Facebook蛯名 健仁さん投稿記事 【古代日本文明の痕跡】
〜縄文時代以前より日本は聖地だった〜
古代シュメール古拙文字、出雲文字、アヒル文字など数種の古代文字が、日本各地にある磐座の岩に刻まれている!
「岩もの申す時、来るぞ」(ひふみ神示)
日本をはじめ世界中に在るペトログラフ(岩石文字)が史実を語り始める時代となる!
日本では、漢字伝来以前の文字である古代文字ペトログラフが、70箇所から600個も発見されている。
文字が存在したということは、文明が存在したという証であり、"古代日本文明の痕跡"である!
吉田 信啓(1936年 - 2016年)
日本の考古学者、ペトログラフ研究の第一人者、日本ペトログラフ協会の会長
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201503_post_6023/ 【「日本人シュメール起源説」の証拠が『進撃の巨人』ロケ地にある!? ~熊本・押戸石の丘~】より
「日本人シュメール起源説」の証拠が『進撃の巨人』ロケ地にある!? ~熊本・押戸石の丘~拡大する(全1枚)
ダークファンタジー的な世界観と、綿密に練られた設定で大人気となっているマンガ『進撃の巨人』(諫山創・講談社)。突如現れた巨人と人々との戦いを描いた作品で、コミックスの累計発行部数はすでに4,000万部を突破、小説・アニメ・映画など様々なメディアミックスも展開されている。今月19日には、夏に公開が予定されている実写版映画『進撃の巨人 Attack on Titan』の30秒予告編も初公開され、ファンの間では期待が高まっている。
話題の実写版映画『進撃の巨人』は、関係者たちに箝口令が敷かれた上で、昨年より着々と撮影が進められてきた。2014年5月18日には熊本県内の「押戸石(おしといし)の丘」でもロケが行われたとされるが、実はこの場所、日本有数のパワースポットとして知られており、スピリチュアル系な人々の「聖地」になっている。そう、「押戸石の丘」は神秘と謎に満ちた場所なのだ。
【その他の写真はこちらから→http://tocana.jp/2015/03/post_6023.html】
■謎だらけのパワースポット「押戸石の丘」に行ってみた
・ 古代人のカレンダーだった!?
筆者はこれまで、"聖地巡礼"と称して国内外で数百カ所の神社仏閣や教会を訪ねてきたが、2005年8月、「押戸石の丘」にも足を運んでいる。阿蘇北外輪山の標高845mにある巨石群、「押戸石」――。実際に訪れてみると、これらの巨石群が古代の人々によって"意図的に"配置されたことが分かる。たとえば「はさみ石」と呼ばれる夫婦岩のような一対の岩では、夏至には岩の間から太陽が昇り、冬至には太陽が沈むという。このような例は日本各地にあり、古代の農耕行事に必須な情報を得るためのカレンダー的役割を果たしていたと考えられる。
・ 方位磁石が狂う!?
「押戸石の前では方位磁石が狂う」と言われている。そのため、筆者も持参した方位磁石で試したところ、確かに正しい方角を示さなかった。しかしこの現象は、オカルト的な分析を持ち出すまでもなく、単に巨石に磁気を帯びた磁鉄鉱などの成分が含まれているということで説明がつくかもしれない。
・ シュメール文字が刻まれている!?
