https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crudem/190731/ 【生薬ものしり事典84 夕闇で優雅に咲く花「ユウガオ」】より
利尿や歯痛などに利用された生薬
8月の前半は真夏の太陽が容赦なく照りつけ、日中は暑さのために木々の緑も弱々しく見えます。しかし、夕暮れが迫って辺りが薄暗くなってくると、大形の白いユウガオの花が目立つようになります。淡く澄んだ香りを漂わせ、夕闇にほんのり浮かぶ姿はとても優雅です。
中河興一の小説『天の夕顔』の最後に、ユウガオが好きだった亡き恋人を思って夜空に花火を打ち上げる場面があります。 花火が消える時、天にいるその人がユウガオを摘み取ったと思い、自らの喜びとするのが印象的です。
ユウガオ
ユウガオはアフリカまたは熱帯アジア原産のウリ科の蔓性一年生植物です。葉、蔓、果のいずれも軟毛が生えており、夏の夕方、葉腋に直径5~10cmほどの大形の白色合弁花を開花させます。しかし、翌日午前中にはしぼんでしまう、はかない命の花です。
その花の美しさから、観賞用の園芸種が生まれています。よく混同される類似植物に、ユウガオの変種である瓢箪(ひょうたん)と瓢(ふくべ)があります。いずれも花の色が白で夕方に開花しますが、果実の形がユウガオは長細く、瓢箪はくびれがあり、瓢はやや平たい球形です。また、干瓢(かんぴょう)の材料にするのはユウガオと瓢で、瓢箪は使用できません。
ユウガオの名の付く植物の歴史を調べると、古代エジプトや紀元前の中国、ローマ時代にその名が使われていました。もっぱら瓶や容器に利用する栽培種だったことから、瓢箪か瓢の可能性が考えられます。
日本に渡来した時期については、『日本書紀』(720年)に瓢箪としての記録があります。『延喜式』(927年)には大和の産物に容器として登場しており、いずれも現在の食用のユウガオと違うようです。
ユウガオの花を観賞用に楽しむのは日本だけで、1000年頃からユウガオを観賞するようになったようです。その代表が『源氏物語』(1001年頃)で、「夕顔の巻」では薄幸の女性にユウガオの花を重ね合わせた様子が描かれました。また、『枕草子』(1001~1004年頃)でも取り上げられています。江戸時代には、花の観賞を兼ねて夕顔棚の下で涼をとるのが盛んになり、絵画や詩歌の題材にされるようになりました。
心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花 紫 式部
夕顔は 煮て食ぶるに すがすがし 口に噛めども 味さえもなし 島木 赤彦
夕顔の 花で洟(はな)かむ おばばかな 小林 一茶
日本名のユウガオは、夕方に花咲くことから名づけられ、「夕顔」と書くことが多いです。漢名は「壺蘆」ですが、「扁蒲」を使うこともあります。別名に「乾瓢」「瓢」「夜顔」「黄昏草」などがあり、名前の由来は用法や花の咲く時間帯です。学名のAgenaria leucanthaですが、属名はその果形から瓶の意で、種小名は花の姿と果実の形態から白い花という意味です。
薬用としては、果実を利尿や清熱(せいねつ)、止渇(しかつ)などに、種子は歯痛に用います。
食用としては、そのまま料理に使ったり、細かく切って乾燥し、干瓢を作ったりします。
花言葉は「はかない恋」「夜の思い出」「魅惑の人」です。
Facebook矢加部 幸彦さん投稿記事
何故、花が咲くのですか。。何故、貴方の身体は動いているのですか。。花が咲く・・・身体が機能して生きている・・・そうさせているのは何なのでしょう。。それを玄気といい、大霊といい、生成化育の根元力というのです。
摩訶不思議の中で、自然と畏み、頭が下がります。。
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「我は咲くなり」
他者評価と自己評価のお話しです。
他人にどう見られているか、他人からどう評価されているかは、いつも気になることです。
ほめられればうれしいし、けなされれば哀しい。
嫌われれば悲観し、好かれていれば心は安らかです。
尊敬されれば生きる勇気が与えられ、反対に軽蔑されたり、無視されれば、生きる自信まで失ってしまう。それが人間なのです。
しかし、他人の評価とは別に、「自分」が存在することも忘れてはなりません。
他人の評価には、たしかに的確なものもあり、それに謙虚に耳を傾けることも重要です。
しかし、他人の評価がすべてではないことも知るべきです。
他人も不完全な人間だからです。
「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」 (武者小路実篤)
「幸せはあなたの心が決める」 渡辺和子 著 PHPより
坂村真民さんの詩に、「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる」
というものがあります。
坂本龍馬さんは、「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」
と言いました。他人の評価は大事です。しかし、それに囚われすぎて自信をなくしてはいけません。
あなたという存在は、この世でたったひとりのあなたなのです。代わりはいません。
他人の評価に振りまわされて、自分の花を、精一杯咲かすことを忘れてはなりません。
我は咲くなり! ※魂が震える話より
Facebook清水 友邦さん投稿記事
「今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?」スティーブ・ジョブズ
2022年10月5日はアップルを創業したスティーブ・ジョブズ11年目の命日になります。
2005年にスティーブ・ジョブスはスタンフォード大学の卒業式で有名な伝説のスピーチをしました。
