俳句の基準

https://blog.goo.ne.jp/sikyakuaizouhaiku/e/5df7d445e6d24c495757347b262af7ff?fm=entry_awp_sleep 【第1回 二つの基準-阿部完市- 古田 嘉彦】より

深川三股のほとりに草庵を侘びて、遠くは士峰の雪を望み、近くは万里の船を浮ぶ。朝ぼらけ漕ぎ行く船のあとの白浪に、蘆の枯葉の夢と吹く風邪もやや暮れ過ぐるほど、月に坐しては空しき樽をかこち、枕によりては薄きふすまを愁ふ。 

艪の声波を打って腸凍る夜や涙

 もう何年前になるのだろうか、新潮日本古典集成「芭蕉文集」の始め、「柴の戸」「月侘斎」「茅舎の感」そして「寒夜の辞」と読み、そこにそれまで俳句に持っていたイメージと異なる世界があることを知った。侘びて澄むこころざし、そこに徹していこうとする切迫感。蔵書を失うことになった時自分の手元に残す十冊を選ぶとしたら、これはそのうちの一冊になるべきものだと思った。そのようにして私は全生涯を注ぎ込む作品形式として俳句を考えるようになったのだ。

 それに加えてこの作品で感じたのは、字余りの漢詩的な異形の姿と、普通避ける涙といった感情をあらわす生(なま)の言葉への異和感で、芭蕉がこのようなことをしていることへの驚きである。洗練、巧みさ、風雅、どれも無い。そして考えた。「短い作品形式にとって、ある種の奔放さ、ぎょっとさせるものは不可欠な要素、命なのではないか…」それはずっと私にとって課題となった。人の予想を超えたもので驚かせるのは、多かれ少なかれすべての芸術において常に試みられてきたことだが。

 それはともあれ、作品の中にある時間のしんしんとした強さという尺度によって、日野草城の病臥後の句、尾崎放哉の晩年の句が私にとって大切な作品となった。私は俳句を特定の時から離脱させようとしているのでこれらと同じことをする積りは無いが、それまで己をしばっていた基準から抜け出てただ切実なものに集中しようとする姿勢、厳しさのようなものに近づきたいと思った。

 それと「芭蕉文集」によって、詞書、日記等の文章と俳句を組み合わせて一つの世界を構成しようという志も与えられた。「寒夜の辞」は私のその後の作句全体を方向付けたのだ。

 それに対し、私にとってもう一つの基準を成すのが阿部完市の作品である。

うすものというあたりなり十一軒  (阿部完市「純白諸事」)

白鷺がとんで行ってみえて京劇   (阿部完市「地動説」)

 意味、象徴ではなく、言葉、イメージが読者の意識をかき乱す。読んだ後句の中にあった言葉はそれまでとは違う言葉にならざるを得ない。俳句作品によって揺り動かされて、その句によって導かれるのでなければ到達しえないある意識の世界、他の言葉に置き換えられない真実、しかも魅力を感じさせる世界に至る。そのような俳句のあり方が、私が阿部完市から学んだものである。

「…書くそのことと、心理あるいは思考との間に致し方なく確在する不安定性、偶然性、のその向こう側、その彼岸に表現があり、一句があり、感銘があり、酩酊がある」(阿部完市「わが『ことば』のこと」) 

 私はこの後に従おうとしている。不安定であり偶然性があるが、しかし的中している。それが故に酩酊が起こる。それは阿部完市の作品で実証されている。一見舌足らずで不完全に見える表現で不意をつくやりかた、微妙に壊し意味不明にされた世界等々、それらは一定の句法で約束された(はずの)成功を実現しようというのではなく、常に一句一句の挑戦である。

「…まだ私にとって言葉というもの・一語一語は、謎そのものでありつづける」(阿部完市「地動説」後書) 

 その言葉が謎でなくなった時、現代俳句(または現代川柳)は言語芸術であることをやめる。しかし俳句のあり方を学んでも私がそれを実現できるわけではない。阿部完市の詩想の跳躍力は俳句史において比類が無い。

「寒夜の辞」の芭蕉と阿部完市、この二つを同時に実現するのが、私の望みである。句集「虹霓鈔記」の後記でも書いたが、これは矛盾するところがある志向で、私は二つの基準に引き裂かれそうになりつつ茫然とするばかりである。原理的に両立しないのではないかと思うが、絶対に不可能なのかどうかまだ結論が出ない。私にとっての未来は阿部完市にしか無い。しかし後ろで芭蕉が背をつかんでいる。

