マトリックスの中で深い眠り

Facebook清水 友邦さん投稿記事

「スピリチュアルはもういいわ」と言った人がいました。

「スピリチュアルはもう辞めました」と言った人もいました。

スピリチュアルをすれば、人生がバラ色に輝き、運命がすっかり変わると期待して、お金と時間を注ぎ込んだのに、自分が何も変わらなかったのでがっかりしたようです。

彼女のスピリチュアルとは、チャネリングの本を読んだり、ヒーリングを受けたり何人もの占い師や自称霊能者に悪い霊を払ってもらったりオーラの色や守護霊や前世、これからの運命を見てもらうことだったようです。

TV番組やマスコミから知識を得た人は、スピリチュアルがオーラの色で未来を占ったり、前世や守護霊を見てもらうことだと、思ったようです。

占い師に、洗脳されて財産を騙し取られたニュースなどを見てしまうと、スピリチュアルは恐ろしいとなってしまいます。

スピリチュアルな本を読んだり霊の話を聞いたり何かのセッションを受けただけでは、自我が太るだけなのです。

自分の内面の分離に気がついて、自分自身と向き合わない限り、眠ったまま夢うつつで同じ次元の水平移動を、繰り返すことになります。

一般化が行き過ぎると認知が歪んでしまいます。

女は必ず嘘をつく。男は暴力をふるう。外国人はマナーが悪い。犯罪を犯すのは外国人だ。

外国人は怖い。などなど

スピリチュアルといったときに、外から植え付けられた知識で人は様々なイメージを持ちます。

スピリチュアルという言葉は、手垢がついてしまっているので、人によって意味が異なってしまっています。

前世やオーラなどと、いうものならスピ系といわれて嘲笑されます。

スピリチュアルは、英和辞典で「精神の」「霊魂の」「宗教上の」「霊的な」と訳されます。

日本の禅文化を海外に紹介した鈴木大拙は、スピリチュアリティを霊性と訳しました。

WHOは1999年の総会で「健康とは身体的・精神的・霊的(Spiritual)・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」という定義をだしました。

当時の厚生労働省は、霊的が非科学的イメージがあるためかスピリチュアルを日本語に訳しませんでした。

世界は、目に見える物質的側面と、目に見えない霊的側面の両方があります。

世界中で語り継がれてきた共通の物語・神話伝承は、この世とあの世は循環して終わりがなく、一つに繋がっています。

肉体を離れた死者は、精霊となって祖先が暮らす常世の国でしばらく休息して、そしてまたこの世に戻ってきて再生します。

人間の魂は本来、目に見えない神の世界に属していますが、物質世界の肉体に閉じ込められ、本来の神性を忘れて眠っています。

秘儀参入して自分自身の本質に気づくと、肉体の囚われから解放されます。

転生輪廻の苦しみから解放された魂は、物質的な肉体から自由になって全体と融合します。

それまで魂は、マトリックスの中で深い眠りに陥って自分が誰であるか忘れています。

それが密議宗教の基本構造です。

イスラムの神秘家ルーミーはこう述べています。

「一体、この世界は幻影の上に成り立っている。それなのに、この世界を人は現実と呼ぶ。それが目に見え、直接感覚に訴えてくるからだ。そして、この世界の存在の源となる形而上的なものを幻想と呼ぶ。本当は正反対なゆめまぼろしなのだ。この世界こそ夢幻である」

マインドで物質的な世界だけを見ている人は、スピリチュアルな世界を自覚できません。

物質的な世界を見るのは肉眼ですがスピリチュアルな世界を認識するのはスピリチュアルな眼です。

スピリチュアルな眼のことを仏教では、般若(真実を洞察する智慧・プラジュニャー)といいます。

スピリチュアルな眼が開かれた時に、自己の本質に気づきます。

人間の本質は、物質的な次元を超えた眼に見えないスピリチュアルな世界にありました。

スピリチュアルな世界で全ての物事が起きています。

スピリチュアルというスクリーンの中で喜怒哀楽の人生が映し出されています。

ですから

誰もスピリチュアルから

辞めることも逃げることも離れることも

できないのです。

https://maharishi.or.jp/poet-rumis-poem-on-the-other-side-of-beyond-thought/ 【詩人ルーミーが詠う‟想念を超えた向こう側”【超越瞑想との関係性/純粋意識】】より

米国で最も人気のある詩人──ルーミーとは

米国で最も人気のある詩人──ジャラール・ウッディーン・ルーミーは、800年前、はるか彼方の地に住んでいたイスラム教の説教師、神学者だ。彼は、ペルシア文学史上における最も偉大な詩人であり、世界文学においても最大の詩人の一人に数えられている。彼の詩は、彼の体験を詠うもので、それは時を超えて人々を魅了している。

ルーミー(1207年〜1273年)の生誕地については学者によって見解が異なり、現在のアフガニスタンにあったバルフという都市で生まれたという説もあれば、もっと北方の、現在のタジキスタンで生まれたという説もある。しかし当時はその地域全体がペルシアであり、ペルシアの中心は現在のイランであったので、イランではルーミーを自国の生んだ最も傑出した詩人の一人として称えている。

モンゴル人の中央アジアへの侵入を避けるため、彼の父親は家族を連れて西に移住し、最終的にはトルコに定住した(ルーミーはニックネームであり、家族が暮らしたルームという小アジアの地名に由来している)。ルーミーの家族が西に向かって旅をしていた初期の頃、イランのニシャプールを通り過ぎるとき、アッタールという偉大な詩人に出会った。アッタールは、息子の前を父親が歩いているのを見たとき、息子に宿された偉大な精神の深みに気づいて、「河に続いて大海がやってきた」と語った。

