FacebookTaiki Shimizuさん投稿記事 ▼. 四方拝と六方拝
正月、一年の一番初めに行われる宮中祭祀は、「四方拝(しほうはい)」と呼ばれます。
これは数ある宮中祭祀の中でも、最も重要な祭祀の一つで、天皇陛下が御自ら行われることになっています。
古来 日本には方位信仰があり、方角というのは、神、星の象徴でした。
東は「現象界」を象徴するので「東現」、
南は「幽界」を象徴するので「南幽」、
西は「霊界」を象徴する「西霊」、
北は「神界」を象徴するので「北神」といいます。
また方位のサイクルは、人生のサイクルも表していて、
東の1ラウンドは「幼児期(春)」、
南の2ラウンドは「青年期(夏)」、
西の3ラウンドは「壮年期(秋)」であり「ヒーリング・ラウンド」とも呼ばれます。
そして最後北の4ランウドは「死と再生のラウンド(冬)」です。
この「四方拝」に天と地(=いまここ私)を加えたものが「六方拝」です。さらに立体的になります。
六方拝とは、東西南北 天・地の六方すべてに感謝しなさいということです。
東に向かって、幼児期の自分を支えてくれた両親・祖父母・家族に「有り難うございます」と感謝。
南に向かって、青年期の自分を磨いてくれた友人・恋人・先生・恩師などに「有り難うございます」と感謝。
西に向かって、壮年期まで自分を見守り続けてくれた守護霊・ご先祖方に「有り難うございます」と感謝。
北に向かって、日本や地球を見守ってくれている神々に「有り難うございます」と感謝。
天に向かって、命を守ってくれている太陽・空・大気、その恵みに「有り難うございます」と感謝。
地に向かって、命を育んでくれる大地・海、自然の恵みに「有り難うございます」と感謝。
六つの方向に感謝、全てに感謝の心を忘れてはいけないという教えです。
この六方拝には「自然や周りの人々がいることで、自分は生かされている」という 真理が込められています。
朝起きたら、今日も太陽が昇ってる。有り難い 今日も目が見える。有り難い 今日も息ができる。有り難い 今日も家族が生きてる。有り難い 今日も仕事ができる。有り難い
つまり、今 この瞬間が、いかに「有ることが難しいか(=有り難いか)」「恵まれているか」そこに気づけるかどうか、なのです
だから自分の周りにあるものをもう一度、よく見つめ直してみる。
当たり前だと思っているもの。一緒にいてくれる人。そこにあることを忘れてしまっているもの。そういうものをよく見ると、そこにあることが、 当たり前でないことに気づく。
刺激的なこと、特別なことが起きる事だけが幸せなのではなく普通の何気ない日常こそが
本当はとてつもなく 有り難い奇跡の連続であって幸せなことなのです。
幸せは 求めようとすると幸せから遠ざかってしまう性質があります。
幸せは 探すものでなく周り(東西南北)と今ここに感謝することから始まります
http://kubote-historical-museum.com/10-1.html 【修験にみる方位信仰】より
恒遠俊輔
古来、人々は方位にこだわりを持った。幸運な場所はどこなのかと探し求め、また四方八方に神仏を見いだしては祈り、その加護を願った。
こうした方位信仰は、概ね中国の道教、陰陽道に由来し、「十干十二支」や「陰陽五行」の哲学に彩られて複雑な体系になっている。
そこで1995年度常設展は、『修験にみる方位信仰』というテーマを掲げ、求菩提山に伝わる神仏像・写真資料等々を用いて、修験道に交錯する様々な方位信仰についての解明を試みた。
《太陽信仰》
人は、かねてより太陽に対して格別の気持ちを抱いた。そして、大日如来という仏や天照大神という神を太陽の化身として創造したり、日の出や夕日の美しさに宗教的な感動を覚えたりもしている。
求菩提山は、平安末期(12世紀)宇佐郡出身の天台宗の僧・頼厳によって再興され、以来山に修験道が根づくことになるが、晩秋の太陽が真紅に空を染めながら求菩提山の向こうに沈んで行く光景をまのあたりにして、そこに西方極楽浄土を見いだしたことに、頼厳の出発点があると言われている。一方、英彦山は、文字通り「日子の山」であり、登る太陽への祈りに信仰が始まったとかんがえることができる。
《四方浄土》
仏教では十方に浄土ありと言い、なかでも西の阿弥陀浄土・東の薬師浄土・南の釈迦浄土・北の弥勒浄土は、四方浄土として重要視される。
かつて求菩提の寺域には、護国寺を中心にいくつかの末寺があったが、西の飯盛山東光寺(築城町)、東の松尾山医王寺(大平村)、南の宝勝山長福寺(犬ヶ岳)、北の紅梅山松福寺(椎田町)は、各々阿弥陀、薬師、釈迦、弥勒の浄土を想定したものである。
《鬼門封じ》
東北方向は艮(うしとら)の鬼門と言われ、悪魔邪霊の出入りする方位として忌み嫌われた。そして、この凶方の魔を封じるために寺社が建てられた。平安京での比叡山延暦寺、江戸における上野寛永寺や神田明神が、まさにこれにあたる。
求菩提の場合は、写経寺でもあった常在山如法寺(市内山内)が鬼門封じのためのものである。
なお、東南=巽(たつみ)は吉方とされ、さきの四つの末寺をも併せて、「求菩提六峰」と呼んだ。
《四神相応の地》
中国の陰陽道では、地上世界の東西南北にはそれぞれ神獣(方位神)がいて、人々を悪魔悪霊から守っていると信じられた。即ち、北に「玄武」の住む高山、南に「朱雀」の住む沢畔、東に「青龍」の住む流水、西に「白虎」の住む大道があれば、そこは「四神相応の地」であり、繁栄をよぶ最良の場所だと考えられたのである。平安や江戸の遷都も、そうした土地を選んでなされた。
求菩提山には、その東に「龍門」、西に「虎の尾」の地名が今なお残る。また、「亀卜」という山伏の占いに用いられる亀は、北方向の泥淵(椎田町)で捕獲したものに限定されたという。北の守護神玄武が、亀と蛇との合体した姿で描かれていることをも考えあわせれば、求菩提もまた四神相応の地を選んでいたことがわかる。
《星宿信仰》
その昔、中国人の間では、生命の根源である霊魂は星から来ると信じられ、そこから様々な「星宿(星座)信仰」が始まる。そして、星の動きで吉凶を占い、星を祀っては災禍を鎮め、福を招く呪術を展開した。修験道にもその影響は顕著で、星は天にあり、天にあるものは神として地上の命運を司るとされた。なかでも北極星は天界の中心にあるとされ、宇宙の最高神「太一」と考えられて信仰を集めた。したがって、英彦山等に見られる南から北に向かって拝むという信仰軸には、北極星信仰を見てとることができる。また、流星について司馬遷の『史記』は「天狗星」、『日本書紀』は「天狗(あまつきつね)」と記しており、火伏せの神とされた求菩提のカラス天狗のルーツを星宿信仰のなかに求めることもできる。
0コメント