Facebook・草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
人間が価値そのもの
「命がつながっていくということは、所詮後悔を残してできないことを山積みにしておくことでもあるのだから」。
演劇プロデューサーの西舘好子さん。
幼い頃、家が貧しくてものんきに暮らせたのは、天災や戦禍の経験から、生きていれば難儀なこともあるし、お金がなんでも救ってくれるわけではないと知っている大人に囲まれて育ったからというのが背景にある言葉です。
振り返って、あの頃は貧しかったけどよかった・・・ではありません。
西舘氏が言うのは、生きていれば必ず辛いことは起きるもの、お金がすべてではないことを心に刻んだ大人たちに囲まれて育った、そのありがたさを言っているのですね。おとなの背中とでも言いましょうか。(ときどき、このふたつが混同されるように思います。)
「生活」とか「暮らし」というものが競争原理とは相反することをしっかりと知っていたからです。たとえば、家族の中に「できる・できない」といった物差しで測るような価値観はありません。子どもを育てるとは効率の悪いことでしょう。というか、効率とか合理性とは別個の世界のことです。愛に代償を求めたところから「愛」は意味を失います。
○×や採点とは無縁な生活の中に安らぎがあり、安らぎの中で、理想や生き方が育くまれていくのだと思います。
いつから「エリート」なんていう言葉が出現したのでしょうね。生きる(生き方)に付随して人間の価値があるのではなく、人間が価値そのものであるという原点をいまいちど考えたいものです。
Facebook・さとうみつろうさん投稿記事·
読書感想文は、「主人公がどう思っていたか」じゃなく「主人公をどう思うか」
この人生も同じで、「わたし」がどう思っているか、じゃなく「わたし」をどう思うか。
https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12705034114.html?fbclid=IwAR1-fy1c-mLDiHDN1nfSzLr81M1QTe8s1DN2IWvd-wfAriD0PQ0gdivAmjw 【人生は読書感想文】より
読書感想文は、主人公がどう思っていたか、じゃなくて、主人公をどう思うか、だ。
人生も同じで、「わたし」がどう思っているか、じゃなくて、「わたし」をどう思うか。
この「わたし」の部分に、あなたの人生の主人公である「あなた」のフルネームを入れてみよう。
例:山田太郎
劇中で「山田太郎」がどう思っていたか、じゃなくて、劇中の「山田太郎」のことをどう思うか。それがメタ認識の位置。「幸福指数」も同じくメタ認識によってもたらされる。
ドラマの中で、主人公「山田太郎」が自分のことをどう思っていたか、どんなセリフを吐いていたか、は関係ない。
その主人公「山田太郎のこと」を、いま客観的に観て「どう思える」か。それが、「幸福指数」の値になる。
さらに読書感想文の凄いところは、主人公の劇中のセリフや意見に関係なく、読者がどっちにだって捉えられること。
主人公がどれほど劇中で嘆いていても、「主人公は幸せな奴だなぁと思いました」で結べる。
↓このくらい高い位置から、「わたし」を見つめてみよう。
『幸福指数』、それはあなたが書く読書感想文。
自由に書ける。
・恵まれた仕事があって・健康な体があって・トラブルを楽しめる人間関係に恵まれ
・いつも優しくしてくれる人が周囲にいて〇〇さんは、幸せな奴だと思いました。
それが、「あなた」の幸福指数なのだ。
〇〇さんは、あなただから。あなたは、自分の「幸せ」を自分で作れるのだ。
〇〇さんを、幸せだと思うだけで。
では、冒頭のイングリッシュ構文をもう一度。
読書感想文は、主人公がどう思っていたか、じゃなくて、主人公をどう思うか、だ。
人生も同じで、「わたし」がどう思っているか、じゃなくて、「わたし」をどう思うか、
だ。あなたは、今すぐ幸せになれる。あなただけの手で。
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