https://www.engakuji.or.jp/blog/29253/ 【けさ秋や見入る鏡に親の顔】より
俳人・村上鬼城の俳句に「けさ秋や 見入る鏡に 親の顔」というものがあります。じっと、鏡の中の自分の顔を見ていると、そこに親の面影があるという意味の俳句です。
親だけではありません、自分の顔の中には自分が会ったことのないご先祖様の姿、面影も偲ぶことができるのです。先日、法要の為に檀家さんのお宅に訪問して、その家の居間にかけてあるご先祖の遺影写真を眺めていると今の当主にそっくりだということに気が付きました。
私の顔、私の顔と思っていても、この顔は、決して自分で拵えたものではありません。これは、ご先祖様から永永と伝えられてきたいのちの結晶であります。
「盆参り いのちのリレーに 手を合わす」という俳句があります。お盆の時期にお墓参りをして、ご先祖様からいのちのバトンを受け継いで今日まで繋がっている、このリレーに手を合わすということを詠っています。
松原泰道先生が100歳の誕生日を迎えられた朝、ある若い出版社の方が取材で先生に質問をしました。「100歳を迎えられて、まず、何を思いますか?」先生は即座に「母のことです」とお答えになりました。そして「自分は3歳の時に母を亡くしました。自分はもともと体が弱かったが、特別、何か健康法をしてきた訳ではありません。こんな自分が100歳という長生きができたということは若くして亡くなった母が自分の寿命を私にくれたんだと思っているんです。だから、100歳を迎えた朝、真っ先に思ったことは、母に有り難うということでした」と話されました。
このいのちのリレーというのは、親ばかりではなく、私たちが直接知らない、親のまた親、またその親と限りなく代々、受け継いできたことです。その素晴らしいいのちが今ここにこうして生きて働いているわけです。
親のまた親とずっと遡っていけば、もうはかり知れない、もう言葉で表すことも姿形で表現することもできないもので、それを大いなるいのち、仏様のいのち、仏そのものという言い方をするのです。
そのような見方をしてみると、私たちが今生きているこのいのちは親を通していただいた仏様のいのちであります。私たちの顔を鏡に映してみれは、親の面影ばかりではなく、それこそ
ご先祖様もあり、もっと大事なことは、仏様の顔や面影も本当はそこに表れているはずです。
Facebook相田 公弘さん投稿記事 相田一人によるみつをの書の解説です。
「ひぐらしの声」
ああ 今年も ひぐらしが鳴き出した ひぐらしの声は 若くして戦争で死んだ ふたりのあんちゃんの声だ そして 二人のあんちゃんの名を 死ぬまで呼びつづけていた 悲しい母の声だ そしてまた 二人のあんちゃんのことには ひとこともふれず だまって死んでいった さびしい父の声だ ああ今年も ひぐらしが鳴き出した みつを
相田一人
父・相田みつをはよく「いのちの詩人」と言われますが、その原点は二人の兄の戦死です。
「戦争」という作品があります。
「どんなに理屈をつけても戦争はいやだな 肉親二人わたしは戦争で失っているから」というもので、父の作品には珍しくストレートに感情を露わにしています。
父は6人兄弟の3番目で、長兄次兄は相次いで戦死しました。
著書「いちずに一本道いちずに一ツ事」で「兄の戦死」という章をもうけています。
昭和16年8月31日、次兄の戦死の報せが届きました。
あんなに頼りにしていた次兄はもうこの世にいない、それは大きな衝撃でした。
あの時から父は生、死、命とは何か、自分はどう生きればいいのか真剣に考えるようになったそうです。
みつをの母は、名誉の戦死だからと昼間は気丈に振る舞いましたが、夜、家族だけになると祭壇の写真に向かって泣き叫びました。
戦争がいかに残された家族に影響を及ぼすか、父は体験しているからよくわかるのです。
後日届いた戦友からの手紙によると、朦朧とする意識の中で次兄が残した最期の言葉は
「戦争というものは人間がつくる最大の罪悪だな」でした。
この言葉がいのちの詩人を誕生させたのです。
作品「ひぐらし」は、子どもの死に悲しむ両親のことを詠ったものです。
みつをの父は嘆き悲しむ母とは対照的に、息子たちの死について何も語らずに死んでいきました。この詩はわが子に先立たれた男親の父の思いをみつをが代わりに綴ったものです。
いのちをテーマにしたたくさんの作品を残し、父は67歳で亡くなりました。
「自分の番~いのちのバトン」はその集大成です。
