ミロク信仰

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/6702839/ 【369魔法陣】

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/4760819/ 【369の数字の意味も凄かった】


https://ameblo.jp/peperonman/entry-12810753417.html 【宇宙の数字369(ミロク)】より

こんにちは!皆さん、いかがお過ごしでしょうか?箱で空間を作るハコニストの姥澤です

ニコラ・テスラが発見した宇宙の数字と言われる369(ミロク)すべては3の倍数になっており、体温は36度で、3と6を足すと9。呼吸は1分18回で足すと9。脈拍は72で足すと9。

血圧は平均で144。1+4+4=9になります。369は精神の数字でそれ以外は物質を表しています。図にあるように1→2 2→4 4→8 8→7 7→5 5→1の順でそれぞれを足すと3か6になります。

つまり、124は3に支配され、578は6に支配されています。その3と6を足すと9になります

9は3と6を支配していて、ゼロ、無であり、宇宙を象徴しています 3は創造、6は維持、9が破壊。

以前、「ガイアの法則」でもお話しましたが、

イギリス・アメリカによるアングロサクソン文明が終焉を迎え、次は日本が文明の中心になると言われています。

ということは、今は次の文明に移行するための”破壊”の時代と言えます。

最強の預言書と言われる「日月神示」には、2020年から三千年の大峠を越えて、岩戸が開かれる時代と書かれており、人類は3次元から5次元へと進化すると思われます

それはアミやバシャールも言っていた理想郷の世界、争いや奪い合いのない愛に満ち溢れた世界です。

今までの資本主義社会が自由で開かれた社会と思わせて、実は三角のピラミッド構造で、私たちが搾取されているとしたら?歪なサンカクの社会が終わり、公平で自由で幸福なマルの社会を築けるのは、縄文、江戸時代と平和な社会を築いた歴史のある日本しかありません!!

日本は和の国であり、大和の心を持っています

大きな破壊のあとはミロク(369)の世界に移るとされ、欲にまみれた悪人は振り落とされることになるでしょう 次元上昇出来るのは良い心を持った人たちです

口と心と行いと、三つ揃うことを命(みこと)と言います。

今こそ倫理や心の学びを実践し、次元上昇へ向けて波動を上げていきましょう


https://ameblo.jp/otoha-kotonoha/entry-12812345116.html 【369(ミロク)の世とは】

神様や見えない世界の存在たちは人間だけをしあわせにしようと動いているのではないため、

人間が主、あたかも頂点のような目線で この世を見る限り不平や不満は収まらず、起きゆく不幸と括られてしまう物事に理不尽さゆえ感じるかもしれません💦

その神ハカリは人智をこえて虫や動物、万物そして世界、宇宙と広大で

全てのバランスを取るために雨風の祓いや地震も含め様々な物事を起こされています

生かされを知ることはこの狂い無き天の理に乗りゆくことの一歩であって

​さらに5感を基本に6感(霊感)7感(神感)を研ぎ澄ましゆくことで

人間本来が持ちゆく霊止(ヒト)としての本質を取り戻し自然や宇宙、万物と調和して生きる369(ミロク)の世が叶っていきます。

この369の世はある日突然"ここから"と皆一斉に始まるのではなく

生かされに心底氣づき調和と愛に生きると肚を決めた人へそれぞれのタイミングで開かれゆくもの(封はすでに解かれていて、 望む全ての人に開かれている世界)

それはそれはどこまでも不可思議で素晴らしき世界が広がっています😌✨

恐れや憂い、対立や分断諦めや傍観からは何も生まれず

足るを知らず常に外に何かを求めるご利益信仰的な生き方も本当のしあわせの道ではありません

自分以外の何かや誰かの幸せが真の幸せという巡りの理を知りて​"われ良し"ではない愛を学びながら万物共々にしあわせになりゆく道へ共に互いに進んでいけたらと心から願っています😊🙏

