https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16833389 【誘蛾灯を燈そう】より
WSB後。こうだったらかわいいなというだけのお話です。
少女☆歌劇レヴュースタァライト天堂真矢大場なな真矢なな
見つけなければいけない。みんなに、立つべき舞台があるように。道の果てにある、あなただけの舞台を。
あんなこと、言ったのにね。純那ちゃんとのレヴューに負けた後に見た、道の果ての光。純那ちゃんが目指す星の対極に位置した光。私はその光に向かって進んだはずだった。またね、と言って別れたあの時に、確かに私は彼女への執着にケリを付けたつもりだった。
でも、じゃあ、その次はどうしたらいいの?
純那ちゃんも、華恋ちゃんも、みんな進むべき道を見つけて、歩きだしていく。自分だけの星を目指して。
みんなの目指す先にあるのは、確かに星だ。でも、私の見た光は本当に星だったの? 私の見た光は、道筋を照らしてはくれなかった。どうしたらその光に届くのか、教えてくれなかった。みんなははっきりとした道を見つけられたのに。
新国立って書いた一回目の進路希望調査。再び配られた白紙の進路希望調査用紙に、今の私はもう一度同じ文面を書けなかった。提出期限が来て、学級委員長の純那ちゃんが回収に来ても、名簿番号と名前しか書いてない用紙を出すわけにもいかない。とはいえ「出せません」が許されるわけでもないのだ。
「ううん……どうすればいいのかな……」
授業後の教室。「まだこれで本決まりってわけでもないからさ、大場」とは言われたものの適当に書いて出せるはずがないし。用紙記入のために居残りをすることになるなんて思わなかった。純那ちゃんも生徒会の仕事があるからってそそくさと教室を出てっちゃったし。
他のみんなにだって練習があって、教室には私一人が残ることになった。白紙の用紙とボールペン。うんうん唸っても、募集を掛けてる劇団とか学校のリストを見ても、志望欄が埋まるわけじゃない。時計の針だけが回って、私も気が散ってきて、日も傾いてて、もう先生に謝って今日は帰らせてもらおうと思って立ち上がったそのときだった。
「おや。まだいらっしゃったのですか、大場さん」
「真矢ちゃん、なんで教室に?」
「つい先ほどノートを忘れたことに気づきまして、練習の合間で取りに来たんですよ。そちらは……どうです、随分と悩んでいらっしゃったようでしたが」
「結局まだ書けてないの。だから先生にお願いして提出、もうちょっと待ってもらおうかなって」
「私がこういう言い方をしていいものかはわからないのですが、その猶予があれば大場さんはその用紙を埋めることが可能なのでしょうか」
「……それは、わかんないけど」
「それでは、問題の先延ばしにしかならないのでは。延期された期限の日にまた居残りをするおつもりですか?」
「……」
……うぅ、なんでまた真矢ちゃんに怒られるの……? 笑顔が引きつってないか不安になる。もうちょっと早く先生のとこ行けばよかった。真矢ちゃんはあの列車の上でただ一人私の真意を理解してくれたくらいすごい女の子なんだけど、こういう真矢ちゃんはちょっぴり苦手だ。
真矢ちゃんは首席になるくらいすごいのに、なんでか私のことをやけに気にしてくる。
「……じゃあ、私行くね? おつかれさま、真矢ちゃん」
さっさと話を切り上げちゃおう。それで、先生に謝って、今日はそのまま帰ろうっと。真矢ちゃんはまだ自主練とかしていくだろうし。鞄を持って教室を出たら、真矢ちゃんが付いてきた。
あれ?
