ヒフミ祝詞の意味

https://ameblo.jp/kanekokazu/entry-11358386401.html 【ヒフミ祝詞の意味 ~ ペトログラフ・ハンドブック(吉田信啓)より。】より

予期しない大発見・ヒフミ石板祝詞の解釈

$自分に還る。

幣立神宮(阿蘇でもっとも古いお宮)

http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/soyo/kanko/heitatejingu/heitatejingu.html

の「見たら目がつぶれる」というご神体の岩石から発見された古代の文字を、

著者は平成6年1月12日、突然の天啓によって解読したそうです。

   ひふみよいむなやこともち  ろらねしきるゆゐつわぬそ

   をたはくめかうおえにさり  へてのますあせゑほれけ

ひふみよいむなやこともちろ 「一二三四五六七八九十百千万」

らね しき 「蘭(ラネ=真麻蘭マオラン=ヘンプの原料の葉)を 敷き(栽培し)

る ゆゐ 「縷(ル=細い糸) 結い」

つわぬ そ を 「強ぬ(ツワヌ=強い)襲(ソ=兵士)を」

た はくめ 「多(タ=大勢) 育め(ハクメ)」

かう お えにさり 「交(カ)う悪(オ) 恵方(エ=その方角)に去り」

へて の ます あせ 「辺天(ヘテ=神)の 枡(マス) 畦(アセ=田んぼ)」

ゑ ほれ け 「ゑ(エ=しっかり)掘れ(耕せ) け(ということぞ!)」

≪口語訳≫

一二三四五六七八九十百千万と、糸の原料となる真麻蘭(マオラン)を採取し

それから取った、縷(ル=細い糸)を紡ぎ衣料を整え、強い兵士を大勢、育成せよ。

そうすれば交戦してくる悪い部族の敵は、彼らの方角へ退散する。

神さまがくださった広大な枡畔(田畑)を心して、しっかり耕作せよということじゃ。

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古代の日本人は、「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐ・・・」と

一度も同じ文字を繰り返すことなく、見事な教えの祝詞で記憶していたのである。

つまり「色は匂えと 散りぬるを わが世 誰ぞ 常ならむ」という

和歌での記憶方法以前に、見事な生活の知恵と教えを含んだ言葉で、文字と音を

記憶していたことが、この日文の解釈でわかる。それは神代以来の言葉なのだ。

そして、日本には漢字到来以前に、独自の文字があったのだ!

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先日見たテレビで、インカの末裔の人々がコカの葉で占いをしたり

おまじないの道具につかったりしているのを見ました。

麻も同様に古代から神が与えてくださった植物で、日本人は神事にもちいたり

衣服や食用にしたり、大切に使ってきたんですよね。。


https://ameblo.jp/navihico-8/entry-12658966442.html 【出雲国の八重垣めぐり㊴ ~大祓詞~】より

6月末と12月末の 大祓(おおはらい)神事でとなえられる祝詞を大祓詞(おおはらえのことば)というそうです。

およそ、1100年前にまとめられた『延喜式(えんぎしき)』にある『六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらえ)』が、いまに伝わるようです。

さまざまな解釈や派生のある大祓詞ですがここでは、いつものようにホツマツタヱからみてみたいとおもいます。

どうやら、ここには出雲の歴史が語られているようでした。

『大祓詞(中臣祓詞)』

高天原爾神留坐(たかまのはらにかむづまります)朝廷にいらしゃいます

皇親神漏伎神漏美乃(すめむつかむろぎかむろみの)両神・イサナギとイサナミの

命以弖(みこともちて) 勅命によって 八百萬神達乎(やほよろづのかみたちを)

おおくの諸大臣たちを 神集集賜比(かむつどへにつどへたまひ)よびあつめて

神議議賜弖(かむはかりにはかりたまひて) 議会をひらくと 我皇孫命波(あがすめみまのみことは)生まれいでた御子・天照大神を日継として豊葦原乃水穂之國乎(とよあしはらのみづほのくにを)中央政府がある瑞穂の豊かなこの国を安國止(やすくにと)心安き国として「ヤスクニ」とあらため富士山麓のヤスクニ宮で皇位を継ぐことを平久所知食止(たひらけくしろしめせと)世にひろく伝えるようにと事依志奉伎(ことよさしまつりき)おっしゃったのでした。

