Facebook・兼松達明さん投稿記事
自主上映して、見たい映画があります。【隣る人】
ささやかだけれど情感豊かなこの映画は、日常の暮らしの底で光を放つ「生命の真実」を、うるわしく、切なく写し出している。人が心の底から希求している本物の願い、祈り、夢。
そして人を真に悲しませるものの姿。
さらに、人がどんなつらさにも耐えて、なお生きゆくことがなぜ可能なのか、胸迫るその答えもここにある。
いとおしい子どもたち。いとおしい人びと。観ながら涙し、観終えてこみ上げ、二度観て
これを書いている今も心が揺さぶられている。天童荒太(小説家)
http://www.tonaru-hito.com/coment.html 【隣る人 コメント】
天童荒太(小説家)
ささやかだけれど情感豊かなこの映画は、日常の暮らしの底で光を放つ「生命の真実」を、うるわしく、切なく写し出している。
人が心の底から希求している本物の願い、祈り、夢。
そして人を真に悲しませるものの姿。
さらに、人がどんなつらさにも耐えて、なお生きゆくことがなぜ可能なのか、胸迫るその答えもここにある。
いとおしい子どもたち。いとおしい人びと。
観ながら涙し、観終えてこみ上げ、二度観てこれを書いている今も心が揺さぶられている。
内田也哉子(文筆/音楽活動 sighboat)
「果たして、自分は我が子にとって、ほんとうに隣る人なのか?」
究極の問いが突き刺さる。子どもと生きることは、キレイごとばかりじゃない。
喜びも疎ましさも複雑にはらむのが、人とのコミュニケーションそのものだから、
親として、人の子としてこの世に生まれた以上、誰もが知る感覚に違いない。
ところが、そんな弱音を持て余す私のような大人の事情なんてそっちのけで、子どもは日々、進化し、いつ何時もそこにある陽だまりのようなぬくもりを必要とするのだ。
「光の子どもの家」の子どもたちの切実な想いは、かつて子どもだった自分の懐かしさと相まみれ、窒息するほど胸を締めつける。8年という日常に寄り添い、一切の誇張も、偏りもなく、これほどまでに静かに真実を見つめた映像が、未だかつて存在しただろうか。
見る者の知と情に委ねられた、まっすぐな問いは永遠に消えない。
ライムスター 宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ)
「揺るぎない誰か」を求めるということが、人にとっていかに根源的で切実な欲求であることか……
すっかり「一人で大きくなった気でいる」、すべての大人たちに観てほしい。
俵万智(歌人)
「どんなムッちゃんも好き」。保育士のマリコさんの言葉です。
そう思ってくれる人が隣にいること。子どもには、それだけでいい。
けれど「それだけ」が非常に困難になっているのは、今の日本、児童養護施設に限ったことではないように思います。
愛情とは、何か特別なことをしてやったり、まして期待したりすることではない。
なんでもない時間を共有し、ひたすら存在を受けとめること。子どもとは、こんなにも愛情を必要としている生き物なんだと、せつなく、たじろぐほどでした。
森達也(作家・映画監督)
映画のコメントはこれまでたくさん書いてきた。でもこの映画のコメントは難しい。
なぜならば観ることの意味をこれほどに強く呈示する作品を、僕は他に知らない。
どんな言葉を紡いだとしても、この映画に及ばないことはわかっている。
…とここまでを書きながら、ここまでの記述もまた、慣用句になってしまっていることが悔しい。
これ以上は書かない。観てほしい。一人でも多くの人に。約束する。
ドキュメンタリーの可能性と人の豊かさを、絶対にあなたは実感する。
佐藤忠男(映画評論家)
児童虐待などの暗いニュースの多い昨今だが、児童養護施設には子どもたちがこんなにも保育士たちを慕って心の安定を得ているところもあると知って、本当に嬉しい気持ちになる作品である。映画としても、人と人が、こんなに純粋に、愛をそそぎ、愛を受けとめる姿を、かくも豊かに、たっぷり撮影し得た作品はそうザラにはない。
ドキュメンタリーの傑作だと思う。人間万歳!
