祭り

https://www.nagasaki-tabinet.com/islands/events/51496 【貝津の獅子こま舞(県指定無形民俗文化財)(かいずのししこままい)】より

三井楽町貝津に古くから伝えられている獅子舞

貝津の獅子こま舞(県指定無形民俗文化財)-0

貝津神社の獅子こま舞として古来から伝えられ、天照大神が天の岩戸にお隠れになったときの古式の神楽舞に由来します。

男獅子、女獅子、それに天狗の面をつけた猿田彦が、太鼓と笛に合わせて舞い踊ります。

年中行事として正月2日「獅子起こしの儀」があり、翌3日に貝津の氏子世帯を舞って悪魔払いをします。


https://nordot.app/799093465739689984 【五島でお盆の風物詩「チャンココ」 雨の中厳かに】 より

お盆の入りの13日、長崎県五島市上大津町で、お盆の風物詩「チャンココ」が始まり、地元の上大津青年団が雨の中、厳かな踊りを披露した。

 チャンココは、古くから五島に伝わる盆供養の念仏踊り。市内各地で踊りや衣装が異なり、例年13~15日に披露されるが、新型コロナウイルス対策で、昨年に続き中止や規模を縮小した地域もある。

 上大津、下大津両地区のチャンココは県指定無形民俗文化財で、コロナ禍で昨年中止したため2年ぶり。見物客が集まる商店街や福江城跡は避け、15日まで初盆の家庭などを巡る。

 13日は、降りしきる雨の中、花笠をかぶり、腰みのを着けた団員が、町内各所の地蔵の前で踊りを披露。辺りには掛け声やかね、太鼓の音が響き渡った。


https://kokkyo-info.go.jp/5899/ 【チャンココ】より

【開催期間】例年8月13日~15日

五島市を中心に伝わる古い念仏踊りで、県指定無形民族文化財です。語源は鉦の音「チャン」と、太鼓の縁をたたく音である「ココ」だといわれています。花笠をかぶり腰みのをつけた踊り手たちが円陣をつくり、太鼓をたたきながら鉦の音と歌声に合わせて舞い踊るさまは南方系の情緒を漂わせ、どこかエキゾチックな雰囲気。初盆を迎える家の庭先や墓地で踊るのが習わしで、先祖の御霊を鎮め人々の心を清めてくれるチャンココは、五島のお盆の風物詩になっています。

※祭り・イベントは中止や延期、縮小による開催内容の変更などが生じる場合があります。おでかけの際は、各自治体や観光協会等へ最新情報をお問合せください。


https://kokkyo-info.go.jp/5867/ 【椛島神社例祭】より

【開催期間】10月下旬

200年以上続く、海の神に大漁を祈願する祭り。御神輿のお下りとお上り行列にあわせて、地域独特の行事として受け継がれている「宝来丸の曳船」が行われます。夕暮れ時、町内に寄せ太鼓が響き渡るなか島民や観光客が集まって「宝来丸の曳船」が始まります。海神の龍宮へ向かう船とも考えられている宝来丸に派手に着飾った船頭が乗り、独特の船曳歌を合図に観客も混じって御旅所まで曳いて行きます。市指定の無形民俗文化財に曳き手として参加できる貴重な機会なので、伝統行事を体感してみてはいかが。

※祭り・イベントは中止や延期、縮小による開催内容の変更などが生じる場合があります。おでかけの際は、各自治体や観光協会等へ最新情報をお問合せください。


祇園祭を連想します


瀬戸内における 水環境を基調とする海文化

PDF

https://www.seto.or.jp>seto_umi_dentou_siryo

京都⼋坂神社の祇園祭は、千百年余の伝統を有し、 ... 津部⽥(つぶた)住吉祭りの曳船. (尾道市) ... や万国旗などで彩られた「宝来船」に締め込み姿の. 若者と囃.


https://kokkyo-info.go.jp/5921/ 【十七日祭り】より

中通島(長崎県)【開催期間】7月第4日曜

有川地区に立つ海童神社は元和6年(1620)に龍神のお告げによりできたとされ、水難除けにご利益があるといわれています。鳥居の後ろに巨大な鯨の顎の骨がアーチを造り、古くから捕鯨基地として栄えた名残を今にとどめています。この海童神社の十七日祭りは水難防止を祈願して始められた祭礼です。江戸時代に3年続けて決まった日に水難事故の犠牲者があったことから、石祠を祀り、即席の「にわか芝居」などを奉納したのが始まりとされています。今でも地元の人たちが寸劇や踊りを賑やかに披露するのが恒例となっています。

