Facebook清水 友邦さん投稿記事
小さな種から大きな木に成長して、美しい花が咲くのは本当に神秘で不思議としかいいようがありません。
私達が住んでいる物質世界の最初は、時間も空間もない「無」の状態だったと説明されています。
それが137億年前に突然ゆらぎが起き、その直後に光の速さを超えて急激な膨張が起きて物質が作られ宇宙が誕生しました。
何かが少し欠けても多くてもこの地球は誕生しませんでした。
生命の誕生は幸運の連続の上になりたっているのです。
1億の宝くじが当たる確率は東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として新聞の一番小さい文字に当たる確率と同じくらいです。
人の赤ちゃんが生まれてくるには1億以上の精子の中からたった一つの精子が卵子と出会わなければなりません。
これは1等1億円の宝くじにあたるよりも難しいのです。
一人の人間がこの世に生まれてきたということは、とてつもない幸運な事なことです。
「私は運が悪い」「私はついていない」「私は価値がない」「私は不幸だ」と苦しんでいる人がいます。
その人は世界で一番の大金持ちの家の子供なのに、自分は貧乏で絶対そこから抜け出せないと思っているようなものです。
頭の中に浮かび上がる妄想を真実と思い込んでいます。
私達は頭の中に浮かぶ考えを自分と思い込んでいます。
刺激に反応して行動する機械の様な自我を自分と思い込んでいます。
外からの条件付けを鵜呑みにして、こうでなければならないと思いこんで自分を拘束してます。自分で自分を縛ってそれに振り回されています。
私たちの知覚は思考によって制限されています。言葉で作り上げた概念で世界を理解しています。私たちは、思考を超えた本当の自分を実感できないでいます。
私が今ここに存在しているということを忘れています。
思考を観照している本当の自分に気がつくと、頭に振り回されなくなります。
私が、今ここにあるということは、とても不思議で、信じられない奇跡の上になりたっています。私が今ここにあるということは、とてつもない神秘です。
盛岡の桜は散りました。小岩井農場の一本桜は只今満開です。
4月21日から4月23日まで岡山の船越さんの重ね煮お料理のWaRa倶楽無で明美ちゃんと一緒にワークショップを開催、4月27日から4月30日までは天河大弁財天社で音霊呼吸道のワークショップがありますので、4月から5月の連休までしばらくメールのお返事がすぐにできません。一週間ほど、あせらず気長にお待ちください。よろしくおねがいします。
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この宇宙は全てが循環しています。私達は眼に見えない世界から眼に見える世界へ現れ
また眼に見えない世界へ帰っていきます。
円環の中で生と死が繰り返されています。円は始まりも終わりもなくひとつに繋がっています。古い巫女舞は旋回運動を繰り返します。
巫女の神懸りに導くまでの旋回動作が「舞」です。
「くるう」という言葉は、くるくる廻るときの「くる」と同じで、中世では「まう」「くるう」が同じ意味をなしていました。
日常的な意識を超えた力に自我を明け渡したときに、「舞」が起こります。
つまり狂うのです。トランス状態の中で神懸かって神の託宣を述べるのが巫女でした。
神楽は巫女が神託を下していた時代の神事が芸能となったものなのです。
イスラム神秘主義( スーフィズム)のメヴレヴィー教団は旋舞教団と呼ばれていて、くるくると回転をして踊るセマー(旋舞)が有名です。
トルコを訪れた時にカミさんにせがまれてセマー(旋回舞踊)を見てきました。
1925年12月にトルコで革命が起きてメヴレヴィー教団は解体、セマーは禁止となりました。
現在は当時の様式を復活させて観光目的の芸能として演じられています。
最初にセマーゼン(神との合一を求める舞い手)たちが登場して円を描くように会場を歩きます。シェイフ(マスター・長老)が赤い敷物に立ち、舞い手と1人ずつお辞儀します。
会場は宇宙であり、シェイフは太陽、舞い手のセマーゼンたちは惑星です。
この宇宙で回転していないものなどありません。宇宙という舞台で万物万象の天地開闢が演じられるのです。イスラム神秘主義の目的は「神と自己との神秘的合一」です。
その神との一体化を妨げる根源が、自我の存在であるとスーフィーは断言します。
欲望、悲しみ、苦痛など人間の苦悩の根本原因が自我なので、イスラム神秘主義の探求の道の頂点は自我が消滅したファナーと呼ばれます。
その最高の手段が詩と音楽と舞でした。
最初にルーミーの詩を朗唱し、ネイ、クデュム、カーヌーン、ルバーブ、ケメンチェ、タンブール、ウードなどの楽器で演奏される音楽にあわせて旋回をします。
左手のてのひらを下に向けて、右手はてのひらを上に向けて左脚を基点に反時計回りにぐるぐる回ります。
左手は地のエネルギーを受けて、右手からは天のエネルギーを自分のセンターであるハートにもってきます。
セマー(旋回舞踊)をしていると内側の中心は静止していて外側の見ている世界は物凄いスピードで動きます。
外側のすべてがとどまる事なく 次から次へと変化して行きます。
しかし内側の中心だけは変わらないで静止しています。
セマー(旋回舞踊)は外側と内側の境界が消えてその全体を見ている本当の私に気がつかせてくれるのです。
セマー(旋回舞踊)の中で自分と世界との間の境界線が消えると神以外のものは何もなく、全てが神になります。全てが神となると神という言葉は消えます。
「蛇がその皮を脱ぎ捨てるように、私は自分の自分という皮を脱ぎ捨てた。そして私は、私自身の中を覗き込んで見た。どうだろう、私は彼だったのだ」イスラムの神秘家バスターミー
私は彼だったの彼は神です。
が、しかし「私は神だ」と言ってしまうと神を冒涜していると世俗的な宗教者から異端の扱いを受けて殺されてしまう危険性がありました。
