日本人の忘れもの

Facebook日本人の忘れもの 知恵会議  より

~未来を拓く京都の集い~

明治維新後、日本は欧米など西洋文化を追い求め、近代化への道をひた走りました。第2次大戦の敗戦を機に米国を中心とした欧米文化の吸収力は、単なるあこがれや模倣ではない自国文化として昇華し、その原動力は経済大国といわれるまでになりました。

一方で経済、文化などのグローバリズムがすすむ中で、昨今の混沌とした空虚感に満ちた世相を顧みると、我々日本人が悠久の歴史のなかで培ってきた“心”までも捨て去ってしまったのではないかとさえ思われます。

我々が置き去りにしてきた“心”とは、たとえば“大自然”にいのちが宿るとする“山川草木悉皆成仏”の考え方であり、質素な生活を心がける“始末のこころ”、四季を通して自然と共生し生活する“生き方”、 道徳観や倫理観など人格形成に影響を及ぼす“しつけ教育”、“読み書きそろばんなどの基礎教育”、合理化を追求することで失われた“もてなしの心や遊び心”です。

このような日本人が持っていた“心”は近代化の道でその多くが置き去りにされ、便利さや損得など個人や団体、ひいては国家のエゴを正当化する社会の流れになり、現代の希薄な人間関係を招いたのではないでしょうか。

京都は1200余年の歴史に裏打ちされた生活の知恵をもとに、文化を創造してきた街であり、文化、経済、宗教、教育など様々な分野の“日本人の心”が今なお残る街です。

2011年の東日本大震災という災厄以降、あらためて日本人の絆や、思いやりの心、不屈の精神力などが問われています。

このような考えのもと、京都新聞では2011年より、文化、経済、宗教、教育など様々な分野の“日本人の心”が今なお残るこの京都から「日本人の忘れもの」を取り戻すキャンペーンを2年間実施し、現代日本人が忘れたもの、取り戻すべき心、新たに必要な価値観は何かを発信してきました。そして、本年、これまでの「日本人の忘れもの」キャンペーンの考え方を継承し、発展させていくため、これまでに蓄積した数多くの知恵から未来を生きるために必要となるものを模索する「日本人の忘れもの知恵会議 ~未来を拓く京都の集い~」を発足することにいたしました。同会議では、趣旨にご賛同いただいた文化人の方々や企業、団体の代表者の方々とともに、これからの社会において必要なことは何か、未来(次世代)に伝えていくべきものは何かを考え、発信し続けていきたいと考えています。

主催:京都新聞

企画協力:株式会社日商社 


https://pr.kyoto-np.jp/campaign/nwc_2011/index.html 【恥を知る心 自律的道徳心を取り戻さねば 亡国の道を一挙に進むだろう】より

うめはら・たけし

哲学者

梅原 猛 さん

1925年仙台市生まれ。京都大文学部卒。京都市立芸術大学長、国際日本文化研究センター初代所長など歴任。文化勲章受章。著書は『隠された十字架』『水底の歌』『葬られた王朝』など多数。

「忠臣蔵」の芝居は

日本人に道徳を教えた

 明治以降、特に戦後、日本人は何を忘れたか。この質問に対して、ここで私は恥を知る心と答えておくことにしよう。アメリカの女性文化人類学者、ルース・ベネディクトは著書『菊と刀』において、日本文化を「恥の文化」として西洋の「罪の文化」に対比させた。ベネディクトは、恥の文化は他律的であり、自律的である罪の文化より道徳的価値において劣ると考えた。

 しかし作田啓一氏は名著『恥の文化再考』において、ベネディクトのように日本文化が恥の文化であることは認めるが、恥は決して他律的なものではなく、罪に劣らぬ深い内面性をもつ自律的なものであると論じた。

 この恥の文化は武士道と関係があることは否定できない。武士の道徳を鼓吹するものとして、「忠臣蔵」という芝居があろう。「忠臣蔵」は単なる娯楽作品ではなく、多くの日本人に道徳を教えた。その道徳は、表面上は忠義であったが、内面は恥を知る心であったといってよい。

吉良は、内匠頭は、四十七士は、恥を知っていた

 吉良上野介はどうして浅野内匠頭を激しく罵(ののし)ったのか。それは、勅使の接待を司(つかさど)る最高責任者である彼が田舎大名の不手際によって恥をかくことを恐れたからであろう。そして浅野内匠頭はどうして吉良上野介を松の廊下で斬(き)りつけたのか。それは、田舎大名とはいえ立派な大名である彼が吉良上野介如(ごと)き者に辱められ、恥をかいたからである。また大石内蔵助率いる浅野内匠頭の家臣たちがどうして艱難(かんなん)辛苦の末に吉良上野介を殺して仇(あだ)討ちを果たしたのか。それは、彼らが主君の恨みを晴らせない恥知らずの武士と思われることに耐えられなかったからである。四十七士こそまさに恥を知る忠臣であったのである。このように武士の社会は、恥を知る心によってその秩序が保たれていたといわねばならない。