※祭り・イベントは中止や延期、縮小による開催内容の変更などが生じる場合があります。おでかけの際は、各自治体や観光協会等へ最新情報をお問合せください。

https://vovworld.vn/ja-JP/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%82%A4%E4%BE%BF%E3%82%8A/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A9%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%A8%E3%81%AF-529057.vov

【クジラ信仰とは】より

山崎 こんにちは、山崎千佳子です。

ソン こんにちは、ソンです。

山崎 3週ほどお休みを頂きました。またハノイ便りのお手伝いをさせて頂きます。

ソン はい。よろしくお願いします。

山崎 お願いします。

ソン 山崎さんはクジラを食べたことがありますか?

山崎 ないですけど、いきなりの質問ですね(笑)。ソンさんはありますか?

ソン あります。日本にいた時に、食べました。美味しかったです。

山崎 へえ。クジラを食べるのはベトナムでは一般的ですか?

ソン いえ、食べませんね。クジラを取っていないからです。特に、中部と南部の漁師はクジラだけは絶対口にしないんです。

山崎 何でですか?

ソン クジラは、漁師を守る神様なんです。中部と南部の沿海地域では、クジラを祀る信仰があって、クジラ祭りが一年の最大行事として毎年行われています。

クジラ信仰とは - ảnh 1

クジラ祭りでのクジラの模型

山崎 クジラを祀る信仰。初めて聞きました。今日はそれがテーマですか?

ソン はい。今日のハノイ便りは、クジラ信仰についてお伝えします。

山崎 いつ頃始まったんでしょう?

ソン 1802年から1945年にかけて存在したベトナムの最後の王朝、グエン朝時代の文書には、クジラ信仰について書かれてあります。

山崎 じゃあ、その辺りから始まった?

ソン もう少し前のようです。ベトナム北部にはその信仰がないということと、ベトナム人が16世紀に国土を南へ拡張し始めたということから、クジラを祀る信仰はその南へ向かう過程で生まれて、16世紀の終わりから17世紀の初めに始まったとされています。

山崎 なるほど。でも、なぜクジラが守り神となっているんでしょう?

ソン 海で遭難した時、好奇心旺盛なクジラが海に投げ出された漁師を岸まで運んでくれたというんです。

山崎 それは実話ですか?

ソン 本当かどうかわかりませんが、漁師たちはその話を信じています。伝説によると、海の神は、クジラに海上での漁師の安全を守るよう言っていたということです。

山崎 クジラは、神様からお願いされていたんですね。

ソン そうです。そこで、船が海で遭難すると、クジラは姿は見せずに奇跡的な波を起こして、船を岸へと向かわせるんだそうです。岸に近づいた漁師がはっと気づくと、明るい波の筋が沖へ向かって延びていくのが見えて、

山崎 「ああ、クジラが助けてくれたんだ」とわかるんですね。

ソン その通りです。

クジラ信仰とは - ảnh 2

クジラの魂が乗る山車

山崎 命の恩人のクジラを祀る信仰は、漁師たちにとってとても重要というのがわかります。ここで、ホーチミン市郊外のバンラック村にある漁業協会副会長(ファン・ヴァン・チャン)の話です。

(テープ)

「私たちの先祖は、ここに来て漁村を作りました。ここでの1番大切な信仰は、海の神様を祀るものです。その中に、漁師を守る神とされるクジラを祀る信仰があって、クジラ祭りが毎年行われています。この信仰は、私たちの心と体、すべてを作っています。」

山崎 すごいですね。全身全霊を傾けているという感じでしょうか。それだけ大事なものなんですね。クジラ祭りはいつ行われますか?

ソン 地方によって違います。例えば、ホーチミン市郊外のバンラック村では、旧暦の8月16日に行いますが、南部のメコンデルタ地帯にあるバクリエウ省では、旧暦の3月10日になります。

山崎 半年ぐらい違うんですね。どうしてでしょう?

ソン うーん、具体的なことはわかりませんが、地方によっていろいろ言い伝えがあるのかもしれません。

山崎 クジラ祭りは、ベトナム語で何て言うんですか?

ソン Le Nghinh Ongです。Leは祭り、Nghinhは歓迎の迎、Ongは様という意味です。

山崎 様歓迎祭り?クジラという言葉が出てこないですけど、様はクジラ様ということですか?