岩石や洞窟の壁面に刻まれた文字を「ペトログラフ(またはペトログリフ)」と呼ぶが、押戸石にはペトログラフとしか思えない文字のような線が刻まれているとの指摘がある。しかも、この押戸石のペトログラフは「シュメール文字」が刻まれたものではないかというのだ。シュメール文字といえば、紀元前2600年ごろから古代メソポタミアのシュメール人たちが使用していた楔形文字だ。
日本のペトログラフ研究の第一人者とされる吉田信啓氏の著書『日本のペトログラフ』(六興出版)によると、押戸石のペトログラフは、1988年に南小国町教育委員会の職員が発見したという。ピラミッドのような形をした「太陽石」と呼ばれる巨石に、シュメール文字で「イルガガ(祈る・雨)」「神」「大地母神」「男神」など、原始信仰に関わる言葉が刻まれているらしい。昔はこの太陽石に登ると雨が降るとの言い伝えがあったというが、雨乞いなどにも用いられていたのだろうか。
しかし、どこにペトログラフがあるのか、筆者も同行者も見つけ出すことはできなかった。岩全面に3本刃の熊手を立てたような線が刻まれており、それが下の図で示す「男神」を意味する文字だったのかもしれない。ただ、それにしては溝が深すぎる気もするので、自然の造形である可能性も否定できない。
・ シュメール人は日本に渡来した!?
それにしても、なぜ古代メソポタミアのシュメール人が使用していた楔形文字が、遠く離れた日本の岩に刻まれているのだろうか? この謎に答えるものとして、「日本人の起源が古代シュメールにあった」という驚くべき説が存在する。
既存のアカデミズムからはトンデモ扱いされているが、「日本人シュメール起源説」の歴史は古く、元禄時代に渡来したオランダ人歴史学者、エンゲルベルト・ケンペルが初めて提唱したものだ。日本史を研究した彼は、「高天原(『古事記』において、日本をつくった神々が生まれたとされる場所)はバビロニアにあった」という結論に至る。この説は、大正時代の原田敬吾氏、そして現代では民間研究者の一人である岩田明氏などに受け継がれた。岩田氏は、著書『消えたシュメール人の謎』(徳間書店)の中で、「4000年ほど前に海洋民族であったシュメール人たちが海を渡り、南インド~東南アジアを経由し、行く先々に根拠地をつくりながら日本に渡来したのだろう」と述べている。なんともロマンあふれる興味深い話だ。
いずれにしても、実写版映画『進撃の巨人』を製作中の樋口真嗣監督は、このような話があることを知ってか知らずか、「押戸石の丘」をロケ地に選んだわけである。ペトログラフや「日本人シュメール起源説」の真偽はともかくとして、それらを頭の片隅に置きながら映画を鑑賞すると、また別の楽しみ方ができるかもしれない。
(百瀬直也)
https://ameblo.jp/kujitsutomu/entry-12486708233.html 【シュメールからはじまったアラハバキ信仰】より
海と陸のシルクロードを通じて、耶馬台国、荒覇吐国、日之本国に伝わった荒覇吐信仰(アラハバキ信仰)は、驚くなかれ、メソポタミアのシュメール人の信仰、とりわけギルガメシュ王、グデア王から始まったのであり、シルクロードを経由して、わが荒覇吐国に伝わったものであるとされる。このメソポタミア以来の日之本国の信仰論については、著者自身も半信半疑のところも多い。特に、アラハバキ神とギルガメシュ、グデアとの関係、カルディア人とアラハバキ神の関係については不明と言わざるをえない。
ただし、アラハバキ神がシュメール語で説明できるという説もある。川崎真治は『謎の神アラハバキ』(六興出版)の中で、シュメール語のアラは猛獣、獅子、荒い、日の光などの意味で、ハバキは蛇、母、大地などを意味し、荒覇吐神を天神、地神とみる日本のアラハバキ信仰との共通点を指摘している。川崎はシュメールにも当初からアラハバキとよばれる神が存在したという説である。しかし、これもまた半信半疑である。