 明治以降、主君に対する忠義の道徳は天皇に対する忠誠の道徳に変わったが、戦後、そのような道徳は封建時代のものとして否定され、恥を知る心も弊履(へいり)の如く捨てられてしまったように思われる。

政治家、学者、画家現代日本人は恥を失っている

 私は、現代の日本社会は恥を失った社会ではないかと思う。国のためとは称するものの、実はもっぱら自己の権力欲や金銭欲のために行動し、法にさえ触れなければ潔白だとして恥じることのない有力政治家がいる。また原子力の安全確保に関する組織の責任者でありながら国家、国民のことを考えず、もっぱら電力会社の意向に従って行動し、しかもまったく責任をとらずに恥じることのない著名な学者もいる。そしてまた、作品を売ることすなわち金を稼ぐことばかりに奔走し、自己の芸術観の安易さを反省しない大画家などもいた。日本人が恥を忘れることによって、日本は自律的な道徳心を失った国家になったのではなかろうか。

 この忘れものを取り戻すことは容易ではない。しかしそれを取り戻さないかぎり、日本は亡国への道を一挙に進まざるを得ないと私は思う。

<日本の暦>

水無月祓(みなづきばら)い

 6月も終わりに近づき、いよいよ1年の折り返しを迎えます。「この半年の罪やけがれを落とし、次の半年も元気に」と祈る行事が30日の水無月祓い。夏越祓(なごしのはらい)ともいいます。

 多くの神社で境内に茅の輪をつくり、参拝者がこれをくぐって無病息災を願います。現代では梅雨のころの行事ですが、旧暦では立秋(新暦8月7日ごろ)をすぎてしまう場合もありました。

 「風そよぐ奈良の小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」。

 藤原家隆の有名な一首は、上賀茂神社の水無月祓いの情景を詠んでいます。旧暦6月、晩夏のころ、禊(みそ)ぎだけが夏の名残りだ-という感興がこもっています。

<リレーメッセージ>

映画作家 河瀬 直美さん

■交わる場所

 「玄牝(げんぴん)」という映画を創ったとき、このタイトルの言葉の意味を知った。2500年前に言われた言葉だと知ったとき、こんなに昔の人が子孫に遺(のこ)したかったものの深さを思った。「谷神は死せず。これを玄牝という」。日本語に訳するとそういったことになるのだそうだが、この「谷神」とは谷の神。つまり川と川が交わるところの意味もあるらしく、ひとしく古代の人々はこういった場所に神聖なものを置いた。それらは信仰を伴って祈りの場所として人々の心の支えとなる。京都の上賀茂神社もそういえば明神川と御物忌川の交わる場所に鎮座されている。なぜそうして交わる場所が神聖なのか。この「玄牝」という言葉を言った老子は説く。交わる場所から命が生み出され、生み出された命は絶えず、その流れは永遠だ、と。「谷神」とは女性性器を意味し子宮はその命を宿し、この世にかけがえのないそれを生み出す。本当に大切な人をそこに迎え、歓喜の声を発する女。わたしという一つの命のことしか考えないのではなく、この命は前から今へ、今から先へとつながってゆくのだということ忘れずにいる場所が古都にはある。


https://pr.kyoto-np.jp/campaign/nwc_2011/serial/04/0415.html  【漢字と国字

独自性・多様性の豊かさ示す】より

日本語守り世界へ文化発信を

おいけ・かずお

財団法人 国際高等研究所所長

尾池 和夫 さん

1963年京都大学卒、同大学理学研究科長、副学長、第24代総長などを歴任。著書に「中国の地震予知」(NHKブックス)、「新版活動期に入った地震列島」、「日本列島の巨大地震」(岩波科学ライブラリー)など。

動物や植物や

気象に多く見られる国字

 長い年月の中で、複雑な表現を可能とする言語に仕上げられた日本語を、私たちは毎日なにげなく使う。日本人は、漢字を大切にすると同時に、国字をたくさん産み出した。漢字は世界でもっとも文字数の多い文字体系で、今でもその数は増え続けているという。