ソン はい。南部ではクジラをca ongと言いますし、Ongには尊敬の意味があるので、その単語になります。

山崎 クジラ様を迎える祭り、ですね。

クジラ信仰とは - ảnh 3

クジラの魂を迎える漁船

ソン そうです。その祭りの中で一番重要なのが、クジラを迎える儀式です。港から数百隻の漁船が一斉に沖合へ向かいます。漁師たちは、迎えの漁船が多ければ多いほど、漁獲量は増えると信じています。一番大きな船は、クジラ様を乗せる山車を載せています。

山崎 山車?日本の祭りで使うような山車ですか?

ソン はい。日本のように大きなサイズではないですが、いわゆる山車です。

山崎 で、沖合に行って、どんな儀式をするんですか?

ソン クジラ様を招いて、漁業の安全と漁獲量が増えるようお祈りします。

山崎 お祈りだけですか?例えば海に何かお供えしたりとか?

ソン 船に祭壇を作って、線香をあげたり、供え物をしたりします。儀式の後には、陸に帰って、クジラの魂が乗っているという山車をクジラ神社へ持っていきます。

山崎 クジラを祀る神社ですか?

ソン そうです。ベトナム中南部と南部の漁村には、大体クジラ神社があります。神社は村の集会所でもあります。クジラ神社にはクジラの骨があって、クジラ様の化身とされています。

山崎 へえ。骨は大小さまざまでしょうか?

ソン 例えば、先ほど漁業協会副会長が話をしていたホーチミン市郊外のバンラック村にあるクジラ神社には、長さ12メートルのクジラの骨が置いてあります。

クジラ信仰とは - ảnh 4

クジラ神社で展示されているクジラの骨

山崎 12メートル。やはりクジラは大きいですね。海から戻って山車を神社に置いた後、また何かあるんですか?

ソン はい。祭礼が行われます。漁師たちにとって、一年で一番大切な集まりとなります。

山崎 神社に戻って、再度お祈りですか?

ソン はい。その後は他の祭りと同じように、昔からの遊びやゲームなどを楽しんで、みんなで飲んだり食べたりします。

山崎 漁師の人たちは一年中漁に出ているでしょうから、なかなかみんなで集まる機会もなさそうですね。このクジラ祭りと旧正月のテトくらいですか?

ソン そうですね。でも漁師たちにとっては、テトよりクジラ祭りの方が大切なようです。

山崎 ええ?テトより、ですか?テトはベトナム人にとってこれ以上のものはないお休みかと思ってました。

ソン 大体そう言えますが、クジラ祭りは別格のようですね。祭りの2、3日前には、各漁船が海から戻って祭りの準備をするそうです。

山崎 ホーチミン市郊外にあるバンラック村の漁師(グエン・コン・ラム)の話です。

(テープ băng 1 10 phút)

「みんなクジラ祭りを待ち望んでいます。テトより楽しみです。クジラ祭りの日は、家族団欒の他に友人とゆっくり会える日なんです。漁に出ていると、漁師同士なかなか会えませんが、この日はみんなと会えるんです。」

山崎 クジラ祭りは、人々のつながりを強くしてくれるものなんですね。再び、バンラック村漁業協会副会長(ファン・ヴァン・チャン)の話です。

(テープ)

「昔から、この辺の人たちは、どこにいても何をしていても、クジラ祭りの日には必ず故郷へ戻って、祭りと家族団欒を楽しみます。その時には、クジラ様の恩と海での漁について、いろいろ話します。」

山崎 クジラ信仰。優しく大きく守ってもらえる感じで、漁師の人たちも心強いんじゃないでしょうか。ではおしまいに、一曲お送りしましょう。「~」です。

(曲)

「~」をお送りしました。今日のハノイ便りは、クジラ信仰についてお伝えしました。それでは、今日はこのへんで。


http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-0b626d.html 【鯨地名(三重県) 鯨と観音とダイダラボッチ】より

朽羅神社 くちらじんじゃ 三重県度会郡玉城町原

内宮摂社の第十二番で、御祭神は千依比売、千依比古、姉弟の神様です。大歳神の子とされています。

大歳神は奈良県御所市の葛木御歳神社にまつられています。葛木御歳神社は全国にある大歳神を祀る神社の総本社です。御所市櫛羅(くじら)から南に2kmくらい。三重県の外城田で葛城の神様が祀られているのは朽羅神社だけですから、朽羅には櫛羅から派遣された部族が住んでいたのかもしれません。

御歳神社 (mitoshijinja.jp)

