Facebook横山 航宜さん投稿記事 隠れ切支丹資料館
大分県竹田市は隠れ切支丹の宝庫
カタカムナ人の末裔、鬼、山窩、隠れ切支丹
隠れ切支丹の製鉄や精巧な細工技術はカタカムナの叡智による副産物。
貴重物すべて撮影OK
八鏡文字minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/15839819/ 【山窩の伝承した【カタカムナ】】より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963274075&owner_id=33738144 【●サンカ(山窩)●ミカラワケヤヨロヅノモノハコビ(身殻別八万物運)●テンバモノ(転場者)と自称】より
今だから色んな人が惹かれるようだ。何も持たない。定住しない。日の辺りに 出来ないけど惹かれる人が多いようだ。日本人のヤハリ ルーツになる部類 イヤ 種族
うまく言えない 言わなくても良い人達になるのかな。見守って行くべき人たちだろう。
★日月昭々(古代史考 Ancients)
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5-ancient.htm
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5-ancient.htm
★《サンカ文字》
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h-genngo/5h-genngo-a7.htm
サンカ(山窩)と云うのは差別語であることを最初に断って おく。 ミカラワケヤヨロヅノモノハコビ(身殻別八万物運)が正しい呼び方で、 時には テンバモノ(転場者)と自称する。
★山窩ことサンカと茶筅と転場(隠れ切支丹編)
http://tokumei10.blogspot.jp/2012/06/blog-post_5587.html
■山窩(サンカ)
漢字では「山窩」、「山家」、「三家」、「散家」などと表記される。ポン、カメツリ、ミナオシ、ミツクリ、テンバ(転場)など、地方によってさまざまに呼ばれた不特定の人びとの総称として用いられることが多い。
★民族学伝承ひろいあげ辞典
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205?__ysp=5rCR5peP5a2m5Lyd5om%2F44Gy44KN44GE44GC44GS6L6e5YW4
http://germanophobic10.rssing.com/chan-6309980/all_p18.html
http://germanophobic10.rssing.com/chan-6309980/latest.php
http://www.oct-net.ne.jp/hatahata/minzokugakusouran.html
★異聞秀吉01
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nobutugu/hideyosi/tensyou50-01.htm
弘冶三年(一五五七)早春、尾張・鎌倉街道に一つの風景があった。
青鹿毛の背に童女を乗せ、醜魁な若者は満面の笑みを浮かべ、轡を取る足取りは軽やかである。
春とは云え時折吹く風は、まだまだ冷たかったが、若者の肌は少女への想いで冷たさを感じない。
★山窩と倭
http://www.geocities.jp/jp_kozoku_ken/Sannka-to-wa.html
しかし,筒井は,三角論文の全部を個別に検討し,否定したのではないので,何が真実であり,何が虚偽であるのかの区別がなされたことにはならない。筆者は,したがって,三角に対する筒井の批判が提起されていることを明記しつつ,三角論文の細部に亘っての虚実が明らかにされることを待ち,以て,下記拙論の見直しを試みることにしたい。
★サンカ関係資料
http://www.mis.janis.or.jp/~odanet/sanka.html
★三角寛のサンカ論
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/nihonshinwaco/izumoootyoco/onico/sankaco/what.html
(れんだいこのショートメッセージ)
ここで、サンカについて確認しておく。日本史の裏の流れを知る為に必要と気がついたからである。「ウィキペディア・サンカ (民俗学)」、「サンカ(山窩)とは」、「51.戸籍を持たない「日本国民」~日本のジプシー「サンカ」 (1999.4.7)」、「家康サンカ説・八切史学概説・信長考・真書太閤記考、その他」、「サンカ(山窩)を考える」、「サンカについて語ろう」等を参照しつつ、れんだいこ史観で纏める。今後、更に書き込みして行くことにする。
★☆神代文字の不思議☆
https://ameblo.jp/babope555/entry-12223721250.html
神代文字(かみよもじ、じんだいもじ)以前から興味があるジャンルです。
神代文字とは 漢字を中国から取り入れるずっと以前に日本に存在していたと言われる文字で神代文字が漢字のヒントになったという説もあるとか。
カタカムナ 、ホツマツタエが有名です。
★『戸籍を持たない「日本国民」サンカ(山窩)』
★『アイヌとサンカについて』
★日本の古代文字は意図的に封印されたのか?
