http://gototakaamanohara.livedoor.blog/archives/176243.html 【五島・蓬莱説】より
五島市木場町の大円寺にある五島家墓地に「広嶽山毘盧蔵閣碑銘」と刻まれた一基の方塔があり、以下のように記されています。
広嶽山毘盧蔵閣碑銘
原夫自仏法入中国今已二千余歳載聖賢隠伏群和競起際比校季遐陬僻域得覩三界大師之無上法宝実希有中之希有殊勝中之殊勝者也」海西五島者若吾土之逢莱也其申梵刹相望僧伽亦盛今太守盛高源公本邦名臣葢武田氏宇久家盛公三十余世之孫也」代以利物済人為懐列国咸称之且治下所闕者如来法宝耳由是盛興寺主問道長老夙夜思之甚於饑渇之嗜飲食夲力不□一日課之先太守兼佐渡刺史盛暢公(法諱良嶽字英温清涼其院也)公忻然而諾不幸即易簀」元禄癸酉秋冷太守不忘先君顧命時使長老入檗山迎大蔵而帰」琅凾王軸煒煒煌煌無異赤為問白馬西来也」尋命有司逮閣於本洲大円寺広岳山之麓以庋之於是四方道俗随喜瞻礼者憧憧不絶所謂人能弘道非道弘人者果不誣矣然則用是殊勝之勲普施含霊則何免不解何罪不滅何福不増何徳不茂□於檀主遐齢孫枝繁衍風雨時若五穀豊登太占之治終不越此於乎盛哉」大守公又慮後之入罔審請蔵之難建閣之念乞予為之以紀諸使其若孫是纘是葺則法宝永永不壊竜天擁護俾人人遊毘盧之海庶各各獲如意之珠矣利済之心何其至哉凡閣此経者応生難遭想孳孳焉日以進道即必国界昇平王化仏拝行於天下庶不負二太守之盛誉及周長老之苦心也銘曰
西有刹兮号大円青紅棟宇八曜林泉僧戢戢兮事金俣日有法兮心拳拳祝国界兮恒晏然保仁寿号万斯年有大守兮衛化権使吾釈兮獲安全架実閣兮鎮山川蔵貝葉兮貯真詮忖厥徳兮匪宮宣俾終古兮利人天吾言不□兮必弘伝
元禄乙亥八年夏四月中浣吉旦
支那国伝臨済三十四世現住黄築山万福禅寺
沙門敦高泉撰 印印
中島功『五島編年史・上巻』国書刊行会(p540~p541)より
この碑文の作者・沙門敦高泉については、夏目漱石が『草枕』の中で「黄檗の和尚高泉の筆致を愛している」と述べています。高泉は、中国福建省福清県の出身ですから、日本の西海にある五島は、高泉の故国から見れば東の海にあるので、吾土之逢莱としたのでしょう。それは、徐福や皇祖皇宗の一団が目指した蓬萊とも重なります。
蓬莱文鏡白銅鏡• 五島高資 所蔵(現在、京都国立博物館へ寄託)
向かって左側にある「丸に花菱」が五島家の家紋であり、左下に鋳鏡師「天下一中嶋和泉守貞次」の刻銘があります。五島藩藩主(本家)より下賜されたものです。来年、京都国立博物館に寄託展示の予定です。
中嶋和泉守は、十七世紀を中心に活動した鋳鏡師で、京都新町二条下ルに居住した。肉高の精良鏡が多く、とくに和泉守貞次は、尾張徳川光友夫人千代姫輿入れの際の「初音の調度」(徳川美術館蔵)など、当時の最有力者層の調度鏡も担当し、青家と並んで京都でも筆頭格の鏡工房であった。 (解説「京都国立博物館」)
現在、同じ中嶋和泉守貞次作の国宝「初音の調度」が江戸東京博物館開館20周年記念特別展「尾張徳川家の至宝」で展示されています。http://www.tbs.co.jp/owari-tokugawa2013/
http://ntooffice.blog21.fc2.com/blog-entry-1329.html?sp 【高麗島の伝説】より
日本にも一晩で海に沈んでしまったと言い伝えられている伝説の島があります。
前のブログでは、400年程前に、別府湾にあった伝説の島である瓜生島(うりうじま)が1日で沈んだことを紹介しました。
伝説の島「瓜生島」のブログ
http://ntooffice.blog21.fc2.com/blog-entry-1328.html
世界では、「アトランティス大陸」とか「ムー大陸」についての伝説も当ブログで紹介しましたが、今回紹介するのは高麗島です。