ルーミーの詩 ― 眠りに見えるかもしれないが、内側では目覚めている

ルーミーは、宗派指導者、説教師であるとともに博学の人、法学者、神学者でもあった。彼は、音楽や詩、神聖な舞踊を通じて、神を知るための道が形成されると信じていた。彼の弟子たちはメヴレヴィー教団(旋舞教団)を組織した。彼は7万編を超える詩を書いたが、それらの詩はイスラム教の思想と文学に大きな影響を与え、多くの言語に翻訳された。

私の目は眠っている(のだが)、私の心は目覚めているのだと知りなさい。すなわち、私の(一見すると)活動していない状態は(実際には)活動しているのだと知りなさい。

預言者の言葉のごとく、「私の目は眠っている。(しかし)私の心は創造主に対して眠ってはいない」のである。

あなたたちの目は目覚めている。そして、あなたの心はまどろみに沈んでいる。私の目は眠っている。(しかし)私の心は(神の恵みの)開かれた戸口に(観想の中で)立っている。

私の心は(肉体とは)別の五感をもっている。(外界と精神界)いずれの世界も心の五感にとっては劇場である。

あなたたちの無力さ(の観点)から私を見てはならない。あなたたちにとって夜であっても、その同じ夜が私にとっては朝真っ盛りなのだ。

あなたたちにとって牢獄であっても、その牢獄は私にとって庭園のようなものだ。すなわち、(この世界では)まったく完全に占領された状態であっても、私にとってそれは(精神において)自由の状態になっているのだ。

あなたたちの足は泥の中にあっても、その泥は私にとって薔薇になっている。あなたたちは悲嘆にくれていても、私は祝宴の中で太鼓の響きを聞いている。

私は地上の同じ場所であなたたちと一緒に暮らしている。(と同時に)私は(天国の)第七の階層を通り過ぎている。…

あなたたちの傍らに座しているのは私ではない。それは私の影である。私の列する場所は想い(の届く範囲)よりも高いところにある。

私は(あらゆる)想いを通り越えて、想い(の領域)の外をすばやく行き来する旅人になっているからである。

私は想いの支配者であり、(想いによって)支配されない。大工は建物の支配者であるゆえに。…

(それを)体験したことのない者から見れば、これは(まったくの)偽りであるが、(精神的な)領域に住んでいる者から見れば、これは現実である。

「マスナウィー」より

ルーミーが私たちに語っているのは、外側からは眠りに見えるかもしれないが、内側深くでは「私の心は目覚めている」という状態である。これは人々のふだんの経験とはまったく逆のことだ。だが彼の言葉によれば、人々は外側では目覚めているが、内側では「まどろみに沈んでいる」のである。

その状態のときに彼は何を体験しているのだろうか?「(神の恵みの)開かれた戸口」と彼は言っている。その数行あとで彼はそれを「(精神において)自由の状態」と呼んでいる。この状態は「(天国の)第七の階層」より高いところにある。最後に彼は「これは現実である」と宣言する。

ルーミーの詩と瞑想の「純粋意識」との共通点

超越瞑想(TM瞑想)に親しんでいる読者であれば、ルーミーが想念の過程を超越し、マハリシが「純粋意識」「枠のない意識」と呼んでいるものを体験していることが理解できるだろう。

ふだん、私たちの心は、知覚、思考、感情によって絶えず揺り動かされている。それは大海が風と潮によって押し流されて波を生み出すのによく似ている。このような心の活動は心の本質を覆い隠してしまう。しかし、大海と同じように、心は静まることができる。心は、落ち着いて、穏やかに、静寂の中で、目覚めていることができる。心がそのような状態になると、その人は心の本質的な真実、すなわち純粋な意識を体験する。この内なる領域は、想念や感情を、そして空間と時間さえも、超えたところにある。

超越瞑想(TM瞑想)を実践すれば、皆さんは、簡単に、努力しなくても、この体験をすることができる。心が内側に向かって活動を静めるにつれて、皆さんはどんどん目覚めていく。それと同時に体には深い休息がもたらされる。「安らぎに満たされると同時に鋭敏になる」という独特な状態を体験する。それは内なる静寂、平和、自由の状態である。

この状態は、ふだん体験している目覚め、夢、眠りの状態とは別のものだ。実は、それは四番目の意識状態なのである。マハリシはそれを「超越意識」と呼んでいる。

心と体はあらゆる面でこの状態から恩恵を受ける。脳の機能は統合され、体のストレスと疲労は解消され、生理全体の自己修復と若返りが促進される。超越瞑想によってこの状態を一日二回体験していると驚くほどの恩恵がもたらされる。すなわち、創造性と知能が向上し、健康が増進し、人格の発達がよりいっそう促され、人間関係が改善され、さらには環境にさえも平和的な影響が増してくる。

偉大な詩は数百年の歳月を経た後にも残る。なぜなら、それらの詩は、永遠の真実であるもの、時代を超えた有意義なものを伝えているからだ。ルーミーはそのような詩人なのである。彼は優雅な言語表現を通して単純だが深遠な体験を人々に伝えた。そして今、それを思い描くだけでなく、実際に誰もが体験することができるのである。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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