如此寄志奉志國中爾(かくよさしまつりしくぬちに)こうして治まった諸国のなかに

荒振神等乎波(あらぶるかみどもをば)乱れた国守(くにかみ・役人)がいたので

神問志爾問志賜(かむとはしにとはしたまひ)朝廷にて聴収をおこない

神掃掃賜比弖(かむはらひにはらひたまひて)流離(さすらい)刑として

語問志(こととひし)裁きました。

磐根樹立草之垣葉乎毛(いわねきねたちくさのかきはをも)

岩・樹・草などの魂(霊)にいたるまで ★注釈1

語止弖(ことやめて)しずかに治まったので天之磐座放(あめのいわくらはなち)ヤスクニ宮(玉座)をでて 天之八重雲乎(あめのやへぐもを)天村雲命(あめのむらくも)など

諸大臣を日夜見(ひよみ)として伊豆乃千別爾千別弖(いづのちわきにちわきて)伊勢の地をひらいて天降依志奉支(あまくだしよさしまつりき)住まわれました。

如此依左志奉志(かくよさしまつりし)こうして、伊勢から政治をとるようになると

四方之國中登(よものくになかと)九州・四国・中国・北陸地方と大倭日高見之國乎(おほやまとひたかみのくにを)近畿・東北地方を安國止定奉弖(やすくにとさだめまつりて)

中央政府のもとに治めて下津磐根爾(したついはねに)土台をしっかり築いたうえに

宮柱太敷立(みやばしらふとしきたて)太い柱を立てて宮を築くように高天原爾(たかまのはらに)朝廷の治世は千木高知弖(ちぎたかしりて)高い屋根が遠くまでみえるようにひろく知れ渡りました。

皇御孫之命乃(すめみまのみことの)しかし、天照大神の美頭乃御舎仕奉弖(みづのみあらかつかえまつりて)すばらしい宮につかえた天之御蔭(あめのみかげ)天照大神の正后・

瀬織津姫(せおりつひめ)と日之御蔭止(ひのみかげと)天照大神の后・速秋津姫(あきつひめ) ★注釈2 によって 陰坐弖(かくりまして)隠れてしまったものもあったようです。

安國止平氣久所知食武(やすくにとたひらけくしろしめさむ)心安い国とおだやかに治まっていたその國乃中爾成出武(くにちになりいでむ)国のなかにあらわれた天之益人等我(あめのますひとらが)天忍日命(あめおしひ)という根国の益人(長官)らが過犯家牟(あやまちおかしけむ)過ちをおかしました。

雑々罪事波(くさぐさのつみごとは)その罪というのは天津罪止(あまつつみと) 朝廷(身内)の罪でいうと畔放(あはなち) 田の畔(あせ)を壊して作物を枯らす罪 溝埋(みぞうめ) 田の溝(みぞ)を埋めて作物を枯らす罪 樋放(ひはなち)田の樋(とい)を壊して作物を枯らす罪 頻蒔(しきまき)田に種を二度蒔きして作物を枯らす罪 串刺(くしさし)田の串(柵)をずらして田と田の境をみだす罪 生剥(いけはぎ)生かしたまま他人の財産を脅しとる罪 逆剥(さかはぎ)身ぐるみをはいで他人の財産をうばう罪 屎戸(くそへ)田の肥やしを田以外にまく罪 

許々太久乃罪乎(ここだくのつみを)これらたくさんの罪を

天津罪止法別氣弖(あまつつみとのりわけて)朝廷の罪(民事)として法のもとに裁き、

國津罪登八(くにつつみと)諸国の罪とは 生膚斷(いきはだたち) 殺人の罪

死膚斷(しにはだたち)強盗殺人の罪 白人(しらひと)シラヒトの犯した罪

胡久美(こくみ)コクミの犯した罪であり、それというのは

己母犯罪(おのがははをかすつみ)実母への相姦罪 己子犯罪(おのがこをかすつみ)

実子への相姦罪 母子犯罪(ははとことをかすつみ)妻の連れ子を犯す罪

子母犯罪(ことははとをかすつみ)妻の母を犯す罪 畜犯罪(けものをかすつみ)

獣の肉を食べる罪 獣と交わる罪(ヰツナミチ) 昆虫乃災(はふむしのわざはひ)

稲虫(いなむし)の害をまねく外患罪(キクミチ) 高津神乃災(たかつかみのわざはひ)

朝廷につかみかかるハタレ(反乱軍)を蜂起した罪 (アメヱノミチ・天狗・雷)

高津鳥乃災(たかつとりのわざはひ)