音葉*otoha*

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(369:ミロクの世とは)

我(あなたやわたし)の花を見て 皆 顔 ほころびて ありがたし ありがたしと(お互い) 花を愛でゆくような御世よ 隔てもいらぬ 憂いもいらぬ ただそれぞれでよろしい

それぞれでよろしい 生きてきた証を  その花に 込めこめなされな ただ咲き誇りて 人 喜ばす  その命の尊きことよ 愛でゆきなされな我の花  この世にただひとつよ 誰にも作れぬ 神 生み落としし この種を ように 開かせおうて ように 咲かせおうて

たゆまぬに水をやりて 命を育みた我が命に 感謝いたせよ 我の生き様に 誇りを持たれよ

美しき花園 神より見ゆれば ただただに天国なりて 神にも咲かせぬ その一花を

ようようと 皆 見ゆる 美しき色(景色)を 礼ゆくぞ

よぅ〜


https://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/facilities/kyodo/works/r1/komekami-kashima2019.html 【小田原市米神の民俗芸能「鹿島踊り」を調査!】より

明治時代から続いている米神の伝統芸能、鹿島踊りが2019年5月11日に行われました。

鹿島踊りは、伊豆半島東部の沿岸部に分布している伝統芸能で、鹿島神宮との関係や八重山諸島から伝播したなど様々な説が語られ、由来が不確かな民俗芸能です。

その内容は、踊り手や鉦(かね)、太鼓、特殊な道具を持つ三役が円(列にもなります)になり踊ります。

踊る意味については、神様を集落に迎え入れる(神おろし)の踊りと考えられ、また踊る際に唄われる歌詞にはミロクとあることから、海の向こうから弥勒仏が来訪することを願うものともされています。

練習風景(2019.5.8)

かつて青年(18歳~27歳ごろまでの男性)が躍っていた鹿島踊りですが、近年では子どもが踊り手の中心です。

写真では、公民館の中で踊り方を教えています。青年として活躍した方々から子どもへと伝統が伝えられています。

米神の鹿島踊り(2019年5月11日)

米神の鹿島踊りは、地域の神社・正八幡神社のお祭りの宵宮に踊られています。

最初に正寿院の境内で踊ります。お寺で踊る由来は、明治時代にお寺の住職が発起人となり伊豆から鹿島踊りを習ったためと伝えられています。

写真は正寿院で踊っている様子です。

根府川寺山神社の鹿島踊りについてのリンク

米神の隣の地区・根府川でも鹿島踊りを伝承しています。

2019年の「根府川の鹿島踊」は寺山神社で7月14日日曜日に行われます。

詳しくは下のリンクをご参照ください。

根府川にて鹿島踊り(寺山神社祭礼)が行われました(2017年7月15日、16日)

無形民俗文化財・寺山神社の鹿島踊

見学する方へ(注意事項)

○地域の伝統行事は、部外者が見学にくることを想定していない場合があります。

 また行事の日時は気候や地域の状況により変更される場合があります。

 そのため見学の可否、実施日時などを事前に実施者に問い合わせることが必要です。

 ※実施者がわからない場合は、事前(二週間前まで)に郷土文化館までご連絡ください。

 直前にご連絡いただいた場合は、実施者や職員の状況により対応できないことがありますのでご承知おきください。

○地域にお邪魔する気持ちを忘れないようにしましょう。

 見学・撮影等に熱が入り、行事の進行を阻害するかたが見受けれらます。地域のかたの指示に従い、進行を邪魔しないように注意してください。 


Facebook池野隆さん投稿記事

〇萬福寺 弥勒菩薩坐像 (布袋像):江戸時代(1664年頃)、范道生作、木造、像高110.3㎝…布袋(ほてい)は弥勒菩薩の化身と言うことで、萬福寺ではこの像を弥勒菩薩と称しています。


http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/miruku.html 【ミルク面とミロク信仰】より

