“魂”でキャッチ

FacebookIlchi Leeさん投稿記事

自分自身を徹底的に注意しなければならない。

見ることはあなたの精神的な練習の始まりです。 自分自身を観察すること。

一度見ていると、あなたの研究は60%完了します。

見ることで、あなたの問題が表面化し始める。

そうすれば、自分を変える力を育むことができます。

自分自身に気をつけない限り、あなたはいつも傍観者です。

あなたは自分の問題を隠し、継続的に他人の問題だけを見ている。

「今の私の状態は? 私は苦しみの中で悩んでいる? 私は愛着に夢中? "今、この問題を抱えている。 私はこのように生き続けるべきではない。 ""

そのような気づきがあれば、成長する準備ができている。

自分をはっきり観る訓練をすることで、他人の姿もはっきりと写ってきます。 自分自身を見なければ、他の人は見えない。

一度見たら、次はカテゴライズするべきだ。

「私が持っている感情、習慣、情報は、自分の成長に貢献しているのか? ""

あなたはこのカテゴライズの仕事をしなければなりません。

そして、その後、ネガティブな情報や習慣を排除し、良いものを保つべきです。 この練習には1回や2回では不十分。見ているのはそこで終わらない。

このプロセスで自分を信頼することが重要です。

「今の環境は、自分にとって最高の環境。 がんばります。 ""

あなたがこの態度、あなたの空間と時間、そしてあなたの周りの人々が、あなたが本当にあなたのビジョンに集中するなら、あなたの味方になり始め、天国はあなたを助けます。

自分自身を見続け、真に全ての善のために生きる基準を確立し、人類と地球に利益をもたらすなら、宇宙、時間、天が助けてくれる。

https://noos.cosmolifeology.com/steiner_14/ 【【シュタイナー】魂の脆弱性について~感覚魂の克服~】より

私の宇宙からこんにちは、natanです。今日は、魂の脆弱性についてお話します。

このお話は、今後ヌーソロジーでも関連してくるお話になります。

◎前回までのお話はこちら↓

【シュタイナー】魂の三位一体構造について~感覚魂・悟性魂・意識魂~

知っているようで、知らない魂のお話。魂は地球紀において、人間に自我が付与されてから形成されました。その魂には「感覚魂」「悟性魂」「意識魂」の三種類があり、時代が進むごとに魂も成長してきたようです。各魂の詳細と、それらが育った時代背景などを詳しく解説していきます。

noos.cosmolifeology.com

魂の脆弱性

魂には三つの種類(感覚魂、悟性魂、意識魂)がありますが、それぞれの魂には気をつけなければいけない脆弱性があります。

感覚魂に影響される

感覚魂は、一番最初に形成された「人間の基本的本能」ともいうべき特徴を持った魂です。

そのため、悟性魂や意識魂はこの感覚魂に影響され巻き込まれる危険性があります。

悟性魂の脆弱性

悟性魂は、感覚魂の「低次の情欲・衝動」などに影響され、巻き込まれる危険性があります。

意識魂の脆弱性

意識魂は、感覚魂に含まれる「快・不快、共感、反感」を取り去った真理、永久的真理が生きている場所であり、自我を成熟させるという自我の本質も生きている魂です。

しかし、上記に挙げた悟性魂が感覚魂の低次の部分に影響されると、意識魂もそちらに引き込まれてしまう危険性があります。

この「感覚魂に影響される」という、たった一つの要因こそ、人間が長い年月をかけて克服していかなければいけない最も重要な課題なのです。

感覚魂の克服

人間が感覚魂により経験したさまざまなことを克服し、霊性に満たされていくと、悟性魂は拡大し、意識魂は成長していきます。

しかしその反面、「快・不快、情動、欲望」に流された低次の感覚魂に支配されて人生を過ごしていると、悟性魂は感覚魂との境界に限りなく合致するようになります。

そして、意識魂もろとも荒廃してしまう危険性をはらんでいます。

拒否

大人になればなるほど、感情を抑えて、理論的に物事を考えて行動しなさい。と、親や社会から教わります。

しかしこの感覚魂は、「感情を抑える」ということではなく、それを「克服」するという姿勢がもっとも大事なんです。「我慢」と「克服」はまったく意味合いが異なります。

だからこそ、自己の内面を見つめて心の問題解決に励んだり、自己を省みる行為が大事なのです。

その「克服する」という行為は、悟性魂の思考によってなされていきます。

今後の人類の目標

もし感覚魂を克服することができ、魂それぞれが上手く機能した場合、これらの活動が意識魂の永遠の真理を大きく、強くさせて、意識魂を成長させるようになります。

その結果、低次の自我が「真の自我性」へと変化していきます。

なのでこれからの人類は、感覚魂が物質世界で経験する、「動物的情欲」「衝動」などの低次の意識を、悟性魂の思考の働きによって克服する物質世界において霊性を認識することで、意識魂の成長を促すこのような活動を「意識的に」行っていかなければいけないのです。

