https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6518398/ 【力石】
http://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32430 【わたつみのとの】より
大分類 万葉神事語辞典
分野分類 CB 文学
文化財分類 CB 学術データベース
資料形式 CB テキストデータベース
+項目名 わたつみのとの;海神の殿
+表記 海神の殿
Title Watatsuminotono
テキスト内容 海神の住む宮殿。「わたつみ」は、「わた(海)+つ(助詞)+み(霊)」で、「やまつみ(山神)」の対をなす。記紀神話では、海幸山幸神話において、兄の釣針を無くしたホオリの命が尋ねた世界が綿津見神の宮とされる。高橋虫麻呂歌集の水江浦島子を詠む歌(9-1740)では、「海界(うなさか)」を越えて船を漕いで行った世界が、「常世」であり、そこにある宮殿が「海神の神の宮」であるとする。紀の雄略天皇22年7月条には「蓬莱山」、『釈日本紀』所引の丹後国風土記逸文には、「天の上なる仙家」「蓬山」「海中なる博大之嶋」「仙都」「神仙之堺」、歌表現に「とこよ」と表わされる。記紀神話では海神宮が、海の中にある世界か、海の彼方にある世界かは、神話の世界観の問題からみて見解が分れている。一方の常世は、海の彼方にあり、スクナビコナのいる場所であり、ミケヌノミコトが波の穂を踏んで渡っていった世界だが、少なくとも海神の宮と同一視はされていない。浦島子に纏わる歌や説話で、海神宮と常世との区別がないように見受けられるのは、神仙思想の不老不死の理想郷である蓬莱山と、常世とが同一視され、それが海の彼方の世界であるというところから、三者が共通のイメージで捉えられるようになったものと見られる。万葉集で「海神の殿」という言葉そのものが見られるのは、竹取翁の歌(16-3791)のみである。9人の乙女にからかわれた翁が、自らの輝かしい半生を歌で伝える内容の中で、多くの女性から思いを寄せられた若き日の姿を語る場面で、女性が、絹の帯を小帯みたいに韓帯に取り付けてくれて海神の宮殿の屋根を飛び翔るすがる蜂のような細い腰に付けて飾る、という部分である。なぜここで海神の宮殿という表現がなされるのかは明確ではない。9人の乙女が神仙の乙女という雰囲気を漂わせているのに併せて、翁の側にも神仙的な要素を付加する意味合いからこの語が選択された可能性も考えられる。
+執筆者 谷口雅博
https://tabizine.jp/2019/11/24/300092/ 【竜神伝説が残る、対馬の「和多都美神社」が神秘的でスゴかった【長崎県】】より
日本の国境離島「対馬」。ここには竜神伝説が残る「和多都美神社」があります。5つある鳥居のうち、2つが海中にそびえ立ち、境内には竜神伝説を裏づける木の根や、「磯良恵比須」という岩を祀る三柱鳥居もあり、神秘的な雰囲気です。そんな「和多都美神社」の見所を神話と共にご紹介します。
彦火火出見尊と豊玉姫命が祀られている古社
「和多都美神社」には山幸彦として知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が祀られています。
神話によると、昔、海の神の豊玉彦尊が「海宮(わたづみのみや)」という宮殿をつくったのだそうです。あるとき、兄(海幸彦)の釣り針をなくした山幸彦が、釣り針を探す旅に出かけました。その途中で、おじいさん(亀)に出会い、その宮殿(竜宮)にたどり着いたとのこと。そこで豊玉彦神の娘の豊玉姫命に一目惚れし、結婚しました。
平安時代に編纂された「延喜式神名帳」に記録された由緒ある神社(式内社)が、九州には98社。98の神社に、107座の神々が祭られています。現在、神社庁に登録してある神社は約130社で、登録外の小さな神社もたくさんあります。ちなみに江戸時代の調査では455社。そのうち、豊玉姫命を御祭神としている神社がいくつかあり、その中のひとつが古社「和多都美神社」です。
海中にそびえ立つ2つの鳥居
対馬の浅茅湾の入江に佇む「和多都美神社」には本殿に向かって一直線に並ぶ5つの鳥居がありますが、一の鳥居と二の鳥居は海中にそびえ立っています。干潮時には海中にある鳥居に行くことも可能です。まるで竜宮城の入り口のような鳥居ですよね。鳥居を越えて海に潜っていったら竜宮城がありそうな気がしました。
謎に包まれた三柱鳥居が2つも!
