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高浜虚子(たかはまきょし)の生い立ちは?
高浜虚子(本名は清で旧姓は池内)は、1874年に愛媛県で生まれました。父は旧松山藩士の池内信夫という人物でしたが、高浜虚子は幼い頃に祖母の家に入ることとなったため、その実家の高浜姓を名乗ったと言われています。
1888年には中学校に進学。在学中に友人となった、のちの俳人・河東碧梧桐の影響を受け、正岡子規に俳句を学び始めました。その後正岡子規から、本名の清(きよし)の音に由来した、虚子、の号を授かっています。河東碧梧桐との仲は長く続き、同じ高校へと入学していますが、翌年の1894年には2人して学校を中退。上京して正岡子規の所で世話をし、数年の間放蕩生活を送りました。
やがて20代半ば頃になると、一時新聞社に入ったのち、正岡子規が立ち上げた雑誌『ほとゝぎす』を代わりに運営することとなります。正岡子規から後継者となるよう話を受けた際には断った高浜虚子でしたが、『ほとゝぎす』を俳句だけでなく散文や和歌なども掲載する文芸誌として新たにスタートさせ、夏目漱石からの作品の掲載や、自身初の小説『風流懺法』を発表しました。以降は小説作品の執筆にも力を入れていきます。また、この頃から河東碧梧桐との意見の対立が目立っていきました。
36歳になると鎌倉へと移り、3年後に河東碧梧桐と対峙する構えで俳壇の場に帰還。この際詠んだ『春風や闘志いだきて丘に立つ』の句はよく知られています。『ほとゝぎす』の運営を俳人の嶋田青峰に任せたのちは再び俳句の創作に打ち込み、1937年に立ち上がって間もない芸術院の会員に。また1947年に現代俳句協会を設立し、次の年には愛媛新聞の『愛媛俳壇』の選者として就任しました。
晩年、1954年には文化勲章を受章していますが、1959年、85歳で息を引き取っています。
高浜虚子の作品の特徴は?
高浜虚子の俳句は定形と季語を重要視している点が特徴のひとつで、俳句の理念には「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」の考えを掲げていました。この花鳥諷詠は高浜虚子のつくった言葉で、花鳥は自然の美しさや風流を表す花鳥風月、諷詠は詩歌を詠むことを表しています。
高浜虚子はどのような部分が評価されているのか?
高浜虚子の俳句は保守的とも言われていますが、それは正岡子規の考えを重視したものにより、河東碧梧桐などが見せた新しい在り方の俳句に対峙したものでもあります。
また『ホトトギス』上では前田普羅や原石鼎、中村草田男や水原秋桜子、山口誓子と言った多くの作者を輩出し、正岡子規亡き後でも大いに盛り上げていきました。
他には1905年に自身の働きがきっかけとなって、夏目漱石が『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』を『ほとゝぎす』にて掲載しています。
他の代表作
『五百句』や『虚子句集』。
正岡子規の所で世話をした時代に、若い女性の義太夫への恋を綴った小説『俳諧師』などがあります。
各ワード紹介
■河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)
1903年に『温泉百句』を出すと、高浜虚子が強い否定の意見を出しました。
河東碧梧桐は正岡子規の提唱した形に当てはまらない新傾向俳句を提案し、『碧』や『海紅』などを出していきましたが昭和始めに俳句の世界から身を引いています。
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