行き先も知らない旅人

Facebook・長堀 優さん投稿記事

仏教が伝来するまでは日本には文字がなかった、これが今わが国で広く信じられている通説です。

 その根拠のひとつとして、7世紀前後に記された「随書倭国伝」における「無文字 唯刻木結縄(文字無し、唯、木を刻み縄を結ぶのみ)」との一文が挙げられています。

 しかしながら、本当にそうなのでしょうか。

 「文字」という概念があったかどうかは別として、木に刻む、縄を結う、という行為自体、なんらかの記録や伝達手段として使われていたとは考えられないのでしょうか。

 近年、古代人が岩に刻んだ文字や文様であるペトログラフ(岩刻文字)が脚光を浴びるようになってきました。

 ペトログラフの研究が盛んになるにつれ、シュメールの古代文字と、日本に残されている岩文字がたいへんよく似ている、という事実もわかってきました。

 少し話が飛ぶようですが、縄文時代は、これまで文字はもちろんのこと、語るべき文明もなかったとされてきました。

 しかし、青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡からは、16500年前と推定される世界最古の土器が発掘されていますし、同県の亀ヶ岡遺跡(紀元前1000~400年頃)からは有名な遮光器土偶が発見されています。

かのNASAは、この土偶の衣装を「宇宙服に近いもの」と判定していますが、それだけではありません。

 30センチほどと小さいにも関わらず、非常に薄い粘土で作られており、しかも鉄のように固いのです。

 この粘土をさらに分析してみると、なんとも驚くことに、現代のハイテク、セラミック加工と同じレベルの技術が使われていることが判明しています。

 このような卓越した技術が一朝一夕に成し遂げられるわけはなく、そこには長期間に渡る経験や創意工夫の積み重ねがあったに違いありません。

 口頭伝達によっても技術を伝えることはできるでしょうが、「先輩のやり方を見て覚えよ」式の伝達法では先輩を越すことすら難しく、ましてや広く技術を伝え、共同作業を行い、技術を向上させることはとても困難なはずです。

 技術の革新的な発展を促すためには、相応の「文字」により思考を整理して表現し、手法の要点を書き残して伝えることが不可欠です。

 そのような過程を経てこそ技術は進化しながら、地域や時代を超えて継承されていくのです。

 書聖と称され、昭和天皇にも謁見している安藤妍雪女史は、文字に秘められた神理とでもいうべき「言霊」に魅せられ、さまざまな研究を深めるうちに「世界の言語は元ひとつ」という本を出版されました。

 この本のなかで、安藤氏は文字に関する驚くべき事実を明かされています。

 平成三年七月、佐賀県大和町の東山田一本杉遺跡から出土した弥生時代前期の甕棺に記された神代文字の中に、インド人考古学者ポンナムバラム・ラグパティ博士が『古代南インドの象形文字』を発見したというのです。

 日本人考古学者が見逃していたものを、たまたま調査に訪れたラグパティ博士が見つけ、『紀元前三世紀頃まで南インドの土器に描かれていたグラフィティという古代文字と同じだ』と語り、驚きの声を上げたのです。

 インドの文字だけではありません。

 安藤氏は、「紀元前二五〇〇年から紀元三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字などが、西日本一帯において、続々と発見されているのです。・・(中略)・・・

 いずれの文字も、超古代文明の遺産とされる巨石文化遺跡の大岩に刻まれた状態で残っているところを見ると、紀元前二五〇〇年どころか、その起源はずっと古くまでさかのぼる可能性があるということであります。」

 海外におけるペトログラフ研究は、ハーバード大学、ニューヨーク大学、カリフォルニア大学、フランス国立先史時代研究所、中国岩画研究所、イタリア先史時代研究所などの先進学術機関で行われており、学者たちの連携が進み、近年目覚ましい発展を遂げています。

 世界の研究者の間では、楔型文字に先立つシュメール古拙文字と同じ文字が、日本、中央アジア、アメリカに残っていることが、すでに確認されているのです。

 “5,6世紀に漢字が伝来する以前の日本には文字はなかった”、という日本人の常識に一石を投じたのは、ほかならぬ海外の研究者たちだったわけです。

 彼らは、縄文時代から日本列島に人が住んでいたからには、漢字以前の文字が存在していて当然と考えており、 “このような古い文明を有する日本に文字がなかったはずはない”、とばかりに日本での古代文字の発見を待ち望んでいたのです。

 このように、我が国における古代史の見直しが進むなか、先日私は、ホツマツタヱの研究家として知られるいときょう先生と出会い、ホツマツタヱの世界に魅力されることとなるのです。

 一万行におよぶ膨大な長歌で歌い上げられたホツマツタヱには、神代の昔から十二代の景行天皇の時代までの古代日本における風俗や風習、美しい和歌、祝詞やたくさんの智慧がヲシテ文字(写真のキャプションをご参照ください)で描写されています。

 そして、古事記、日本書紀(以下記紀)が神として扱ってきた登場人物が、この書では古代に実在した人間として、じつに生き生きと描写されているのです。

 ホツマツタヱで語られている内容の深さ、幅広さには目を瞠るばかりですが、全編にわたりその文体は、見事な五七調に統一されており、芸術性の高さ、表現力の豊かさにも驚嘆します。

 ヲシテ文字は、私たちがふだん見慣れている文字とは全く異なる書体であるのにもかかわらず、ホツマツタヱのヲシテ文字を仮名に置き換えると、古典を学んだことのある現代日本人なら、そこはかとなく理解できる古語文に変わるのです。