https://blogs.yahoo.co.jp/sgz02406/1292444.html?__ysp=5pel5pys44Gu5Y%2Bk5Luj5paH5a2X44Gv5oSP5Zuz55qE44Gr5bCB5Y2w44GV44KM44Gf44Gu44GL77yf
研究者によって明らかにされている日本の古代文字は20種を超えています。
・アイヌ(アイノ)文字 ・アジチ文字 ・アソヤマ文字 ・アナイチ文字 ・アヒル文字
・アヒル草文字 ・阿波文字 ・イスキリス文字 ・出雲岩窟文字 ・伊代(秀真~ホツマ)文字 ・イムベ文字 ・カズガ文字 ・カタカムナ(カミツ)文字 ・越文字
・サンカ文字 ・モリツネ文字 ・惟足(コレタリ)文字 ・タネマキ文字 ・桃木文字
・対馬文字・・・
歴史を専門に勉強した方はご存知なのかも知れませんが、こんなにたくさんの文字がある事を私を含めた殆どの日本人が知りません。
★大摩邇(おおまに) : 「封印された古代文字」
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1591057.html
達人さんのサイトより
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/294.html
<転載開始>
人間が死せる自我を踏み石にして より高い境地に登って行くように <テニソン・インメモリアル>
★「封印された古代文字」 人間が死せる自我を踏み石にして
http://excite.freeml.com/bl/8826611/337518/
「封印された古代文字」 http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/294.html?b=10
人間が死せる自我を踏み石にしてより高い境地に登って行くように <テニソン・インメモリアル> ということが真実であるとするならば,死せる自我を踏み石としてではなく,台座として扱う誤りをおかす偶像崇拝者は,仲間の生活から離れ,ただ一人柱の上で暮らす柱行者(Stylite)と同じようにはっきりと,人生から孤立することになる。クリックすると元のサイズで表示します
★カタカムナについて
http://katakamuna.xyz/about.html
「カタカムナ」・・・忘れ去られた神の名が今、蘇る
★サンカ(山窩)とゴシェン その1 |
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/297.html
サンカのことは謎に包まれております。出エジプト記のはるか前にゴシェンの地にセム族が住んでいました。そんなことからリンク先の皆様のご協力を戴きながら神代文字の分析を含めて連載していきましょう。読者の皆様の研究成果も期待しております。たった一人のエチオピア女性から人類は始まりサハラ砂漠との死闘をへてシュメール,ゴシェンなどへ移動したと考えられますので日本からゴシェンの地に移動したとは今のところ考えられませんがそうとも言えない資料も多く発見されています。
★台転場 | 岩手 | キリシタンのあしあと|天上の青 |
http://historicsite.tenjounoao.waterblue.ws/tohoku/iwate/iwatehs09daitenba.html
★1014 サンカ生活体験記 13
http://rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1014
国分けは川筋
海魚の馳走で満腹してセブリへ戻る道すがら、ヨシの姉娘夫婦の長い営みを素知ら
ぬ顔で平気で見ていた娘だが、やはり内心相当に刺戟されていたのか、まだ興味がお
さまらぬのか、「カゲヒネリウタちゅう婚儀(よつぎ)の法(のり)歌を知っとるん‥‥」
と言ってきた
★九十九塚(野火止塚)
http://setagaya-chousashi.com/burari/2009/heirinji/newpage1.html
地名の発祥である「野火止塚」。
「野火止塚(九十九塚)は、和名抄に見る火田狩猟による野火を見張ったものか、焼畑耕法による火勢を見張ったものか定かでないが、野火の見張台であったとする説が有力である」
在原業平をしのぶ「業平塚」
在原業平が京より東口への東くだりの折、武蔵野が原に駒を止めて休んだという伝えがあります。
★隠れキリシタンの悲しい歴史のある場所
http://www.asahi-net.or.jp/~mt2j-okmt/okago.htm