しかし、『日之本文書』「北鑑 第二十四巻ノ一」は、川崎の説を裏付けるような記述もある。
「宇宙の神アラ、大地の神ハバキ、水の神ルガルとして、信仰の理(ことわ)りを創ったのはグデア王、ギルガメシュ王である。
古代シュメールの地にカルディア民族がいた。古(いにしえ)より宇宙の神秘に霊感する神を信仰として表した。天の一切、宇宙神アラ神を獅子座に拝し、大地の神ハバキ神を蛇に拝し、水なる一切をルガル神としてチグリス、ユーフラテスの河として、農を営み、古代の都を造るにいたった。
しかるに国が豊かであれば、人はこぞってその楽土を奪おうとして戦いが起こった。闘争を好まないシュメールの民は四散し、故地を放棄してアルタイ、モンゴルを経て、はるかなるわが国に至った一族があって帰化永住した」
アラハバキ信仰と神々の名前の数々
前節の神々の名前について説明する必要があるだろう。
ルガル神とは、シュメール人都市国家ニップール市の王をルガルといった。これがルガル神に転化したのだろうか。
ブルハン神とは、バイカル湖はブルハン湖と呼ばれていたので、ブルハン湖への信仰がブルハン神を生み出した。この地域は日本人の故郷ともいわれ、ブリアート人などがこの地域に居住している。
ヤクシー女神とは、古代インド神話に登場する鬼神。日本では夜叉(やしゃ)といわれる。
クロームとは、スキタイの神となっているが、北欧の神話に出てくるクロームとも関係あるのか。
「北鑑 第三十九巻ノ九」では、具体的な神々の名前まで指摘している。これらは国々で変遷した民間伝承であるため、伝播の過程で変遷があるのはやむを得ないことである。多神教の神々は理解しがたいものが多い。曰く。
「丑寅の信仰は、三神、即一神となってから、荒覇吐神として民族一統の信仰と相成った。もとの神、新たな神を比べれば、次のようになる。
天なる神 イシカ=アラ 地なる神 ホノリ=ハバキ 水なる神 ガコ=ルガル
家の神 チセカムイ=マデーフ 神殿の神 イシ=ヂグラー 火の神 カムイノミ=サラマンドラ 風の神 ブルハン=ボレアス 時の神 ジキ=ホーライ
運命の神 ダミド=モイライ 正義の神 キツ=アデイケ 学問の神 タンネ=ムーサイ
このように語部録に書き残っている」
上記の神々では、不明の神々が少なくないが、たとえばマデーフというのは、村の長の家にある共有のゲスト・ハウスのことで、マデーフは1室の空間で,中央に炉があり,外来者の接待や村の行事に使用されるというので、これが家の神というのは納得できそうである。
ホーライというのは、ギリシア神話で,秩序と季節をつかさどる3人または4人の女神。ゼウスとテーミスの娘。植物の生長,開花,結実を管掌するというから「時の神」として当たっていないことはない。。
しかし、火の神がカムイノミとなっているのは、アイヌ語でカムイに祈る儀式で火の神というのとは少しズレがあるように思える。
『日之本文書』[古事書状集]でも「アラハバキとは、太古シュメールという国のカルディア人に崇拝された六千年前の信仰である。天をアラ、地をハバキとして神を想定している」と述べている。
筆者は古代シュメール人の間で、アラハバキという名の神そのものが信仰されていたという『日之本文書』にはいまだ確証は得られないが、シュメールにアラハバキ神の原基信仰があったことは認めることができる。
史実としてはシュメール人が、アン・キ、ウトゥ、エンキなどの神を海のルートでインドに持ち込み、それらがインドでアーラヴァカといわれるようになり、中国でアーラヴァカが阿羅婆鬼などと訳され、日本に入ると阿羅波婆岐などと表記され、そこから荒覇吐という名前が出てきたという説も一考の余地はあるのではないか。いずれにしてもシュメールの信仰論を『日之本文書』で理解しようとするといくばくかの困難をともなうのは、人間の心の問題なのでやむをえないところではある。