「大場さんはこの後どうされますか?」
「今から練習に参加してもしかたないから今日は帰ろうかなって」
「そうですか。それでは私もご一緒しても?」
待って待って、それは予想できなかったわ。えぇと……どうしよう。まだ話をしたいってことだよね、これ。私は遠慮したいけど「だめ」って言うのも良くなさそうだし……。
「練習、まだ終わってないのに帰っちゃっていいの?」
「今日のところはほぼ終わったようなものでしたから」
「いつもの自主練は?」
「物事には優先順位があります。自室でできるメニューもありますので、お気遣いなく」
やっぱり帰るのやめるって言っても時間合わせてくるだけだよね。どうしよう、純那ちゃんには「今日は遅くなりそうだから先帰っててね」って言われちゃったし。あまり遅くなりすぎるとご飯の準備も遅くなっちゃうし。なすすべなし、かなぁ……。
手に持ったこの用紙が急に憎らしくなってきた。こんなものなかったら真矢ちゃんにも怒られなかったし、純那ちゃんのお手伝いにも行けたし(他の人に手伝いは頼むから心配しないでって言われた)、こんなに頭を抱える必要もなかったのに。
「了承ということでよろしいでしょうか。私は今から戻って着替えて荷物を持ってきますので、職員室の前で合流しましょう。できるだけ急ぐつもりですが、五分以上お待たせするようでしたら先に帰っていただいて構いません」
「うん、わかったわ」
……もしかしたら逃げられるかも。先生とのお話が早く終わって、職員室の前に真矢ちゃんがいなかったら急いで帰っちゃおう。そういえば買い物も寄らないといけないし。
真矢ちゃんは駆け足で去っていく。私も急がないと。職員室の扉をノックした。
「九十九期生俳優育成科、大場なな、入ります。失礼します」
櫻木先生は自分のデスクに向かって難しそうな顔で何か書きこんでいたけど、私が近寄るとこっちを向いて「書けたのか?」と訊いてきた。私は白紙のままの進路希望調査用紙を差し出して、すいません、と頭を下げることしかできない。
「提出、もう少し待ってもらうことはできませんか」
先生は少し困った顔をして、私が真矢ちゃんに言われたばっかりのことを言った。
「面談を後回しにすればいいだけだからあと少しくらいなら待ってもいい。だけどね、大場。その間にこれ、しっかり書いてこられるのか?」
「……すいません。わかりません」
「はっきり言って私は、今のお前に時間をやっても、結局白紙で提出すると思ってる」
「はい」
「悩むのは悪いことじゃない。志望先が二転三転することだってこの時期はよくある話だ。お前以外の九十九期生にも聖翔祭のオーディションの結果を見て、志望先を変更した生徒もいる」
「そうなん、ですか」
「うん。まあお前と違って調査用紙は提出してくれたけどね」
「……すいません」
先生は、もう一度頭を下げた私に笑いかけた。
「別に責めやしないよ。大場はね、他の生徒に比べて選択肢が多い。少なくともその点では、私が教鞭を持った生徒の中でも一番だ。役者としても、裏方としてもいろんなところに手が届く。一回目に志望してた新国立、役者でも脚本でもどちらを選んだって十分に射程圏内だと思う」
でも、今お前が悩んでるのは自分があの狭い門をくぐれるのかってことが理由じゃないんだろ? 先生は確かにそう言った。
「私にはお前の代わりに進路を決める権利なんて当然ない。だから、進むべき道がわからなくなって悩んでるお前に道を教えてやることはできない。残念ながらね」
「どうして、私が悩んでる理由がわかるんですか」
レヴューのことも、キリンのことも、地下劇場のことも、純那ちゃんとのことも、先生は何も知らないはずなのに、どうして「道がわからない」なんて悩みを言い当てられるんだろう。
でも、単純な話だった。先生は笑って言った。
「どうして、って。進路希望調査用紙を白紙提出する理由が、進む道がわからないこと以外にあるんだったら逆に教えてほしいくらいだな」
私が差し出したままの用紙を、先生はとうとう取った。用紙はそのまま他のみんなの用紙の束に差し込まれる。あ、まだ白紙のままなのに。
「時間はやらない。最初に言ったけど私は無駄だと思ってるからね。その代わり、今回は白紙提出を特例で認める。この紙を埋める方法は、面談の時にでもじっくり相談しよう」
「わかりました。ありがとう、ございます」
「うん。それから――周りと話せ。同期でも、後輩でもいい。もちろん親と話したっていい。私は生徒としての大場しか見てやれないからね。最終的に進路を決めるのはお前だけど、考えるのは別に一人じゃなくてもいいんだ」
失礼しました。そう言って職員室を出る。思ったより時間が掛かったから、真矢ちゃんが職員室の扉の横で待っていた。むぅ……しかたない、よね。
「それでは帰りましょうか」
「スーパーに寄るつもりなんだけど、めんどくさかったら先帰っても……」
「いえ、荷物持ちがいた方が楽でしょう? もちろんご一緒しますよ」
それに、大場さんの料理を一番楽しみにしているのは私ですし、だって。
そういえば、真矢ちゃんとこうやって二人で並んで歩くのって考えてみたらほとんどなかった……というか初めてかもしれない。私は純那ちゃんと一緒だったし、真矢ちゃんにはクロちゃんがいたから。
「大場さん、もう新国立に行くつもりはないのですか?」
「……そうかも。まだ、わかんないけど」
「それは残念ですね。新国立の舞台にあなたと立つこと、楽しみにしていたのに」
「私もまひるちゃんや双葉ちゃん、真矢ちゃんとまだ一緒の舞台に立っていられたらなって思ったわ。でも……」
「それでは自分に折り合いが付けられない、ですか」
「……え?」
思わず立ち止まって真矢ちゃんのほうを見た。真矢ちゃんは、舞台の出番を待っているときくらい真剣な顔で私を見ていた。私が視線を重ねると、真矢ちゃんは目を閉じて、ふぅ、と息をついてから言った。
「これは私の勝手な推察ですので、間違っていましたら聞き流して頂いて構いません。……大場さん、あなたが新国立を選んだのは私と石動さん、露崎さんの三人が新国立を志望しているから、ではないですか?」
返事、できなかった。だって、だって、図星だったんだもの。……真矢ちゃん、真矢ちゃんは、どこまでわかってるって言うの?
