http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-3149.html 【石山寺を歩く11-「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」が鳴らす警鐘】より
【石山寺を歩く】
さて、芭蕉(1644-1694)の句碑に刻まれていた句は「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」―一体、どんな意味があるのでしょう。
それを解き明かすためには、最も俳句に詠まれた鳥、ホトトギスとウグイスについて知る必要があります。まずは、ウグイスから。
●日本三鳴鳥----------------------------------------------------
ウグイスは、オオルリ・コマドリとともに日本三鳴鳥の一羽。
鶯 「ホーホケキョ」(法、法華経) 大瑠璃 「ピリーリー」 駒鳥 「ヒンカララ」
ウグイス:モスグリーン(JIS規格の鶯色は茶と黒のまざった緑)
オオルリ:鮮やかな瑠璃色
コマドリ:朱の頭に紫のお腹
三鳴鳥はいずれも瀬織津姫カラーであることがわかりますね。
●ウグイス----------------------------------------------------
何と言っても鳴き声が美しく特徴的な鳥。
「ウグイスの初鳴日」は、気象庁が生物季節観測に用いているそうで、初音(ハツネ)、春告鳥(ハルツゲドリ)、花見鳥(ハナミドリ)、報春鳥(ホウシュンドリ)、春鳥(ハルドリ)という春の代表であるかのような名がついています。
鳴き声の品評会まであるようで、鳴声の1節を律(タカネ/アゲ)、中(ナカネ)、呂(サゲ)の3段に分け、それを日月星に比して三光(三つ音)と称し、その鳴声の長短、節調の完全なものが優鳥とされたそうです。
鶯の鳴き声を鶯語(おうご)、鶯歌(おうか)、歌詠鳥(ウタヨミドリ)と呼んだそうですから、熱のこもり具合が凄い。
「法、法華経」で経読鳥(キョウヨミドリ)とは面白いですね。
法華経は金光明経とともに聖武天皇が国分尼寺を通じて全国に広めようとした教え。金光明経がアマテルのバイブルとすれば、法華経は瀬織津姫のバイブルでしたね。
桜(佐座)と同じく春の代表であり、その鳴き声を日月星の三光にたとえ(三光信仰では月が一番上)、法華経を読む鳥とまで見なしている。
鶯を瀬織津姫の使いと見なしていることがよくわかります。
「鶯」という漢字の上の方は、火+火+冖(囲む)+火=熒(松明で囲む。明るく囲む。光の環。きらきら輝くこと)を示しているそうです。
たとえば、「栄」は、木を囲むように花が華やかに咲いている様子を表し、そこから「栄(さか)える」「栄(は)える」が来ています。
「鶯」は、首の周りが明るい色の鳥という意味となっていますが、もっと地味ですよね。それもあるでしょうが、「火」が重なっていることにも意味を持たせているのかなと思いました。
たとえば鶯とよく間違えられるメジロは、若草色の羽でのど元が黄色―つまり、瀬織津姫+国常立神カラーの両方=「火」と「日」を持っています。それを「火+火+冖」の部分に掛けているのかもしれません。
また、鳴き声の一部が「ひとく、ひとく」と聞こえるから人来鳥(ヒトクドリ)という字が当てられていますが、なかなかそうは聞こえません。わざわざ「秘匿」されていることを暗示しようとしているのかもしれませんね。
百千鳥(モモチドリ)という言い方も、「一説には鶯とされるが、多くの鳥、さまざまな鳥と解釈したほうが自然」という見解もあるようですが、瀬織津姫が「百」「千」で表されることを考えると、やはり鶯のことを百千鳥と呼んでいるのでしょう。
●ホトトギス--------------------------------------------------
次にホトトギスですが、見た目でよく間違えられるのがカッコウ。
その違いはこちらでよくわかりますので、どうぞ↓
・ホトトギスの俳句や花になる魅力は鳴き声?