「君たちの時間は限られている。 その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない」スティーブ・ジョブズ
http://www.youtube.com/watch?v=DE8HrWmnLwA
若い頃のスティーブ・ジョブズはフラワー・チルドレンでした。
1967年10月21日アメリカ国防総省前の反戦デモで州兵が突きつけたM14ライフルの銃口に1本ずつ一人の青年が花をさしました。
この写真が「フラワー・チルドレン」の語源になりました。
フラワー・チルドレンは「武器を花に」を合言葉に愛と平和の象徴として花模様の服をきて伝統・制度などの既成の価値観から自由になることを求めて、非暴力の反戦運動を行いました。
1960年代のアメリカは、社会変革を求める公民権運動、ベトナム反戦運動などの反体制的な政治運動とともに、ニューエイジ、ニューサイエンス、トランスパーソナル、スピリチュアリティなどと呼ばれる新しい知の潮流が、起きた時代でした。
サイケデリック集団メアリープランクターズのメンバーだったスチュアート・ブランドは、「ホールアースカタログWhole Earth Catalogue」を、1968年~1972年まで発行して、アメリカの若者に多大なる影響を及ぼしました。
感激した若者の一人ステーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチの最後で、熱狂して読んだ伝説の雑誌ホールアースカタログの言葉「ハングリーであれ。愚か者であれStay hungry. Stay foolish」で、締めくくっています。
対抗文化(カウンターカルチャー)ヒッピー運動(フラワームーブメント)は、アメリカ人の価値観とライフスタイルの転換を生み出しました。
それまで外側の地位や名誉や経済的な成功にあったアメリカ人の価値観が、内面の自己実現、自己成就とする主観的なものに移っていったのです。
サイケデリック・ドラッグを試したスティーブ・ジョブズは自己変容や高次の意識に興味をもちクリヤヨガのヨガナンダの本とラムダスの『ビー・ヒア・ナウ』を何度も読み、インドを旅しました。
Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグは心が不安定だったころに、ジョブズに相談した所インドの「ナイニタールのババ(neem karoli baba )のアシュラムに行け」と言われています。
大勢の若者がサイケデリックを試し、インドの神秘家や先住民のシャーマンのところへ旅し、ヨガ、瞑想、チベット密教や禅の修行に励み、サイコセラピーやワークショップに突き進みました。
禅に傾倒したジョブズは、寿司と蕎麦が好きで、京都に何度も足を運び、ジョブズの結婚式は禅の老師が執り行いました。
どん底で結婚したジョブズ
https://news.yahoo.co.jp/.../enomotomikiro/20211119-00268114
アップルは、ジョブズが去った後一時死にかけましたが、復帰すると彼は、年俸1ドルで働きアップルの企業価値を世界一にしました。
「ほとんどの人が自宅用にコンピュータを購入するとしたら、その理由として最も説得力があるのは、全国的な通信ネットワークにリンクできることだ」スティーブ・ジョブズ
スティーブ・ジョブズが残した情報ネットワークが、網の目の様に繋がっています。
ネットワークが全地球規模であらゆる人々を結んで、自由に情報を交換し始めると、脳の神経細胞に似てきます。
左脳の働きの西洋と右脳の働きの東洋が有機的に統合されると、超高性能の地球生命コンピュータ、グローバル・ブレイン・地球意識が目覚めます。
宇宙空間にでた宇宙飛行士は次のように語っています。
「あらゆる時代のあらゆる人間たちが、なにか目に見えない網の目によって結びついているという、一種の結合感を感じた。人々の意思や思考を、そして、生命の有無にかかわらず、あらゆる時代のすべての物質を結びつける、巨大な場が存在している」エドガー・ミッチェル
「人間の体の中には何十兆という細胞があって、その細胞核が地球が始まってから今までの事をみんな覚えていて、その歴史を記憶している。それが生命力なんだ。」宮沢賢治
私たちが他人の意見に盲目的に従う単なるプログラミングではなく自由にプログラムを作り変更できるプログラマーであることを思い出すと惑星意識が目覚めます。
自我に囚われた意識を解放させると、人はすでに死と生を超えた存在だということに気がつきます。肉体が滅び去るのは誰もが同じです。死から逃れるすべはありません。誰もが死につつあるのです。生と死の現実は今ここにあります。
世界との一体感を実感すると、自然に敬意を持つようになり、人と動物、植物は同じ母なる大地に属する兄弟姉妹となります。
他者に対する攻撃性が低下し、性別、人種、考えの違いを敵としてではなく、同じ地球市民として理解し合うようになります。
全ては神聖で繋がっているという新しい惑星意識を持った人々が増えています。
人類の意識は自己中心的な意識の段階から家族、社会、民族、国家という自分が属する集団意識の段階を統合して地球意識の段階まで成長して来ました。
押し寄せてくる大きなゆらぎを乗り越えて、これから成熟した社会がこの地球に誕生しようとしています。
スティーブ・ジョブズはジョン・レノンのファンでした。
『僕のことを夢想家だと言うかもしれないでも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって そして世界はきっとひとつになるんだ』イマジン
地球に住む全ての生き物はすでにその仲間です。
あとは私たち人間が頭の中の妄想に気づくだけです。
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