あきつ

https://www.web-nihongo.com/wn/back_no/bk_yakusenai_2007/02_060501.html 【となめ】より 

  となめ”ってのも、訳すと、原語の意義も味わいも泡のように消えゆくことばである。どういうふうに使うかというと、初代神武天皇が、“区宇(あめのした)”を平定し、国を巡行したとき、丘の上から国の様子を見て、こう言った。

「ああいい国を得たなぁ。本当に狭い国ではあるけれど、まるでトンボが“臀(となめ)”しているみたいだな」

“是に由りて”と、『日本書紀』はいう。

「初めて“秋津洲(あきづしま)”という号が生じたのである」

 “秋津”とはトンボのこと。秋津洲ははじめ大和の一地方の名だったが、やがて大和の意となり、国号となった。要するに我が国は「トンボ島」なのである。その由来が、国の形状をトンボの“となめ”にたとえた、このエピソードなのだ。

 で、“となめ”って何かというと、「互いに尾を口に含みあう」ってこと。はっきり言ってトンボの交尾である。トンボは交尾するとき、互いの尾を口に含みあって輪っかになる。その形に似ているからトンボ島。和歌では“秋津洲”は“大和”の枕詞ともなっている。

 古典の授業で初めてそれを知ったとき、私は軽いショックを受けたものだ。

 国の別名って、もっとカッチョいいものだと思ってた。フィンランドの別名のスオミなんて「美しい湖」を意味するそうではないか。それが我が国は虫の交尾の形・・・。“秋津洲”のほうは字面は綺麗な響きだけれど、要するに交尾するトンボの島・・・。

 と、このように、“秋津洲”も“となめ”もそのままにしておけばいいものを、訳してしまうから、身も蓋もないことになるのだ。

 トンボは秋の精霊で、「五穀豊穰の秋の島であることを含めた表現」でもあると、新編日本古典文学全集の註にはある。しかも交尾は子孫を増やすから豊穰につながるし。

 が、そもそもこれは今で言うなら公的な場での「おことば」だ。「おことば」が「トンボの交尾」もとい「尾を含み合っている形に似ている」ですよ。これって、よく考えると凄いことではないか。

 一国の王が国の形を虫の交尾にたとえ、それが『日本書紀』という正史に記されて、そのたとえが国の別名にまでなってしまうという展開。その背景には、現代人には、はかりしれない、男女の性愛に関する古代人ならではの思想が潜んでいると私は思う。

 たとえば出雲大社などにあるぶっといしめ縄。あれはヘビの交尾を表しているという説を聞いたことがある。吉野裕子の『蛇 日本の蛇信仰』が引用する『ハブ捕り物語』(中本英一)によると、「ハブの交尾は濃厚で、二十六時間かかることがある」といい、写真を見ると、ほんとにしめ縄のように雌雄がぴっちり編んだように絡み合っている。そんな蛇を古代人は信仰していて、縄文土器にも蛇の造形は見えるし、古代、「神」の代名詞でもあった三輪の神様も蛇で、女と“まぐはひ”して妊娠させる説話が残されている。

 『愛とまぐはひの古事記』でも書いたが、そもそも日本は神の“まぐはひ”で生まれた。イザナキとイザナミという男女神が“みとのまぐはひ”をして、次々と島々を生んでいって出来た国土が日本であり、日本の神々だ。それが“となめ”が出てくるのと同じ『日本書紀』にも、『古事記』にも堂々と書いてある。

 “みと”は「寝所」説と「性器」説の二説あって、今は寝所説が有力。

 “まぐはひ”は「性交」と言いたいところだが、これがどうも日本神話を読んでいると、単なる性交とは思えないのである。詳しくは前著に書いたが、私の考えを要約すると、“まぐはひ”は単なる性交ではなく、目と目を合わせ、見つめ合い、愛の言葉を交わすことから始まって、愛撫挿入後戯といった性交全般を表しつつ、結婚までを含んだ幅広い意味をもつことばだったと思う。生殖だけとか恋愛だけとか結婚だけとか分けられない、カップルの一連の行為全般をさすのであって、セックスとか性交といった、口にするのは恥ずかしいようなことばとはかなりニュアンスが違っていたと思うのだ。で、“まぐはひ”の語を含む物語は、交際&性交中の男女特有の、他を寄せつけない圧倒的なパワーの源として、また豊穰や繁殖につながるものとして、祈りの場だとか祭の場などで、好んで語られていたのではないか。あくまで想像に過ぎないけど。