そのためにスーフィーたちは表面的にはわからないように神秘的な意味を込めた比喩と象徴を用いました。
イスラム神秘主義探求の道の頂点は自我が消滅したファナーと呼ばれます。
ファナーは仏教の言葉で言えば涅槃(ニルヴァーナ)です。しかし最も大切なのはバカーとされます。バカーは存続と訳されていますが自我が消滅したファナーから帰還して人間的自我を持った普通の人として世間を生きる事なのです。
それは世界から離れるのでもなく、世界に同化してしまうのでもありません。
世界の中にいながら世界に属さないで世界にいる事でした。
「私は二元論を捨て二つの世界が一つであるのを見た。一を求め、一を知り、一を呼ぶ。
私は恋しい人の杯に酔い、二つの世界は視界から消えた。私は酒宴や馬鹿騒ぎ以外にすることはない」イスラムの神秘家ルーミー
「この世の歓楽は麝香(じゃこう)の匂いの様なもの。
匂いは儚く消える。祝福された人は匂いに満足せず、麝香(じゃこう)を求め
麝香そのものになり世に香りを伝える。」イスラムの神秘家ルーミー
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満月の17日に開催された札幌ワークショップから帰って来ました。
満員を超えて増やしたのでスタッフが部屋からあふれるほどでした。
主催されたさおりさん、鴫原さん、参加されたみなさんありがとうございました。
復習です。
「鼻先の呼吸を感じる
鼻の中を通る呼吸を感じる
体の中に入る呼吸を感じる
努力せずに自然にあるがままに呼吸を見守る」
来週は「百姓屋敷わら」でワークショップがあるので岡山へ向かいます。
毎日瞑想をしたグループは体内のインフルエンザ抗体数が遥かに多いという米ウィスコンシン大学の報告があります。
瞑想をすると、体内のインフルエンザ抗体を増やし免疫力をアップさせるというのです。
瞑想効果の科学的な根拠
https://hotnews8.net/health/benefits-of-meditation
「遺伝子レベル」で免疫システムが向上?
https://forbesjapan.com/articles/detail/13553/1/1/1
マインドフルネス瞑想は企業研修で使われ「今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることである」と説明されています。
マインドフルネス瞑想をすると
心のコントロール・制御ができるようになる
ストレスが軽減されて心が穏やかになる
ポジティブ思考になる
集中力が増して、
学生の成績がアップ、
幸福度がアップ
と説明されています。
「マインドフルネス瞑想で得られるのはリラックス状態でもなければ、神秘的な超越体験でもありません」と断っている指導者もいます。
瞑想を指導する団体や講師によって瞑想の説明もやり方も違うので混乱すると思います。
瞑想の方法も
動く瞑想と
動かない瞑想
言葉を唱える瞑想
誘導でイメージをする瞑想
対象に集中する瞑想
集中をせずあるがままに観る瞑想など様々あります。
瞑想法には異なるたくさんの種類があります。
教わる人々と教える人々の意識の段階が違うのでやり方も教え方も異なるのです。
「瞑想」のメディテーションと「薬」のメディスンは似ていて、どちらも真ん中、中心と言う意味のメディがついています。
薬は症状によって処方箋が異なり薬を間違えると症状が悪化し場合には死に至ることもあります。
このように薬は使い方を誤ると毒になったり健康に導くこともできます。
瞑想も同じで探求者のマインドの状態にあった瞑想技法を使用しないと
カルト団体に入信した信者のように
自我が強くなって苦しんでしまうこともあります。
瞑想は
心を静めて無心になること、
何も考えずリラックスすること、
心を静めて神に祈ったり、
何かに心を集中させること、
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと
と説明されています
それは瞑想ではなく瞑想技法のことを指しています。
瞑想は未来に向かって努力する事(doing・すること)ではなく、
今ここにあるがままで(being・あること)いることです。
瞑想技法(doing・すること)は瞑想(being・あること)ではないのです。
瞑想をすることはできないのです。
マインドフルネスは 仏教用語のヴィパッサナーのことです。
マインドフルネス瞑想もヴィパッサナー瞑想も名前は違いますが
元は同じです。
ヴィパッサナーは物事をあるがままに見ることで、常に変化している呼吸を観察して物事の諸行無常を洞察して涅槃に達すると説明されています。
ニルヴァーナ(涅槃)は煩悩が吹き消された状態です。
通俗的なマインドフルネス瞑想は段階を踏んで目的に向かうように説明しますが、究極の教えは出発地(煩悩にまみれた凡夫)が目的地(すでに仏である)なのです。
今の自分は能力がないのでマインドフル瞑想を努力してやり遂げて能力を得ようとするとマインドの罠にはまります。
マインドは常にいまここにいません。
ほとんどの人々が物心ついてから絶え間のない思考の中にいます。
努力して瞑想している間は思考が動いているので深いサマーディ(三昧)が起きないのです。
今ここにあるときは無境界です。
マインドに同化すると二元性の世界が展開します。
石をなげると水面がゆれるように、思考を使って自己の本性をみようとすると、思考自体が曇りとなって見えなくなります。
言葉は思考を使うので自己の側面について語ることはできますが、自己そのものを語ることは出来ません。思考で自己の真実を知ることはできません。
思考が静まり心が深く沈黙した時、体全体が領解(りょうげ)します。
利益(ごりやく)を得る私がいないとき
本当の私に気がつくのです。
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