「まだ聖翔に執着していたから、あなたを除いた私たち八人のうち最も多くが集まるであろう新国立に行こうとした、そんなところではないかと考えていました。そんな不純な動機でと思ってしまいながらも、結果として選ばれたのが国内どころか世界でも最高峰の劇団では何も言えませんでしたが。そもそもすべて私の推察に過ぎないものですし……大場さん?」
「……真矢ちゃんは、すごいね。純那ちゃんにだってそんなこと気付かれなかった」
「と、いうことは」
「ご明察、真矢ちゃん」
全部、その通りだもの。鋭すぎるよ、真矢ちゃん。おまけに、言葉も鋭すぎる。純那ちゃんの言葉が私の欲しいもので、私の大切なものを包み込むようなものだとするなら、真矢ちゃんの言葉はその反対。厳しくて、私の大切なものを突き刺してくるみたいな言葉だ。
でも、確かに私を見つめた言葉だから。苦手でも、逃げられない。辛くても、目を背けられない。再演の間中ずっと言われた、「あなたを赦さない」の言葉。真矢ちゃんの呼び出しから逃げ続ければあんな言葉聞かないでいられたのに、何度でも私は真矢ちゃんと校舎裏に向かったのだ。
「……私の推察は正しかった、と。では大場さんが進路に悩むことになった理由も」
「うん、そう。新国立の見学に行ったあの日のレヴュー、あのレヴューのおかげで私は気づいたの。『あなただけの舞台を』って言ったけど、じゃあ『わたしだけの舞台』はなんなのかなって疑問に」
あの日のレヴューで、確かに純那ちゃんへの執着にケリは付けられたと思う。
けど、先生にも、誰にも言わなかった新国立の志望理由。「みんなが行くから」なんて、受験で書いたら一番に欠点として指摘されるであろう志望理由。新国立に入団することは、『わたしだけの舞台』を見つけて進むべき私が、結局みんなに執着したままで選んだ進路に進んでしまうことに他ならなかった。
だからといって、わざわざ他の劇団とかを選ぶことに意味はないと思えてしまう。新国立は書けない、でも他も選べない。「新国立はみんなが行くので、その次の劇団節季を志望します」? それこそ隣を歩く真矢ちゃんの怒髪天を突きかねないような愚行だよね。
真矢ちゃんが次に口を開きかけたところで、スーパーに着いた。
「私は別に――あ、スーパー、着きましたね。一度話は中断しましょうか。大場さんの料理の食材選びだというのに、こんな話をしながら買い物をして、料理にも影響が出てしまってはいけませんから」
大真面目な顔のままでそんなことを言い放った真矢ちゃんがおかしくて、思わず笑ってしまう。
「な、なぜ笑うんですか大場さん」
「うふふ、だって真矢ちゃん、そんなことすっごい真面目な顔で言うんだもの」
「私は至って真剣なんですよ、ちょっと、大場さん、聞いてますか?」
カートに買い物かごを二つ載せて、すいすい店内に入っていく。真矢ちゃんが慌てて追いかけてくる。
あ、ちょっと気分ほぐれたかも。だいぶシリアスな気分になっちゃってたし、よかったのかな。
おまけに真矢ちゃんは、本気で話を中断するつもりでいたみたいだった。
「今日のメニューはどうされますか、大場さん」
「切り替えすごいね、真矢ちゃん。……うーん、カレーにしようかな。今日はちょっと楽に済ませたい気分だし、みんな好きでしょ? カレー」
「ええ、大場さんのカレーは実に素晴らしい味です。甘すぎず、辛すぎず、具材の煮え具合、ルゥのとろみ、どれをとっても完璧で……それに隠し味のバナナもあの素晴らしい味を構成する一助に」
「わ、わかったから! そんなにべた褒めしなくてもいいのに……」
「おや、そうですか? 私はまだ……」
「い、いいから!」