【カッコウ】
【ホトトギス】
ウグイスが春告鳥なら、ホトトギスは夏を告げる鳥。
それを「時鳥」と言いますから、告げる鳥の代表格のようなもの。
また、ウグイスにも「初音」の異名がありますが、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を「忍音」(しのびね)と言います。夜に鳴く鳥として珍重され、「枕草子」ではホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様が描かれているそうです。「初時鳥・山時鳥」の異名もここから来たのでしょう。
こう見ると、春夏それぞれの季節でウグイスとホトトギスは同様な扱いをされていることがわかります。
●ホトトギスの夜鳴きと金鶏伝説------------------------------------
違いは、ホトトギスが夜も鳴くことと、江戸時代から「厠(かわや)の中にいるときにホトトギスの声を聞くと不吉である」という言い伝えが日本各地にあること。これなど、「金鶏伝説」を思い出しますね。
金鶏伝説にも二柱が登場しますが、どちらかといえば国常立神の物語。
ホトトギスもねー、その特徴として必ず書かれているのが目のまわりの黄色いアイリング。黒目の周りに黄―そう「太陽」を連想しますね。そういう点からはホトトギスはアマテル(国常立神)。
一方で口は赤く、「ホトトギスの鳴き真似をすると厠で血を吐く」「鳴いて血を吐くホトトギス」と言われるくらいで、喀血した正岡子規はホトトギスと自分を重ね合わせ、ホトトギスにちなむ句を一晩で数十も作ったそうです。そして、ホトトギスを表す「子規」を自分の俳号としました。―この口が赤いところは「大口真神」(瀬織津姫)を思い出します。
一体どっちなんでしょうね~?
と、思っていたら、回答がありました。以下に概要を記します。
●「杜鵑(とけん)の吐血」とホトトギスの異名----------------------
始皇帝の秦が登場する前にあった国、蜀が荒れ果てていた時、杜宇という男が現れ、農耕を指導し、やがて帝王となって望帝と称した。望帝は長江の氾濫に悩まされたが、それを治める男が現れ、やがて帝位を譲ってその男が叢帝となり、望帝は山中に隠棲した。隠棲した理由は、望帝が叢帝の妻と親密になったのがばれたためとも言われている。
杜宇は死して後その魂はホトトギスになり、初夏になると「農耕を始めよ」と里に来て鳴くようになった。その後、蜀は秦に滅ぼされた。
それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず→帰ることが出来ない)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
これがホトトギスを「杜宇、杜鵑、杜魄、蜀魂、蜀魄、蜀鳥、不如帰」などと表記するゆえんだそうです。
その故事から、「魂迎鳥(たまむかえどり)」「死出田長(しでのたおさ)」という異名や、鳴く季節から「卯月鳥・早苗鳥」が生まれ、その帝位を追われたという杜宇の境遇が国常立神を連想させますので、「無常鳥・黄昏鳥・夕影鳥」などが生まれたのでしょう。
また、カッコウと似ているところから、「郭公・山郭公・霍公・霍公鳥」とも書かれますが、「公」は帝位から来ているのでしょう。また、「霍」は元は「靃」。「隹」(ふるとり)が並んでつがいですが、雨にあって鳥が急に飛び立つ様子を表しているそうです。
「鬼の霍乱」とは、丈夫な人が病気になるたとえですが、「霍乱」は“急性かつ苦しむ病”のことで、特に日射病や暑気あたりのことを言うようで、ここからもアマテル(国常立神)を連想します。
ホトトギスは、国常立神を表すようですね。
●「テッペンカケタカ」の意味------------------------------------
ホトトギスが国常立神を表すことを踏まえると、夏目漱石が時の総理・西園寺公望に贈った次の句の意味が見えてきます。
「時鳥 厠半ばに出かねたり」
厠にいるときにホトトギスの声が聞こえたので、すわ出ねば!と気持ちは動くのですが、まだ途中なので、いかんともしがたい―そういう句ですね。
これは、西園寺公望がサロン会「雨声会」を開催し、そこに文人たちを招待した時に断るために贈った句でした。西園寺公望は自分がホトトギスにたとえられたこと、漱石に出たい気持ちはあるがいかんともしがたいこと―そういうところを汲んだのでしょう。(まぁ、出ようとする意味は“不吉”だからなんですけどね・・)
それから、ホトトギスの鳴き声をなぜ次のように形容したのかも想像がつきます。
「テッペンカケタカ」「ホンゾンカケタカ」
「てっぺん欠けたか」→「てっぺん」がアマテル(国常立神)だろうなぁと想像します。鞍馬の火祭の「チョッペンの儀」を思い出しますね。
