自然の力

Facebook・市川 よしおさん·投稿記事

日本にもこんなに素晴らしい先生がいらっしゃるのですね。

「ぜんぶ括弧にくくって外在化し、把握・管理・利用の対象とする考え方が近代合理主義であり、それが急速に広がったのが近代社会です」はまさにストンと納得でした。

【SDGs時代の子育てに自然の力が絶対的に必要なわけ 文春】

https://bunshun.jp/articles/-/49239 抜粋

  いま「森のようちえん」が注目されている。簡単に言えば、園舎の中ではなく自然の中で、子どもたちが思い思いの遊びに夢中になるスタイルの幼児教育だ。「森のようちえん全国ネットワーク連盟」によれば、現在の会員数は個人・団体をあわせて約300。ネットワークに加盟していない団体も含めれば、同様の活動を行っている幼児教育機関はもっと多いはずだ。

◇モンテッソーリやシュタイナーに匹敵する幼児教育◇

 北欧のデンマークで発祥したと言われているが、日本でも昭和のころから「青空保育」「おさんぽ会」の名称で、自然の中での保育は行われていた。拙著『ルポ森のようちえん』執筆のために全国の森のようちえんを訪ね歩いたが、私がそこで見たものは、日本の里山文化にしっかりと根を下ろした、日本独自の滋味あふれる幼児教育としての「森のようちえん」だった。近い将来、モンテッソーリ教育やシュタイナー教育、イエナプラン教育などと並び称されるだけでなく、「SDGs時代の幼児教育」として、海外からも注目されるようになるのではないかとにらんでいる。

◇「生きることは耐えること」みたいな刷り込みはNG◇

 そもそも人間にとって自然が大事なのはなぜかというと、きっと私たちが自然の一部にすぎないからだと思うんですよね。

 本来は人間の中にも豊かな自然性があるのに、それをぜんぶ括弧にくくって外在化し、把握・管理・利用の対象とする考え方が近代合理主義であり、それが急速に広がったのが近代社会です。

 でも実際は、自分たちの内なる自然と外の自然が違う論理で動いてしまうと、私たちの内なる自然が耐えられなくなってしまう。要するに、内なる自然と外の自然が上手に共鳴し合い支え合うことが、人間にとっていちばん大事だということを近代社会は忘れてしまった。

 理性の力で世界全体を解明できるはずだという考えを啓蒙主義といいますが、そこで見落とされてしまっているのは、人間も自然の一部だということ。言い換えれば、外の自然を破壊したら自分たちの内なる自然も破壊してしまうかもしれないという視点なんですね。

 人間と自然との関係をとらえ直していかないと、人間の本当の幸せとか生きる意味って何なのかとか、決して正解があるわけじゃないけれど、そういうことを考える視座すら得られないんじゃないかと思います。

◇「やっぱり子どもって理不尽な存在なんですよ」◇

◇ 外なる自然と内なる自然を出会わせる◇

◇ 森のようちえんが現代人のマインドセットを変える!?◇

 アメリカのサイエンスライター、エマ・マリスの『「自然」という幻想』。要するに、「手つかずの自然」幻想をやめ、都市部にもある小さな自然を大切にすることから環境保全を考え直そうという提案だ。TED(最新の知見を共有する世界的な講演会)での彼女のプレゼンテーションは、おそらく西洋の自然観にとってはコロンブスの卵とでもいうべき斬新な発想だったはずだ。

 いわゆるSDGs 的な課題(図)が西洋発祥の近代合理主義的なマインドセットから生まれたものであるとするならば、これらを解決するにはそれと異なるマインドセットを構築する必要がある。それを可能にするヒントが日本的「森のようちえん」すなわち「里山のようちえん」にあるような気がする。

先程の「森の幼稚園」と共通したものを感じます。又同時にかなり深刻な事態になっていることも判ります。日本のように民間療法薬の情報が途絶えてからでは遅いです。

【先住民族の言語の消失で、そこにしかない薬用植物に関する知識が失われていく カラパイア】

https://karapaia.com/archives/52306817.html 抜粋

 チューリッヒ大学の進化生物学、環境学の研究者、ジョルディ・バスコンプテは言う。

言葉が消滅するときはいつも、話す声もまた消え、現実を理解する方法も、自然と対話する方法も、動物や植物を描写したり、名前をつけたりする方法も消えてしまいます

 プロジェクト「エスノローグ」は、世界に存在する7000の言語のうち、42%が消滅の危機に瀕しているといっている。

 世界の言語調査をしている非営利団体SILインターナショナルによると、1500年にポルトガル人がやってくる前にブラジルで話されていた1000の先住民族の言葉のうち、現在も使われているものはわずかに160ほどだという。