今日はカレーと言っても、今日のぶんだけ買って帰ったりしたらまた明日もスーパーに来ないといけなくなっちゃうのは当然なので、使えそうな食材をどんどんかごに放り込んでいく。真矢ちゃんも目に付いたものをどさどさ入れてくるからすぐにかごの中身が山盛りに……。
「あ、真矢ちゃん、トマト戻さないでよ。使うんだから」
「このような毒々しい色の野菜などなくても大場さんの料理は素晴らしいものになります。私は不要な出費を抑えようとしただけです」
「トマトを毒々しい色なんて言うの真矢ちゃんぐらいよ……。使うんだから戻しちゃだめ」
「な、生では出さないでくださいね! 約束ですよ!?」
「真矢ちゃんが生トマト嫌いなことくらいわかってるから大丈夫よ♪」
「トマトの排除に失敗するとは……不覚です」
「あのねぇ真矢ちゃん……」
レジ袋は私が一つ、真矢ちゃんが二つ持った。真矢ちゃんはしっかり荷物持ちのほうの役目も果たしてくれるらしい。ふざけたことを言ってた真矢ちゃんも、スーパーを出るとまた、真面目な顔に戻った。
「先程の話の続きですが……私は正直なところ、大場さんが以前のまま新国立を志望しても問題はないだろうと思います。私たちの存在を志望理由の一つとしたことへの後ろめたさがあるにしても、今後も演劇に携わっていくことを望むのであれば、そして入団に足る実力が伴っているのであれば、国内の劇団で新国立を選ばない理由など無いと考えるからです。それには役者としての入団を希望するのか、裏方、脚本家としての入団を希望するのかは関係ないでしょう」
「確かに、真矢ちゃんの言う通りだと思う、でも」
「そうですね。これではあくまで一般論程度の説得力しか持ちえません。では、こういうのはいかがですか…………私のために新国立を目指してください、大場さん。私が、まだあなたと舞台に立っていたい」
「フランスに行くクロちゃんの代わり?」
「まさか。そんな失礼な真似はしません」
どうでしょう、と真矢ちゃんが微笑む。真矢ちゃんの真意は読めない。クロちゃんならわかるかな。真矢ちゃんのことは、よくわかっているようで、時々わからなかったりする。再演をしたぶん、みんなのことは誰よりも見てきたはずなのに、私の知らないみんながいる。
「真矢ちゃんの言うことがどうあれ、さ。それって『わたしだけの舞台』なのかな」
「そちらは肯定しがたいですね」
「じゃあ、解決になってないじゃない」
「いいえ。差し当たって、現状だけは打破できるでしょう? 少なくとも、今、ここで立ち止まったままになることだけは避けられます。こんな言い方は良くないかもしれませんが、新国立に在籍していたという経歴は他劇団に移籍する上でも役に立つでしょうし」
「問題の先送り、ってことね」
「悪いことだとは思いませんよ。今よりレベルの高い環境に身を置くことで見えてくるものは変わるはずです。そうしたら、『大場さんだけの舞台』を見つけられるかもしれない」
「……うーん……」
煮え切らない態度ばかり取ったのが良くなかったかな。真矢ちゃんは肩を竦めてため息を吐いた。……ごめん、真矢ちゃん。……う、怒らせちゃったかも。
「……結局、あなたの考える『自分だけの舞台』はどういうものなんですか。周りとは違う進路を選びさえすればそうなるとでも思っているんですか」
「そんなのわかんないよ、わかんないから今悩んでるのに……」
「提案は取り合わず、進退すら定かではなく、解決の方向性を見つける気もない。そんなものが悩みだと? 赤子が泣きながらこねる駄々と大差ないのではないですか、あなたの悩みとやらは。これでは櫻木先生も苦労なさるでしょうね」
さっきまでとは一転、ぐさぐさと私の心を抉るような言葉が投げつけられて、思わず下唇を嚙む。お腹がきりきりと締め付けられるみたいだ。鞄を持ってるほうの腕を痛むお腹に押し付ける。やっぱり、逃げちゃえばよかった……!