 どちらか一つだけの基準であれば楽だった。だから(わが愛の、わが宿敵の愛憎句という趣旨とは異なるが)艪の声と阿部完市の句が、私にとっての愛憎句ということになる。

(初出 『LOTUS』第12号 2008.11)


https://blog.goo.ne.jp/sikyakuaizouhaiku/e/89114abc266591fd431fcf86034171a6?fm=entry_awp_sleep 【第7回  我が俳句空間の座標  無時空映】より

 俳句を始めたばかりのころ、佐藤文香氏の句会に行って「無時空さんなら気に入ると思うよ~」と言って攝津幸彦のことを教えてもらった。早速、週末に図書館に行って「自選句集」を借りてみたところ大変面白く、興奮し、翌朝目覚めたら寝床でそのままそれっぽい俳句を40句くらい書いたことを覚えている。

「自選句集」には面白いものがいっぱいあって、例えば、

子宮より切手出て来て天気かな

という句についていうと、一般に子宮から出てくるものは赤ちゃんや胎盤など生物的なものであるにも拘わらず、切手のような無機物を出してもいいのだということを知った。また、子宮から出てきた切手と「天気」との関係のなさも面白いと思った。

 筆者は幼稚園の頃からダリの絵画が好きだった。柘榴から虎が飛び出して、その刺激的な映像の背景彼方には異様に脚の長い像が彷徨しているというような情景を幼いころから好んだのである。筆者にとって柘榴から虎が出るのも、子宮から切手がでるのも同じように刺激的で面白い。「子宮から出る」にしても、子宮頚管の先端から出るのか、膣を経由して陰門からでるのか、或いは虎が柘榴から出るように、子宮のフォルムを破って一枚、又は無量大数の切手が噴き出すのかで、かなり異なる展開になるだろう。大量に噴き出す方が「天気」とはバランスが取れるような気もする。もうひとつ挙げると、

太陽の純白の死の桜谷

太陽の死と桜谷の無関係さが「の」で繋がれて訳の分からない世界観が立ち上がっている。太陽が死ぬのもカッコイイ。桜谷には複数の太陽の死骸があるのだろうか?白色矮星の溜まり場と考えられないこともないが、、。

 おそらく、そのついでに書架で見つけて借りたのが金原まさ子の「カルナバル」。この句集も大変好きである。

にこごりは両性具有とよ他言すな

にこごりというある種の食物に性別と生殖器があるという発想はなかなかのもの。俳句における発想領域の広さを知った。

エスカルゴ三匹食べて三匹吐く

この句には可笑しさとしての「俳」をたっぷり感じる。「サンビキ」という4音の同じ単語を繰り返すところも挑戦的で心地よい。

 俳句を始めたきっかけは「高柳蕗子全歌集」の「あとがき」に作者の父親が俳人だとあったため、高柳重信の「現代俳句の世界」を借りてみたら面白かったからだ。その重信の師匠が富澤赤黄男とのことだったので、これまた「現代俳句の世界」を借りてみたら面白かった。中でも「黙示」が一番刺激的だった。

黒い舌が舐めてゐる 白い灰

誰の舌なのか判らないが、白い灰を舐めるときの感触は想像できる。と同時に、蠢く舌の様子も目に浮かぶ。あまりにも寂寞とした虚無感が凝縮されている。

零の中 爪立ちをして哭いてゐる

「零の中」という空間設定が素晴らしい。爪立ちをしている状態の体感を共有することもできるので、その状態で「哭く」時の感情も想像しやすい。あまりにも深刻過ぎて虚無化した絶望なのだと思う。

 というわけで、俳句界には色々と刺激的な作家がいるということが判ったので、刺激的なものを探して色々と借りてみたところ、西川徹郎と出会った。枚挙に暇はないが、

あああと舌は抜かれて帰る竹の花

「あああ」という擬音語とも詠嘆ともとれる母音の連続。抜かれた舌が自走してどこかへ「帰る」という異様さ。そして多分、関係のない竹の花。異様さと支離滅裂感の相乗効果が刺激的だ。

サフランは子をひとりづつ食べて

サフランは植物なので「子」というと「種子」なのだろうが、それは理屈で、筆者としては「我が子を食らうサトゥルヌス」を想起せざるを得ない。サフランの鮮やかな黄色が人肉食を明るく飾る。この異様さにも俳句表現の広さを感じた。

