ひらけごま

https://gptelemann.wordpress.com/2007/09/08/%E8%83%A1%E9%BA%BB%E3%81%AE%E8%8A%B1/ 【胡麻の花】より

   胡麻の花あつかんべえをしていたり   照れまん

  胡麻・胡麻の花

 アフリカ原産・被子植物門・双子葉植物網・ゴマノハグサ目・ ゴマ科・ゴマ属・ゴマ 

 一年生作物

  今から2500年くらい前に日本に伝来したと考えられています。

もっとも古くから栽培されていた作物。

  中国の西域 胡 の国より伝えられたと言われ、麻の種と似ていた所から「胡麻」になったといわれています。

おまじないで 「開けゴマ」 と言います。

私はアラビアンナイトの物語は読んだことが無いのですが、ゴマは熟してくると 莢(さや)が開きはじけ落ちるので、これが由来になっているとか・・・。

莢の中には胡麻がびっしり並んで詰まっています。

「胡麻化す」と言う言葉もあります。今は「誤魔化す」と書きますが。

1, これは、江戸時代 文化・文政時代、小麦粉に胡麻を混ぜて焼き、ふくらませた 

胡麻胴乱(ごまどうらん)と言うお菓子。中が空洞になっていた。

この御菓子が、「胡麻菓子」と呼ばれ、見せ掛けが良くても内容が伴わない。

或いは、騙して人を紛らかす、目先ばかりを作ろうなどの意味で使われ始めた胡麻菓子 が後に「胡麻化す」となり、「誤魔化す」となったという説。

2, もう一つ、料理に胡麻をふりかけ風味を良くするので使われ、これが「胡麻化す」となり、「誤魔化す」となったという説もあるらしい。

GOMA    G   O   M    A   GOMA   G  O  M  A   

  もう一つ、「胡麻の蠅(ハエ)」と言うことわざがある。

これは、胡麻にハエがたかるとまぎらわしいので見分けにくいことから来たもの。

 これとよく似ているのに、「護摩の灰(ハイ)」と言うのがある。

これは旅人の風をして道中道連れになり、旅客の金品を奪うやからのこと。

語源は弘法大師の護摩の灰を旅の御守りになると、ただの灰を高く売りつけたことに由来するらしい。この二つが混同されて使われているようだ。          

 俳句では、「胡麻の花」は「夏」、「胡麻」は「秋の季語」になっている。

 この欄を書くとき、胡麻のハエや胡麻化す、開けゴマ など駄洒落の宝庫なので、これらを書かなければと思っていたのに、先に書いてしまい、駄洒落が使えなくなってしまった。残念。

 これは、ゴマったゴマった、胡麻すり豆腐のゴマちゃんです。


Facebook田中 宏明さん投稿記事

養老孟司さんの本をはじめて読んだのはもう20年ほど前「唯脳論」というとても面白い切り口の本でした

その内容をごく簡単に言うと現代人は自然ではなく脳の中に住んでいると言うわけです

つまり脳が創ったテクノロジーやインフラはもちろん法律やイデオロギーも全部人の脳の産物であってそれを生活の中心として生きることは本来の人間の生き方から大きくズレている

そうして自然から乖離していくことで現代人のストレスは益々複雑になっていく

簡単に言うとこんな感じの内容でした

それを養老さんは脳化社会と表現していて当時僕が漠然と感じていたことが明確に言語化されているのに感動した記憶があります

さて 次は知っている人は知っているであろうイェール大学教授の成田悠輔さん

この人は本職は経済学者なのですが 何が面白いって 一言で言うと二元論を超えているんですね

人に勧められて最初youtubeを見た時彼の知性と洞察力に驚きました

彼は例えば社会問題にしてもなんにしても片方一面だけを切り取って議論する無意味さに気づいていてその問題の長所と短所を統合した視点からつまりは物事の善悪という判断を超えた

もっと大きな視点からの提議と提案をします

例えば彼はゆるやかな「没落」をすすめてるんですね

学校の卒業式に呼ばれた時も成功するという幻想からいかに脱却するかがあなたたちの幸せに

おいて何よりも大切だと淡々と話します

つまり他人や社会から見ていいか悪いかではなくいかに自分自身でいられるかを見つけなさいと社会的な成功や失敗などただの観念に過ぎなく むしろそれがいかに人を不自由さに縛り

つけているかを説きます

確かにこの視点があれば生きているのがすごく楽になります

人生の主導権が他人や社会ではなく自分にあるんですから多くの人は人生の主権を

他人や社会に手渡して自分を見失うわけです

とまぁ、こんな新しい視点を持った面白い人なんです

こういう人がメディアに出て来る時代になって来たのがまさに時代の変化を感じさせてくれます この二人の対談を見て久しぶりに知性の面白さに触れた気がしました

さて、話しは少し変わりますが我々人間は三つの要素で出来ていると古くから言われています

まずは身体

次に思考

そして最後はスピリットいわゆる魂と呼ばれるものです

この三つがバランよく機能することが人間にとって一番大切なことであると言われて来ました

先の養老さんの脳的社会とはつまるところ思考優先の社会なんです

この思考だけが極端に突出したのが現代と言えます

身体と魂は置き去りにされて来たわけです

とくに魂の部分は現代人にとってもはや未知を超えて 非現実になっています

僕自身は この三つのバランスを 取り戻していくことが これからの時代に何よりも必要に

なってくると思っています

身体でいうと筋トレやヨガやフィットネスが定着してきつつあります

魂においても同じく昨今のスピリチュアルの台頭を見ていると 段々と人類全体の意識が変化してきているのを感じます

養老さんにしても 成田さんにしても結局はこの魂の部分

いわゆる人間本来が持つ自然な感性の部分をいかに大切にするかを語ってくれているように

思います

僕自身も田舎で身体を動かして田んぼや畑で働き 思考を使って人と話したり こうした投稿を書いたりします そして朝晩の瞑想が日課です

この三つのバランスが なければ 今の僕の感覚は成り立ちません

いつも何だかスピリチュアルなことばかりを言ってますが

本当はバランスが何よりも大切です まぁ当たり前ですが^ ^

とまぁ昨日の夜は遅くまでこの二人の対談を見て改めて知性の良い部分を感じることが出来ました

どちらにせよ思考優先の時代は終わりを告げます 思考は本来人間の道具でしかないのです

では本来の人間とは 何かと言われたら それは毎度お馴染みのあの言葉でしかありません

そう人間とは「愛」そのもの これからは 愛の知性が必要になります^ ^

多分(笑)そんなわけで皆さまも良い一日を

🌈✨😊らぶ💓

https://www.youtube.com/watch?v=bnzRrPG3Feo

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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