雨引観音

https://butszo.jp/2014/04/2191/ 【楽法寺(茨城県桜川市)— 引き込まれる異質な雰囲気の雨引観音】より

日本には数多くの巡礼というものがあるが、お遍路さんと並んで最も著名なのが百観音巡礼であろう。近畿地方一帯の33カ所(西国三十三観音)、埼玉県の秩父の34か所(秩父三十四観音)、そして関東地方一帯の33カ所(板東三十三観音)と、合わせて100の札所を巡るものだ。霊場そのものはかなり古いのであるが、実際に国内でブームとなったのは江戸時代からのようである。

その板東三十三観音の札所のひとつが、今回訪れた楽法寺(らくほうじ)である。楽法寺は板東第24番の札所となっている。私も一昨年に百観音を満願できたが、その巡礼で楽法寺にもお参りしている。しかしその時は本尊は拝観できなかった。

楽法寺の本尊はかつては1年に1回ご開帳をしていたそうだが、今では基本的に秘仏である。ただ、板東の札所では12年に1度の午年に総開帳があり、今年はその年に当たる。楽法寺もそれに合わせてご開帳ということになっているようだ。

以前訪れた時はお正月の熱気がまだ残る1月中旬であったが、楽法寺は近隣の桜の名所でもあるらしく、今回は桜を愛でる人たちがたくさんいた。

楽法寺は古くは推古天皇の病気平癒や、光明皇后の安産に関わっていたりする古刹である。通称、雨引(あまびき)観音と呼ぶが、これは嵯峨天皇の時代の干ばつ時にここでの法要によって雨をもたらしたことから、勅命で山号として雨引山と名付けられたという由緒正しいものである。

今回は仏像の写真はほぼないため、かわりに桜や風景の写真をお楽しみいただければと思う。

駐車場に車を駐めて真壁城から移された門をくぐると、いい感じの石段が続いている。その先には赤を基調としたカラフルで堂々とした仁王門が現れる。いろいろな桜がまさに咲き誇っていて、青空と合ってとてもきれいである。

仁王門周辺の桜がまた見事だ。

本堂前まで上ると、さらに人がたくさんいる。本堂からは法要のお経の声が聞こえる。

普段、本尊は本堂の隣にある収蔵庫に入っていて、収蔵庫の扉の前には石造の観音菩薩が侵入者を遮るように立っている。そのままでは扉は開かないが、この観音菩薩はレールの上に乗っていて、いざ扉を開くときはゴゴゴゴと横にずらして開くのだという。ご開帳ということで、その収蔵庫前に行くと、以前に訪れた時と同じく石造観音が睨みをきかせていた。あれ?と思ったが、ご開帳は本堂で行われているようだ。

本堂に入るところにチケット売り場が特設されていて、そこで1000円の拝観料を払う。1000円というと少し高いイメージだが、五色の数珠のうちから1つ好きなものを選ぶことができるというおまけつき。

法要が終わるまで待つように言われたので、法要後にお堂に入って座っていると、先ほどのお寺の方が入ってきて詳しく説明して下さった。

観音菩薩立像(伝延命観音菩薩) 平安時代中期 カヤ材一木造 像高156.5cm 国指定重要文化財

延命観音立像の看板

写真はご開帳看板で申し訳ないのだが、本堂の厨子に立つ実際の像は、その異質な雰囲気に吸い込まれるようであった。目が離せなくなる。

やはりその八臂の腕に眼が行く。同じく多臂の不空羂索観音として作られたという説が有力であるという。腰の近くの第3手のみ後補ではなく当初のものだそうだが、その腕にかかっている布の帯のようなところが、不空羂索観音の特徴である鹿皮の端を表しているのだという。

考えてみれば、多臂の観音像というのはいくらでもある。千手観音に至っては、滅多にない真数千手であれば1000本であるが、一般的なものでも42本もの腕をそなえており、東大寺四月堂(現在は東大寺ミュージアムに安置)の千手観音像などは、かなりのウネウネ感があるすごい雰囲気の腕をたくさんもっていたりもする。

しかしこの像はそれらに比べたら少ない8本の腕ながらも、何だかちょっと違う異様な雰囲気を感じさせるものがある。千手観音のようなタイプの多臂は見慣れていて、かえって8本という数が絶妙なのかもしれないが、腕の長さといい太さ、そしてその腕の付き方といい、とにかく存在感がすごい。