 特に「憎い」俳句というものはないが、今のところ俳句を刺激的エンタテイメントとして扱っているようである。恋愛と死で埋め尽くされたイタリアオペラやハリウッド映画と同じジャンルである。自作についても、作っている時に興奮してドーパミンが出ている感覚が好きだし、作品そのものよりもドーパミンを味わうために創作モードに入ると言わざるを得ないような時期もあった。とはいえ、ドーパミンには中毒性があるといわれており、刺激に慣れるとどんどん強いものを求めるらしいのでそのような創作態度を改めつつある。今のところ、セロトニンやオキシトシンなどのリラックス系脳内物質がでるような作品や創作態度を模索している。そのような役割での俳句を発見し、創作するのが現在の課題だと思っている。

 上記の区分を別の観点から整理すると、①攝津・金原のような可笑しさとしての俳味、②富澤・西川のような深刻さ・絶望感の衝撃としての違和感、③高柳重信などの多行形式、④蕉門やホトトギスなどの季語ルール俳句、という4つを頂点とした4面体が自分にとっての俳句空間だった。今後の希望としては、この4面体内部では得られない快としての脳波状態を特定し、それを励起するような俳句を第5の頂点として創作し、自分にとっての俳句空間を6面体に進化させたい。


https://blog.goo.ne.jp/sikyakuaizouhaiku/e/65509870a75856def1e3a5ec403e660b?fm=entry_awp_sleep 【第12回  自由律俳句の逆襲   曾根 毅】より

  カキフライが無いなら来なかった   又吉直樹

  まさかジープで来るとは       せきしろ

 2009年、2010年に刊行された自由律俳句とエッセイの収められた句集より。掲出した二つの作品は、それぞれそのまま句集のタイトルとなっている。

 自由律(俳句)とは、『俳文学大辞典』(平7、角川書店)によれば、「定型を形式的・外在的なものとみなし、内在律や感動律を重視して現代語(口語)により自由に表現したもの」とある。自由律俳句の代表的作家である尾崎放哉や種田山頭火の作品の多くは、特殊な境涯を背景に一人称で読ませる。作者の境涯が短い表現を補っているのだとすれば、私を含めた大多数の凡人は日常生活のうえで自由律俳句が詠めないということになるのだろうか。せきしろ氏と又吉氏は、諧謔と哀感を絶妙に融和させて、そのニュアンスのうちに一句独立を果たしている。特殊な背景を必要とせず、誇張したレトリックも使用しない。一見散文的な表現で、言外の広がりを表現することに成功している。「愛憎句」の憎とは、この成功に対する私の嫉妬というほどのものである。

 俳句について私にはある予感がある。どれくらい先のことになるのかはわからないが、将来、俳句が現在の自由律俳句と呼ばれているような形をもって定着していくのではないかというもの。正岡子規の短歌、俳句革新。河東碧梧桐の新傾向俳句に端を発する、中塚一碧桜や荻原井泉水らによる自由律運動のような革新ではなく、ゆっくりと自然に派生してゆくことを想像する。

 外国語や異文化の浸透が広がる中で、日常では使用しない文語・旧かなで書き、旧暦に従い、郊外へ出掛けなければ見ることのない希少な自然を写生。外来語を七五調に無理矢理押し込むなど、現代の詩としては違和感の多い状態となっている。もちろん定型を伝統として尊ぶ姿勢を否定はしないが、表現が社会変化に応じてゆくことは、歴史を振り返ってみても自然のことと思われる。

 律という意味では、例えば短歌でリズムを整えるよりも、俳句で言葉のリズムを整えることのほうが難しい。しかしその半面、意味の飛躍、シンタックスの希薄化、連想の多様化など、俳句は自由な構成力を備えていて、音声的、文法的条件にも拘束されることが少ないという特性が挙げられる。これらの特性は、言語特性の壁を越えた国際性の観点において適応力を有していると思う。しかし定型と季語、季題趣味に拘るあまり、その適応力が埋もれてしまっているように感じられてならない。

 俳句が日本語に留まらず、短詩としてより広く親しまれることを考慮すれば、七五調はもとより、定型と季語をそのまま各国の言葉や物に当てはめて、三つの節で表すような形式重視ではなく、いかにして比喩を構成するかといった方法に関心が向けられるだろう。そうした場合、短い詩であるということに拘らず、言語によっては長律に目を向ける必要も出て来るのではないか、などと想像している。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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