視覚刺激を極度に減らす

瞑想体験~暗闇の瞑想~               

ある人の話に刺激され 暗闇の瞑想をしてみたくなりました。第三道場は窓もなく 燈明も灯されてなく 暗闇そのものです。朝のお掃除の後 5分くらいの積りで中に入って見ました。黴臭い臭いがつんと鼻をつき すぐに消えました。

最初はエアコンの指示ランプのみが 見えていましたが あたりにプラウナが 見え始めました。時計の時を刻む音が 異常に耳に付き  煩わしい感じになりました。身体はリラックスし 眼を閉じると 瞼の裏に 安らかな紫光が広がり続けました。

そのうち 後ろから光がさしているのに気付き 畳や自分の足が見えました。振り向くと指示ランプが2つ、こうこうとついていました。みぞれの降る朝でしたので 少し寒くなり、 その日の予定も気になり 外に出ると 30分の時が経過していました。

 私たちの脳への刺激は 日常的には 視覚から入るものが 圧倒的に多いと言われます。

視覚刺激を極度に減らすと 視覚、聴覚が敏感になるとともに 脳波が下がり 身体はリラックスし時の感覚までなくなったということでしょうか?

無刺激の体験をしてみたくなりました。しかし無刺激とは何でしょう?

母の胎に遊ぶということでしょうか?

ある人が お風呂にお酒とお酢とお塩を入れて入浴すると 浄化ができると教えてくれました。もしかしたら 羊水に近いものができるのかと連想してしまいました。

 幸か不幸か 風呂には窓がない故 今晩無刺激の実験をしてみたいです。

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お風呂の実験結果は ただのお風呂でした。お水に浮かぶとリラックスするというのに 不思議でたまりません。

道場の真っ暗闇で 雪の降る朝 暖房なしの  実験が 超リラックス体験になり 身体の感覚もなくなりトランス状態になったのに 、、、、、!!

わざわざ内緒の料理酒を 買いに出かけての実験でした??わざわざ超高価な竹塩を入れたのですよ。羊水もどきに浮かぶのかな?と期待したのに 当て外れでした。

イスラエル旅行の時 死海に浮かんだことがあるのですがその後の身体の心地よさは抜群でした。そんな満ち足りた思いもできませんでした。

これから何を学べというのでしょうね?

ある人に以下のように尋ねました。「暗闇の瞑想の実験をしました。漆黒の道場での体験は至福の心地よさになったのに お風呂での暗闇体験が唯のお風呂の実感しかなかったことが解りません。」

返事は 「 そういった実践は、一時的な宗教体験をもたらす場合もありますが、 逆に妄想的な体験が生じて、良くない人もいるでしょう。ですから  いずれの場合にせよ、重要なのは、日常生活でいかに  健全な精神で生きるかだと思っています。」

違いについての回答はないままです。

人によって体験内容が違うから返事のしようがないという意味でしょうか?

それでも不思議な思いに引っかかり続けます。

道場とお風呂の違いは???

お風呂の方は「お風呂に入る」という目的がありました。寒い冬の日なので 手探りで とにかく浴槽に入る必要があります。

ぬるま湯を温めるために お湯の蛇口を手探りで探しました。

ということは 丁度ブラインドウォークのように 「自分の身の安全を 保つために エネルギーを外に向けなければならなかった。」ということになるのでしょうか?

現実適応を司る顕在意識に エネルギーが傾いたということなのでしょうか?

顕在意識に傾けば 全てとの一体感を失い 安全で安心、そしてくつろいだリラックスを失うことを示すのでしょうか?

両脳が目覚めているとは 覚醒シーター波になっている状態を言うのでしょうか?

皆様試して メッセージを頂けないでしょうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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