Facebool向後 善之さん投稿記事
「一日一文」 木田元 編 岩波文庫別冊
色々な人が色々な言葉を残しています。今の僕に刺さった言葉は、例えば以下の言葉たち。
世の中に無神経ほど強いものはない。あの庭前の蜻蛉(とんぼ)をごらん。尻尾を切って放しても、平気で飛んでいくではないか。 勝海舟 政治家 日本 1823-1899 p.30
ナショナリストの考え方の中には、真実なのに嘘、知っているのに知らないことになっていると言う事実が、色々ある。 ジョージ・オーウェル 小説家 イギリス 1903-1950 p.32
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。 三木清 哲学者 日本 1897-1945 p.67
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙をそそぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 杜甫 詩人 中国 712-770 p.78
元始、女性は実に太陽だった。真正の人だった。
今、女性は月である。 平塚らいてう 婦人運動家 日本 1886-1971 p.88
十九世紀においては神が死んだ事が問題だったが、二十世紀では人間が死んだことが問題なのだ。 エーリッヒ・フロム 精神分析学者・社会学者 ドイツ 1900-1980 p.91
愚かさは悪よりも遥かに危険な善の敵である。 ボンヘッファー 牧師・神学者 ドイツ 1906-1945 p.92
自分は幸福かと自分の胸に問うて見れば、とたんに幸福ではなくなってしまう。 J.S.ミル 哲学者・経済学者 イギリス 1806-1873 p.144
過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。 ヴァイツゼッカー 政治家 ドイツ 1920-2015 p.145
薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない。 シレジウス 神秘主義的宗教詩人 ドイツ 1624-1677 p.152
攻撃は元来健全なもの、どうかそうあってほしいと思う。だがまさに攻撃衝動は、本来は種を保つれっきとした本能であるからこそ危険極まりないのである。 コンラート・ローレンツ 動物学者 オーストリア 1903-1989 p.165
生きているのは退儀である。しかし死ぬのは少々怖い。 内田百聞 小説家・随筆家 日本 1889-1971 p.166
大道(たいとう)廃れて、安(ここ)に仁義あり。智慧出て、安に大儀あり。六親(りくしん)和せずして、安に孝慈あり。国家昏乱して、安に忠臣あり。
現代語訳は、『大いなる道が廃れたら仁義が説かれるようになり、知恵を働かせたら虚偽が行われるようになり、家族が不和になったら親や祖先を敬う子供「孝子」や愛情深い親「慈父」が出てくるようになり、国が混乱すると忠臣が出現する。』
向後の解釈は『大道がしっかりしていれば、わざわざ仁義なんて言う必要はなく、知恵ばかりに注目すると、それを悪用する輩が出てくる。家族が仲良ければ、わざわざ「孝慈が大切」なんてことを言う必要がない。国が安泰ならば、忠臣が現れることを期待する必要はない。』
老子 思想家 中国 生誕不明(紀元前5、6世紀) p.172
自由は自由であって平等ではなく、公正ではなく、正義ではなく、人類の幸福ではなく、また良心の平静ではない。もしもわたくし自身の自由、あるいは自分の階級、自分の国民の自由が、他の多数の人間の悲惨な状態にもとづくものであるとするならば、この自由を増進する組織は不正であり、不道徳である。 バーリン 政治哲学者・歴史家 イギリス 1908-1997 p.175
私は、この主義というのが嫌いで、国家を裏切るか友を裏切るかを迫られたときには、国家を裏切る勇気を持ちたいと思う。 E・M・フォスター 作家・評論家 イギリス 1879-1970 p.176
自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中がー自分の立場からみてーどんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。 マックス・ヴェーバー 社会学者・経済学者 ドイツ 1864-1920 p.183
発見は前もって積み重ねられた苦しい努力の結実であります。 マリー・キュリー 物理学者・化学者 フランス 1867-1934 p.205
原子爆弾も悪のためでなく善のためなら作ってもよいのか。 ハイゼンベルグ 物理学者 ドイツ 1901-1976 p.212
そして、この救いがたい不完全さゆえに、永遠に未完の存在として、学びつづけ成長していくことができる。 エリック・ホッファー 社会学者・港湾労働者 アメリカ 1902-1983 p.226
英国人はこういう春や夏があるから冬に堪えられるのではなしに、このような冬にも堪えられる神経の持主なので春や夏の、我々ならば圧倒され兼ねない美しさが楽しめるのである。 吉田健一 評論家・英文学者・小説家 日本 1913-1977 p.236
若者は自分の気力を呼び覚ますために、そしてそれを黴びさせ、臆病にさせないために、自分の規則をゆすぶらなければならない。 モンテーニュ 思想家 フランス 1533-1592 p.277
われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。
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われわれは、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識ある人とは思わない。 ラ・ロシュフーコー モラリスト・公爵 フランス 1613-1680 p.280
彼らは自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の不行跡が知られない時には罪の誘惑に負かされる。・・日本人について ルース・ベネディクト 文化人類学者 アメリカ 1887-1948 p.282
児孫の為に美田を買わず。 西郷隆盛 政治家 日本 1827-1877 p.289
愚鈍だというのではなく、何も考えていないのである。・・アイヒマンのこと ハンナ・アーレント 政治哲学者 アメリカ 1906-1975 p.311
戦争は体験しない者にこそ快し。ーこの格言は、諸事にわたって経験の乏しい者こそ、嬉々として危険を買って出る、と教える。 エラスムス 人文主義者 オランダ 1466-1536 p.325
https://serai.jp/living/361914 【平成最後の日に読みたい名言|『一日一文 英知のことば』】
一日一文 英知のことば
いわゆる「名言」のたぐいに触れるだけで、気持ちがすっと落ち着いたりすることがある。
それは必ずしも、従来の価値観を揺るがすような大仰なことばではないかもしれない。きわめて当たり前なフレーズにすぎないかもしれない。
しかし、だからこそ心に訴えかけることがあるのだろう。それらのことばが、忙しい日常のなかで忘れかけていた大切なことを、ふと思い出させてくれるからなのだろうか?
