは定年を間近に控え、不安に囚われ、うつうつとされている方に是非読んでいただきたい一冊です。
Facebook八木 龍平さん投稿記事
この本の最初の最初を公開します✨この世界から”呪い”がとけますように☆
=以下、本書より序文の抜粋=
突然ですが、質問です。あなたは誰かに呪われたこと、あるいは誰かを呪ったことがあるでしょうか?「そんなことあるわけない!」本当にそうでしょうか?
たとえば「早くしなきゃ」「ちゃんとやらなきゃ」と思ってしんどくなったことはありませんか?これ、呪いにかかっています。
「これが呪い?」と意外に思われるかもしれません。「だって私、こんな感じのことよく思うし、これって自分で自分に言い聞かせている言葉だし」と。
この自分に言い聞かせている言葉、実は元は誰かに言われた言葉です。
「早くしなさい!」「ちゃんとしなさい!」と昔、親などに言われ、年を取り言われなくなっても、なお自分で自分に言い聞かせていることがあります。
こうした言葉のどこが呪いなのでしょうか?きつい口調で命令形だと呪いになる?
いえ、そうではありません。そうする理由や具体的な対処法を説明しないと「呪いの言葉」になります。というのも、ろくに説明されず、意味を理解しないまま行動していると、未来を先読みする力がとぼしくなり、罪を犯しやすくなるのです。
犯罪心理学者の出口保行さんによると、犯罪を犯した若者に共通するのは、先を読む力の乏しさ。少し先の未来を予測する力が乏しいため、会社のお金を横領したら大変なことになると頭ではわかっているのに、「今がよければ」と手を染めてしまいます。
★日常にひそむ呪いが、知らずにあなたを封印する
「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」こんな先読みする力を育てない「呪い言葉」を言われ続けた人は、ただ言われたから、その場しのぎでやるだけ。大人になり、誰かに言われなくなっても、今度は自分で自分に言い聞かせます。
「早くしなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」と。
そうやって自分で自分を閉じ込めて、勝手に息苦しくなるのです。
いま、なぜ早くする必要があるのか?ちゃんとするとは、何をどうすることなのか?
早くしたり、ちゃんとしたりは、今ここで必要なのか?そうやって自分で考えて理解し、こうするのが良いと自ら判断した時に実行できる。そんな自分で考える力を育てることが「呪いにかからない基本」です。
裏を返せば、「呪い」とは、他人に考えさせず、自分の言う通りに他人を動かすことです。
だから「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」は呪いだし、呪われ続けた人は、自由な意思があまりはたらきません。他人に言われたことを、よく分からないまま、ただ目先の損得だけで判断して実行する人間になりかねないのです。
実は、日常会話にも「呪い」はひそんでいます。
例えば、「好きなことをしていい」と言われて、本当に好きなことをしたら、それはダメだと怒られて、混乱するような経験はないでしょうか?
本文でくわしく解説しますが、こういう何を選んでもダメで、結局、自分の好きに選べず閉じ込められるような状況は、典型的な「呪い」です。
「Aをしていいよ」→(Aをする)→「それはダメ」→(どうしたらいいか分からなくなる)ような状況をつくって、人を封じ込めています。
呪いは、人の自由な意思を封印します。
本書では、日常生活で誰かに封じ込められないように、うまく逃げたり、封印を解除したりして、「自由に生きる」ための具体的な方法をお伝えします。
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