Facebook新田 修功さん投稿記事 青空の心……⁉️🙆♂️😄
おはようございます😃賢者の一言 五井昌久
「神は太陽となり、地球となり、食物となり、様々な姿になって人間を生かしつづけているのだ」「心はいつも青空」白光真宏会出版局 より
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私は一度も宗教団体に属したことはありません。
でも、イエスさんや仏陀をはじめ、空海さん、良寛さん、その他の賢者たちの教えは大好きです💕😊🙏
特定の宗教組織に入ってしまうと、真実を見誤る可能性もあります。
宗教家に限らず、古今東西の賢者の言葉をお送りするのが「賢者の一言」です。
時にはスピリチュアルに、時には哲学的に、また文学や絵画、音楽などのアーティストたちの作品の中に輝く、珠玉の言葉をご紹介しています👨🎨🎶✍️✨
「賢者の一言」で、少しでも愛や勇気、調和とやすらぎを感じていただけたらこんなにうれしいことはありません。
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
https://alg.jp/blog/proverbs2022-07/ 【「雲の向こうは、いつも青空」】より
ルイーザ・メイ・オルコット(1832~1888年)はアメリカの小説家。彼女が姉妹と暮らした少女時代をもとにした半自伝的小説「若草物語」は現在でも多くの人々に愛されている。他に短編集など生涯に200を超える作品を残した。
オルコットは1832年にアメリカのペンシルベニア州で4人姉妹の次女として生れ、元気はつらつで冒険心に溢れた子供であった。父親は哲学者、教師、作家、教育思想家、改革論者、超絶主義者であった。父親は自らの思想に基づいて実験学校を創設したり実験的共同生活を試みたりしたが、いずれも成功せず、家族は貧困に苦しむ生活を長い間送った。
オルコットは14歳の時に次のような自分の人生の計画を立てたという。それは「父には平和と日当たりの良い部屋を、姉のアンナには幸福を、病身のベスには看護を、そしてメイには教育を自分の力で必ず与えよう」というものであった。
その決意を表すかのようにオルコットは18歳の頃から教師、お針子、家庭教師、家事手伝いなど様々な仕事をこなして家計を助けた。その一方で、著述活動を行い、16歳の時には雑誌に記事を掲載し始め、20歳の時には小説を初めて出版した。
ボストンで幼稚園の先生をしていた南北戦争中には従軍看護婦に志願し、北部の病院で負傷兵の看護にあたった。しかし看護中にチフスにかかってしまい、帰郷を余儀なくされる。オルコットはこの時以後、心身共に様々な病変に悩まされることとなる。
36歳の時に「若草物語」を執筆し、出版するとたちまちベストセラーになり、経済的に豊かな生活を送ることができるようになった。その後も若草物語の続編や短編集など意欲的に作品を執筆する。
しかし体調は悪化し、父を看取った2日後に55歳でボストンにて永眠する。
雲の向こうは、いつも青空
—人生において先が見えないような困難な状況に陥ってしまうことがある。そのような不安や苦しみに襲われた時、その向こう側にはいつも希望が広がっていることを忘れないで—
家族を支えなければとの思いで一家の大黒柱として働き、両親の面倒をみたり、亡くなった妹の子供を育てたりしたオルコット。そして従軍看護の際に罹患したペストに使用した薬の影響で水銀中毒となり体調の悪化に苦しみながらも亡くなるまで多くの作品の執筆を続けた。
オルコットはこの格言のような心の支えが胸にあったからこそ先にあるだろう希望を胸に困難に耐え、家族のためにつくし、そして最期まで執筆活動を続けることができたのではないだろうか。
https://insight.webyarunen.com/beyond-084-there-is-always-light-behind-the-clouds/ 【#084 雲の向こうは、いつも青空】より
「雲の向こうは、いつも青空」という名言があります。小説『若草物語』の著者であるルイーザ・メイ・オルコットの言葉だそうです。
「雲の上はいつも晴れ」という格言があったり、「雲外蒼天(うんがいそうてん)」という四字熟語もあるそうですが、私は「窓の向こうは、いつも青空」という言い方が好きです。
「向こうは」という動きを含む表現が入っているので、単に「上は」や「外」という位置関係だけの言い方よりも、『いま直面している障害を乗り越えることができたら』というポジティブな意味合いを強く感じるからです。
山に登ったり、飛行機に乗ったりすると、自分のいるところは晴れているのに、眼下に雲海が見えることがあります。
このような時、眼下の雲海の下では、「雲の向こうは、いつも青空」の状態になっていることがわかります。
この言葉の意味は、『いま直面している障害があっても、それを乗り越えることができたら、すばらしい世界が広がっている。だから、あきらめないで』ということだと、私は思っています。
しかし、障害になっている「雲の向こう」に行くには、山や飛行機のように上に登るだけでなく、列車や自動車を使って「雲の切れ間」に移動する方法もあります。
Kimmo TurtiainenによるPixabayからの画像
このように「雲の切れ間」を探す行動をとれば、雲の上を目指して『障害を乗り越え』なくても、『障害を避ける』ことによって、すばらしい世界にたどり着くこともできます。
「雲の向こう」には、すばらしい世界が待っています。
https://teratomo.jp/smp/freepage_detail.php?cid=2237&fid=45 【No.23 雲の上は、いつも青空】より
雲水と言えば、行方を定めず行脚する修行僧のこと。これは「行雲流水」という言葉に由来します。
人は、空を行く雲と流れる水のように、自然に身を任せた生き方に僧のあるべき姿を求めたのでしょうか。
こんな時、ふと目に浮かぶのは、青空にポッカリ浮かぶ白い雲ですよね。
でも、仏教には〈雲心〉という言葉もあるんです。
これは逆に、雨雲に覆われたような鬱陶しい、心の晴れない状態です。
思わず、「来年の今月今夜、再来年の今月今日のこの日を僕の涙で曇らしてみせる」といった『金色夜叉』の貫一の恨み節を思い出しました。
こんな雲は、迷い雲。
それを見事に払いのけたのは維新の先駆者、吉田松陰でしょう。
彼は、「事態が悪化し、豪雨の前の空のように陰々として暗くなればなるほど、その密雲の上の固有の蒼天(青空)を思うらしい。
むろん、誰の目にも見えないのだが、松陰の目には網膜が青く染まるほどのあざやかさで、(蒼天を)思うようであった」と司馬遼太郎は語っています。
先行き不透明と言われるこの時代ですが、
私たちも恨み嘆くより、雲の上の空を見る心こそ、今必要な時なのではないでしょうか。
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