よりよく生きるための俳句

https://ameblo.jp/197001301co/page-2.html 【「滝」創立三十周年記念 合同句集 序文】より

 滝俳句会は、二〇二一年(令和三年)十二月、創立三十周年を迎えた。

設立は一九九一年(平成三年)。第一回目の句会は同年十二月八日、仙台市戦災復興記念館で行った。この日はちょうど、太平洋戦争勃発から五十年の節目の日と重なっている。その翌月、「滝」創刊号を刊行。当時「滝」に在籍されていた方の中には、既に鬼籍に入られた方も多い。

 設立から二十周年の二〇一一年(平成二十三年)、東日本大震災が我々を襲う。会員の中にもすんでのところで九死に一生を得た人、また大切な方を津波により失い、いまだ深い悲しみの中にある人もいる。滝発行所も甚大な被害を受け、数多の蔵書や貴重な資料の数々をやむなく手放すこととなった。その際、創刊主宰の菅原鬨也は「謙虚な自然観、自力の果の他力観」「我々は生きたのではなく生かされたのだ」ということばを残している。

 その鬨也主宰も、震災から五年後の二〇一六年(平成二十八年)、この世を去った。

 そして三十周年の今日、日本での感染者は激減したとはいえ、世界は新型コロナウイルスによる疫病禍にある。

 この三十年間、私たちは様々な出来事に翻弄されながら、結社を続けてきた。一地方都市の一俳句結社とはいえ、ひとつの組織を三十年存続させるのは並大抵のことではない。しかし、私たちがこうして「滝」という場所に集い、ともに俳句を詠み続けていられるのは、これまで「滝」を支え続けて下さった方の力はもちろん、既にお亡くなりになった方々の声なき声に支えられていることを忘れてはならない。

 コロナウイルスがこの世の中に蔓延ったことで、私たちは「命」について考える機会を得た。生きもの、という観点からは動物も植物も菌もウイルスも、そして人間も、みな同じひとつの命といえる。しかし、人間だけが唯一持っているものがある。それは想像力、そして創造力である。この小さなアンソロジーが、人間の想像力、創造力の表れの一端として、この世の片隅にひっそりとかたちになったことを心から嬉しく思う。

 「自力の果の他力観」-私たちは俳句を通して自然を見、世界を感じることで「生かされ」ている感謝、喜びをこれからも謙虚に詠み続けていこうと思う。

二〇二一年十二月八日

「滝」主宰 成田一子 


https://ameblo.jp/197001301co/entry-12724507960.html【よりよく生きるための俳句

】より

①選という海

 「滝」を継いでもうすぐ六年になります。主宰となって一番変わったのは、当然の事ですが選を「される側」から「する側」になったということ。ある程度予測していたこととは言え、結社内外問わず、見せて戴く俳句の数は日に日に増えています。

 俳句の選は、私にとって俳句を作るより非常に神経を使う作業。はじめの頃は、歳時記の例句と季語だけ違う句を採ってしまったりと失敗もありました。選者というのは、特別偉いからなれる、とか、物凄い実力があるから、というより、私の場合だと置かれた境遇、立場、そしてタイミングによりその役割を与えられた、と考えるのが妥当かと思います。言葉のニュアンスはあまり適当でないかもしれませんが、いわば選者は「釣り人」。ここぞというポイントに狙いを定めて良い句を釣り上げる。その為には釣り竿や釣り針をきちんと手入れし、体調を整え、良いコンディションで選句の海に漕ぎ出さなくてはいけません。

 今回はその選をする際の「基準」から、「俳句」を考えてみました。

 ②詩の純度

 先日行われた松島芭蕉祭において、招聘選者夏井いつき先生が、選の基準として「詩の純度、オリジナリティ、リアリティ」を挙げられました。また「俳句の選は結局、選者の好き嫌い」という通念を越えて、どの選者にもこの基準は共通してあるとのこと。200句なりの句の中で50句のふるいの中に残る句は、各選者重なっていることが多い、というお話は実に頷けるものでした。実際、チェックは入れていたが私の選からは漏れてしまった句を、他の先生が採って下さっていた例がたくさんありました。