(「欠け」については、「包丁欠けた」という伝承もあるようです)
「本尊かけたか」にいたってはホトトギスの鳴き声などどうでもよくなっていて、この国から本尊(=真の太陽神アマテル)が欠けたことを言っているように思えます。
そして、「枕草子」で描かれたホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様は、夜を堪え忍んで二柱復活の夜明けを待ち望む人々の思いを見るようです。
●「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」(芭蕉)------------------
さて、芭蕉の句の意味です。
夏の曙(夜明け)を告げるホトトギス。
けれど、夏は持統(&藤原一族)に奪われましたね。
その闇の時代が明ける兆しも見えますが、「まだむらさき」=まだ藤色→まだ藤原支配の時代なのです。
だから、反藤原の拠点として石山寺は注意を怠ってはいけません。
いつ放火されるともしれない油断大敵。
「農耕を始めよ」と人に注意を喚起するホトトギスは、夜鳴く時は夜警の意味を持つのでしょう。だから、夜明け前の「まだむらさき」時になくホトトギスは、「油断するなよ」と注意を喚起しているのではないでしょうか。
そこで、石山寺では、この句を借りてその戒めとし、経蔵を見張る位置に建てたのではないでしょうか。
つまり、紫式部供養塔の方は、時代の曙を願う心を芭蕉の句碑は、まだ明けやらぬ時代への警鐘をそれぞれ表しているのではないでしょうか。
これで、なぜこの位置に芭蕉の句碑と紫式部供養塔があるのか、私なりにはっきりしました。前項で見た三十八社―経蔵―句碑・供養塔―鐘楼の位置関係が見事な連携を作っていますね~。
●ホトトギスとウグイス---------------------------------------------
最後に、ホトトギスは托卵(たくらん)します。
その托卵先が主にウグイス。
なので、ウグイスの生息地にホトトギスもよく見られるそうです。
ウグイスにとっては迷惑な相手であり、ホトトギスの雌が自分の巣に卵を産みに来るところを見ると攻撃して追い払うようです。けれど、産みつけが成功すれば、ウグイスはせっせとホトトギスの雛を育てることになるわけですが・・。
このように一緒にいるところを見かけることや、小さなウグイスの方がホトトギスよりも強く見えることなど、そういう点からもホトトギスとウグイスを国常立神と瀬織津姫に見なしたのかもしれませんね~。
https://4travel.jp/travelogue/10819848 【奥の細道を訪ねて付録・芭蕉が愛し、永眠する琵琶湖湖南エリア 石山寺後篇】より
本堂前の階段を上ると国宝の多宝塔がその美しい姿を見せる。
更に登ると、歴代天皇の玉座であった、崖の上に浮き出て建つ月見亭が現れ、現在一般客は月見亭に登ることは出ないが、その脇から瀬田の大橋の架かる瀬田川が望まれる。
ここは近江八景「石山の秋月」のシンボル。
その脇に芭蕉が仮住まいをしたと云う”芭蕉庵”も建つ。
芭蕉はここで数句をものにする。
石山の 石にたばしる霰かな
曙は まだむらさきにほととぎす
また青春時代に芭蕉を慕って彷徨した島崎藤村も、石山寺の茶丈”密蔵院に約2ヶ月逗留している。
石山寺後篇は主として07多宝塔から16朗澄大徳遊鬼境までを追います。
尚豊浄殿から西の参道は豪雨による土砂崩れの危険性が有るらしく、立ち入りは禁止であった。
秋の「紫式部と源氏物語展」を開催中であったが、丁度、団体客の一団が現れたため、入場は諦めた。
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/genjima.htm 【曙はまだ紫にほととぎす】より
(伝真蹟画賛)
(あけぼのは まだむらさきに ほととぎす)
曙やまだ朔日にほととぎす
(真蹟草稿)
元禄3年4月1日。石山寺で紫式部が『源氏物語』を執筆したといわれている「源氏の間」を拝観した。ただし、源氏の間のいわれは怪しく、観光用に言い伝えられたものである。
石山寺の句碑
曙はまだ紫にほととぎす
「曙」は言うまでもなく、清少納言の『枕草子』の「春は曙。やうやう白くなりゆく山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。」から取ったもの。
源氏の間を見ていると、まだ春の陽気が残っているものの、ちょうどホトトギスの声が聴かれて夏の到来を感ずることだ、というのである。『源氏物語』ではなく『枕草子』を引用していたり、季節の記述が錯綜していたりしてすっきりした句とは言いがたい。
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