高麗島(こうらいじま)は、現在の長崎県の五島列島の小値賀島の西に位置する高麗瀬、高麗曽根と呼ばれ、現在では海中岩礁となっている所(最も浅い地点の水深は4m程度だそうです)にあったとされている島です。
この高麗島の伝説とは、昔、五島列島の沖に、高麗島と言う小さな島があって、ここは世にも稀な富裕の島と言い伝えられています。
この島の人たちは、「高麗焼」と呼ばれる優れた陶器を作って生計を立てていました。
この島には石の地蔵菩薩がまつられていました。
ある夜、この石の地蔵が島の人々の夢に現れてこんなお告げをしました。
「私の顔が赤くなったら、大きな災いが起こる知らせと思って、すぐ島を逃げなさい」
ところが、いたずら者がいて、わざと石の地蔵に赤い絵の具を塗って、
「それっ、地蔵の顔が赤くなったぞ!」
とあわてて島を逃げていく人々のおろかさを見て笑ったそうです。
するとその夜、島は一夜にして海中に沈み、島に残っていた人はみな死んでしまったと言われています。
そして、その沈んだ跡の高麗島からは、陶器の破片がガラガラと海底で波にゆれる音が、今も聞こえると言われています。
久賀島の蕨という集落には、この高麗島から脱出するときに携えてきたと伝えられる首が長く目のつり上がった異様な地蔵が祀ってあり、先祖が高麗島から逃げてきたという旧家には高麗焼の陶器が秘蔵されているそうです。
高麗瀬(高麗曾根)は蕨から船で3時間余りのところにあり、干潮のときは水底がよく見え、墓石や石垣の跡が見えるとも言われていました。
但し、高麗曾根については、1977年(昭和52)8月に長崎県生物学会による潜水調査が行われています。
高麗曾根には石垣らしきものが沈んでいるといわれてきましたが、このときには人工遺物は一切発見されませんでした。
このときの調査の結論では、これは自然現象による、砂岩性柱状節理であることが確認されています。
つまり、高麗島が実在し、それが海底に沈んだ、という根拠は何一つ確認されませんでした。
このように沈んだ島々の伝説は鹿児島県の甑島にもあり、これに類似した説話は南西諸島には数多くあると言われています。
高麗島滅亡の伝説は、黒潮が運んだ南方の説話が原型になっているのではなかろうか、とも言われています。
そして、地形的な理由からか、中国や朝鮮半島では町が湖底に沈むというパターンが多いのに対し、日本では島が海中に沈むというパターンが多いみたいです。
そして、五島列島は潜伏キリシタンの多かった地域です。
彼らは、寛政年間(1789-1801)に、福江藩(五島藩)による開拓移民の募集に応じて、迫害の厳しかった大村藩領の外海地方から移住してきた人々の子孫です。
なお、この島の名は「高麗島」ではなく「蓬莱島」だとする説もあります。
おそらくは「コーライ」と「ホーライ」との発音の類似から混用が生じたのでしょうが、高麗と蓬莱とでは意味がだいぶ異なります。
「蓬莱島」とは、中国の神仙思想でいうところの東方海上の神仙の島の名であり、そこでは時間の流れ方が人間世界とは異なるとされています。
したがって、この「蓬莱」伝承は、日本の「常世国(とこよのくに)」伝承や、また浦島子(浦島太郎)の伝説、それにニライ・カナイなどともつながりを持つと言われています。
伝説を、面白い作り話と捉えるのか、過去にあったかも知れない話として捉えるのかで、わくわく度は全然違ってきます。
この高麗島伝説も、ほぼ夢の中の出来事みたいですが、そこは騙されてみて、夢の中へ入っていくと、もしかして「こんな島もあったのかも?」と思えてきます。
これからの時代、常にイマジネーションを高く持っていたいものです。
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