現在の朽羅神社は江戸時代に式内社久麻良比神社の跡地に再興されたもので、元は原村にあったともされています。田園に浮かぶ島に見える鎮守は宮田の森と呼ばれています。伊勢国度会の朽羅神社と葛城は関連があると考えるのが自然でしょう。

玉城町の外城田(ときだ)の辺りを開発したのは荒木田氏とされています。荒木田氏は古代から内宮の神主を代々勤めた神職の名門です。 荒木田氏は中臣氏と同系統で、大鹿島命の孫の、天見通命を始祖とします。景行天皇の時に大貫連の姓をもらい、成務天皇の時に荒木田神主の姓をもらったとされています。七世紀後半に二系統に分離して、一門と二門に別れました。

多気郡の外城田は荒木田氏が開発したという伝承は重要で、その中心にあるのが朽羅神社ですので、伊勢でも鯨が開発センターだったわけです。

伊勢は猿田彦信仰の拠点なので猿も関わってきます。

東京都大田区蒲田の稗田神社の御祭神にも荒木田襲津彦がいる。大田区では最古の神社で、弥生時代の祭祀跡も発掘されている。

伊勢の外城田の奥に祭られている速河比売と速河比古は、天須婆漏女命(あめのすばろめのみこと)の子供です。天須婆漏女命 は昴を神格化した神様とされ、天宇受賣命と同一視されています。そして速河比売と速河比古は は狭田国生神社に祭られていました。父は猿田彦とも言われています。速河比売と速河比古の別名は寒川姫、寒川彦で、これは相模の目久尻川(真鯨)の寒川神社の神様と同じです。

相模川流域には、古墳時代に東海地方から人が移住してきたことが考古学的に確かめられています。その人たちは、伊勢の度会から来て、鯨という地名と寒川姫、寒川彦の信仰を持ち込んだのかもしれません。

相模の寒川神社

そういえば、静岡浅間神社の奈古屋明神に祀られているのも大歳神です。これは偶然でしょうか。駿府を開拓したのも、葛城から派遣されてきた鯨信仰の部族なのかもしれませんね。

鯨山・鯨石・鯨観音

三重県鳥羽市松尾町519 青峰山正福寺

伝説では、観音菩薩を載せた鯨が鯨崎にたどり着き、土地の男が観音像を手に取ると、鯨は見る見るうちに石に変わったとされています。鯨が石になるというのは、北海道や東北に多い伝承です。観音様は十一面観音菩薩でした。観音像が青峰山に行きたいと言ったので、そこに寺を建てて祀ったとされています。そこで正福寺を鯨観音とも言います。

鳥羽市観光情報サイト - 知る (tobakanko.jp)鯨の背に乗った仏様

鯨石

三重県志摩市大王町波切1 波切神社

鯨石があります。捕鯨で捕まえた鯨から丸い石が出てきたので(龍涎香?)村人は祟りを恐れてその鯨を厚く葬ったと言われています。波切にはダイダラボッチの伝説もあり、大きな草鞋を神社に備える風習もあるそうです。葦夜権現(いやごんげん)の草鞋祭といい、大きな草鞋を海に流して豊漁を祈るそうです。

浅草寺の金蔵門

浅草寺金蔵門の大草鞋、日本の観音信仰では大草鞋の奉納がみられる

これは上の鯨観音とも関連するかもしれません。何故なら観音様には昔から大きな草鞋を奉納するからです。さらに、観音様はインドではヴィシュヌの化身なのですが、ヴィシュヌを表すのは大きな足跡です。かつてはお釈迦様もビシュヌの化身とされました。仏教信者がお釈迦様の足跡を信仰していたからです。

ZojojiZojoji2

東京芝増上寺の仏足石

日本人が観音を受け入れたベースには、ダイダラボッチがあるのかもしれません。お釈迦様=観音様=ヴィシュヌ=ダイダラボッチは大きな足というキーワードで結びつきます。そして波切ではその草鞋を海に流すわけですから、ダイダラボッチと鯨が同一視されていることもわかります。

波切神社|観光スポット|観光三重 (kankomie.or.jp)

鯨岩

三重県北牟婁郡紀北町引本浦

音羽鯨

三重県伊賀市音羽鯨

伊賀市にある字です。なぜ鯨と呼ばれるようになったかの情報はありません。音羽という地名は観音信仰(清水寺、坂上田村麻呂)と縁が深いので、三重県では鯨信仰は観音信仰と習合しているようです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000