大籠
岩手県東磐井郡藤沢町大籠地区。知名度は島原のそれとは比較にならないが、切支丹殉教の地である。現在、藤沢町にキリシタン殉教公園、資料館、クルス館が完成し、その歴史を伝えている。大籠のキリシタンの残された史跡についてたずね歩いてみた。資料館を訪ねた後周辺の史跡を歩いてみると歴史的背景もわかり、良いと思う。
★サンカ (民俗学) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AB
サンカは、日本の山地や里周辺部で過去に見られたとされる不特定の人びとを指す言葉 である。その言葉が指し示す範囲は、時代や使用者によって大きく変わり、語義を明確に することは難しい。
★サンカ(山窩)を考える
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html
縄文の長きに渡って培われた自然を愛し共生する霊性の高い、また自発的貧困とも 言える質素、簡素、素朴な精神性の高い生き方をしていたと思っています。
★「最後のサンカ」の孤独死と、預金を勝手に引き出す東松山市職員! 2009年 5月 02日
「日本一の福祉都市」をめざす東松山・坂本市政でまたも不祥事!
「最後のサンカ」の孤独死と、預金を勝手に引き出す東松山市職員!
不正行為のウラにまたしても坂本市長ファミリーの陰!!
★【資料】 サンカ(山窩)とは
http://www.asyura2.com/sora/bd3/msg/468.html
明治以降明らかにされた時点では、川筋伝いに村から村へと渡り歩き、主に蓑つくり、笊(ザル)つくりなど竹を主原料とする製品を作り、農家で穀物と交換する、といったことで生計を支える、関東以南から九州までをテリトリーとする漂白集団だった。定住しないため、テントをもって移住し、一夫婦と子供で一家族六~七人、五家族くらいの単位で共同歩調をとった。
サンカの語源はいろいろあるが、サンケチ(三つの職掌区分)からきたとする説もある。サンカ自身は自分たちをセブリ、(テントの意味、一セブリ=同居する家族)セブリモノなどと呼ぶといわれる。
ミツクリの一(カミ)(蓑つくりの総領)
フキタカの一(笛つくりの総領)
エラギの一(遊芸の総領)
★ 山窩(サンカ)とは何か
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-23.html
山窩とは、日本の山間部を生活の基盤とし、夏場の川魚漁、冬場の竹細工を主たる生業としながら山野を渡り歩く漂泊民である。
★サンカ手袋の復元
http://tata-tatao.to/knit/sanquhar/
http://tata-tatao.to/knit/sanquhar/glove.jpg
この手袋が「サンカ手袋」です。サンカ手袋の名前の由来は、スコットランド南西部にあるサンカ(Sanquhar)という町の名前です。この地方で生まれた伝統ニット「サンカニット」の特徴は、対照的な二色を使った編み込み模様です。その代表がこの「サンカ手袋」で、黒と白の二色のみを使った編み込み模様は100年以上前のデザインでありながら、今なお新鮮さを失っていません
★怪異録 -怪談と都市伝説- サンカ
http://gnosis.blog64.fc2.com/blog-entry-7025.html
サンカに会ったというか、自分らが里ではサンカと呼ばれる一族だったよ。
ニュアンスとしては「山にいる、(自分たちとは)異(る)人」的な。
いわゆる「里」から離れた山に住んでいて、男衆は真冬以外は猟に出て、冬場はひたすら集落に籠もって暮らしていたそうだ。
この猟に出る男たちのことを「サンカ」と呼ぶこともあったらしい。
★サンカ (民俗学) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%AF%9B
★三角寛 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%AF%9B
山窩(サンカ)作家、 ... 山窩小説三部作と言われる『怪奇の 山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』を発表し、流行作家の道を歩む。
★サンカと三つ穴灯篭
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/threeHole.htm
香取神宮・鹿島神宮・三囲神社・丹後神社に三つ穴灯篭があります。