まとめ

けっして楽な道のりではないことはたしかです。

霊性の向上には第一に、自己の内面に真摯に向き合うしかないと考えます。

それを手助けするために、悟性魂という魂が私たちには備わっていると思うのです。

魂の働きを学ぶことで、より一層霊性向上には自己改革が必要である!ということが理解できますね。

次回は、私たちが生きる「意識魂の時代」について、今後どう人類が進んでいくかについてお話したいと思います。次回もお楽しみに♪

Facebook三浦 直樹さん投稿記事 『肚決め』

おはようございます(^^) 連休明けの朝一のカウンセリングは、ご遠方の方

腸の問題だったので、施術やヒーリングをした後、カウンセリング。

腸の問題はことわざにもあるように、精神的な迷いが絡んでいることが多い

『肚を据える』『肚を決める』『肚で考える』というような感覚を持つことが大切。

決断できない方は『ふん切れが悪い』と、やはり腸に絡んだ表現をします

日本人は昔から思考は肚に宿ると考えていました。

頭で色々考えるのではなく、肚を据えることが大切です。

生きていると色んな問題が生じてきますが、肚で考えてしっかり生きていければいいですね。

https://ihatov.cc/blog/archives/2017/12/post_897.htm 【日本人の他界観の重層性】より

 先日書いた「トシ追悼過程における他界観の変遷」という記事のように、(https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/38112666【「トシの行方」の二系列】)最近の私は「死生観」とか「異界論」にかなり嵌まっている関係上、去る17日(日)に上智大学グリーフケア研究所と東京自由大学が上智大学において開催したシンポジウム「日本人の異界論~妖怪妖精と異界論をめぐって~」という企画に興味を引かれて、聴きに行ってきました。

 これは、一昨年の11月30日に亡くなられた水木しげるさんの追悼企画で、水木さんの人となりを偲びつつ、その作品に顔を出す「異界」や「他界」について論じ合い、日本人の死生観の基層に迫る、というような内容だったのですが、生前の水木しげるさんは、「到るところに異界や他界が口を開けている」という感覚を常に持っておられた方だったそうで、そういうところは宮澤賢治にも共通する感性だなあ、などと思いながら皆さんのお話を聴いていました。

 その中でも、文化人類学者・民俗学者の小松和彦さんが、「日本人の他界観というのは非常に重層的で、互いに矛盾し合っているようなものが矛盾と意識されずに混在しているのが特徴だ」とおっしゃっていたところは、賢治について考えていた私にとっても、まさにその通りと実感することでした。たとえば日本人は、親族などが亡くなったら、故人の「成仏」を祈りながらも、しかし一方では「今ごろ母さんは天国で亡くなった父さんと会って話をしてるかなあ」などと言ったり、また一方では「私たちを草葉の蔭で見守ってくれてるんだな」とも思ったりしていて、では実のところはいったいどこに故人がいると考えているのかと聞かれると、ちゃんと筋道立てて答えるのは難しいでしょう。

 賢治の場合も、「トシ追悼過程における他界観の変遷」で見たように、仏教的な輪廻転生観や、日本的な山上他界観や、海上他界観や、鳥への転生のイメージなどが同時に混在しながら、しかも相互に矛盾しているとはあまり意識されていない様子です。つい数年前までは、仏教の教理や解釈をめぐって父親と激論を戦わせていた賢治は、どこへ行ってしまったのでしょうか。

 しかしこのように、死後のことについては理屈ではなく感性でとらえて矛盾も許容するという傾向は、何も賢治にかぎらず、日本人全般に共通する特徴だということなのです。

 ところで、東京へ向かう新幹線の中で読んでいた『死をみつめて生きる~日本人の自然観と死生観』(上田正昭著)という本に紹介されていた、禅林寺(永観堂)所蔵の「山越阿弥陀図」という国宝は、こういう日本人の他界観の重層性を、まさにそのまま具現化してくれているような絵です。(下の図像は龍谷大学 人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センターより)

山越阿弥陀図

 この屏風は、今まさに臨終を迎えようとする往生者の傍らに立てて、その人の浄土への往生を確かなものとしようとするためのもので、図の中の阿弥陀如来の両手には、五色の糸を付けていた孔が残っているのだそうです。その五色の糸を、病人の手に結びつけて念仏を唱えさせ、臨終を迎えたその時には、そのまま阿弥陀如来が西方浄土へと導いてくれるように、との願いが込められているのです。

 ここまでのところは、本来の仏教信仰に基づいていますが、絵を見ていただいたらわかるように、阿弥陀如来はなだらかな山の上に姿を現わしており、さらにその背後には、暗い海が遙かに水平線まで続いているのです。

 すなわち、ここには「死んだら魂は故郷を見下ろす山の上に行く」という柳田國男的な山上他界観と、「死者の魂は海の彼方にある補陀洛の浄土へ行く」というニライカナイ的な海上他界観とが、仏教的浄土に重ね合わされているのです。