香山リカ(精神科医)
「子育ては母の手で」。
この言葉が、育児に専念できない多くの母たちをどんなに呪縛し、苦しめてきたことか。
そして、そう強制された結果、不安を抱え、自分を否定し、苛立ちや怒りが目の前の子どもに向けられるケースも少なくない。
この作品に描かれているのは主に子どもと母以外の保育者だが、私たちはその背後に、追い詰められた日本の母親たちの姿を見ることもできるはずだ。
芹沢俊介(評論家)
子どもは誰かと一緒のとき一人になれる――ウィニコットの名言だ。
ここでいう「誰か」は誰でもいい誰かではない。
特定かつ特別の誰か、自分だけの受けとめ手のことである。
子どもにとって、そのような「一緒の誰か」のいるところだけが家族である。
そして子どもは「一緒の誰か」がいれば、ひとり、生きてゆける。
よるべなき子どもたちに自分を差し出し続ける光の子どもの家のこうした
養育のいとなみを、刀川和也は、哀しいばかりに美しい映像として掬いとった。
想田和弘(映画作家)
極めて厳しい状況にある子供たちを映し出しているのに、
いわゆる「福祉モノ」にありがちな、湿っぽさがない。説教臭さもない。
むしろ、不思議な美しさと静けさを湛えている。笑いもある。
同時に、職業としての保育士という立場の複雑さや、疑似家族としての
養護施設の難しさも、さりげなく映し出している。
刀川監督が、イデオロギーや観念ではなく、目の前の現実を虚心に観た結果できた映画なのだろう。
渡井さゆり(NPO法人日向ぼっこ 理事長 兼 当事者相談員)
人は誰しも愛を求めている。
でも、受けとめてくれる人がいなければ、愛を求めることはできない。
その受けとめてくれる人が「隣る人」。
ドキュメンタリーとして映し出されている「児童養護施設」にとどまらず、子と親、子どもと大人、人と人との心地よい関係性を、考えさせてくれる奇跡の作品。
吉田浩太(映画監督)
最近は昨年の東日本大震災の影響もあってか、「絆」というキーワードが何かともてはやされましたが、本当の意味での「絆」を実感して生きている人間などそうざらにいるものではないと思っていました。
かくいう自分もその一人なのですが、この映画に出ている「むっちゃん」を初めとした子供たちは本当の意味で「絆」を求めているし、同時に、共に生活し親代わりとなる大人たちもまた子供たちに応えるべく愛情を持って生きていました。
その真摯な姿は自分のことしか考えていない自分のような人間にとって、見ているだけでも非常に突き刺さってくるものがあります。
子供が自分から色々なことを乗り越えていくには、自分を認めてくれる人が近くにいるという感覚がいかに大切か。そのことを、8年間を通じてのむっちゃんの表情の変化が何よりも雄弁に物語っているように思いました。最後のむっちゃんの表情に全てが詰まっています。
あの表情を自分を初めとする親、大人が見過ごしてはいけないと思いました。
三浦りさ(NPO法人子育てパレット代表)
幼い頃に「絶対的な無償の愛」を受けることで自己肯定感が育つと言われています。
私はこれを「親の愛」だと思っていましたが、この映画によってそうではない「隣る人」の存在があれば育つということに気づかされました。
人が人として生きていくためには不可欠である「無償の愛を感じられること」「安心でいられること」「生きていていいのだ」と思える場所、それが児童養護施設である「光の子どもの家」にはありました。
核家族の現代だからこそ、大人も子どももみんなでお隣に目を向けることができたら、きっと優しい社会ができるのだろうなどと考えさせられる映画でした。
土井高徳(里親・学術博士)
「隣る人」。家庭環境を失った子どもたちと母親代わりの保育士たちが紡ぐ物語。
観客は、ムツミ、マリナ、マリコの交わす言葉や表情に切なく胸を締め付けられ、人がひととして生きる安心と安定の基盤について考えさせられるだろう。
「あなたの傍らにいつも立っている人」は誰ですか。刀川監督の問いかけが作品の基底部分で重奏低音として響き続け、観客はその根源的な問いに自ずと応答せざるを得なくなる。
今年一番の必見の映画。
船橋邦子(和光大学人間関係学部教授)
日々の暮らし、人と人との関わりを、監督の子どもたちへの温かいまなざしで8年間、カメラを回し続けて完成した、とても丁寧に作られている作品です。
児童養護施設という特殊な風景というより、そこにある子どもと大人との信頼関係、大人の子どもに対する温かい態度が本当に感動的。愛情いっぱいに抱きしめることを子どもたちは心から望んでいるのだと、この作品は教えてくれました。
今からでも遅くない。もっと子どもたちを抱きしめたい。
大黒昭(㈱アスピカ 会長/シネマ夢倶楽部 推薦委員)
色々な事情で親から引き離された子供達のための児童養護施設「光の子どもの家」の密着ドキュメンタリー映画。
愛情を砂地のように吸い込む幼少期の子供達は誰かに寄り添わなければ生きて行けない。その「隣る人」の役割を施設の職員達が懸命に果している姿は神々しくさえある。観ていて涙が出るほどだ。
子供達の自然な振舞いをカメラにおさめることは至難であったに違いない。完成に8年を要したことがわかる。
映画の始まりの夜明けのシーンは子供達の将来への祈念ともとれるが、エンディングで聞こえてくる台所で野菜を刻む音は家庭の温もりを感じさせる。刀川監督の細かい心配りが偲ばれる。
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