カタカムナとは

https://katakamu-na.com/katakamuna/ 【カタカムナとは】より

日本語48音が一音も重ならず謡われている「カタカムナ ウタヒ5首6首」

カタカムナ ウタヒ80首の中の「5首・6首」に日本語の48音が記載されています。

ここから日本語の音はカタカムナの時代にはすでにあったということが出来るでしょう。

又、5首、6首に分かれて記載されている理由は、「5=イ、6=マ」、つまり「今」のこの一瞬に「48音」すべての言霊が内包されているという意味だと思われます。

下記は残されている手書きの書写です。文字を囲っている外の○は、カタカナの読み方と混ざらないように楢崎皐月氏が考案して加筆しました。

カタカムナは「宇宙法則」

カタカムナは「宇宙法則」 イメージ

日本の超古代の叡智「カタカムナ」とは一体、何でしょうか?

現在発見されている資料から言えることは、「宇宙法則」を解き明かした「80首の謡(うたい)」だと言うことができます。

宇宙とは何か? 生命とは何か? 人間とは何か? 地球とは何か? 太陽とは何か? 月とは何か?

自分とは何か? を「ヒトツカタツミ(=相似象)」(17首)として、平易な言葉と神の名前で解き明かしています。

カタカムナ ウタヒの一語一語は、読み取れるすべての意味を内包します。

又、個別化し、重合化し、抽象化しています。だから一首一首が広大で深淵な普遍的世界を描き出しているのです。

「カタ」とは「見えるモノ」

「カム」とは「見えないモノ」

「ナ」とはそれらの「カタ」と「カム」を統合(十)した核=本質(それ自身)

すべての存在は、その「カタ」と「カム」が繋がって「ナ(名)」という核で一つに溶け合う根元を持っています。 すべては内側(ナ)にある。

外は内によって創られている。 宇宙には徹底的にそれしかない!

それを知ってすべての思いを現象化、物質化するのが「カタカムナ」です。

つまり内側の「思いの力」がエネルギーとなって現実を創っているとみる。

同音異義語は同じ思念を持つので、この「思いの力=重い力」。つまり「思い」が「重力」を引き寄せています。

深く、尊く、愛に満ちた思いだけが、大きな愛に満ちあふれた尊い世界を創る事が出来ます!

日本の上古代に生まれたカタカムナはその法則によって平和な世界を創造する事を目指すモノです。

その法則とは? ・・・「闇」と「光」の本質は同じであると見抜くこと・・・

思いの現象化は「闇」が振動して「光」に変わるのだという認識から始まります。

太陽神、「天照大御神」が何故、暗闇の「石屋戸」から出てこなければならなかったのか・・・?

それは「天を照す光」は大地の暗闇から生まれ出る事を表わしているからなのです!

カタカムナの歴史

カタカムナの歴史(推定カタカムナ文明の時期): 縄文以前から縄文時代後期まで

カタカムナ文明とは、数万年前からBC500年頃まで続くであろうと考えられる日本を中心にした日本語圏文明である。地球が氷河期であったころ、出来た氷河によって、太平洋の海面は現在よりずいぶん低下していたと考えられている。当時、日本列島は大陸と地続きで、日本海は巨大な湖のような状態だった

又、沖縄、台湾、フィリピン、インドネシア北部の島々も陸地化し、島々が続く巨大な列島となっていた可能性がある。又伊豆諸島、小笠原諸島が現在でも少しずつ日本列島へと近づいてきているが、小笠原諸島、マリアナ諸島などサイパンやグアムを含む島々が、もっとくっきりとした陸地を形成し、いわば日本列島南部の海はまるで取り囲まれた環礁列島となっていた可能性がある。その巨大環礁の中を北上した黒潮が回遊していたに違いない。その意味でその海流にさえ乗れば、巨大な環礁列島の移動は船で容易だったのではないだろうか? 