ミルク

ミルク神とは

波照間では旧盆中日(旧暦7月14日)に「ムシャーマ」という盛大な祭が執り行われます。この時に島全体が3組に別れ、島の中央の公民館の広場に向けて、それぞれが「ミチジュネー(仮装行列)」で練り歩きます。

この行列の先頭、不思議な顔をした白い仮面を被り、黄色い服をまとってゆっくりと優雅な動きで行列を導いているのが「ミルク神」です。波照間の場合、「ミルク神」は女性であるとされ、付き人の子供達はミルクの子供であるといわれています。そして、行列に付かず離れずでつきまとい、ちょっかいを出したりしている道化役「ブーブザ」(右写真の右側)がミルクの旦那であるとされています。

この「ミルク神」は、波照間だけでなく八重山一帯の島々の祭でみることができます。しかし、波照間以外の島では大抵豊年祭の行列に出現します。波照間でもかつては豊年祭で出現していたのですが、、言い伝えによれば行列の旗頭をめぐって島中が大喧嘩となったため役人が豊年祭での仮装行列を禁止し、盆祭に移させたということです。

さて、このユーモラスなミルクの仮面ですが、台湾やベトナムでもこの仮面を見ることができます。これはどういうことなのか、ミルクのルーツをたどってみましょう。

ミロク信仰

「ミルク」は「ミロク」が沖縄方言に変化したものであり、すなわち「弥勒」のことです。弥勒は、釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に出現し、釈迦仏が救済しきれなかった衆生を救う来訪仏とされます。

北西インド~南インドで、大乗仏教の発展と共に未来仏としての弥勒信仰が広まり、やがて中央アジアを経て中国大陸に伝わり、広く深く浸透しました。弥勒信仰の中でも特に、彌勒が下生して弥勒の世が出現するのを待ち望む「弥勒下生信仰」は一種のメシアニズムと考えられ、日本では6世紀末に伝来し、中世以降は理想世界をもたらす救世主の信仰として民衆の間に広まりました。

一方、沖縄においては、もともと東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想にミロク信仰がとりいれられ、ミロクは年に一度、東方の海上から五穀の種を積みミルク世をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらす来訪神「ミルク」であるという信仰が成立しました。

ミルクの仮面

沖縄で見られるミロクの仮面は布袋様の顔をしており、日本の仏像にみられる弥勒仏とは全くかけはなれた容姿をしています。これは、沖縄のミロクが、日本経由ではなく、布袋和尚を弥勒菩薩の化生と考える中国大陸南部のミロク信仰にルーツをもつためであると考えられています。

布袋和尚は実在の人物と考えられ、唐末期、宋、元、元末期の4人の僧が布袋和尚とされています。彼(ら)は大きな腹をし、大きな布袋をかついで杖をつき、各地を放浪したといわれています。12世紀頃の禅宗でこの布袋を弥勒の化身とする信仰が始まりました。この布袋=弥勒と考える信仰は中国南部からインドシナ半島にかけて広まりました。これが八重山にも伝播することとなったのです。

八重山で最初に仮面のミルク神が出現するようになったのは登野城の豊年祭だといわれています。伝承によれば、1791年、黒島の役人をしていた大浜用倫が公務で首里に向う海路で嵐に遭い、安南(ベトナム)に漂着しました。その際当地の豊年祭で祀られていたミルクに感激し、仮面と衣装を譲り受けたといいます。

彼はその後首里に辿り着きましたが、すぐに八重山に戻ることができなかったため、随行の者に一足先に仮面と衣装そして彼の作になる「弥勒節」を託しました。(本人は帰路、今度は中国に漂着、客死しました。)登野城のミルク仮面はこのときもたらされたものだといいます。

こうして八重山各地で豊年祭のときに「ミルク神」が現れ、「弥勒節」が歌われるようになったといいます。「弥勒節」の歌詞にある「大国ぬミルクばが島にいもち」の「大国」はベトナムのことだといわれています。

