悲劇と喜劇

Facebook・岡本 よりたかさん投稿記事「悲劇と喜劇」

コロナ対策鬱(うつ)というのもあって、あちこちでコロナ対策がなされているのにガッカリし、かつ他人の心ない言葉で憂鬱になり、出かけるのが億劫になるという症状である。

まぁ、これも良く分かる話で、若干僕もその傾向がある。とは言え、仕事上、外に出かけるわけだが、新幹線や飛行機の中、ホテルのフロントなどでは、本当に憂鬱になる(笑)。

このまま接種証明書必須となると、重い腰を上げざるを得ないが、多分、出かけることは減るだろうと思う。

僕らは社会システムにぶら下がって生きているから、その社会の中で不都合が多くなると、本当に生きづらくなるものだ。

1800年代のイギリスの政治家であり小説家であるウォルポールは 「ホレース・マンヘの書簡」の中で社会をこう表現した。

"世の中は考える人たちにとっては喜劇であり、感じる人たちにとっては悲劇である。"

これは、つまりこういう事だ。出来事を客観的に捉え、頭で考える事ができる人にとっては、社会で起きることは喜劇でしかない。

しかし、心で捉えてしまい、感情の起伏の激しい人たちにとっては悲劇となってしまうということである。

日々のニュースに吐き気を覚える人は多いと思うが、つまりは感情で捉えず、理性で捉えろ、そうすると馬鹿げたことだと分かってくるということである。

よく考えてみると、今起きていることは必ずしも強制されていることばかりではない。実はマスクもソーシャルディスタンスも予防処置も、するかしないかは自由である。

ただ、周りからの視線や言葉で強制されているように感情で捉えているだけに過ぎない。頭で考えれば分かることである。

職場の上司が、同僚が、知り合いが、管理者がと、結局は大した強制力を持っていない者から、強制されているように感じているだけなのである。

自分の人生は自分のものでしかない。周りの者のものではないのに、何故振り回されるのだろうか。自分の頭で考え、自分で判断した行動をすればいいだけのことである。

仕事が首になるとか、仲間外れになるとか、そんな些細なことで自分の自由を奪われ右往左往するようでは、結局、自分の人生を自分で歩んでいることにならない。

自分は何のために生まれてきたのか、他人にコントロールされるためではなく、自分の夢を実現するためのはずである。

僕は、社会が僕を拒絶しようが、僕は僕の人生を歩む。受け入れてくれないなら、あえて入って行かない。

自給という力をもっと持って、自分が思うように生きていく道を探す。それが人間らしい生き方だと僕は思う。

最後に一つアドバイスすると、意見が一致する仲間は必ずいるものだ。特に近くの人ではなくSNSの中に居たりする。その人たちと、こうした話題を積極的にし、かつ深刻にならずに笑い飛ばすようにする。

心の中にネガティヴな情報が入ってくると、人はやる気が失せて、感情が沈みがちだから、他人と共通の話題にして吐き出せば、解決法が分かってくるし、行動も起こしやすくなる。

そうすると、心が軽くなって来るものだ。

ただし、その分、自分も、他人の行動を強く制限してはならない。それはあやふやな社会のルールを守るということではなく、自分の中でルールを作る必要はあるということでもある。

#あと選挙行こうね(笑)


Facebook・Tadashi Furuyashikiさん投稿記事 「理屈よりボク達をよく見て!」

※(昨年12/16に投稿した内容に少し手を加えての再投稿です)

“昭和初期”の子ども達の写真と“令和”の子ども達の写真。

写真は並べて見比べた時に初めて気付かされる事があるように思う。

「予防接種、投薬、うがい、手洗い、牛乳、栄養学、洋食、フッ素、消毒、マスク・・」

これらを“ちゃんと”実行させられてきた令和の子ども達は昭和初期の子ども達よりも“理屈上”は元気いっぱいで健康面が「向上」していなければならない。

もし向上しているのなら何も文句はないのだ。

自分の幼少期思い出して今の子ども達を見つめてみよう。

“色”のついた鼻水を毎日垂れ流し、体内の毒素を体外に排出しまくっていた「漲る生命力のかたまり」のような眩しいぐらいに輝いた子どもを今は1人も見かけない。

今の子どもはやっと排出しかけた“無色”な鼻水すら体外に出す事を心配性な大人達に許してもらえず、薬毒を次から次に接種させられ、弱らされ、薬で熱を下げられ、身体の“掃除”の基本である風邪すらひかせてもらえず、毒素の上にまた新たな薬毒を身体に溜め込み続け、また更に次のより大きな病気の種まきを日々続けさせられている。

皮肉にも健康に無頓着で不精な親の子ほど、ほったらかされているので意外に元気だったりするのはその為だ。

統計学や栄養学といった卓上の“屁理屈”が全く子どもが本来持ち合わせた強靭な「生命力」に目を向けていないのは明白だ。今一度古今の子ども達の写真を見比べてみる。

そこには見事に“劣化”させられた子ども達が写っている。

大人達が幼い子ども達にしてきた政策が正解だったのかどうか写真を見れば答えはもうハッキリ出ている。

そういえば生まれてから1度も予防接種も薬も飲んだ事のない私の長男は来春小学校入学する。息子が注射も薬も牛乳も摂取しない事で父親である私が校長や教育委員会と面談する日がくるかも知れない。

以前保育園の園長と面談をした時には「お父さんは立派な考えをお持ちですね」と嫌味たっぷりに園長に言われ私はこう答えた。

「私の考えが立派な訳でも、また変わってる訳でもないんですヨ。皆さんよりただ“進んで”いるんです」と私は園長である女性に向かって「ニコッ」と笑って見せた事があった。

その時園長は私につられて少し微笑んだ。彼女の頭ではなく魂には少し響いたかも知れない。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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