カタカムナで「ムー大陸」を読み解くと、「ムー」とは「広がり」という意味で、「ムー大陸」は数霊では「63=マ(受容)の実体」となる。

つまりそれらから、ムー大陸とは内側に海の容れ物(受容)を持った広がった大陸と読み解ける。

又「63」は六芒星のマカバの逆回転を表わすので、右回りと左回りの渦が、海の海面近くと、海底近くに同時に起っていたはずである。

又、その海の中心には大きな天地をかき混ぜるような気象現象があったかも知れない。

縄文人が明らかに、「海洋民族であったこと」、「日本語の音を使っていたこと」

等を考えると、カタカムナ文明は、今の日本列島内のみを基準として考えるべきではないと思える。

私は、その環礁列島を「ムー大陸」と呼び、その失われた記憶を「レムリア」と言っていたのではないかと思っている。何故なら「レムリア」も「ムー大陸」と同じく「63(内海を持った環礁列島)」となるからである。もしかしたらカタカムナ人とは、アジア全体に広がった高度文明を持っていた人たちかも知れない。なので、カタカムナ人を「アシア族」といい、ユーラシア大陸東部を「アジア」と呼ぶようになった可能性が考えられる。

名前とは、偶然付けられたモノではなく、同じ名前は同じ本質を表わすというのはカタカムナの鉄則であり、法則なのである。

カタカムナ ウタヒ80首

カタカムナ ウタヒ80首 イメージ

古事記の上津巻の誓約(ウケイ)のところまでに出てくる神の名が、ほとんどそのままの順番で、カタカムナ ウタヒ80首に出てくる。しかし、天照大御神の天の岩戸隠れのところは出てこない。ここからカタカムナとは岩戸隠れの前までの文明で、それ以後、封印されたと考えられる。何故なら、遺跡や古文書にも、「カタカムナ」という名称は一度も出てこないからである。

その意味で、カタカムナ文明は、天照が岩戸に隠れた原因を作ったとして追放された「スサノヲ」に属したモノだったのかも知れない。何故ならスサノヲはイザナギより「海原を知らせ!」と命じられたからである。実際に海をどのように統治したかは描かれてはいないが、スサノヲが「海の神」として生まれたからこそ、イザナギはそのように命じたのだろう。天照が高天原、月読が夜の国を治めたことは明らかなので、たぶん、スサノヲも縄文の始祖となって海を治めたのではないかと私は推測する。カタカムナこそ、そのスサノヲの文明だったのである。

又、私個人としては「天照がお隠れになった」という文章は、どうしても「お亡くなりになった」と感じてしまう。

現在でも天皇のような高貴な方がお亡くなりになると「お隠れになる」と表現する。

天照が女性神として、古事記や日本書紀には描かれているが、ホツマツタヱなどでは男性神「アマテル」として描写されている。そして天皇制は、天岩戸開き以降は男系継承されてきている。その意味で、スサノヲが追放され、スサノヲに同情的だった(古事記による)天照がなくなった時点で、男系へと政権交代のようなモノが行われたのではないかと私は感じている。

それ以後、1949年に六甲山系の金鳥山で、楢崎皐月氏が「平十字」と名乗る人物から、カタカムナ神社の御神体を書写させてもらったというその日まで、「カタカムナ」という名前は歴史の彼方に葬り去られてしまったのである。

カタカムナ封印期後

楢崎 皐月「ならさき さつき」 或いは「ならさき こうげつ」

1899年5月9日~1974年7月31日(享年75才)

日本の物理学者・電気技術者。「カタカムナ文明」と称する超古代文明の存在を主張した。

1949年、六甲山山系の金鳥山付近で「楢崎皐月氏が「平十字」という人物に出会い、カタカムナ ウタヒ80首の巻物を書写させてもらう。

その後20年ほどカタカムナの研究に打ち込み、「カタカムナ ウタヒ80首」の解読に挑む。古事記の上津巻きに出てくる御神名との関連に気づき、カタカムナ文字の読み方の解読に成功する。

宇野多美恵

生年?―2006年10月22日(享年89才)

宇野多美恵氏が楢崎皐月氏の後継者として「楢崎氏」の口述を「相似象会誌」として表す。楢崎氏の死後は、自力で「カタカムナ ウタヒ80首」の解読書を出版する。

宇野氏以降は正式な後継者とされる人は無い。

カタカムナ、その後から現在まで

多数のカタカムナ研究者が独自で「カタカムナ ウタヒ80首」の研究をするが、内容が抽象的なため統一された解釈は未だ、見当たらない事。

カタカムナ ウタヒには、現代語には無い「カタカムナ用語」が多用され、それらの意味を正しく理解することが困難である事。

分からない古代語を読み解く方法である日本語48音の思念がバラバラで、統一されていない事。

古事記の御神名が表わす意味が明らかにならなければ、カタカムナ ウタヒを解読することは難しい事。などにより、現在カタカムナ ウタヒ80首の解読は、未だ完成されていないと考えられる。

現在、吉野信子はこれらのことを踏まえ、古事記の研究、思念の研究、数霊の研究などにより、80首の解読を目指し、日々精力的に取り組んでいる。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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