http://0209ko.sakura.ne.jp/haiku/kyakansyasei1.htm 【 客観写生の理解】より
この客観写生は、俳句における作成理論の一つであり、正岡子規の写生論を高浜虚子が発展させたものとして考えられている。
虚子はホトトギスで、「俳句は、客観の景色でも主観の感情でも、単純なる叙写の内部に広がっているものでなければならぬと思うのである。即ち句の表面は簡単な叙景叙事であるが、味えば味う程内部に複雑な光景なり感情なりが寓されているというような句がいいと思うのである」と述べている。これが客観写生の基本的考え方である。
分かりやすく述べれば、事物を客観的に表現してはいるが、その後ろに奥深い主観が潜んでいるという句が客観写生の句であるということである。ここで言う事物には、植物や動物、季節の変化や人間の営みなどが含まれているのである。決して自然だけを対象としているわけではないということである。
この客観写生という考えは分かりやすいが、実際に詠むとなるとどうであろうか。対象を正確にあるいは的確に表現したからそれでいいという訳ではないのである。その背後に「奥深い主観」が隠れていなければならないということである。「奥深い主観」が隠れていない句は、ただの写生句、あるいはただごと句、些末句となる訳である。
では、「奥深い主観」とは何であろう。自然の神秘や人間の真理、哲学などであろうか。なかなか大変なのである。そう簡単に「奥深い主観」を句に差し込むことは困難である。だが、よく考えてみると「奥深い主観」は比喩によってなされるということではなかろうか。それも暗喩である。これはまさしく前衛俳句の手法の一つでもある。前衛俳句は、表の意味と裏の意味があり、良質な前衛俳句はくっきりと二重構造になっていて分かりやすいのである。分かりにくい前衛俳句は駄作であると思う。出来が悪いから分かりにくいのである。難解派で難解であることを自慢している方がいるが、それほど才能がないことの証明ではなかろうか。しかし分かりにくいことをありがたがる人たちが結構存在するので、前衛俳句は生き残れるのである。
さて、客観写生と前衛俳句は、一面よく似ているということである。ということは、客観写生を詠める人は、前衛俳句も作れるということである。その代表的人物は、高浜虚子であろう。
去年今年貫く棒の如きもの 虚子
これは客観写生の句ではなく、前衛俳句の一種である。「棒の如きもの」は何であるか、それぞれが考えなさい、ということである。これを考えさせることにより、奥深さがあるように感じさせるのである。恐らく本人もよく分からないのである。何となく何かがありそうだということで作成した句である。これは何ですか、と尋ねられても本人はとぼけるだけであろう。
高浜虚子は偉大な俳人だったかも知れないのである。詠み口が広く、また適当に理論を展開し、実践しているのである。この適当ということが重要である。適当に実行することにより、いろいろな傾向の句を詠むことができたのではなかろうか。「適当に詠む」ということは、決して非難しているのではない。理論ばかり追求していると、硬直した人間味のない句ばかりができるのではなかろうか。理論は所詮理論であり、そこに人間性がなければほんとうの意味での「奥深い主観」を織り込むことは難しいのではなかろうか。
https://gospel-haiku.com/tubo/syasei.htm 【客観写生の実際例】より
客観写生とは、「見たままを出来るだけ具体的に表現すること」
と説明すると報告の句になるのでは? と迷いが生じる。確かに客観写生と報告とは紙一重なのである。
初心の方々に、この極意をどう説明すれば理解して貰えるのだろうかと、日毎悩んでいました。
昨日、淡路島の著名な俳人「大星たかし」さんから、贈呈の小句集が届いた。その中のいくつかの作品をみて、「これだ!」と思いました。たかしさんの作品を示せば、愚かな解説を重ねるより一読瞭然?と確信したのでした。(笑)
原句>浜の家でて踊子の急ぎけり たかし
これは四国阿波踊り吟行での作品で、海浜での踊りに加わろうと急ぐ踊子の姿を写生したものである。
このままでも客観写生の句として十分と思われるが、阿波野青畝先生は次のように添削された。
添削>浜の家でて踊子の走りけり たかし
「急ぎけり」は主観、「走りけり」は客観である。
両者の躍動感の違いをよく味わって欲しい。 もう一句。
原句>ストーブに干物を焼きて教師酌む たかし
たかしさんは中学校の教師でした。
今ならPTAがうるさいですが、放課後、生徒たちが帰ってしまったあと、漁師町の生徒からの差し入れの干しするめをストーブの上で焼き、ささやかな酒を酌みながらあれこれと教育論を戦わせる教師像が浮かびます。推敲に推敲を重ねた末、たかしさんが最終的に句集に載せた作品は次のようになっていました。
推敲句>ストーブに干物を反らせ教師酌む たかし
教師酌む「焼きて」は説明ですが、「反らせ」は客観写生です。
ストーブの上の干物の変化が目に浮かぶようです。客観写生の壺を会得するのに格好の例句ですね
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12690593275.html 【客観写生~水原秋櫻子の見解】より