 ひょっとしたら、漢字以前の「ヲシテ時代」に我が国のひな型があるのかもしれない、そして、文字もなく未開の文明と見做されてきた遥か古代の縄文時代に、現代の私たちとも意思の疎通を図りうる言葉が話されていたのかもしれない、そう考えると何とも言えない興奮を覚えます。

 ホツマツタヱがいつ成立したのか、ホツマツタヱと日本の正史とされる記紀とはどちらがより真実に近いのか、などの疑問に対しては今は答えようもないわけですが、ただ、記紀と違った視点を併せ、双眼で歴史を眺めることにより、古代社会がより立体的に、よりリアルに浮かび上がってくることは確かでしょう。

 また、ホツマツタヱに登場する地名が現代にそのまま残されているという事実も忘れてはなりません。

 私は興奮のあまり、「ホツマツタヘ(松本氏の表記)」を発見された松本善之助氏の書も手に入れ読み始めました。

 古代史に興味がございましたら、まずは、いと先生がわかりやすく語られる「ホツマツタヱ」で、日本の古代に思いを馳せてみることをぜひお勧めいたします。


https://www.keiwa-c.ac.jp/presidentblog/yamadakota/2017-07-21-43152/ 【「行き先も知らない旅人としての人生(ヘブライ11:8-12)」】より

「旅人としての人生」というタイトルは、多くの日本人には「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」という句を残した芭蕉を思い出させます。芭蕉は冥途の土産として中尊寺の金色堂などの名所を見ることに誘われて、江戸・深川の自宅から東北地方への『奥の細道』の旅を思い立ちます。そして、故郷の伊賀上野に戻る途中で、新発田辺りを通ります。山北町の山中には現在も芭蕉が歩いた江戸時代の出羽街道の石畳の道が残されています。学生時代に山北町の北中辺りの出羽街道を歩いてみてはいかがでしょうか(5月5日「学長室だより」写真、参照) 。

「行き先も知らない旅人」とは、アブラハムの人生を象徴する言葉です(ヘブライ11:8)。また、私たちの人生を象徴する言葉です。私たちは「裸で生まれて来て、裸で大地に帰ります」(ヨブ記1:20)。人生は出会いで決まります。人との出会いの中で次第にいかに生きるべきかを自覚していき、人生の旅の目的である行き先を見出していきます。ヘブライ人への手紙11:8-12は、創世記12章から25章のアブラハムの生涯を要約しています。

アブラハムはシュメール文明の中心地のウルから冒険心とチャレンジ精神に溢れて「行き先を知らずに」旅に出ます。妻のサラと甥のロトと多くの家畜を連れて砂漠に囲まれたステップという草地の「肥沃な三日月地帯」をたどって全く未知の土地に向かって旅をしました。

やがて、パレスティナに入ると神が現れて、アブラハムに二つの約束をします。第一の約束は、子孫が繁栄する約束です。第二の約束は、パレスティナの土地をアブラハムの子孫に与える約束です。アブラハムはこの神の二つの約束を信じて、誰も知る人がいない土地で神を頼りにして定住生活を始めます(創世記12章)。

神の第一の約束の子孫の繁栄の約束がなかなか成就しないので、悩んだ末に人間的な思いから自分の家の後継者として、一番信用できるダマスコのエリエゼルを自分の子としようとします。しかし、神はそれを受け入れず、養子ではなく、アブラハムの実の子が跡を継ぐことを宣言します(創世記15章)。

アブラハムは肥沃な土地を甥のロトに与え、自分は家畜を飼うのは貧弱な土地を選びます。しかし、豊かな土地を得たロトは、豊かな土地を狙った外国の王に攻められますが、アブラハムはロトを助けて救い出します(創世記13-14章)。ロトとその家族はソドムとゴモラという町に住む不道徳な人々と共に滅ぼされそうになりますが、アブラハムの執り成しの祈りによって救われます(創世記18章後半、19章)。

アブラハムは妻サラが老人になっており子が生まれるような状態ではないので悩んだ挙句に、飢饉でエジプトに逃れた時に連れてきた女奴隷のハガルとの間に子イシュマエルをもうけて跡取りにしようとします。しかし、イシュマエルが生まれる妻サラと女奴隷ハガルの立場が逆転してハガルの立場が強くなり、二人の関係が極めて悪化し、アブラハムの悩みはさらに深くなります。(創世記16章)

シャガール「アブラハムとサラ」

その悩みの中で三人の旅人の客人が訪れて、老人の妻サラが来年男の子を生むことを予告して立ち去ります(創世記18章前半)。その予告の通りサラは約束の子イサクを産みますが、少年イシュマエルが幼子イサクをいじめる姿を見て、アブラハムは遂に問題解決の最後の手段としてハガルとイシュマエルに家から出てもらうことにします(創世記21章)。

しかし、神はアブラハムに試練を与えます。約束の子イサクを犠牲の動物と同じように神に捧げよとアブラハムに告げます。アブラハムは神の約束とは矛盾する神の言葉にも拘わらず、神の約束を信じ「神の山に備えあり」と信じて、イサクを連れて指定されたモリア山に登っていきます。そして、モリア山頂でイサクを動物のように捧げようとした瞬間に天から声がします。「アブラハム、アブラハム、あなたの信仰はわかった。あなたは独り子を惜しもうとはしなかったからである。」するとそこにはイサクに代わって神に捧げるべき羊が目の前にいました、アブラハムの信仰はユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の一致点です。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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