「三郷市神社鳥居等調査報告書」で三郷市の香取神社には、火袋に三つ穴が開いている灯篭が多い、という事を発見しました。サイト内リンク三郷市の丹後神社Wiki
★「サンカ(山窩)のルーツは創世記のヘテ人 その1」
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/304.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/305.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/306.html
読者から教えていただいたニュートンはアマゾンで50円で買えました。この本は買われた方がいいでしょうね。今のサンカシリーズは読者とともに古代神代文字を考察するのが目的ですから一緒に考えていきましょう。そうでないと一人よがりになってしまいますからね。
★「幻の漂泊民・サンカ」と「風の王国」
http://blog.livedoor.jp/itsuki_hiroyuki/archives/50389096.html
この日本という国の中に隠されている抑圧と差別の歴史、そして、それゆえに蓄積するルサンチマンのパワーといったものが、大きな衝撃を与えてくれるのです。
★サンカ学の過去・現在、そしてこれから 1分15秒から
http://www.dailymotion.com/video/xrgemp
★サンカ 山窩 さんか (漂泊の民 民俗学) 日本の神話伝承・民話
http://www.jiten.info/dic/asia/sanka.html
山家、山稼、散家などとも。日本の歴史上、と現在において独特の伝承・習俗をもつ集団。
家系は大事にするようだが大和民族・日本民族と別ではない。 全国的に分布するが、東北地方以北にはいないといわれる。
辞書によれば「定住せず、山奥や河原に天幕などを張って、自然人のような生活をする 漂白民。竹細工ブツなどをつくり、また狩りや漁などを営んだ」といった説明がなされる。
★大摩邇(おおまに) : サンカの親分はアヤタチ?
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1727086.html
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1727088.html
アヤタチとサンカ
落合莞爾氏が雑誌、ニューリーダーで連載していたという「「佐伯祐三・真贋論争」の核心にせまる」のコピーをいただき、大量なうえ、大変難しい内容なので毎日数ページずつ読みこなしている。
★サンカの人々 ぶらんこ
https://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/4015/
この原稿は岐阜県の教育家であった三宅武夫氏が、少年時代(明治時代)におけるサンカとの出会いを回想したものです。
サンカという人々の生き方が少年の目にはどう映ったのか、また何を学ぶことができるか貴重な記録です。
★サンカ者名義考――サンカモノは坂の者 喜田貞吉 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49822_44667.html
京都あたりでは一種の浮浪民を、サンカまたはサンカモノと呼んでいる。東山や鴨川堤などに臨時の小屋を構えて住んでいるものは、そのやや土着的性状を具えて来たものと思われるが、それでもやはり戸籍帳外のものとしてしばしば警察官から追い立てを喰って他に浮浪せねばならぬ運命を免れない。
★八切史学の古代日本王朝史考
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/yamataikokuco/yagirishigakuco/kodaiotyoshico.htm
「家康サンカ説・八切史学概説・信長考・真書太閤記考、その他」を転載しておき、後日検証する。
http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/ieyasu2.htm
最近、読者からの質問が増えてきました。八切説の出典は何かと聞かれます。勿論、先生は膨大な史資料を読破して、考えて
考えて書いております。「家康は世良田徳川の出身だった」には、出典が明記されておりますが、ここでは家康関係の史料について少し紹介します。
尾張徳川家書物奉行が、代々受書を出して、名古屋城幅下三の丸の書庫で厳重保管されていた、門外不出の