 阿弥陀如来に導かれつつ、山の上に昇り、また同時に海の彼方に行く、という一見矛盾したような他界観が、ここでは何とも不思議に融合されていて、このどこか懐かしいような夢にも出てきそうな景色は、私たちの集合的無意識の底にある何かに、つながっているのではないかという感じさえしてきます。

 賢治が死んだトシを、駒ヶ岳山上の「雲のなか」(「噴火湾(ノクターン)」)や、あるいはオホーツク海の水平線の「青いところのはて」(「オホーツク挽歌」)にいるのではないかと思う時、やはり彼の心の底には、こういう風景があったのではないかとも、思ったりしてみています。

FacebookTadashi Furuyashikiさん投稿記事 「バイ菌様、病菌様、ウィルス様」

※(1月14日に様々な代替療法を学ぶためのグループに投稿した内容です。とても反響頂き甲斐由美子先生もシェアして下さっていました♪)

ねぇママ、今日はドッカーン‼︎ と天地がひっくり返るバクダン発言させてもらうよ!

今の科学がまだ追いつけない内容になるから“魂”でキャッチしてね〜

ママは「自然界には不要なものは何一つない」って思えてる?

本当? 本当に本当?ファイナルアンサー?

そう!ウジ虫もハエも有用な役目を果たしてるよね。

じゃあなぜバイ菌や病菌だけは防御され、殺される事になったの?

彼らの自然界での真の“役目”を説明できる?

じゃあ教えるね。皆が恐がってるバイ菌達だけど実はね・・・

皮肉なことに人間にとって1番重要な任務をこなしてるんだよ。

にわかには信じられないだろうから順次説明していくね〜

太古の昔からバイ菌達はボク達の濁った血液を浄血にする“掃除夫”であり、人類最良のパートナーって事‼︎ イェイ。

彼らの食べ物は人間の血液中の“不純物”なんだ。その食べ物が多ければ増殖するよー

人間の体の外側はお風呂でキレイになるけど内側はバイ菌達にキレイに掃除してもらう事になってるんだ。

多種多様なバイ菌がいるのは人間が血液中に多種多様な汚いモノを入れてしまったからなんだ。

そしてその“掃除の活動”が起こった時には熱が出たり、下痢したり、痛みが出たりするんだけど、その掃除の時の苦痛を人間は「病気」と名付けて悪い意味に解釈して排除しようと何百年も空回りしてたって訳、ハハハ。

だからこれだけ文明が発達しても病気は全く無くなってないでしょ。根本的に間違えてるからね!

そうして薬を飲んだり注射をすると、一時的に掃除の活動が止まるからそれを人間は「病気が治った!」と大きな勘違いをしたんだね。薬で掃除を中断するのは勝手だけど中断して、更に不純物を入れたお陰で今度は後でもっとつら〜い“大掃除”(大病)になるって事が今だに分かってないんだ。

だからねママ、バイ菌は防御しなきゃならない相手じゃないし、勝つとか負けるとか闘う相手でもなくて感謝すべき「仲間」って事。

むしろウェルカム、 イェイ!

彼らのお陰で人類は絶滅しないで今まで生きてこれたんだよ。

そうして薬を飲まずにちゃんと掃除が終わったら体は「サッパリ!」するんだよ。

発熱するのは体の方も連携して掃除の手助をけを一緒にしてるからで、なにも体とバイ菌達が闘ってる訳じゃないからね!

そうしてママの体にバイ菌達が入って来てくれてもね、血液中がキレイな状態だったら(ママはキレイじゃなさそうだけど・・)そこにはバイ菌達が食べるモノは無いんだから彼等は餓死しちゃうか、特に用がないから勝手に出て行くんだよ。

自然農法の作物に害虫が湧かない理由も同じで作物やその土が清浄な状態なら害虫はそこに湧く“必要”がないんだ。

同じ伝染病でもかかる人、かからない人、再度かかる人、など違いが出る理由は結局その人その人の血液中の不純物の多寡(たか)の違いがただそのまま掃除の“症状”となって表れているだけ。皆難しく考え過ぎ!

だから、

「免疫?」はなからありません

「抗体?」意味わかりません

「ワク○ン?」要りません。バイ菌達の“仕事”を増やすだけ!

まとめるとね、ボク達人間は『普段から濁血をバイ菌達に食べてもらう事によって浄血になって大病を免れさせてもらっている』って事なんだよ〜ハハハ!

だからボク達が排除すべきなのはバイ菌やウィルスではなく、バイ菌の食べ物になる“不純物”を体に取り入れない事が大事ということになるね。

あとさっきも言ったけど一つ気をつけてね。

不純物である薬を沢山飲んだり注射した体なら掃除を超えて“大掃除”になるからね!

その人の想いや行いも影響するけど血を濁す1番の原因は薬毒だから。

あれ?ママ、その目は信じてない目だね。

じゃあボク病菌の入った液体を飲んで見せてもいいよ!ゴクゴク。

(やれやれ、大人って“科学的こんきょ”ってモノに目隠しさせられて困ったもんだ。病気とは“何か”もまだ分かってないくせに。いや、分かってないことがまだ分かってないのか・・)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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