 “まぐはひ”はイコールセックスではない。“となめ”もまた、単なるトンボの交尾ではなく、輪っかという永遠に途切れぬ形といい、互いの尾を口に含むという、睦み合いやら美やら儀式的なものさえ感じさせる行為といい、核が猛スピードで分裂を繰り返し増殖するような、性愛のもつ豊穰を表しつつ、情緒をも表す言葉だったと思うのだ。

 だから、さかしらに訳しちゃいけない。あくまでのんびりと、かつ威厳を以て、

「おお、トンボが“となめ”をしているような形だなぁ」

と、まだ国が小さかった頃の天皇が、丘の上で発する「おことば」に、ふさわしいものとして、そっと大事に取っておかなければいけないんだよ、となめは。

https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/32.html 【初秋―其の二【蜻蛉(とんぼ)】より

蜻蛉は、種によっては晩春にはすでに姿を現しているものもあり、夏にも多くの蜻蛉の飛ぶのが見られる。しかしやはりなんといっても澄んだ秋空の下で、水辺や野面をすいすい飛ぶ姿が美しく、季語では秋のものとされている。

蜻蛉の仲間は世界に5000種ほど、日本には約200種、住んでいる。大型のものは「やんま」と呼び、赤蜻蛉の小型のものを「秋茜(あきあかね)」と呼んだりする。また大和の国つまり日本全体をさし、大和の枕詞でもある「秋津島(あきつしま)」という言葉があるが、この「あきつ(づ)」は蜻蛉の別名でもある。神武天皇が国見をした時「まさき国といへども、蜻蛉(あきづ)の臀(とな)めの如くあるかな」と言ったという故事による。「臀め」とは蜻蛉の雌雄が尾をくわえ合い、交尾をしながら輪になって飛ぶことである。その形で周囲を山々が連なる大和の国を喩えたわけである。これからもわかるように古代では蜻蛉に呪性を認めていたようで、またその薄く透きとおる美しい翅(はね)を女性の衣装に喩えた歌も万葉集に見える。

平安時代になると、ほとんど歌などには詠まれなくなるが、俳諧の時代に入ると、とくに芭蕉一門の俳人たちに好んでとり上げられるようになる。

日本では農薬の使用や自然環境の破壊で、数は減ってきたとはいえ、蜻蛉はきわめてポピュラーでむかしからよく親しまれてきた。しかし世界中どこでもそうかというと、たとえば欧米人などは日本人とはずいぶん違った感じをもっているようだ。「竜はわれわれの身辺の小川や養魚池の近辺にもいる。そしてどんな空想的な話をもってきても、蜻蛉(ドラゴンフライ)より激しく血に飢え、風変わりな振舞いをする竜(ドラゴン)をつくり出すことは出来ない。……飛行中のトンボの姿もうす気味わるいが、それよりもいやらしいのは小川のほとりの小枝にとまっているところで、邪悪な針の長さをあからさまに見せ、妙な翅脈のある羽を平らに左右に張り、口が大きく、大きな目玉のついた頭は細い首の上にのって、あたりをうかがうように回転する」。奥本大三郎『虫の宇宙誌』に紹介されているアメリカの自然科学の啓蒙書の一節である。ここでいっているドラゴンは竜といっても悪魔としての竜で、奥本のいうように兜の前立に蜻蛉の飾りをつけた本多忠良のような武将は、西欧人の目には悪の軍勢を率いるものと映りかねない。そのように蜻蛉が兜や鎧の飾りに使われたのは、日本ではそれが「勝虫」といわれ勝利を呼ぶ縁起のいい虫とされていたからなのだが。多くの西欧人は蜻蛉は人を刺す、気味の悪い虫と思っているようで、子どもが嘘をつくと蜻蛉が飛んできて唇を縫い合わせてしまうという俗信もある。

とんぼ返りということばもあるぐらいで、その飛行能力は相当なもの。前後の翅を互い違いに動かすので、自在で安定した飛行が可能で、最高速度は80キロぐらい。また翅についている縁紋は、飛行機が高速で飛ぶときに生じて危険な微振動(フラッター)を防ぐ装置の位置と同じだという。さらに蜻蛉の複眼は遠近両用眼鏡で、上半分が遠視、下半分が近眼というすぐれもの。

蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉

蜻蛉や日は入りながら鳰のうみ 広瀬惟然

行く水におのが影追ふ蜻蛉かな 千代女

遠山が目玉にうつるとんぼかな 小林一茶

赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり 正岡子規

から松は淋しき木なり赤蜻蛉 河東碧梧桐

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村汀女

空の奥みつめてをればとんぼゐる 篠原梵

この道を向き直りくる鬼やんま 三橋敏雄

蜻蛉触れ風触れ大き父の耳朶 寺田京子

少年は蜻蛉に乗りてゆく他郷 中村裕

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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