http://www.jicl.jp/old/hitokoto/backnumber/20041129.html 【子ども、未来、命 ~ ちひろの思いと憲法】より
ちひろ美術館・東京 副館長松本由理子さん
大江健三郎さんらが「憲法9条の会」を呼びかけたとき、一条の光を見る思いでした。
9.11以降、「テロへの戦い」とさえ言えば、簡単に他国を武力攻撃できる世の中になっていくことに、身の凍るような思いをしていたからです。今、ファルージャでは、「動くものはみな撃つ」という掃討作戦が行われています。市内にはまだ、たくさんの民間人がいるといわれているのに。米軍が最初に爆撃・占拠したのが病院だと聞いています。水もなく、電気もなく、治療を受けることもできずに傷つき、死んでいく子どもたち。いつも最初に犠牲になるのは、何の罪ない子どもたちです。
いわさきちひろは、「戦場にいかなくても戦火のなかで子どもたちがどうしているのか、どうなってしまうのかよくわかるのです。子どもは、そのあどけない瞳やくちびるまでが、世界じゅうみんなおんなじだから」という言葉を残しています。
大切なものを守る、それを踏みにじろうとするものとたたかう
イラクで、パレスチナで、アフガニスタンで、今なお戦火にさらされて生きる子どもたち。その姿と重なるからでしょうか、没後30年の今年ほど、テレビや新聞の報道、出版を通して、絵本『戦火のなかの子どもたち』が取り上げられたことはありませんでした。
この絵本が描かれたのは、ベトナム戦争が激しく戦われている1972~73年。一年後に、ちひろは癌のために死去します。先日出版された『ラブレター』(いわさきちひろ著/講談社)のなかに、製作当時のちひろの気持ちが、こんな言葉で記されています。
「いましなければ、ベトナムの人は、あの子どもたちはみんないなくなっちゃうんじゃないかと思って・・・。」「くたくたでたいへんなんだけれども、私のできる唯一のやり方だから・・・」
この絵本の中に、「母さんといっしょにもえていったちいさなぼうや」という言葉が添えられた母子像があるのですが、母親に抱かれたぼうやの顔には恐怖感がないんです。お母さんに抱かれているから、子どもは安心しきっている。だからこそ、お母さんは、鬼子母神のごとく、我と我が子を焼き尽くす炎に、炎を降らせた米軍に、戦争そのものに対して命がけで対峙し、怒りをあらわにしている。ちひろは、「愛情と怒りは表裏一体」と語っています。愛すること、本当に大切なものを守るということは、それを踏みにじろうとするものに対して怒り、たたかうことと表裏一体なのだと。
今、米軍再編成が進められるなか、憲法9条を変えて、日本を戦争ができる国に変えようとする動きが急激に進んでいます。私たちの子どもや孫やその友達を、戦争の被害者にも加害者にもさせないために、私たちは、今こそこのお母さんのように、憲法を変えていこうとする力に対して、怒り、たたかわなければならないのではないかと、この絵を見るたびに思います。
戦争が人びとの命と生活を破壊する
ちひろは、「青春時代のあの若々しい希望を何もかもうち砕いてしまう戦争体験があったことが、私の生き方を大きく方向づけているんだと思います。平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます。」と語っています。ちひろの娘時代はずっと戦争のなかでした。女学校1年のときに満州事変が始まり、日本は敗戦で終止符が打たれる15年戦争への道を突き進みます。1945年5月の空襲で、東京・中野の家は全焼し、ちひろは炎の中を逃げ、九死に一生を得ます。炎の中で焼け死んだ母子を見ただろうし、焼け跡をさまよう小さな姉弟の姿も瞼に焼き付いていたことでしょう。「ベトナムにアメリカ軍が爆弾の雨をふらせていますけれど、戦争を知っている私は、その恐ろしさにゾッとします」とも語っています。