 国字は、漢字をまねた漢字体の文字である。峠(とうげ)、畑(はたけ)、辻(つじ)などの文字が古くから使われ、膵(すい)、瓩(きろぐらむ)、鞄(かばん)などは比較的新しく生まれた。国字がたくさん活用される書物に歳時記がある。動物や植物の名前にとくに多く見られる。これは日本の自然が多様であるということによる。鱚(きす)、鰯(いわし)、鱈(たら)、鰤(ぶり)、鯰(なまず)、鰰(はたはた)、鮹(たこ)と、たくさん魚偏の国字がある。鰰は鱩とも書く。雷が鳴るころたくさん捕れる魚である。

 中でも鯰は、私の少年時代からのニックネームなので親しく付き合っている。ナマズは中国では鮎と書く。退蔵院の国宝として知られる瓢鮎図には瓢箪(ひょうたん)と鯰が描かれている。他にも例えば樟(くす)と楠(くす)のように、同じものを中国と日本で異なる文字で表記する例は多い。凪(なぎ)、凧(たこ)、颪(おろし)、凩(こがらし)なども国字で、日本列島の気象現象をよく表している。

日本の特徴示す活断層からの峠 発酵文化からの糀

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 国字で私が注目する文字の例を二つあげると、峠(とうげ)と糀(こうじ)である。峠は日本列島の地形の特徴をよく表す文字である。日本列島では、細かい地質分布と活断層運動などによる細かい地形によって、峠がたくさん生まれるのである。例えば、京都府には、老ノ坂、白鳥、滝尻、念仏、真壁、板戸、吉坂、比治山、大内、三原、天引などの峠がある。修行僧が花(樒(しきみ)のこと)を折って越えたという鯖街道の花折(はなおり)峠は、花折断層という活断層の名としても知られている。

 麦の麹(こうじ)は漢字で、米の糀は国字である。甘酒は夏の季語である。糀で作られた甘酒は必須アミノ酸、ビタミン、葉酸を含み、点滴の液とほぼ同じ成分であり、夏ばてを防ぐ飲み物として知られる。完全にノンアルコールだから幼児にも飲ませられる。糀は、味噌(みそ)、日本酒、味醂(みりん)など、日本の味に欠かせない重要な発酵文化である。

どの学術の世界も書き表せる漢字仮名交じり文

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 日本語は漢字仮名交じり文で、どんな学術の世界であっても、書き表すことができる。しかも見ただけで意味が理解できる。グローバル化というのは国境を取り払う視点の概念であるが、国際化というのは自国の文化を意識しつつ、文化の多様性を尊重して共存を重視する視点の概念である。日本の文化を世界に発信して行くためにも、日本語の文字をしっかりと守り育てていかなければならないと思う。

<日本の暦>

土 用

 土用と聞くと、まずウナギを食べる「丑の日」を思い浮かべます。それは夏の土用です。

 土用は旧暦にある雑節の一つで、本来は春夏秋冬と、1年に4回あります。陰陽五行説に基づき「土の気が盛んになる」期間とされ、一つの季節が終わりを迎える約18日間を指します。ことしの「春の土用」の入りが4月16日に当たります。

 各季節とも、土用の期間が開けると、それぞれ立夏、立秋、立冬、立春が待っています。ことしの立夏は5月5日。「寒い、温かい」と言っている間に、もう夏です。

 夏のウナギに限らず、春秋冬の土用でも、何かおいしい物を食べる日があると楽しいでしょうね。

<リレーメッセージ>

女優 星 由里子さん

■今 思う事

 私が映画デビューさせて頂いた折、京都の撮影所で時代劇の銀幕を華やかに飾っておられた大スター、長谷川一夫さん、山田五十鈴さんたちは私にとってはすごく眩(まぶ)しい存在でした。いつか私もと思いながら…。時代の流れは早くこの時代の素晴らしい映画も残念ですが少し忘れられて来ています。

 話は変わりますが私の義母は京都生まれの93歳です。この折の映画はよく見ていたそうです。時代が移り映画よりテレビ、パソコン、携帯電話が主流の昨今でも有料放送の時代劇映画は毎日見ています。家庭でも仏様の事、お料理の事、掃除洗濯の事、ご近所様とのお付き合い、朝起きる時、夜寝る時、それぞれに昔ながらの流儀を今の時代に合わせながら毎日を過ごしているように見えます。良い事は引き継ぎ、新しい事にも挑戦し自分が少しでも納得出来るようにしているようです。

 私も日々義母の良い教えを受け入れ自分の人生に生かそうと奮闘しています。豊かな人生とは古き良き習慣を守りながら自分に合う新しいものを吸収し後のために少しでも残せればと、今思っています。



コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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