滝落ちて群青世界とどろけり 水原秋櫻子(みずはら・しゅうおうし)
高浜虚子が提唱した、「花鳥諷詠」と並ぶ、「ホトトギス」の二大看板である「客観写生」。
これには迷うことが多々ある。
どういうことか。
簡単に言えば、「客観的に写生する」なんていうのは現実的に不可能なのだ。
写生とは、
風景や物事を描写する
ことであるから、その時点…、つまり、どんな風景、どんな物事を描写するか、と決めた時点で「主観」が当然入ってくるからだ。
無論、虚子はそのことは十分わかった上で、あえて「客観写生」を提唱している。
風景や物事を描写する時点で、すでに「主観」は入っているのだから、そこに更に「主観」を注入する必要はないし、そうしては俳句がうるさくなる。
というのである。
結局「客観写生」とは「方便」なのだ。
「方便」というのは、もともとは仏教語で、
人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段
である。
「客観写生」とは、
俳句の初心者を上達させる為の便宜上の言葉
なのである。
困るのは、虚子以降、そのことを理解せず、「客観写生」を「お題目」を唱えるように盲信している人々だ。
虚子自身も著作や文章の中で「主観」の大切さはちゃんと説いている。
そういう人々は口では虚子への尊敬を言いながら、あまり勉強せず、虚子の真意を理解していない。
詩は「主観」があってこそ生まれるものだ。
当たり前のことではないか。
「感動」に「客観的な感動」などはない。
実際「ホトトギス」の歴史を見てみればわかるが、
飯田蛇笏
前田普羅
原 石鼎
杉田久女
水原秋櫻子
中村草田男
などは「主観の強い俳句」を作る。
虚子も彼らを認めていた…、というよりむしろ積極的に支持し、育てたわけだから、虚子は主観を認めていたのである。
さて、「ホトトギス」を離脱し、「反ホトトギス」を掲げ、新興俳句を起こした水原秋櫻子は「客観写生」という主張をどう見ていたのだろう。
秋櫻子・著『高濱虚子』から引用したい。
ホトトギスには「客観写生」という標語があった。
元来「写生」という語には、作者の心が含まれているわけで、客観写生というのはおかしな言い方なのであるが、大衆には一応わかりやすい語であるに違いない。
(中略)
はじめから主観の大切さを初学者に教えるほど危険なことはない。
初学者は自然描写を忘れて浅い主観を露出する。
これは困るから、まず客観描写を修練させるという教育法はよい
さすがは秋櫻子。
私は「客観写生」を「方便」と書いたが、秋櫻子は「初心者の為の勉強法」と書いている。
そちらのほうがわかりやすい。
虚子はなんだかんだ言っても、俳句史上、大衆に俳句を普及させた、一番の功労者である。
俳句がわからない…。
俳句って難しい…。
と悩む人、身構える人に、
こういう風に俳句を作ってごらん。
と提案したのが「客観写生」なのである。
が、秋櫻子のような才能豊かで、鋭敏な人間からすれば、「その先」を知りたかったのであろう。
再度、引用する。
ホトトギスに於いてはいつまでも経っても客観写生の標語だけが掲げられていて、そのさきの教育はなかった。
つまり、どこまでも大衆教育であり、凡才教育であって、その中から傑れた作者を出そうという教育ではなかった。
十年、二十年という句歴を持ち、すでに初老に入った先輩達まで、「客観写生」という語を座右の銘としていた。
このあたりは実に難しい。
正岡子規は虚子の先輩であり、俳句革新を成し遂げた人であるが、子規は俳句をはっきり「文学」ととらえていたから、子規が早世せずに「ホトトギス」を率いていたら、精鋭は集まっただろうが、何万人という門人を得ることは難しかった。
虚子は、俳句を「文学」と認識していなかったとは言わないが、「文学」というより「大衆文学」として捉えていて、精鋭も必要だが、凡人でも楽しめる文学であることを意識していた。
それらは秋櫻子などにはやはり物足りなかった。
虚子は、無論俳句が抒情詩であり、主観が中心たるべきことを知っている。
しかし決してそれを言わぬ。
言えば初学者の混乱することが眼に見えているからであろう。
と秋櫻子も、虚子のリーダーとしてのやり方に理解は示している。
そして、
虚子は、主観の大切なることは作者自身が勉強によって知るべきものとしたらしい。
これも一つの教育方法である。
即ち、(村上)鬼城、(原)石鼎、(飯田)蛇笏、(前田)普羅などは皆勉強によって自己の道をひらき、つよい主観を句に現し得た作者達である。
※( )は私の付記
と優秀な俳人は、勉強によって「主観俳句」を確立させた、と述べている。
秋櫻子の言っていることは近現代俳句史の事実と全く矛盾がない。
客観写生を掲げた「ホトトギス」が、実はユニークな主観句を作った優秀な俳人を多く輩出した、という事実である。
こういうことを踏まえつつ「客観写生」を学ばなければならない。
いつまでも「お題目」のように「客観写生」を唱えているのは愚の骨頂と言っていい。
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