ミルク神の伝播

ミルク神は急速に八重山に広まり、与那国島まで広まった後、今度は与那国から沖縄本島の南部沿岸に伝播しました。現在も知念村の2つの集落でミルクが出現するようです。八重山では現在すべての島でミルクみることができ、豊年祭、節祭、結願などで出現しますが、集落ごとにみていくと、中にはミルク神が出現しない集落もあります。

古見、宮良、新城、小浜の豊年祭では来訪神アカマタ・クロマタが出現します。これは秘密結社的な祭祀組織による秘祭であり、集落外の者に詳細を語ることは厳禁されており、現在でも厳しい制限のもとでの見学はできるものの、撮影、録音、メモ、スケッチといった行為は一切禁止され、いまだに祭の全貌はベールに包まれています。これらの地域でミルク神が出現しないのは、ミルク神が比較的新しい存在であり、また同じような来訪神の性格を持つため、とりいれられなかったものと考えられます。

また、鳩間の豊年祭ではあの仮面がなく、青い着物をまとい、クバの葉を頭から被ったミルクが出現します。かつては着物も着ない、裸のミルクだったといい他の地域のミルクと明らかに異質です。これもミルクの仮面の伝来以前の信仰を彷佛させます。

いっぽう宮古地方にはなぜかミルクの仮面は出現しません。伝承によればかつて宮古には女性のミルクがいて富をもたらしていたが、サーカ(=釈迦)と大げんかをし、勝負に負けて宮古を去り、支那の守護神になったということです。

「弥勒節」と「赤田首里殿内」

ミルクの仮面は琉球の首都首里にも伝えられています。仮面は赤田村首里殿内とよばれる女性神官の屋敷に祀られていて、旧暦7月16日には「弥勒御迎え(ミルクウンケエ)」と称する行事が行われます。ミルクを先頭にした行列が村内を練り歩き、豊穣、健康、繁栄を祈願するもので、八重山のミルク行列と同様であるといえます。

この行列の際「赤田首里殿内」という歌が歌われます。この歌は現在わらべ歌として親しまれていますが、その旋律は途中まで「弥勒節」と全く同じなのです。これは、ミルクの渡来伝承と深い係わりがあるのではないでしょうか。大浜用倫が首里に戻った際に広めたものか、はたまた一度八重山で広まったものが巡り巡って首里に辿り着いたのか、興味深いところです。

本州の「ミロク歌」

さて、八重山からはるか2000km離れた土地にもミロクにまつわる歌が残っています。茨城県の鹿島地方です。ここでの「ミロク歌」や「ミロク踊り」ではみろくの船が鹿島灘に到来すると歌われています。この「ミロク歌」は他にも本州大平洋岸に点在しており、柳田国男は八重山から黒潮の流れにのってつながる「海上の道」の根拠のひとつとしてとりあげています。現在、時代的な前後関係や日本における弥勒信仰との関係から考えるとそれらが直接八重山から伝わったことについては疑問視されていますが、黒潮の流れとミロク歌の伝播には何らかの関係があるようです。

以前沖縄好きの友達が台湾に行き、そこでミルクを見たといって写真を見せてくれました。そこでは近代的なビル街にミルクが出現していました。一方、ベトナムに行った知人もミルクの仮面を見たといっていました。波照間で見た神々しくもユーモラスなミルク神、これもまた沖縄からアジアにつながっていくリンクのひとつだったわけです。

参考文献:

宮田登著 1975「ミロク信仰の研究」新訂版 白水社

本田安次著 1991「沖縄の祭と芸能」第一書房

村上重良著 1988「日本宗教事典」講談社学術文庫

柳田国男著 1961「海上の道」ちくま文庫柳田国男全集1収録版(1989)

藤田正編 1998「ウチナーのうた」音楽之友社

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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