https://ameblo.jp/aumakua888/entry-11504965139.htm 【謎のアラハバキの神 ⑴】
1,アラハバキ神に注目する理由
東海の三神山に比定できる石巻山、本宮山、鳳来寺山の内、前二つの山が「大己貴(おおなむち)神」を主祭神とする神社です。
三神山の中心的存在である本宮山頂は二つに分かれていて、南面する頂上には砥鹿神社が建っています。
砥鹿神社は縄文時代からの古代山岳神社であり、三州筆頭の一宮奥の院とされています。
西暦701年文武天皇が病気になられた時草加戸公宣卿が鳳来寺山に住む修験者・理修仙人を求めている道に迷い立ち寄った処です。
その時、公宣卿が出会った老人は「我が名を問わば、神のはじめの神とこそ言わめ。」といい鹿に乗った少年に案内させたと伝えられています。
つまり、本宮山の祭神は「神のはじめの神」であることを示唆しています。本宮山の砥鹿神社の祭神は、既に述べたように大己貴神ですが、この神は大国主とも大物主とも言われています。
地方の氏神などではなく、国家の主神を祀っているのです。
さらにこの神社の摂社に、大国主神の和(慈愛)の心を祭る「守見殿(和御魂神社)」と、荒々しい心を祭る「荒羽々気(あらはばき)神社」が祭られています。
和の心の神社はなんとなくわかりますが、荒心を祭る神社とはなにか。
その祭神がアラハバキ神という恐ろしげな名前を持つというところに興味を持ちました。
「神のはじめの神」とアラハバキ神になにか関係があるのか気になります。
アラハバキ神は、砥鹿神社・里社にも摂社として祭られています。
さらに驚いたことには、東三河の高天原の原点と比定される新城市大宮の石座(いわくら)神社にも摂社として祭られていました。
記紀では、大国主命は葦原中国の首長で、天照大神の子孫に国を譲らされたことになっています。
その荒御魂と言われるアラハバキ神が、高天原の中心で祭られているということは大変なことです。
そこで。アラハバキ神に関しての見解を整理してみようと思います。
https://ameblo.jp/aumakua888/entry-11506000258.html 【謎のアラハバキの神 2】より
,アラハバキ神に関する諸国見解
アラハバキ神は記紀、宮下文書、などには現れてきませんが、東北で祭られています。
東北のアラハバキ神は、宇宙人と見間違える大きな眼鏡をつけた遮光式土偶として、亀ヶ岡文明に出現した神です。
何年か前にNHKテレビで演じられた「炎立つ」の陸奥6郡にもアラハバキ神が出てきました。
環状列石に囲まれた、中心の立石(メンヒル)がその顕現です。
また、近江雅和氏著作の、彩流社から出版されている一連の書籍「記紀解体」「隠された古代」「消された星信仰」はアラハバキ神の解明に関するものです。
製鉄の民の神、根元神、転じて道祖神から履き物の神にまでなっていると言います。
更に、興味深い言語学的分析が行われているのは、川崎真治氏著「謎の神 アラハバキ」(ロッコウブックス)です。
なんと古代シュメールの叙事詩に出てくる半神半人の「ギルガメッシュ」であるというのです。
沢史生氏著「閉ざされた神々」(彩流社)には東三河の砥鹿神社と東北の関係が示唆された文章が出てきます。
そして、アラハバキはアラハバ、アラキ、アラという言葉になって、現代日本のあらゆる所にあらわれていることが判明しました。
「荒神さん」(こうじんさん)は日本全国で祭られている山の神、竈の神です。
江戸時代の三河出身の紀行家、菅江真澄は、寛政八年(1796)青森地方を巡歴したとき、森の小祠に「脛巾(はばき)の神」として、アラハバキ神が祭られていたが、表向きは松尾の神(祭神・大山祗命)を装う土俗神に過ぎなかった様だと、沢史生著「閉ざされた神々」(彩流社)にありました。