三の鳥居と四の鳥居の間の海には、珍しい三柱鳥居も。鳥居には「磯良恵比須」という鱗状の亀裂が見られる岩が祀られています。この岩は、古い祭祀の霊座という説や石という説があり、謎に包まれています。この日の「磯良恵比須」は10月の台風の影響で木の枝などが絡みついていました。
もうひとつの三柱鳥居は、拝殿横にあります。こちらは海神豊玉彦命の墳墓だと言われているそう。ひとつの神社に2つの三柱鳥居があるとは、驚きですよね。
龍が這い出してきたような木の根がある
本殿の左手には、龍が這い出してきたようなカタチの巨木の根が地を這っています。木の根を舐めるように撮影しましたが、迫力満点です。
「安産のお守り」や「釣行安全のお守り」がある
社務所には安産のお守りや、釣行安全のお守りなどがありました。
神話によると、子どもを妊娠した豊玉姫命が山幸彦に「私が産屋を立て出産をするとき、産屋を決して覗かないでください」と言ったそうです。しかし、ダメと言われると見たくなるのは神様も人間も同じ。案の定、山幸彦は産屋を覗き、豊玉姫命の本当の姿(ヤヒロワニ)を見てしまいます。山幸彦に約束を破られた豊玉姫命は海の世界に戻って行ったとのこと。ですが、その後も、二人は文通をして、仲睦まじい夫婦だったそうです。
結婚と出産をした豊玉姫命は海の神様の娘です。そのため、安産や結縁、育児、海上安全のご利益があるとされています。記念に気になるお守りを授かるのもいいかもしれませんね。
御朱印の見本
高級和紙を使っているという御朱印、海にそびえる鳥居が描かれた絵馬もありますよ。
和多都美神社は神秘的でご神気に満ちた神社です。対馬旅行の際は、ぜひ訪れてみてくださいね。竜宮城の存在を信じたくなりますよ。
https://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_column_8.html 【神代文字 英 Jindai moji / Kamiyo moji】より抜粋
阿比留文字 アヒルモジ[ヒフミ順]
対馬国の卜部氏および阿比留氏に伝わったといわれる文字で,阿比留家の文書に阿比留草文字や対馬文字と共に書かれている。ちなみに,平田は「上巻」の中で「日文四十七音」(ヒフミヨソヂマリナゝコヱ)と呼んでいる。
阿比留文字は,漢字でいうと右側の旁にあたる部分に母音が,左側の偏にあたる部分に子音を配置し,子音と母音を組み合わせることで,日本のかな五十音表に対応できる形をとっている。(Wikipedia)この文字はハングルとそっくり,というより日本語の音韻に合わせて整理されたハングルそのものといってよいものである,アカデミズムの世界には,神代文字といえば,すべてハングルをタネにした江戸時代の偽作だとする風潮があるが,そのイメージを作ったのもまさにこの日文真字にほかならない。(原田実『図説神代文字入門』以下 原田と記す)
四十七音字(よこ組み)
出典:平田「上巻」
五十音字
五十音字は,子音(父字)を表わす「ヨコ九畫:ス・フ・ツ・ル・ヌ・ク・ユ・ム・ウ」と母音(母字)を表わす「タテ五畫:ウ・オ・イ・エ・ア」との組み合わせから構成される。
出典:平田「上巻」
かな文字・ハングル対照表
次の表は,日本語の 50 音をハングルで表わしたもので,当然発音はハングル本来のものではない。
出典:超入門講座 11
四十七音字(たて組み)
父字と母字を上下に配置した形式の阿比留文字。
出典:平田「上巻」
伊勢神宮文庫古字 稗田阿禮拝
阿比留文字で書かれたニ歌は,日本武尊薨去の折の偲歌。漢字混じりの訳文。
◎海処行うみがゆけば 腰こしなづむ 大河原おおかはらの植草うえくさ
海処うみがはいざよふ。
◎浜はまつ千鳥ちとり 浜よは行ゆかず 磯いしつたふ。
続く 3 行の阿比留草文字文章の漢字翻字。
日本日子天津御世 豊国成姫尊 戊申
(やまとほこあまつみしろ とよくむなりひめみこと つちのへさる)
出典:吾郷
阿比留草文字 アヒルクサモジ[ヒフミ順]
各地の神社において神璽や守符に用いられ,阿伎留神社には神符の発行に用いられた版木が残されている。伊勢神宮に奉納された神代文字による奉納文の中では,最も多く用いられている文字である。 また,幾つかの書体がある。(後述「神璽・守符」参照)日本語の五十音に基本的に対応しているが,歴史的仮名遣いである為に濁音や半濁音を表す文字はなく,「ん」に相当する文字も存在しない。(Wikipedia)
阿比留家所伝
出典:平田「下巻」
出雲国大社所伝
出典:平田「下巻」
鹿島神宮所伝
出典:平田「下巻」
夷丘銅鍥古字 (ヒナヲカドウキザミコジ)
阿比留草文字は各所から見出されているが,武蔵国畔切神社(あきるの)所蔵の「銅鍥古字ほど古雅荘重,転移無為にして,神韻渺茫たるものを見ない。けだし神人の作品にして,古今独歩に絶品である。形体美の完璧,流麗にして枯淡なること,まさに古代和字中唯一無双というべく,格調高く,全く他の追従を許さないものがある。」と吾郷は賞賛する。この銅鍥古字は,天保元年(皇紀二四九〇,1830)の火災にあって紛失したという。
出典:落合「上巻」
半田稲荷社碑文
東京都葛飾区金町の半田稲荷社拝殿下から掘り出された碑文に書かれた文字。ドイツ人外交官 Peter Kempermann がこれを発見し,ドイツの考古学雑誌に「日本の神代文字」と題して,この碑文を掲載した。
出典:ペーター・ケンパーマン:長沢敬 訳(2012)『ケンパーマンの明治 10 年神代文字調査』(今井出版:発売)
美女ヶ森昔時年代記
大御食(おおみけ)神社(長野県駒ヶ根市赤穂)には,通称「美女ヶ森(うつくしのもり)昔時年代記」という桐板に記された記録が伝わる。この社伝記には,日本武尊がこの地で三日三夜過ごしたことが書かれている。(Wikipedia)
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