政権をとろうとするハタレ(反乱軍)を蜂起した罪(ハルナハハミチ・鳥害)

畜仆志蟲物為罪(けものたふしまじものせるつみ)

家畜をころしてひとを呪う罪(シムミチ・イソラミチ)

許々太久乃罪出武(ここだくのつみいでむ)これらたくさんの罪(刑事)があったといいます。

如此出波(かくいでば)このようなことが起こったので天津宮事以弖(あまつみやごともちて)朝廷での審議をもって大中臣(おほなかとみ)諸大臣らが天津金木乎(あまつかなぎを)采配をふるって本打切(もとうちきり)判決をとりきめ末打斷弖(すゑうちたちて)

刑を執行しました。

千座置座爾(ちくらのおきくらに)そんなか、ソサノヲは1000座もの罪があり

置足波志弖(おきたらはして)死罪で足りないぶんは天津菅麻乎(あまつすがそを)

菅でつくった蓑笠をきる流離(さすらい)の身に落とされて本苅斷(もとかりたち)

髪をすべて抜かれ末苅切弖(すえかりきりて)爪をすべて剥がれ、いよいよ処刑されるかというそのときに八針爾取辟弖(やはりにとりさきて)恩情により減刑されたのは天津祝詞乃

(あまつのりとの)瀬織津姫の詞によるのです。

太祝詞事乎(ふとのりとごとを)この素晴らしい詞の宣禮(のれ)恩情をたたえましょう。

如此宣羅波(かくのらば)こうして、ソサノヲが朝廷を追放されたのち天津神波(あまつかみは)朝廷の諸大臣は天磐門乎押披弖(あめのいはとをおしひらきて)天照大神がこもられた岩戸をおしひらいて世に光をとりもどしたように天八重雲乎(あめのやへぐもを)わきあがった曲者を伊豆乃千別爾千別弖(いづのちわきにちわきて)天照大神の威光をもって

道々に討ち払い所聞食武(きこしめさむ)天照大神の治世をひろめていった。

國津神波(くにつかみは)地方の国守は高山末(たかやまのすえ)高い山のいただき

短山之末爾(ひきやまのすえに)低い山のいただきにいたるまで登坐弖(のぼりまして)

すべてのぼって高山伊恵理(たかやまのいほり)高い山に暮らす庵(仮屋)のひとびとや

短山伊恵理乎(ひきやまのいほりを)低い山に暮らす庵(仮屋)のひとびとにいたるまで

掻別弖所聞食武(かきわけてきこしめさむ)訪ねまわって不満(罪)はないかと話を聞いた。

如此所聞食弖波(かくきこしめしてば)こうして訪ねまわったので皇御孫之命乃(すめみまのみことの)天照大神の朝廷乎始弖(みかどをはじめて)朝廷をはじめ天下四方國爾波

(あめのしたよものくにぐにには)天下の諸国から罪止云布罪波不在止(つみといふつみはあらじと)罪という罪はなくなった

科戸之風乃(しなとのかぜの)それは、シナトベのおこす風のように天八重雲乎(あめのやへぐもを)不穏なおもたい雲(隈)を吹掃事之如久(ふきはなつことのごとく)吹き払うようだった。

朝之御霧夕之御霧乎(あしたのみぎりゆうべのみぎりを)明方や夕方の霧(憂鬱)を

朝風夕風乃(あさかぜゆふかぜの)朝の風や夕の風が吹掃事如久(ふきはらふことのごとく)吹き払うようだった。

大津邊爾居大船乎(おほつべにをるおほぶねを)おおきな港に停泊するおおきな(おもたい)舟の舳綱解放(へときはなち)舳(船首)の綱をとき艫綱解放弖(ともときはなちて)

艫(船尾)の綱をとくと大海原爾押放事如久(おほうなばらにおしはなつことのごとく)

波風によって大海原に放たれていくようだった。

彼方之繁木本乎(をちかたのしげきがもとを)みわたすかぎりの木々を

燒鎌乃敏鎌以弖(やきがまのとがまもちて)焼き入れをした鋭い鎌で打掃事如久

(うちはらうことのごとく)なぎはらうように(クサナギ)遺禮罪波不在止(のこるつみはあらじと)のこる罪(悔)はまったくないほどに祓給比清給事乎(はらひたまひきよめたまふことを)はらい清めてくださることはまるで、高山乃末(たかやまのすゑ)高い山のいただき短山末與利(ひきやまのすゑより)低い山のいただきより佐久那谷爾落多支都(さくなだりにおちたきつ)滝のようになだれ速い川の瀬(せ)に落ちた天照大神が速川能瀬坐須