『源神史巻・重代記』と、この中の『章善院目録』を見せて貰い、家康が二人いたという事が判ったと書かれております。又、村岡素一郎の『史疑徳川家康』も参考にはしたが、これは労作ではあるが『後三河風土記』よりの引用が多すぎる。ともあります。
これは贗本ですから史料ではありません。興味のある方は「家康は世良田徳川の出身だった」(日本シェル出版)を是非読んで理解を深めて頂きたいと切望します。以下に会議室の発言を紹介しますが、一部重複と、順不同をご容赦願いたい。
★サンカ論考・日本民族とサンカ(山窩)の関係、日本サンカの源流を
http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/sanka.htm
八切史観で「サンカ」について書かれた物に次のものがある「サンカの歴史」「サンカ生活体験記」「サンカいろは唄」。
「サンカいろは唄」等は先生の遺稿、遺書の感がある。御自分の生母や祖母のことも書かねばならぬので、随分と書きづらかったと序説に書いておられる。以下に紹介するのはニフテイの会議室で、サンカのほんのさわりを紹介したところ、質問が多く出て、その回答形式をここにUPします。己たちがサンカの末裔と知らぬものの、やはり血の成せる業か興味のある方が意外に多いのに驚いています。
★日本史における不思議な出来事、奇談。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4668473.html
滝沢馬琴の「兎園小説」その他に載っている「うつろ舟」の話。
高千穂峰の天の逆鉾。
三世紀頃に消えた銅鐸の謎。
聖徳太子の「日本国未来記」。
南朝子孫のゆかりの寺に祀られる、「草薙剣」。
源頼朝の死の謎。
大坂「南宗寺」に伝わる徳川家康討ち死に説(首塚があるという)。
★哀れ、最後のサンカの末裔 : DRACの末裔による徒然の日々
日本にもいた「漂泊」「流浪」の民
「漂泊」、「さすらい」、「流浪」、「HOBO]に言及していて、フトあることに気づいた。ケルト、ジプシーもそうであるのだが、実は昔・・・・といっても昭和の20から30年代の間くらいまでは、我が国日本にも、「流浪の民」が存在した。
★山窩(サンカ・サンガ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%AA%A9
サンカは、日本の山地や里周辺部で過去に見られたとされる不特定の人々を指す言葉である。その指し示す範囲は後述の理由から広く、時代や立場によって定義や趣旨も大きく変わり、語義を明確にすることは難しい。
★「オタク」、「山伏」、「サンカ」―異形に関する一考察
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/igyou.html
「百鬼若行」と「魔法使い」
平成十九年新春、京都で「オタク」「ニート」「茶髪」といった若者文化を妖怪に見立てて面白おかしく理解を求めようとデザインした百鬼夜行ならぬ「百鬼若行」というイベントが催されました。それにしても、犯罪者予備軍呼ばわりされるかと思えば妖怪扱い。大人が若い世代、特に「オタク」に向ける眼は相変わらず厳しいものがありますね、いわれなき偏見と言ってしまえばそれまでですが。
そういえば、30歳まで童貞を貫いた男性―その大半は「オタク」だったりで相手のいない男性ですが―は「魔法使い」になるという俗説も時々耳にします。
どれもこれも言いたい放題な与太話という感じはしますが、こういった発想と似たようなものはなかったのか、歴史を振り返ってみるのも一興かもしれません。
★擬産という通過儀礼・サンカ(山か):babycomお産の民族学
https://www.babycom.gr.jp/birth/min/min8.html
出産は女性にとって、人類学では通過儀礼と言われている。<BR>通過儀礼とは、本人が自分のそれまでのアイデンティティーを卒業して、新しいアイデンティティーを獲得するためのものでもあり、周囲にそのことを知らしめるためのものでもある。そうした儀式を通して、自分もまた周りも「この人は母になった」と自覚するためのもの。
さて、父親に通過儀礼はないのだろうか。
http://eternalturquoiseblue.livedoor.blog/archives/18256798.html 【「神代文字(日本の古代文字)」とされる文字の真贋】より