 複数の選者がいて、どの選者の選にも入らない句と言うのは、やはりその三つが他の句に比べて弱いと言い換えられるかもしれません。結果に一喜一憂せずに、自句に欠けているのはどの部分なのかを検証してみるのも、俳句大会における学びのひとつであろうかと思います。

 やはり俳句の選の筆頭に挙げられるのは「詩情」の部分であると思います。「詩の純度」の部分と言えるでしょう。

 では「詩情」というのはどこに宿るのか。それは「芸術」における価値判断の基準を知ると明確になるかと思います。詩人萩原朔太郎は言います。

 「あらゆる人間文化の意義は、宇宙に於ける意味に於て、真善美の普遍的価値を発見することに外ならない」「芸術の価値批判は「美」であって、この基準された点からのみ、作品の評価は決定される」「芸術の評価はこれ(美 ※筆者注)以外になく、またこれを拒むこともできないのである」。

 ③美という基準

朔太郎の論評は全般的に、詩人特有のエキセントリックさが少々勝っている気もしますが、私にとって芸術や文化の基準を考える際の大いなる礎となっています。

「真善美の普遍的価値を発見する」の「真」と「善」の部分は、道徳的、倫理的側面が絡んでくるので、詩の評価基準に持ち込むにはやや慎重さを要しますが、「美」に基準を置くというのは、一番安らかで正直な方法であるとも思います。

「美」に基準を置くというと、きれいな景色とか雅な言葉、と思われがちですが、「美」というのはそういった一見わかりやすいものだけに宿るのではないことは「美」を辞書で引くとはっきりします。

「美―知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの」

(広辞苑第五版)

 かみ砕いてしまえば、「美」とは「人の心を揺さぶる」ものとも言えそうです。必ずしもうっとりきれいな言葉とか、光景として美しいというだけでなく、「より情線に振動をあたえるもの」(朔太郎)であると言えるでしょう。岡本太郎も言います。「美しいというのはもっと無条件で、絶対的なものである。見て楽しいとか、体裁がいいというようなことはむしろ全然無視して、ひたすら生命がひらき高揚したときに、美しいという感動がおこるのだ。それはだから場合によっては、一見ほとんど醜い相を呈することさえある。無意味だったり、恐ろしい、またゾッとするようなセンセーションであったりする。しかしそれでも美しいのである」。

 必ずしも表面的な「きれいきれい」ではない。得体の知れないものの中に「美しさ」を感じた経験、というのは誰にでもあるのではないでしょうか。

 いろいろな「美」を含め、人はあらゆる場面で「美」を求め「美」に憧れます。

 なぜ人が「美」を求めるか。料理家の辰巳芳子氏は「「美」を追い求めることで、自然に自分のいのちを完成させやすいのではないか」と言います。辰巳氏によれば、「「美味しい」ということは人間にとってもっとも分かり易い「美」であり、美味しいものを求めるということは「いのちを守りやすくするため」と言います。「「美」を求めていくことで、人間は生きやすくなる」と。

 ④よりよく生きる

 人間にそもそも備わっている「美」を求める心。それはよりよく生きたい、という人間の根源的な欲求に繋がっている。さらに「美」を追求するためには、自分というちっぽけなものだけを相手にしていては、到底見えてこないものなのかもしれません。

俳句という文芸の大きな特徴は「四季」「自然」を相手にするということ。またわかりやすい特徴のひとつに句会の場などで他者の作品に触れる機会が多いということが挙げられます。これらは、自分以外のものに目を向けることで世界の広さや奥深さを感じられるというメリットがあり、よりよく生きられるということに繋がるのだと思います。

 完成された人生や人格の果に文学作品があるのではなく、俳句を作り、また鑑賞することで自分自身を完成させてゆく、というのはとても魅力あふれる行いであることは間違いありません。

おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ

加藤楸邨

 ぼんやりとした朧の中で、朧なる自分がおぼろなる考えをくゆらせている。俳句を通してさまざまを考えるのはひとつの愉楽でもあります。

 この「虚実淙淙」も「滝」創立三十周年にあたる十二月のタイミングでちょうど五十回目となりました。

 近頃は俳句の「選」を通して俳人として鍛えていただく機会をたくさん得ています。俳句にかかわることで、少しずつ人生を完成していけたら、と思っています。

 皆様いつもあたたかく見守って下さり、本当にありがとうございます。

 

参考文献

萩原朔太郎『詩の原理』

筑摩書房 1975年

岡本太郎『自分の中に毒を持て』

青春出版社 1993年

辰巳芳子/小林庸浩

『辰巳芳子のことば

      美といのちのために』

小学館 2007年

(「滝」2021年12月号 所収)


https://ameblo.jp/197001301co/ 【天性の人 ~相子智恵『呼応』】より

『呼応』相子智恵 著  澤俳句叢書第三一編 左右社1980円(税込)

  <借金や葛の葉厚き小屋通る 相子智恵>―かつて角川『俳句』誌で読んだこの一句の衝撃が忘れられない。いきなりの「借金や」の出だし。「葛の葉厚き小屋」から古い木造家屋が見えて来る。ああ、そうかこれは「電話で金融」のあの看板のことだ。かつて日本中いたるところにあり、今でも昔風の家屋の並ぶ場所に残るあの赤い看板。

 こんなものも俳句の題材になるのか、深いため息が出た。そのため息は深い安堵のため息だ。俳句を詠むからと言っていきなり着物を着始めて、短冊を持って梅の下に佇む必要なんてないのだ。いま見ている目の前のものを冷静な目でざっくりしかも丁寧に切り取れば、あとは読み手がいかようにも判断してくれる。俳句形式を信頼して、自分の目を信用して、眼前のものを詠んでいけばよいのだ―相子智恵さんの俳句に私はいつも勇気をいただいてきた。

 句集『呼応』は意外なことに相子智恵さんの第一句集だという。二〇〇九年に角川俳句賞を受賞され、俳壇において確固とした地位を築かれている彼女に句集がこれまでなかったのは意外な感じがする。

 二十一歳から三十七歳まで十六年間の三百二十六句を厳選。

  日盛や梯子貼りつくガスタンク

 角川俳句賞受賞の決め手となったといっても過言ではないこの句。「貼りつく」のインパクトに瞬時に魅せられた。『呼応』にはこれに似た手触りの句がかなりの数、収められている。人工的に作られたものに対するかすかなる違和感―そらぞらしいともいえるそれらのものに対する、ある意味冷徹とも言えるクールなまなざしに痺れる。

  壁紙の嘘の木目やそぞろ寒

  水色のペンキ分暑しプール憂し

  残暑なり百円ショップ石油臭(くさ)

 偽物の木目の寒さ、水色のペンキのまがいもの感、プラスチック製品に囲まれた現代の虚無感。

 智恵さんの句には「昭和の残骸」を感じるものが多く登場する。一九六〇年代から八〇年代初頭の人間がとてもエネルギッシュだった頃の、夢の残りのようなもの。

  秋うらら隣家のアロエ育ちすぎ

 かつてアロエは比較的どこの家にもあった。専業主婦がまだ家庭に多くいた時代。お母さんたちはパンフラワーやロープ人形といったいわゆる「おかんアート」の作成のかたわら、アロエをせっせと育てていた。やれ火傷や切り傷や便秘に効くだの血圧が下がるだの、サラダに入れて食べさせられたこともあった。「育ちすぎ」のアロエにはそんなブームの残り香が。

  枯園であり百貨店屋上も

 デパートの屋上にあった小さな遊園地。最上階のレストランで食べた旗の立ったオムライス、わざわざ背広着て来た父、タイムスリップが止まらない。「枯園」の感受に揺さぶられる。

  夢ヶ丘希望ヶ丘や冴返る

 「ニュータウン」が次々造成された頃の安直なネーミング。皮膚で捉えた「冴返る」の栄華盛衰のリアル。 

  蔦のひげ吸盤あまた家吸ひぬ

 この「家吸ふ」の描写の的確さ。いわゆる「蔦もの」は生やしっぱなしにするとコンクリートのカルシウム分を吸収するから建物がもろくなる、と聞いたこともある。懐かしい特撮モノに出て来る怪獣のような「吸盤」。