しかし、真澄はアラハバキ明神の名を聞き出した上、真澄のふるさとにある砥鹿神社(愛知県宝飯郡一宮町)のかたわらにもアラハバキの祠があったが、同じ神であろうかと旅行記に触れられています。
沢氏の著によれば、「本宮山(789m)は愛知県新城市から望まれる姿の整った山である。私は本宮山から、市浦村の靄(もや)山(津軽十三湖周辺の靄山)を連想しました。
つまり本宮山は元靄山であるのか。市浦村の靄山が本宮山に対する"新"宮山であるのかということですが、靄山の山容は大和の三輪山(モヤ山はミワ山がなまった山名か)や、その後方に位置する鳥見山にも似ているのです。
三輪山はオオナムチにつながり、鳥見山はナガスネヒコゆかりの山です。
そのことが、愛知県の本宮山や市浦村の靄山に、何らかの関わりを持つように思えてならない」とあります。
「加えて新城市の"シンシロ"はかつてニイキ郷と呼ばれたところでもあります。
「ニイキ」や「シンシロ」が「アラキ」「アラハバキ」からの転訛であったとも考えられよう。
しかも本宮山の砥鹿神社には荒羽々気神社が末社に列せられているのです。
神社を眺めるときは、本殿の神よりも、その周辺に何神が封ぜられているかに気を払わなければなりません。
摂社、末社の小祠に、本来は本殿にあるべきはずの神の正体が隠されているからです。
この仕法を砥鹿神社に当てはめると、神社のヌシは新城の地名がらみで、アラハバキの神であった可能性が強い。」ということなのです。
つまり、アラハバキ神が、かつて参州筆頭の一宮である東三河の砥鹿神社の主祭神であり、東北十三湖の古代津軽・亀ヶ岡文明や、奈良の三輪山とのつながりをもっていた可能性を示す貴重な見解を表明されていたのです。
日本民族学者・吉野裕子氏は「日本人の生死観」(講談社現代新書)の中で、「ハハキ神」は、伊勢神宮内宮の御敷地に祭られていて、守護神になっているが、蛇神と考えられているという。
「古語拾遺」に「古語に大蛇を羽羽と言う」と記されています。
ハハキ神は宮の外側に祭られる門神であり、地主神なのです。
そこに、あらわになるという意味でアラがつき、「アラハハキ」神となり、「ハハキ」がとれて「荒神」となったと推定されています。
川崎真治氏はこれに対し、ハハキを蛇と判断したことは素晴らしいが、シュメール語による解析では、いささか異なって来ると判断されています。
「ハハキ」をハハ・キと分けて、ハハは母、キはチ「地(シュメール語)」と解釈しました。
アラは、顕現のアラではなく、荒蝦夷の荒(アラ)である。これは、シュメール語で、獅子神のアラであると言います。
即ち、アラハバキは父である獅子神(アラ)と、蛇の地母神(ハハ・キ)の合成神であるのです。
シュメールの神系に当てはめれば、天神系アンと、母神キの子エンリルであり、ギルガメッシュになります。
アラ・ハバ・キ神族は、「獅子神」族と「蛇の地母神」族であり、阿蘇部は獅子神族、津保化は竜女神即ち蛇神族であったとしています。
そして、東三河に照らしてみれば、照山東南に賀茂族(獅子神族)、石巻山に三輪族(蛇神族)がいて、その2族の結合によって大国主(大己貴尊)が生まれ、そのアラ御魂が「アラハバキ神」なのであリます。
本宮山に大己貴尊とアラハバキ神が祭られているのは、やはり 同一神であるからなのです。
即ち、アラハバキ神は天の御中主霊神が、地母神と結合して、地上に産まれた天地を造り替える力をもった父神と同格の創造神(神の始めの神)と推定される。
https://ameblo.jp/aumakua888/entry-11506702478.html 【謎のアラハバキの神 ⑶】より
3,アラハバキ神の出自に対する見解