でも、ちひろの戦争体験は被害者としての体験だけではありませんでした。ちひろは敗戦の前年の1944年5月に、日本が「満州」と名づけた中国東北地方に、女子義勇隊の人たちとともに渡っています。「満蒙は日本の生命線」との掛け声の下に、当時は国策として大規模な満州開拓移民計画が推し進められていました。ちひろの両親の故郷である長野県は、日本一たくさんの満蒙青少年義勇軍(隊)を旧ソ連との国境地帯に送り込んだ県でした。彼らが武装開拓団員となるべく訓練を受けたのが、義勇隊訓練所ですが、ちひろが渡った勃利(黒龍江省七台河市勃利県)には4300人規模の大訓練所があり、1942年には彼らの妻となる「大陸の花嫁」を養成する女子義勇隊訓練所も作られます。この「大陸の花嫁」を送り込む仕事に深く関係していたのが、女学校教師から大日本青年団の主事に転じたちひろの母親でした。25歳だったちひろは、花嫁修業の先生として、同行したのです。
偶然、勃利に駐屯する関東軍の部隊長が知り合いだったために、ちひろは三ヵ月後に無事日本に帰国しますが、一緒に渡った女子義勇隊員は帰ってくることが出来ませんでした。現地で集団結婚させられ、戦争末期に夫を現地招集され、敗戦時に、あるもの乳飲み子を抱え、あるものは身重の姿で、中国の大地に置き去りにされます。逃避行の中で亡くなった方もたくさんいらしたと思います。かろうじて生き延びられた方々も、中国残留日本婦人や中国残留孤児としての苦難の人生を歩まれた。
戦後、引揚げ者のニュースを聞くたびに、ちひろはどんな思いでいたのだろうと考えてしまいます。ちひろの父は地位の高い軍属でした。岡田三郎助に油絵を習い、藤原行成流の書を学ぶというような恵まれた生活は、国策に積極的に協力する両親のもとで保証されたものでした。私は戦争の加害者の側にいた人間なんだとの思いが、戦後のちひろの人生の、根底にあったように思います。
憲法の平和主義を守り広げる
ちひろの死後3年目に開館したちひろ美術館は、ちひろの絵を保存・公開するだけではなく、ちひろの心も伝える場でありたいと思っています。ちひろが願いつづけたのは、「世界中の子どもみんなに平和と幸せを」でした。戦争は二度としない、国際紛争を武力で解決しない、そのために軍隊を持たないという日本国憲法は、未来を照らす光であり、アジア2000万人、日本310万人の犠牲の上に、戦後、日本が国際社会に復帰して生きていくための原点でもありました。
憲法前文と憲法9条があったからこそ、朝鮮戦争のときも、ベトナム戦争のときも、湾岸戦争のときも、日本の軍隊が他国の人に直接銃を向けたり、戦闘行為に参加する事はありませんでした。なのに、今、自衛隊は武器を持ってイラクに派兵されている。憲法に反しているなら、憲法自体を変えればいいじゃないかというような、乱暴な意見が大手を振ってまかり通ろうとしている。
ちひろが生きていたらどうしただろうと考え、こんなしおり(別紙図版参照)を作ってみました。8枚セットなのですが、裏には英語、フランス語、中国語、韓国語で憲法9条が記されています。表は、憲法前文、憲法9条、24条、25条、そして、教育基本法前文、1条、2条、子どもの権利条約が記され、各々に、ちひろの絵が添えられています。近日中には、ちひろ美術館のホームページに載せて、皆さんにお知らせしたいと思っています。「憲法の話なんてむずかしい」って言われてしまいそうなとき、そっと、「このしおり、使って」と渡してみる。そんなことからでも、憲法九条の大切さ、そして、未来に生きる子どもたちの幸せのために、教育基本法について、たくさんの人たちに一緒に考えてもらうきっかけづくりができたらいいな、なんて思っています。