だが時間がいくらでもあった学生時代とは違い、ひとたび社会に出ると、それらに触れる機会は少なくなるものでもある。本を読む機会は格段に減るし、たとえば通勤電車内でなにかに目を通すとすれば、ついスマホの画面に頼ってしまいがちだからである。
ましてや名言に触れたいとはいっても、「いつ、誰のことばを、どのように確認すればよいのか」についてはなかなか判断しづらい。誰の、どんな名言を、どんな書籍から引っぱってくればいいのかについて考える時間を、大半の現代人は持たないからだ。
そこでおすすめしたいのが、『一日一文 英知のことば』(木田 元 編集、岩波文庫)である。
せめて一日に数行でもいい、心を洗われるような文章なり詩歌なりに触れて、豊かな気持で生きてもらいたい。一年三六六日に一文ずつを配して、そうした心の糧として役立つような本をつくれないだろうかという提案を、去年の暮に岩波書店から受けた。(本書「はじめに」より引用)
編者は、現代西洋哲学書の多くを、わかりやすく日本語訳してきた実績を持つ哲学者。本書が単行本として出版されたのは2004年のことなので、当時は76歳だったことになる(2014年に逝去)。
そう考えるとなおさら、以下の記述には心に訴えかけるものがある。
敗戦後の荒涼たる日々に、放浪の旅の途上、どこかで拾った文芸雑誌も切れ端にすがりつくように読みふけり、心の渇きをいたした覚えのある私は、この提案に心から賛同し、岩波書店編集部OBの鈴木稔さんと同書店の編集者増井元さんに助けていただき、一年をかけてその作業をおこなってきた。(本書「はじめに」より引用)
とはいっても「名言」のたぐいに基準があるわけではなく、優れた文章や詩歌は星の数ほど存在する。つまり、そのなかから366篇を選び出す作業が容易であるはずはない。
もちろん、「この人ならこの一文」というようなものもあるだろう。しかしあまり有名なものやあまりに教訓的なものは選びたくないという思いも編者のなかにはあったようだ。「むしろ、その人の意外な一面をうかがわせるもののほうがいい」と考えたそうで、だとしたらそれは読む側にとっての期待感につながる。
だから結局は、自身の好みに従って、詳しくいえば「自分の心に響いてくるかどうか」を基準に決定するしかなかったのだと編者は認めている。だが、それでいいのだと思う。そんな思いが、選ばれたことばの存在感をより深めてくれるはずだからだ。
1月から12月まで、一日一編。無駄を省いたことばと、そのことばを残した人物のプロフィールが1ページ内に収められている。だから読者は、日めくりのような感覚で日常的に少しずつ読み進めていけるのである。
本来ならそのすべてをご紹介したいくらいだが、そうもいかない。そこで今回は、平成最後の日である4月30日、そして令和の初日にあたる5月1日のことばを引用しておこう。
4月30日 鏑木清方(かぶらききよかた) 1878.8.31〜1972.3.2
鶸(ひわ)色に萌えた楓の若葉に、ゆく春をおくる雨が注ぐ。あげ潮どきの川水に、その水滴は数かぎりない渦を描いて、消えては結び、結んでは消ゆるうたかたの、久しい昔の思い出が、色の褪せた版画のように、築地川の流れをめぐってあれこれと偲ばれる。
『随筆集 明治の東京』山田肇編、岩波文庫、一九八九年
日本画家。名は健一東京神田生れ。美人画や庶民生活に取材した作品には古き佳き江戸・明治の情緒が漂う。代表作「築地明石町」。また、折にふれての随筆もよくした。
(本書135ページより引用)
5月1日 メルロ=ポンティ 1908.3.14〜1961.5.3
現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦であるーーおなじ種類の注意と脅威とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生れ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。
『知覚の現象学』1、竹内芳郎・小木貞孝訳、みすず書房、一九六七年
フランスの哲学者。フッサールの現象学を基礎に、全体論的神経生理学やゲシュタルト心理学のもつ哲学的意味を究明し、人間存在の研究に新たな方向を切りひらいた。『知覚の現象学』『意味と無意味』『行動の構造』など。
(本書138ページより引用)
ちょっと息抜きをしたいとき、気軽に本書のページをめくってみてはいかがだろうか? そうすれば、思いもよらないことばに触れることができるかもしれない。
『一日一文 英知のことば』
木田 元 編集
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