アラビア半島ヤマンからきた「アラハバキ神」 ~ 今一つの言語学的解明検討 ~
近年、近江雅和氏が、彩流社出版の「記紀解体」(1993・2)という書物で「アラハバキ神」の興味ある解明をが行われています。
関連する書物として「隠された古代」「消された星信仰」があります。
これらの書物の論議を総合すると結論としては、アラビア半島ヤマン(イエーメン)から、絶対神を信奉するみんぞくがq、陸上ルートと海上ルートの二つを通り、縄文時代末期から弥生時代初期に日本に辿り着き、その信奉する神が、各種の変貌を起こして、種々の「アラハバキ神」となったとされています。
その根拠として、榎本出雲氏の「ヤマン」語と日本の古語の言語学的対応関係を解明したもので、なかなか説得力のある説になっています。
つまり、日本の神社で最高の地位を占める、伊勢神宮の内宮に関して、天照大御神を祭る前からの地主神が「アラハバキ神」ではないかと言っています。
伊勢の内宮横に祭られている荒祭宮は、古来アマテラスの荒魂だということになっていますが、内宮と同格の扱いを受けて他の別宮とは断然格式が異なっています。
皇大神宮が伊勢に遷座する以前は、この地はイセツ彦や磯部氏の本拠地であって、次のような特徴がありました
1)荒祭宮の位置は、内宮が式年遷宮する最初の殿地であり、内宮本殿のような形をとっています。
2)皇大神が鎮座のとき、度会氏の祖先の大幡主が、最初に荒祭宮の地に大宮をつくったという伝承があります。
3)荒祭宮の神域内から、臼玉などの祭祀遺物が出土しました。
よって、荒祭宮の祭神こそ、古い内宮の地主神だったのです。
その地主神は、荒人神(上野の子持大明神、大和の児守明神(国狭槌神)、熱田大明神、諏訪大明神、津守大明神)なのです。
群馬県吾妻郡の、後藤菊次郎の「子持山縁起」では、「荒人神」が「アラハバキ姫」であり、「伊勢神宮」のあらがきの内におわします。 あらはばきこれなり」とアラハバキ神の名を明記しています。
その他、内宮神城内の輿玉神も、二見の輿玉神社もアラハバキ神であり、伊勢の地主神は、「アラハバキ神」なのでした。
https://ameblo.jp/aumakua888/entry-11508411049.html 【謎のアラハバキの神 ⑷】より
次に、外宮祭神です。
外宮祭神は、豊受大神であり、記紀にはイザナギ、イザナミ両神の間に生まれたことになっていますが、「丹後国風土記」では、天女・トヨウカメだとしています。
トヨウケヒメは稲霊だといいます(延喜「祝詞式」の「大殿祭」脚注)。
それがウカノミタマという神格となり、穀霊神・ミケツ神になり、それに奉仕した女性がウカノメ、ミケツ神、トヨウケヒメ、オオゲツヒメ、トヨウカヒメ、ウケモチノ神となりました。
そして、アマテラスの御饌(みけ)の鬼役(毒味役)である散飯鬼(さばき)となり、それは、古代インドのバーリー語でアーラヴァカ鬼神、即ち鬼子母神でした。
外宮祭神を豊受大神としたのは、、外宮を遷座した度会氏の祖「阿波良波」だといいます。
アーラヴァカの音に近い「阿波良波」の名は「アラハバキ」に他なりません。
度会神道から、吉田神道がうまれ、それは唯一神道、元本宗元神道とも言われ、最高神として、「大元神」が据えられています。
そして、その教理は、「外宮の主祭神は豊受大神であるが、天御中主、国常立、ミツケ神の諸神はいずれもトヨウケ大神の別名であり、天御中主と国常立は「大元尊神」と同一神である」としました。
神道五部書のひとつ「倭姫世記」によると、「ミツケノ神、ウカノミタマは大自在天の子で、アメノミナカヌシである」としている。
大自在天は凡名でマケイシュヴァラといい、世界の主宰神で特にシヴァ神のことを指しており、密教においては大日如来の応現ともしています。