イラクへの戦争が始まりそうになった時、「No War」「武力による報復ではなく平和的な解決を」と書かれたちひろの絵のシールをつくりました。大原穣子さんと、ちひろの絵を使った『おくにことばで憲法を』(新日本出版社)というCDブックも作りました。「憲法9条を世界に広める会」や、「輝け!9条の会」のカードも、ちひろの絵を使っていただいます。28年間続いている「ちひろカレンダー」も、「核兵器のない平和な世界を」「軍事費より子どもたちの命を」との思いを乗せ、手から手へと皆様が広げてくださっています。ちひろの絵が、平和憲法を守り、育てる活動の一助になれば、こんなに嬉しいことはありません。
人びととの共感を広げる
没後30年の今年、広範な方々に呼びかけ、ちひろの絵の中から、それぞれの方がいちばん好きな絵、思い出深い絵を選び、その思いも言葉で添えて応募していただいて構成するという、初めての参加型の展覧会「わたしが選んだちひろ展」を開催しました。4000通もの応募がありました。その中から、200通以上を収録した『ちひろBOX』(講談社)という玉手箱のような本も、あわせて出版しました。野球選手の松井秀喜さんや、元横綱の貴乃花光司さんも、応募してくださったんですよ。
ジェームス・三木さんの言葉も印象的でした。「ちひろの世界は、凛々しさ、かわいらしさ、懐かしさにあふれているが、特に私が感銘を受けるのは、必要にして充分なる条件を、ストイックまでに守った抑制の美である。よけいなものが多すぎる現代社会への、これは痛烈な批判といえよう。」って。
ちひろの絵は描いてない部分がたくさんあるんです。たとえば、子どもの目に、白目がない。たった4本の線で描いてあったり、黒い点だけだったりする。でも、誰が見てもそれは子どもそのものなんです。描いかれていないところは、みんな自分のいちばん大切な子どものイメージを足して観ている。つまり、観るものが参加して、成り立っているんです。その絵のなかに自分の大切な子どものイメージを重ねる。そのなかで共感が生まれるんですね。「抑制の美」っていうのは、どこで筆を止めるかということ。ちひろの絵のなかに、もしかしたら私たちが平和について人々に語りかけていくときの大切なキーワードがあるんじゃないかって思うんです。大切なことだから、自分が知っていることを全部話したくなる。でも、相手を信頼し、相手の人が自ら思いを広げて考える余白を残すことの方が大切なのではないかと。どこで、言葉を止めるかが。自らの言動も含め、ちひろの絵を観るたびに、深く反省させられます。
人間はみんな一人ひとりが尊い
本当に大切なことって、殺ぎ落として考えていくと、そんなたくさんないかもしれない。ちひろの絵が語りかけるものは、子ども、未来、命。この3つなら、誰もが共感できる。ひろがっていくわけです。一番大切なことは、思想・信条とか、育った文化、環境とか、宗教とかの違いがあっても、人間はみんな一人ひとり尊い存在ということだと思うんです。みんなかけがえのない命。その重さは同じ、平等なんだよっていう思いがあれば、すごくアンフェアな状態にある人の存在をしったとき、そのままでいいとは思えない。私には何ができるかを考えたとき、ちひろの言葉ではないですが、私にできるひとつの方法として、ちひろ美術館という場をとおして、やっぱり戦争をしないで、地球に生きとし生きるものはみんな本当に同じに大切なんだということへの共感を広げていけたらと思います。私たちはこの地球というところに住まわせていただいていることをもう少し謙虚に考える必要があるんじゃないかと。そして、この地球の中にある様々な資源を未来に生きる子どもやその次の世代の人たちにも残していけるように大切にしていかなきゃいけないんじゃないか。戦争ほどものすごい破壊はないですし、核兵器なんて、最たるもの。戦争だけではなく、「開発」という名で行われる環境破壊、自然破壊に対しても、もうちょっと私たちは考えていかなきゃいけないなって思っています。そして、今は、憲法九条を守り、育てることへの共感を広げていけたらと願っています。
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