福江城(石田城)

https://tabi-mag.jp/ns0132/ 【福江城(石田城)】より

福江城(石田城)

長崎県五島市池田町にある幕末に築かれた福江藩(五島藩)の城が福江城(石田城)。福江藩10代藩主・五島盛成(ごとうもりあきら)の時、異国船の来襲に備え、嘉永2年(1849年)から15年もの歳月をかけ、幕末の文久3年(1863年)にようやく完成をみた城郭です。続日本100名城に選定。

異国船の来航に備えて造られた幕末の海城

福江城(石田城)

大手門が現存

もともと五島氏は、石田陣屋を藩庁としていましたが、五島列島近海に異国船が出現し、幕府に新城の築城願いを出したのです。

築城の許可が下ったのが半世紀後の嘉永2年(1849年)のこと。

異国船の来襲に対する防備、つまり海防のための石火矢台場(砲台)を各郭の隅に備えています。

石田城は、築城された石田の浜にちなんだ呼び名です。

異国船到来を念頭に、城壁の三方が海に面した日本でも唯一の海城となっていますが(当時は城の石垣は外海に面し、波が打ち寄せていました)、完成を見たのは最後の藩主となる五島盛徳(ごとうもりのり)の治世で、文久3年(1863年)。

つまりは、江戸時代最後の城郭ということに。

築城わずかで明治維新を迎えたため、維新後に解体され、実戦では使われていません。

本丸、二の丸、北の丸からなり、内堀、東シナ海を外堀にした縄張り。

海には常灯鼻(じょうとうばな)と呼ばれる灯台を配していました。

築城時の藩主だった五島盛成は、二の丸の西南端に邸宅と庭園を配し、天守はなく、本丸の二重櫓が代用天守として機能、海に面した東側に水門(舟入)を備えるという構造です。

現存するのは、自然石を積み上げた当時の野面積みの石垣、石橋、大手門、二の丸の一角には五島盛成の隠居所となった五島邸と、京・金閣寺の林泉式庭園を模して築かれた五島氏庭園(国の名勝)などで、往時を偲ぶことができます。

五島氏庭園(大名庭園)は、福江島らしく、庭石と築山に鬼岳溶岩を使い、植栽としては亜熱帯植物を配置しています。

また本丸跡には長崎県立五島高等学校、二の丸跡には第35代五島家当主・五島典昭さん(日本で唯一個人で城を所有)が宮司を務める城山神社、五島の歴史や文化を紹介する天守閣を模した、五島観光歴史資料館や五島市立図書館、五島市福江文化会館などがあり、城跡一帯は五島市のカルチャーゾーンになっています。

https://oniwa.garden/kinkaku-ji-temple-garden-%E9%B9%BF%E8%8B%91%E5%AF%BA%EF%BC%88%E9%87%91%E9%96%A3%E5%AF%BA%EF%BC%89%E5%BA%AD%E5%9C%92/ 【金閣寺庭園(鹿苑寺庭園)について】より

金閣寺(きんかくじ)として知られる「鹿苑寺」(ろくおんじ)は室町幕府三代目将軍・足利義満が築いた“北山殿”をルーツとする寺院。京都を代表する建造物であり、世界文化遺産「古都京都の文化財」に構成。

金閣を写す鏡湖池を中心とする池泉回遊式庭園は“庭園の国宝”国の特別名勝および特別史跡に指定されているほか、『銀閣寺』や西本願寺の『飛雲閣』とあわせ“京の三閣”とも言われます。

言わずと知れた京都の観光名所。2020年は2月に丸4年ぶりに訪れたのを皮切りに、春の誰も居ない頃、そして大晦日の雪の金閣寺と3度訪れました。それらの写真を紹介。

かんたんに歴史を。足利義満により北山殿が建立される以前、鎌倉時代には西園寺公経などを輩出した公家・西園寺家の別邸(山荘)“北山第”がありました。その当時にも栄華を象徴するような(浄土式の?)池泉庭園があったそうで、その遺構が境内の高台部にある“安民沢”(あんみんたく)という池。

足利義満が通称“金閣”と呼ばれる舎利殿を中心に北山殿を造営したのは1397年。38歳で出家していた義満は亡くなるまでこの地で過ごし、その死後は禅寺となり現在では臨済宗・相国寺の塔頭寺院(子院)になっています。

金閣は応仁の乱などの室町~戦国時代の戦火も逃れ現代まで至ったものの、戦後の1950年(昭和25年)に放火により焼失。現在の建物はその後に再建されたもので、この事件などをきっかけに1月26日の『文化財防火デー』がスタートしました。

金閣がリフレクションする広大な池泉回遊式庭園は“鏡湖池”と言って、衣笠山を借景としながら鶴亀島、葦原島などの大小の島々や当時の大名が寄進したことから名付けられた畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が配され神仙蓬莱の世界が表現されています。

また江戸時代初期に金閣寺の住職を務めた鳳林承章の代に池泉を含む境内の大整備が行われたそうで、順路の後半にある茶室“夕佳亭”はその鳳林承章が後水尾上皇を招く際に?献茶のために武将&茶人・金森宗和によって造られたもの。高台から眺める夕日に映える金閣が特に良い、ということから命名されたそう。方丈の前の枯山水庭園も当時のものなのかなあ。

その他、方丈の北側には“陸舟の松”という義満のお手植えと伝わる樹齢600年の巨大なマツや、義満がお茶の湯に使ったという“銀河泉”などが点在しています。いつかも少し雪模様の中の金閣寺を自分の目でも眺めてみたい


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