自分で真矢ちゃんからは逃げられないなんて考えてたのも忘れた私がそんなことを思った時だった。
「……すいません、言い過ぎました。撤回します」
「……うん」
「とはいえ、ですが。せめて何らかの方向性くらいは見つけておく必要があるでしょう」
「そう、よね。でも、どうやって……」
「ねえ大場さん。役者でも、裏方でも、あなたはこれから先の人生、舞台と共に生きる覚悟はおありですか?」
「……あるよ。ある。だって、まだ、みんなで舞台を創る楽しさが忘れられないの」
「……最初から、こうすればよかったですね。舞台を創りたい、その意志の再確認だけでよかった。大場さん、難しく考えすぎたんですよ。立つ舞台を探そうとするからよくなかった」
「じゃあどうすればよかったの、私は。勝手に納得しないでよ」
「あなたが創ればいい。あなただけの舞台を。大場さん、あなたは役を演じる側の人間であると同時に、ゼロから舞台を創る側の人間でもあるのですから」
「だったら、新国立の制作部、なのかな……」
「改めて志望するならば、それもいいと思いますが。あなたが納得できるならともかく……おや、もうすぐ寮に着きますね」
この話、流石に寮に戻ってまでは続けないよね。だってわざわざ二人きりの時間を作ってきたのは真矢ちゃんだし。私もみんなのいるところでこの話はしたくない。先生にはみんなと話せって言われたけど、ちょっと自分からは切り出しにくいし。
ちょっと前を歩いていた真矢ちゃんが急に立ち止まった。くるりと振り返って、私に向き直った真矢ちゃんが言う。
街灯のスポットライトに照らされて、真矢ちゃんは笑っている。
「今回、大場さんが劇団のレベルを落とすことで自分を誤魔化そうとされなかったのは私としても喜ばしいことでした。見知った誰かと一緒にならないようになんて理由で選ぶのは、あなたの才能にも、もちろんその劇団にも失礼な行為ですからね」
そんな真似をなさるようでしたらさすがにあなたの評価を大幅に改めざるを得ないところでした、だって。今言われるとは思わなかったけど、そうしようと思わなくてよかった。嫌われるのは、いやだもの。
「それから、これは余計なお世話かもしれませんが。新国立はやはり、というのであれば、国外を見るのも選択肢かもしれません。西條さんはフランスの劇団にスカウトを受けたそうですし、確か星見さんもアメリカ留学を志望していると伺いました。……そういえば、王立演劇学院は留学も受け付けているそうですよ」
「なんで今その話したのかな。王立って、世界一入るのが難しい演劇学校なんだよ?」
「私は自分の持つ情報を選択肢として提示しただけですよ。それに、入学難度など大場さんが気にする必要はないのでは? ほぼ独学で聖翔に受かるような才媛でしょう、あなたは」
「ちょっと買いかぶりすぎよ、真矢ちゃん」
「そんなことはないと思いますがね。まあ、ひとつの選択肢というやつです。あまりお気になさらず。あなたが王立で輝く姿を見たくないと言えば――嘘になってしまいますが」
「……ちょっとだけ、考えとくわ」
私がそう言うと、真矢ちゃんは満足げに頷いた。あと数十メートルの帰り道を並んで歩く。
手のひらをひっくり返してばっかりだけど、やっぱり真矢ちゃんが話しかけてきてくれて、よかったな。
寮の玄関をくぐるころには、私もそう思えるようになっていた。
「ただいまー!」
☆
「海外?」
「やっぱり、難しいですか?」
「費用が嵩んでくることにはなるからご両親には負担をお願いしないといけなくなる。一番高いハードルはそこだろうね。逆に言えばそこがクリアできれば選択肢は当然増えてくるってわけだが……具体的に志望したいところがあるのか?」
「いえ……でも、王立演劇学院が留学生を募集してるっていうのは聞きました」
「一番最初に王立の名前が出てくるか。流石だね、大場」
「そんな、私も聞いただけの話なので。まだ志望するって段階でもないですし」
「いや、私はアリだと思うよ。向こうの新学期は九月だし、今から準備してもお前なら十分間に合う。どうだ、挑戦してみるか?」