◇言語の消失が有用な薬用植物の知識を消し去っていく◇

 最近の研究では、バスコンプテと生物多様性の専門家ロドリゴ・カマラ=レレトは、先住民族の言語の消失は、薬用植物に関する伝統的な知識の喪失につながり、未来の薬の発見の可能性を狭めることになりかねないと警告する。

 現在、大量に販売されている薬の有効成分の多くは、薬用植物から抽出されている。セイヨウシロヤナギから抽出されるアスピリンとして知られるアセチルサリチル酸から、ケシからとれるモルヒネまで、多岐にわたる。

 先住民族は、伝統的に世代間の知識の伝達は話し言葉に頼ってきたため、そうした言語がなくなってしまったら、当然のことながら情報も広がらなくなってしまう。

今回の研究では、3597種の植物のうち、薬として利用できる1万2495の有効成分を分析し、このデータを生物学的、文化的に多様な3つの地域(アマゾン北西部、ニューギニア、北米)の236の先住民族言語と結びつけた。

 ここから、これらの地域で、薬として使われる薬用植物の75%がたったひとつの言語でしか伝えられていないことがわかった。

「薬用という固有の知識を伝える言語は、消滅のリスクが高いと言わざるを得ません」バスコンプテは言う。「知識がどのようにして消滅してしまうのか、ということに関して、ある種、二重の問題があるのです」

 アメリカ大陸は、薬の知識のほとんどが先住民族の絶滅危惧言語と結びついている地域として、研究の中で際立っていて、とくにアマゾン北西部はバスコンプテが言うような二重の問題の典型であることが判明した。

 この研究では、645種の薬用植物と、その効用が口頭で伝承されている37の言語に基づいて評価し、こうした知識の91%がたったひとつの言語でしか伝えられていないことを明らかにした。

 つまり、そのひとつの言語を話す人がいなくなってしまったら、薬の知識も消滅してしまうということなのだ。これは、アマゾンの多くの地域で遠からず起こりうることだ。

文化の消滅は生物多様性の消滅以上に深刻だった

 薬用にできる種の脆弱性を分析した結果、絶滅危惧言語で効用が伝えられている薬用植物は、北米の64%、アマゾン北西部の69%が、国際自然保護連合(IUCN)による絶滅危惧評価を受けていないことがわかった。

 そのため、現在、絶滅危惧として実際に分類されている植物は北米4%以下、アマゾン北西部1%に満たない低い数字になっている。

https://www.iot.ac.jp/manu/ueda/column/071124.html 【二一世紀の諸問題は 近代合理主義では解決できず全体を見て本質を把握せよ】より

「生まれ育った世界から別の世界へ移り住んできたかのような感さえする。

一七世紀の半ば以降三五〇年にわたって、西洋はモダンと呼ばれる時代を生きてきた。一九世紀にはその西洋のモダンが、全世界の哲学、政治、社会、科学、経済の規範となり秩序となった。

だが今日、モダンはもはや現実ではない」

(『テクノロジストの条件』)

 モダンとは、近代合理主義のことである。まさに,世のすべての事象は論理の力によって解明できるとしたことから、近代は始まった。

その近代が、まず西洋を支配し、やがて世界を支配した。

 ところが、そのモダンが世界を覆い尽くしたと思われた二〇世紀の半ば、論理だけでは説明できない問題が急増し始めた。

 いまや、環境問題、途上国問題、人口問題、教育問題など、二一世紀が直面する問題の多くが、論理だけでは理解不能であり、解決不能である。

 分解して解析するという作業に加え、知覚の力によって、全体を全体として

把握しなければならなくなった。命あるものとして見なければならなくなった。

 ドラッカーがこの変化に気がついたのが、今から半世紀前の一九五〇年代半ばのことだった。

「われわれは一つの大きな転換期を生きている。昨日のものとなったモダンが、無力ながらも表現の手段、期待の基準、処理の道具として機能している。他方、新たなるポストモダンが手段と道具を持ち合わせることなく、われわれの行動を事実上支配しつつある」

(『テクノロジストの条件』)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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