https://motivation-up.com/word/039_1.html 【いのちのバトン】より
「過去無量の いのちのバトンを 受けついで いま ここに 自分の番を生きている」
相田みつを(詩人・書家)
(1924年5月20日-1991年12月17日)「人間だもの」の言葉で有名。人間に関するシンプルで温かみのある詩を独自の書体で書いた作品で知られる。「書」と「詩」の高次元での融合を目指し、人々の心に響く作風を確立。1984年、初詩集『にんげんだもの』がミリオンセラーとなって相田ブームが起こる。ただし、この時すでに相田みつを60歳。しかも、長年の苦労が報われたその矢先に転倒し足を骨折、さらに脳内出血を起こして1991年12月17日に足利市内の病院で急逝。享年67歳。
これは、「自分の番 いのちのバトン(相田みつを)」という詩の一節です。
慌ただしい日常の中で忙しく生きていると、私たちはつい自分という存在を切り離された「個」として認識してしまいがちです。
「頑張らねば」と前ばかり向いているせいでしょうか。 しかし、そうして頑張っていると、ふとした時に自分という存在を見失ってしまうことがあります。
「自分はいったい何者なんだろうか?」 ──
そんな風に、自分の存在の根っこの部分をどこかに忘れてしまうのです。
そんなとき、この言葉を思い出すと、何か大切なつながりを取り戻せる気がします。 切り離された「個」としての自分ではなく、根っこでつながっている自分のいのちというものを思い出せる気がします。
自分のいのちは、父と母、そしてその先の数えきれない人たちからの、いのちのバトンを受け継いでいる……。
時空を超えて、そのバトンを感じてみると、私という存在に再びいのちが吹き込まれる気がします。 体中を温かい血が流れているのを感じることができます。
「過去無量の いのちのバトンを 受けついで いま ここに 自分の番を生きている」
そして、この詩は次の言葉で終わります。
「それが あなたのいのちです それが わたしのいのちです」
https://gakuen.koka.ac.jp/archives/655 【過去無量の いのちのバトンを 受けついで
いま ここに 自分の番を生きている (相田 みつを)】より
このことばは、詩人であり、書家でもあります相田みつをさんの「自分の番 いのちのバトン」の詩の一節にあることばです。相田みつをさんの詩は、かけがえのない尊いいのちについて、慈愛に満ちたあたたかくてやさしいことばで私達に語りかけてくれます。
私達のいのちは、これまでに父と母で二人、父と母の両親で四人、そのまた両親で八人、十代前で千二十四人、二十代前(五・六百年前)では百万人、そのはるか前から、過去無量のいのちが受けつがれてきたいのちであると詠まれています。
数えきれない連綿と続くいのちのバトンが受けつがれてきたおかげで、今の自分のいのちがあるのです。その中のたったひとりでも欠けていれば今の自分は存在し得なかったのです。このことは、とても不思議なことであり、有り難いことであり、また、奇跡であるともいえます。そして、自分のいのちの尊さを実感できたならば、同時に他者のいのちも自分とまったく同じくかけがえのない尊重すべきいのちであるということに気付くことができます。更には、それらすべてのいのちが、互いに深く関わり合い、支え合い、つながり合っていることがわかります。
最近のニュースや報道を見ていますと、自分のいのち、あるいは他者のいのちを軽視して粗末に扱われているような心が痛む悲しい出来事が多くあります。私達は、あらためてこのいのちの尊さについて、一人ひとりが考え直さなければならないと思います。
私達を支えているものの中には、自然環境があります。これもいのちと言えます。このいのちは、現代に生きるものだけの所有物ではありません。過去から受け継がれてきたものであり、次の世代へ引き継いでいかなければならないものでもあります。環境問題もいのちという観点からあらためて問い直さなければなりません。
私達は、永遠のいのちともいうべき仏教の教えをいただいています。この仏教が教えるところの理念、智慧、方法をもってこれらいのちの問題を解決していくことができるのだと確信します。
相田みつをさんは、真実の教えを通して、あらゆる事象におけるいのちの本質について、慈悲の眼差しをもって見つづけていかれたのではないでしょうか。 (宗)
0コメント