「……そうですね、じゃあ両親と相談してみようと思います」
「まあ、そこからだな。私のほうでも海外の劇団とか留学を受け入れてくる学校を探してみる」
「ありがとうございます」
「なんにせよ、少し道が見えてきたみたいだな。……良かったよ」
「……はい」
☆
八月の暑い暑い日だった。アブラゼミが喧しく騒ぎ立てていた日だった。
すっごく大きいガラス窓の向こうで、何機もの飛行機がたくさんの人を乗せて空へと飛び立っていく。私だって、あと一時間もしないうちに雲の上だ。
「いよいよですね、大場さん」
「うん。わざわざ見送りありがとう。忙しいんじゃないの?」
「否定はしませんが、お気になさらず。九十九期生代表という形でここにいますので」
「さすがは我らが首席ね、真矢ちゃん」
「今はただの新入り劇団員ですよ。今は、ですけれど」
真矢ちゃんがにやりと笑う。次、直にこの顔を見られるのはいつになるかな。すぐ、とはいかないと思う。だって私はロンドンに行くのだ。旅行客じゃなくて、留学生として。世界一の演劇学校、王立演劇学院が、向こうで私を待っている。
ポケットの中のスマートフォンが時折小刻みに震えるのは、きっと、ここにいないみんなからのメッセージだ。見なくてもわかる。だって他に来る通知なんて思いつかないし……。
「そうだ、忘れないうちにお渡ししておきたいものが――あれ」
慌てた様子で服のポケット、鞄、シャツの中……ってそんなとこに入るはずないでしょ……を確認しはじめた真矢ちゃんは、どうやらその「渡しておきたいもの」とやらを紛失したか忘れたかしたらしい。露骨に意気消沈した様子の真矢ちゃんが言った。
「手紙をしたためてきたのですが、その、忘れてきてしまったようで……」
「あら~……」
「すいません、取りに戻りま――――」
「そんなことしてたら、飛行機飛んでっちゃうわ。ね、真矢ちゃん、よかったらそれ、真矢ちゃんの口から聞かせてよ。真矢ちゃんが手紙に書いたこと」
「それはそうですが、一言一句にわたって覚えているわけではないので……」
「それでいい、ううん、それがいいの。真矢ちゃんの言葉で、聞かせてほしいな」
そろそろ入場しないといけないし、もうあまり時間がない。飛行機に乗ったら、当分の間は面と向かって話すこともなくなる。真矢ちゃんは私がロンドンに行くきっかけを作ったんだから。できるだけいろんなことを聞いておきたかった。
「何から話せばいいでしょうか。ええと……まずは改めて称賛の言葉でも。さすがでした、大場さん。わずか一年で王立への留学資格を獲得できる方は、そうそういらっしゃらないでしょう。あなたの類稀なる才能の一端を改めて見せつけられたような思いです」
「そろそろ、許してもらえたかな?」
「……覚えていらっしゃったんですね。とうに忘れ去られているものかと」
「忘れないわ。……きっと、ずっと」
何度だって聞いた。そうして、何度も同じ表情を見た。一度も返事をしなかった。……あの頃の私は、きっと許してほしいなんて思ってなかったけど。
「今の大場さんに許さないなんて言ったらあの日の私に石を投げられますよ」
「そっか」
そうやって言ってもらえたのが、なんだか嬉しかった。別に真矢ちゃんのために王立に行くわけじゃない。それでも、ね。あの真矢ちゃんがここまで言ってくれるんなら、きっとそれはすてきなことなんだと思う。
「話が逸れましたね。大場さん、言うまでもないことかもしれませんが……頑張ってくださいね。世界一の演劇学校、聖翔以上に熾烈な競争の場になるでしょう。今まで通り、とはさすがの大場さんでも難しいかもしれませんよ」
「大丈夫よ、真矢ちゃんもそう思うでしょ?」
「ええ、否定はしません。……ああ、言いたいことはいくらでもあるのに。言葉が出てこなくて、もどかしい。大場さんはもう行ってしまうのに、上手いことが言えない」
だから手紙にしたというのに。真矢ちゃんがそう言ったとき、アナウンスが響いた。
『――――便にご搭乗予定のお客様にご連絡申し上げます。搭乗ゲートの――――』