「神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたとされる多様な文字、文字様のものの総称」のことで江戸時代から国学者らの間でその真贋についても議論の対象となってきたようです。
実際のところは「漢字伝来以前の古代日本(例えば縄文時代など)にも文字はあった」という「命題」は現時点では否定的な見方が優勢のようです。
しかし例えば、数学ならばある命題を「全否定」するためには「全てのxについて「A(x)でない」あるいは「絶対にA(x)ではない」ということを証明しなければならないわけです。これを「日本には漢字伝来以前の古代文字はあった」という命題の「全否定の証明」に置き換えるなら、「x=漢字伝来以前の古代のものと思われる象形文字様あるいは楔形文字様の文様」は全て「情報伝達ツールとしの文字ではない」かあるいは、「後世につくられた偽作」ということを証明しなければならないはずです。
ここで「日本の古代文字(神代文字)」の候補とされてきたもので有名な既出のものについてみてみることに。
「サンカ文字」はサンカ(山窩)研究で知られた三角寛(注)という人物の創作という見方があり真偽不明ですが、どちらかといえば偽作扱い。
「化美津文字(かみつもじ)」別名「八鏡文字(はっきょうもじ)」などという名称で、縦書きでも横書きでもなく渦巻状に書くものとされ「カタカナのもとになった」と称される「カタカムナ文字」についても公的な学術学会などから否定されている。発見と解読をしたとされる楢崎皐月(注)という人物による偽作という見方。
「ヲシテ文字」は歴史学、日本語学の学会では戦前から清原貞雄(注)らにより後世の偽作であるとされ、近年も日本史学の分野では武光誠(注)、日本語学の分野では飯間浩明(注)らにより江戸時代の神道家により作成された偽書であるとされていた。
昭和41年(1966年)松本善之助(注)により「ホツマタヱ」の全文が発見され、その後の吾郷清人や鳥居礼などの研究家からは古史古伝のひとつであるとされていたものの漢字が渡来する以前の「神代文字」とは異なるという主張も新たになされ文献全体の包括的な批判が池田満(注)によってなされている、とあります。真贋不明。
「豊国文字」は「上記(うえつふみ)」と呼ばれる古史古伝文書(一般には偽書とされる)や「ウガヤフキアエズ王朝を含む古代日本の「歴史」がこの豊国文字で書かれているとされ、「神宮文字」などとも呼ばれているようです。
「上記(うえつふみ)」は豊後国(現在の大分県)府内の国学者である幸松葉枝尺(さちまつはえさか)が1831年(天保2年)に入手した文書でその序文には1223年(貞応2年)に編纂されたとあるそうですが、平田篤胤が1811年(文化8年)に記した「古史成文」の影響が見られることなどから実際には江戸期の作であると考えられるようです。
平田篤胤が1819年(文政2年)に著した神代文字の研究書である「神字日文伝」の中には豊国文字は登録されていないようです。
ここまでをまとめてみると「神代文字(古代文字)」の候補と思われる様々な文字様のものについては、実際は古代のものではなく後世(主に江戸期)の偽作であるという見方が強いことがわかります。
ですが、実際のところは
①「神代文字」とされる「古代文字」の候補の「全てが出尽くした」とまでは断言できない。(すべてのxの検討がなされているわけではない)
②既出のものの中にも完全に偽作だと言い切れないものがある。(「A(x)でない」は証明されているものといないものとがある)
つまり「漢字伝来以前に古代文字はなかった」という全否定はあくまでも現段階では「推測であって、証明された(確定した)事実とまでは言えない」のではないかと思います。
何故なら、日本の各地でみつかっているペトログラフの中に、例えば「彦島の杉田丘陵のペトログラフは人の様な形が見える」という指摘からもわかるように、絵文字からなっている可能性があり、この絵文字が発展して象形文字としての「情報伝達システム」が機能していたならば、漢字伝来以前の古代においても「一定のルールに基づく文字大系」が確立されていた可能性はあるからです。
焚書や経年劣化に耐えて残っている古文書の文献が今後発見され、古代文字の痕跡がみつかるのかどうか。あるいはバブルの時代に各地の再開発で土地を掘っているうちに「思いもかけずに完全な弥生時代の環濠集落遺跡が姿を現した」例もありますし、古代遺跡の中から石盤などに彫られた古代文字が見つかる可能性はまだまだあるのではないでしょうか。
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