それぞれの手先の印の造形も独特で気になるところだ。持物があったのかもしれないが今は何も持っていない。前に出している両側2本の手は錫杖か蓮茎でも持っていたかのような雰囲気であるが、それ以外は、斜め前に出した手は2本の指を立てていたり、斜め右下に垂らした手はまた違う印の形をしていたりと一定ではなく、持物を持っていたとしても、予想ができない状態だ。

足の衣紋

脚部の翻波式衣紋(ウェブより)

まるで8本の腕を動かしながらあれこれと話をされているようでもあり、こうしたところも惹きつけられる異様な雰囲気を感じさせる要因かもしれない。

腕以外だと、衣紋の造形にかなり惹きつけられる。特に、この像の制作年代を同定する時に検証されたW字型の条帛の造形である。途中でひねった形になっているのが特徴的で、裏と表の造形がしっかり作り分けられている。また、その2つの条帛を中央で結んだようになっている形なども印象的だ。条帛の造形そのものはやや平坦に見えるものの、こうした捻りの入った造形は東国の平安前期の仏像にはまま見られるものだという。

また、裾にある翻波式衣紋は、右足は大波と小波がちょうど同じリズムに作られているものの、左足では下辺ギリギリに小波が来るような弘仁末期の造形と見え、この両足の翻波式衣紋の造形そのものが、先日訪れた置恩寺(奈良県)の十一面観音の造形に似ているような気がする。

腕のボリュームのインパクトが強いために気づきにくいが、ウェストはびっくりするほど細い。こんな立派な腕を持っているのにこの細さとは、観音さん腰痛めませんか?と、何だか心配になってしまう。

顔は色白でやや四角張っているものの、むしろパーツが小さく、美人顔というイメージである。とても優しい表情で、腕や衣紋からくるその異質な雰囲気との独特なミスマッチがまた眼を離せない雰囲気を醸し出しているのかもしれない。なかなか興味深い仏像であった。

本堂では、右側須弥壇の黒くいぶされた不動明王坐像や、外陣と内陣を仕切る上部欄間の観音三十三化現の彫刻、本堂外縁の彫刻なども見所である。

外に出ると人だかりがしていた。境内で飼われている孔雀が羽を広げているのであった。

羽を広げる孔雀

私の父の勤めていた犬山市のモンキーセンターにも孔雀が飼われていたが、滅多に開くことはなく、子どもの頃に2,3回くらいしか見たことがなかったので本当に久しぶりに目にした。やはり見事なものだ。

閉じる瞬間がまたきれい

おそらく興奮して体を大きく見せて威嚇していたと思われ、周囲に集まる人にその大きさをアピールしていたような気がするが、そうすればするほど人が集まってくるのは、孔雀にとっては皮肉な話だったかもしれない。

桜と孔雀のコラボレーション。

仏像の素晴らしさだけではなく、孔雀や桜など、色とりどりな美しさを堪能した。

可憐なヤマザクラ

孔雀に気を取られて、三重塔を改変した多宝塔や、以前訪れた時には震災で破損したと思われる破損仏がゴロゴロと転がされていた六角堂のようなところがどうなっているか見るのを忘れてしまったが、また6月末に仏像オフでやって来るので、改めてゆっくり拝観したいと思う。

筑波山と桜

楽法寺を後にして、最後に一昨年にも訪れた峰寺山西光院を訪れて、マイク観音こと、立木十一面観音にも会って東京へと帰った。茨城県では西光院の十一面観音が第1位、菊蓮寺千手観音が第2位の大きな木彫仏像であり、今回はそのどちらも拝観できたことになる。

なかなか充実した仏旅であった。


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https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14482870404288 【日本鶏を境内放鳥 桜川・雨引観音】より

日本鶏の魅力を知ってもらおうと、雨引観音の愛称で親しまれている桜川市本木の雨引山楽法寺(川田興聖住職)で23日、国の天然記念物に指定されている日本鶏「小国」の放鳥会が開かれた。

小国は日本古来の地鶏に次ぎ、2番目に古い歴史を持つ貴重な品種。平安時代には京都で飼育されており、尾長鶏など品種改良された日本鶏17種の基になっている。

放鳥されたのは「天然記念物日本鶏保存愛好会(鈴木勇代表)が寄贈した生後約8カ月の6羽。会員の栃木県小山市梁、仁見俊雄さん(76)と常総市中妻町、倉持猛夫さん(65)が育てた。

これまで飼育された日本鶏の供養が行われた後、籠から取り出された6羽が放たれ、境内を伸び伸びと歩き回った。参拝客は「かわいい」「格好よい」と声を上げながら、餌をやって6羽をめでていた。




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