いけない! 時間のこと、すっかり忘れてた! 真矢ちゃんと顔を見合わせて、慌てて保安検査場に走る。期限の時間は過ぎてしまっていたのに、「お急ぎください」と言うだけに留めて通してくれた係員の人に謝りながらゲートをくぐった。くぐった先では飛行機に乗りはぐれかけた私の荷物を片手に私を急かす係員のお姉さんがいる。遅刻すると迎えに来てくれるんだなぁ、なんてのんきな考えが思わず頭を過ぎった。
……あ、真矢ちゃんとちゃんとお別れできなかったや。でも、引き返すわけになんていかない。走り出したお姉さんを追おうとした私を、声が引き留めた。叫び声なんかでは決してなかった。でも、その場にいた誰もが声の主を目で追った。待合スペースのお客さんも、保安検査場の警備員さんも、私に先行したお姉さんも、もちろん私も。動きを止めて、声の主に向き直った。声は言った。
「九十九期生首席ッ、天堂真矢! 舞台の上で、いつかまた!」
よく通る、のびやかな声。何度も何度も聞いた声。レヴューで名乗りを上げるときの声。
ゲートの向こうで、真矢ちゃんがかっこいい顔して立っていた。
だから私も、名乗り返した。
「九十九期生、大場なな! 私の舞台で、待ってるわ!」
そうやって一度、二度、大きく手を振った。完璧な決別だった。
お姉さんが、正気を取り戻そうとしたみたいに「急ぎましょう」って言って走り出して、私はそれを追った。未練がましく振り返る必要なんて、もうどこにもなかった。
既に座席についていた人たちの視線を受けながら十五列Aの座席に座って、窓から外を見る。ゆっくりと、飛行機が動き出していく。景色が流れていく。そして、少しの衝撃と共に飛行機が離陸した。
規則正しく来る電車、絡みつくような湿気、せわしなく動き回る人たち、道路を埋め尽くす車、われらが母校、みんなで行った水族館、新国立劇場、三年暮らした星光館、お世話になったスーパー、通い詰めた本屋さん、純那ちゃんがよく行ってた眼鏡屋さん、真矢ちゃんの好きなバウムクーヘンのお店、クロちゃんと香子ちゃんが見つけた駄菓子屋さん、まひるちゃんとひかりちゃんが連れ立って出かけたコラボカフェ、双葉ちゃんが免許を取った教習所、華恋ちゃんの運命の場所、東京タワー。ぐんぐんと遠ざかっていく。どんどん小さくなっていく。たくさんの想い出の詰まった場所とはしばらくお別れ。
飛行機に乗って、私は、新しい舞台に向かう
私の舞台で、待ってるわ。その言葉を反芻するたび、思わず笑みが零れてしまうのは仕方ないと思う。あの大場さんが、私に向かってそう言ったのだ。舞台の上で会おうと言った私に対する返答がそれだ。どういうことか? 一度、舞台とは誰のものかについて考えればいい。制作に携わるみんなのもの? 楽しむ観客のもの? それも正解だろう。しかし、この場合においては違う。舞台の上で、最も輝くのは主役だ。その点において、舞台は主役を輝かせるためのものであるとも言える。なら、『舞台の上で』『私のものだ』と言えるのは主役以外にいるはずがない。
つまり、大場さんは、私に向かって「私が主演を張る舞台に助演以下で参加しろ」と言ったに等しい。
あのひとから、そんな挑発を聞ける日が来るなんて、そう思ったのだ。
……そんな意図なんて全然なくて、私の拡大解釈でした、というのは否定できないが。
彼女が日本を発ってから五カ月近くが経って、クリスマスもお正月も過ぎた今日、なぜ改めてこんなことを考えているかと言えば、当の大場さんから私宛にエアメールが届いたからだった。カエルのシールで封がしてあって、そういえば大場さんはカエルが好きだったな、と思いを馳せる。
……なんだか緊張する。電話もメールもできるのに、わざわざ手紙で届けられた大場さんからのメッセージ。西條さんがここにいたのなら、「さっさと開けなさいよ天堂真矢」とでも言うだろうか。あいにく今は自室に私一人、という状況だが。息を吸って、吐いて、それから、ペーパーカッターで封を切った。
中には、便箋二枚と写真が一枚、あと何かのチケットが一枚入っていた。……写真とチケットも気になるが、ここは便箋からいくべきか。
なになに……?