  見上げゆく路地両脇の干蒲団

  氷ぶちまけ魚屋の裏寒暮

 路地の狭さのさりげない描写、ぶちまけられる氷のリアリティ。そこに住む人の息づかいが感じられるとはいえ、どっぷりと感情移入しないところがいかにも俳句的だ。

 智恵さんはもう、根本的に体質が俳句の人なのではないか、と感じる時がある。(最高の褒め言葉として。)浪花節的人情の人、短歌的抒情の人、テクノポップ的理性派の人、パンク的主義主張の人とあえて分類するならば、智恵さんは天性の俳句的直観型の人、と言えるのかもしれない。

  滝壺の上夏蝶の吹かれをり

  にはとりのまぶた下よりとぢて冬

 俳句の基本は写生だと言われるが、これらの句は辛抱強くそこにじっと居座って作った、というより映画の手法のような瞬間のカットの    鮮やかさを感じる。夏蝶の句は、幼き頃に遊んだ「吹き上げパイプ」を思い出す。駄菓子屋で売られていた息でボールを浮かせるおもちゃ。

  家出せり茗荷の子生え庭の隅

  氷菓の棒一本挿せば金魚の墓碑

  金魚に名無くて「金魚のはか」とのみ

 この「家出」は本格的なものではなく半径数十メートルの「プチ家出」。幼い子供の小さな「家出」を思わせる。誰にでも記憶のあるアイスの棒の「金魚のはか」。これらの句のさりげない「リアル」を通して、この句集は読者の「現実」にもさりげなく踏み込んでくる。

 その踏み込みを促すのは、特徴的な俳句のかたちにもある。

  葡萄棚に繋がれ葡萄園の犬

  皮手袋たばね売られぬ匂ひけり

  里芋十二個付きたる茎よ切らで売る

  蓮の葉をころがる水や水に落つ 

 二回連なる「葡萄」、「売られぬ匂ひけり」「付きたる茎よ切らで売る」「水や水に落つ」のような描写のある意味の「しつこさ」。この「しつこさ」は臨場感を生み出し、対象を凝視している姿を描き出すのにいかにも効果的に働く。

 「澤」でよく見られるムービー的な手法による新たなる「写生」だ。

  押して抜く浮輪の空気最後は踏み

 「最後は踏み」のだめ押し感。一句全体が動画を倍速で見ているようなスピード感と爽快感に溢れる。俳句は動詞を少なくなどと言われるが、動詞を多くしてあえて臨場感を出す手法として、このかたちは迷いがちな初心者への一指針となるかもしれない。

 俳句は具象だとか写生だとか説かれてもいまひとつピンと来なかった初学の頃。『呼応』には収録されていないが、

  バー真昼届きたる桃長椅子に

の角川俳句賞受賞作「萵苣」の中のこの一句を読んだとき、「ああこれが具象なのだ、写生なのだ」と妙に腑に落ちたことを思い出す。

 小澤實氏の序文によると、智恵さんは跡見学園女子大学の創作実習で俳句をはじめたという。その時「俳句と短歌いずれかが選べたが、正直どちらでもよかった」とある。ご本人によるあ とがきには「俳句との出会いが、そのまま師との出会いであった」「四半世紀もの間、ずっと一人の先生に師事できるということが、どれだけ得難いことなのか」と語られている。

冷静なまなざし、天性の直観力、独自の特徴をもつ写生の描写の細やかさ。

 智恵さんは、根っから「俳句」の人なのだと思う。

 俳句の神様がもしいるのなら、小澤實先生と相子智恵さんはその神様のお導きにあったのでは、という気がしてならない。

 智恵さんは俳句をはじめて「我の中に我はない」ことを悟ったという。その「万物との呼応の中」で描かれる世界をこれからも存分に見続けさせて欲しい。

(「滝」2022.2月号所収)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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