つまり、アメノミナカヌシはシヴァ神の子だというのです。
大元は始源の意味であり、外宮の神はまず始めに生まれた神で、即ち、大元の神で万物に先駆けて生まれた神こそ最高神であるということを打ち出したのです。
近江氏は「大元尊神」の実態は「アラハバキ神」のことに外ならず、ホデカリ系が渡来以前からの最高神としていたものをカモフラージュしたものといわれます。
https://ameblo.jp/aumakua888/entry-11509367596.html 【謎のアラハバキの神 ⑸】より
伊勢神宮にはもう一つ「太一」信仰があります。
太一を表に出したのは伊雑宮(いぞううのみや)(原出雲系のイサワトミを祭る神社)です。
「太一」は皇大神宮の外部のみに表れていることと、伊勢神宮が関係していることは磯部氏の信奉するところです。
従来の諸説では「アマテラス=太一」でありましたが、度会神道すなわち太一であり、大元ととすると納得します。
太一は中国の陰陽五行思想から名ずけられた名前で、最高の神、その居所は北極中枢だとされ、北極星の神霊化で、宇宙の大元です。
この中国の思想は道教に反映し、古代インドの密教と習合して「大元帥明王」になりました。
従って、伊勢の太一信仰は、陰陽五行思想だけによるものではなく、太一という隠れ蓑を着た最高神である「アラハバキ神」のことでした。
近江氏の結論は次のように繋がります。
古代インドにあったアラハバキはさらに遡れば、南アラビアからインドに移動してきたエアーラヴィと呼ばれる一団がその信仰を祭る持っていました。
ですが、アーリア族の侵攻で一土族信仰となって、次いでインド仏教のみに雑密成立に伴い、ヒンズー教その他の諸神とともに仏教の守護神と習合して大元帥明王という呼び名に変身しました。
その変化を知った度会氏は、古代アラハバキを大元帥という最高神に仕立てて、大和朝廷に抵抗を続けたのでした。
と、以上のことから、「アラハバキ神」=荒人神、大元帥、太一と呼ばれるようになったことがわかります。
そして、これらの神は伊勢だけでなく、列島各地に広がっていることがわかるのです。
近江氏の論をもう少し辿ってみると、丹後国の篭神社社務所発行の「元伊勢の秘法と国宝海部氏系図」という本の奥宮・真名井神社の項に「トヨウケノ大神の亦の名はアメノミナカヌシ(天御中主)・クニトコタチ(国常立)で、その顕現の神をウカノミタマ(倉稲霊=稲荷大神)と申し、アメノミナカヌシは宇宙根源の大元霊神である」と明記しています。
「海部氏勘注系図」には歴代秘伝として「天御中主とは亦の名神魂、国常立、天照皇大神、豊受大神で、すべて同神の異名である」ことを伝えています。
そして、「天照大神は国常立尊すなわち大元神の所顕であらせられる」とアマテラスが人格神でないことと、国常立は大元神すなわちアラハバキであることを明記してある、といいます。
アメノカゴヤマは勅命により越後の野積浜に上陸して、オモト山(大元山)という禁足地を持っており、古代宇佐族の墳墓の地としています。
オモト山は大元山と言われるとおり、古代アラハバキ神をもっていたことを示しています。
宇佐家の葬祭に際しては「祖廟霊鎮の詞」として、「大元尊神生命成就、心は即ち、一元未生の神明なり、元(はじめ)を元として元の元に入る。・・・」と言います。(宇佐公康、続・古伝が語る古代史(木耳社)
宇佐氏の大元は社地の大元山や厳島神社の「オオモト」にもつながり、島根、鳥取、愛媛、岡山、高知の各県に20社に及ぶ大元(大本)神社につながっています。
「記紀解体」において、「アラハバキ」をアラビア語で解釈すると、アラは神、バキーは永遠不滅の、という意味では「ヤマン族の神、不滅の神」ということになります。
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