☆
拝啓 親愛なる真矢ちゃんへ
この手紙が日本に届くのは、お正月を過ぎたぐらいになるみたいです。寒さが厳しい季節ですが、お元気ですか? クリスマスも終わって、今年もひと段落ということで、手紙を書いてみることにしました。
手紙なんて書くの久しぶりで、変なこと書いてたらごめんなさい。でも、なんだかメールとかメッセージとか電話じゃなくて手紙を送りたい気分だったのです。真矢ちゃんだけに送ったので、みんなに自慢してくれてもいいよ、なんてね。
十二月二十六日の夜です。雪が降ってます。外はすっごく寒いです。バナナも凍る寒さです……そういえば、凍らせたバナナで釘が打てると聞いてやってみたのを思い出しました。確かその時はバナナがへこんだだけだったのかな。家の冷凍庫で冷やせる程度の温度じゃだめってのはしばらくしてから知りました。
せっかく書き始めたのに、思った以上に「これ!」って書くことがありません。電話とかでいっぱいお話してるので、実は言ってなかったんだけど、みたいなネタがあんまりないのです。あ、そういえばクリスマスはひかりちゃんと過ごしたんでした。ひかりちゃんのお父さんとお母さんがおいでって言ってくれたので、学校のクリスマスパーティーのあとでおうちにお邪魔して。料理のお手伝いをしたりして、楽しく過ごさせてもらっちゃいました。……書いてから気づきましたが、これ、写真送ったよね。
このちょっぴりの文章を書くのに、思ったよりたくさんの時間を使っています。脚本を書く時より難しいです。私、もしかしたら手紙を書くのが苦手だったのかもしれません。字が上手じゃないのはあんまり気にしないでくれると助かります。いつまで経っても、上手になれないままです。
真矢ちゃんは最近どうですか? 抽象的な質問でごめんね。でも、色んなことが聞きたいってことにしておいてください。SNSだったり普段のやり取りだったりで入ってくる情報もあるけれど、同じ寮で暮らしてた時に比べたら知らないことだらけになっちゃったのがちょっぴり寂しいから。もっと身近に感じていたいです……センチメンタルになっちゃいました。反省。
同封した写真とチケットはもう見たのかな。私が王立で参加した初めての定期公演のときに撮った写真とそのチケットです。まだ見てなかったら、このあと見てびっくりしてほしいな。あ、先に言っておくとチケットはもう公演が終了しちゃってるので使えません。またの機会に、ってやつです。今回の手紙のメインは写真とチケットを送るためって言っても過言じゃないかも。まだみんなにも話してないとっておきエピソード(まあこっちにいるひかりちゃんは知ってるんだけどね)です。あえてここには書きません。写真とチケットを見ればわかってもらえるはず! ってことで、お願いします。
ええと、今回はこの辺で。まだまだ寒い季節は続くけど、体調は崩さないようにね。
私たちはいつだって舞台の上。
ロンドンの自室より 大場なな
☆
「いつだって舞台の上、ですか。いい言葉ですね」
そこだけ何度も消しゴムを掛けたような跡が付いていて、この一文を捻りだすのに大場さんが苦労しただろうことを推察するのはそう難しいことでもなかった。
それはさておき。びっくりする写真というのを見てみようじゃないか。机の上に置いていたのを拾い上げる。どうやらそれは、集合写真らしかった。数十人が一度に写っているその写真から、大場さんを探す。舞台の公演後だったのか、そこに写っている全員が衣装姿で、尚且つ国際色豊かな面々であるのもあって、なかなか見つからない。聖翔のころは彼女の黄色い髪はよく目立ったものだったけれど、日本を出れば色鮮やかな髪なんて珍しくもないのだ。とはいえ、背の高い彼女のことだ。それなりに後ろにいるのではなかろうか……と目星をつけて探してみたけど彼女の顔はない。まさか、「実は私が写真を撮ってたから写ってなかったの。びっくりしたでしょ?」なんて話ではあるまいかと少しの疑念が出てきた。
でも、大場さんはそんなくだらない真似をするひとではない。
結論から言おう。私は大場さんの実力をまだ甘く見ていたらしい。
オーディションで最も優れていた演者がいかな役を演じ、演者の集合写真でどこに配置されるのか。その程度のことを理解していなかったなどとは口が裂けても言うまい。
ああ、果たして大場さんは、最前列の一番真ん中で写真に写っていた。
周りと比べてもいっとう素敵な仕立ての衣装を着て、溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。
――――はは。思わず乾いた笑いが零れる。「びっくり」? まさか。その程度で済むものか。世界一の演劇学校にわずか一年の準備期間のみで留学を決めて。初めての定期公演で並み居るライバルをなぎ倒してあっさりと主役を勝ち取る。奇跡と呼んでも許されそうなそんな真似を、「びっくり」なんて言葉で片づけられるものか。
チケットを手に取った。やはり予想を違えない。目ぼしい出演者の名前が羅列されていて、その先頭には「NANA DAIBA」のアルファベット九文字が燦然と輝いている。
そこで思い立った。私も手紙を書こう。大場さんの話に驚いているだけでは、負けているようなものだ。私も大場さんが驚くようなエピソードを送りつけてやらねば。何がいいだろう。とりあえず、便箋を準備しないと始まらない。
便箋を広げて、ボールペンを手に取った。
さて。
拝啓、親愛なる大場さんへ――――。
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