(はやかはのせにます)階段を背(せ)から堕ちるほど見とれてしまったという正后・

瀬織津比咩止云神(せおりつひめといふかみ)セオリツヒメ・ホノコが大海原爾持出奈牟

(おほうなばらにもちいでなむ)おおきな罪であっても山のうえから滝のいきおいをもって

大海原に解き放ってしまうようだった。

そして、瀬織津姫はそのとおりマス姫モチコの罪をはらうべく大海原(おほわだのはら・九州)へモチ姫を出航させられたのだ。

如此持出往波(かくもちいでいなば)こうして追放されたモチコは荒鹽之鹽乃(あらしほのしほの)あらい潮にもまれて八百道乃八鹽道之(やほぢのやしほぢの)いくつもの潮路をたどり九州からのがれたというのは鹽乃八百會爾坐須(しほのやほあひにます)シホノヤホアイコ(潮八百会子)という称え名もあり海の情報にもくわしく天照大神ともたびたび顔を合わせる速開都比咩止云神(はやあきつひめといふかみ)ハヤアキツ姫アキコから持加々呑弖牟(もちかかのみてむ)モチコのその後の顛末が知らされることとなった。★注釈3

如此可々呑弖波(かくかかのみてば)顛末(カカンノンテン・起承転)を天照大神が知ったことで氣吹戸坐須(いぶきどにます)血気盛んな息吹をあげる氣吹戸主止云神(いぶきどぬしといふかみ)イブキドヌシが根國底之國爾(ねのくにそこのくにに)根国のサホコチタル国に攻め込んで氣吹放弖牟(いぶきはなちてむ)武力をふるった此氣吹放弖波(かくいぶきはなちては)こうして武力をふるったので根國底之國爾(ねくにそこのくににます)根国のサホコチタル国で流離(さすらい)の身となっていた速佐須良比咩登云神(はやさすらひめといふかみ)コマス姫ハヤコは持佐須良比失弖牟(もちさすらひうしなひてむ)姉である

マス姫・モチコ(モチサスラ姫)を失った

如此久失弖波(かくうしなひてば)こうして失ったので自今日始弖(けふよりはじめて)

いまからのちは罪止云布罪波不在止(つみといふつみはあらじと)つみという罪はすべてなくなり祓給比清給事乎(はらひたまひきよめたまふことを)祓い清めくださいませと申し上げることを

天津神国津神(あまつかみくにつかみ)朝廷の諸大臣・地方の国守八百萬神等共爾(やほよろずのかみたちともに)おおくの守々とともに聞食申須(きこしめせとまほす)

お聞きくださいますよう申し上げます。

★注釈1

『磐根樹立草之垣葉』を「はねきね たちくさの かきは」とすると、

ハナキネ(ソサノヲ)は曲者(くせもの・くさ)を断ち堅磐(かきわ)をきずいたともなりそうです。

★注釈2

ホツマツタヱには『みゆきなる てくるまのうち せおりつめ あめのみかけに あきつめは ひのみかけさす いふきぬし くまのくすひと まてにあり』とあり、

天照大神はハルナハハミチ討伐のため 手車のうちに天の御陰として正妻・瀬織津姫を日の御蔭として后・速開都比咩を載せていたといいます。

イブキドヌシとクマノクスヒも左右に侍っていたようです。

陽(あ)・天照大神の陰(め・正后)・瀬織津姫は天の蔭となるようです。

また、天照大神からそそぐ光は瀬織津姫にあたり瀬織津姫のうしろにいるものに

影がかかることから速開都比咩は日の蔭となるようです。

★注釈3

『きみやさかにの まかるたま せおりはまふつ やたかかみ あきつくさなき

やゑつるき ときにいふきと ゆえおとふ』

ハルナハハミチを捕まえて接見するときに天照大神は八尺瓊勾玉をもち 瀬織津姫はマフツの八咫鏡をもち 速秋津姫は 草薙の八重剣をもっていたといいます。

そうして、イブキドヌシがハルナハハミチに話を聞いたといいます。

このように、多少強引ではありますがホツマツタヱとおどろくほど一致しているのでした。

大祓詞にはホツマツタヱがふかく関わっているようですね

https://www.youtube.com/watch?v=PqhB9rrgLm0 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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